1-2.異世界召喚
『やったぞ! 成功だ!』
『陛下に連絡を!』
歓声を浴びながら、陽介は眼をパチクリとさせた。
――何だコレ?
足元から照射されていた光が徐々に収まっていくのに気付いて目を向けると、色だけはアスファルトによく似た石畳だった。壁も天井も同じ素材のようだが重要なのはそこではなく、そもそも自分は屋外にいたはずである。
床には白っぽい染料で円状の模様――魔法陣というやつだろうか?――が描かれており、その周りを揃いのローブを着た人々が十人ほどで取り囲んでいる。壁際には西洋の甲冑らしいものを着た人の姿も見られた。
そして、それらすべての中心にいるのが陽介だ。
――何だコレ?
学校帰り、すっかりレンを探すのが習慣になっていた陽介はキョロキョロとよそ見をしていたせいか人にぶつかってしまった。
油断していたので見事に尻餅をついて――その時、視界いっぱいに光が弾けるような妙な感覚はあった――謝ろうとしたらこの状況だったのである。
――待ってマジで何コレ?
「――勇者様」
混乱していた陽介だったが、ここにきて初めて理解できる言葉が耳に飛び込んできた。
顔を上げると、こんな薄暗い場所には似つかわしくない豪奢なドレスを身に着けた美少女がそこにいた。
「勇者様?」
確認するように繰り返され、ハッとする。
「えっと……?」
「わたくし、リールス王国第一王女リリアーナ・ルシルサ・リールスと申します」
勇者というのは何だと聞きたかったのだが、名前を聞いたと誤解されたらしい。
スカートの端を軽く持ち上げて優雅に腰を折る少女――リリアーナに、依然としてぽかんとしていた陽介だったが、彼女の後方に立つ甲冑の男が軽く咳払いをしたのを見て、慌てて立ち上がった。
「えっと、新田陽介です」
「ニッタ様とおっしゃいますのね?」
「はい、……あ、いや、ヨウスケ・ニッタ、です」
「では、ヨウスケ様とお呼びしてもよろしいですか?」
「えーっと、はい」
「ではヨウスケ様、こちらへ。お父様――国王陛下よりお言葉があります。詳しいお話もそちらでいたしますわ」
「あ、はい」
結局聞きそびれたが、説明をしてくれるつもりはあるようだ。陽介は促されるまま王女の後をついて部屋(地下室だった)を出た。
――それに、勇者と呼ばれた事実だけでもある程度の状況は察せられる。
(魔王とかいんのかな?)
■ ■ ■
陽介の予想は概ね当たっていた。
リリアーナ曰く、このリールス王国は長年に渡って魔族による侵攻を受けていたが、これまでは騎士や魔術師だけで撃退できる程度のものだった。しかし最近になって魔族たちを束ねる強力なボス――すなわち魔王が現れたらしく、激しい攻防の末、ついに国土の一部を占領されてしまったのだそうだ。
今は領地を奪ったことで油断しているのか小康状態にあるが、いつまた侵略が始まるかわからない。
そこで王国に伝わる古い文献に記された秘術――すなわち、異世界からの勇者召喚を行った。
――というのが、事の次第のようだ。
「で、でも俺、戦い方なんて知らないし……」
「問題ない。魔導師長」
国王が顎をしゃくると、一際豪奢な刺繍の施されたローブの男が進み出た。
「は。――召喚術式を経由した時点で、あなたには勇者としての力が授けられています。もちろん、その正しい使い方を知るべく訓練は受けていただきますが」
「勇者としての力?」
言われて自分の体を見下ろし、グッグッと何度か拳を握ったり開いたりしてみるが、特に変わったふうには思えない。
「勇者様」
戸惑っていると、国王の隣に控えていたリリアーナ王女が進み出た。とたん、周囲が騒ぎ出す。
何を言っているのかはわからないが、どうも好意的なものではなさそうだ。
――何だよ、勇者とか言っておいて。俺が何をすると思ってるんだ。
しかしそれに反論したのはリリアーナ自身だった。
「お黙りなさい! 私たちのために来て下さった勇者様に何と無礼なことを言うのです。――勇者様、お許し下さいましね。あの者たちはわたくしの身を案じてくれているだけなのです」
悄然とした様子の王女の姿は、誰が見たって可憐で庇護欲をそそられる風情に満ちている。これは過保護になるのも仕方ないなと陽介はあっさり納得した。
「あ、ええと、大丈夫です、よ」
「ああ、勇者様のお慈悲に感謝いたします。……勇者様。わたくし、勇者様は事情を承知の上で来て下さっているものとばかり思っていたのですが、そうではないのですか?」
「あ、うん、いきなりだったから……元の世界では一般人だったし……」
「まあ……それはさぞかし戸惑われたことでしょう。ですけれど、あなた様が選ばれたのは紛れもない事実なのです。どうかわたくしたちを助けて下さい」
王女は祈るように目を閉じ、そっと陽介に体を寄せた。
怯えたように震える睫毛。柔らかく温かい、小さな体は、守ってやらなければと自然に思わせるに十分なものだった。可愛いからほだされたとも言う。
「やるだけやってみるよ」
■ ■ ■
国王の謁見を終えた後で付き人、というか通訳者を紹介された。元の世界とは言語がまるで違うため、翻訳魔法なるものを使える人を介する必要があるのだ。リリアーナも使えるらしいが、王女という立場上、常に陽介についているわけにはいかない。
ちなみに、陽介も魔法を使えるようになっていたので自分自身が翻訳魔法を覚えた方が話が早いのではとも思ったが、他に優先して覚えるべきことの方が多いこと、また魔王が洗脳術に長けているらしく、切り札たる勇者はいっそ言葉がわからないままの方が影響を受けなくて済むということらしい。
付き人はソフィアという、いかにも才女然とした美女だった。クールな容姿に反して距離が近く、ことあるごとに体を寄せてくるので陽介はどぎまぎした。
召喚されたその日は用意された部屋で休むことを許されたが、翌日から早速訓練が始まった。
王女の前ではかっこつけたものの、連れて行かれた運動場にたむろする筋骨隆々の男たちを見るなりげんなりして引き返したくなった。張り切った様子で大剣を振り回す、一際体の大きい訓練係(騎士団長らしい)を前にしては尚更である。
――これ、魔王がどうこうの前に死なねえだろうな……?
陽介は本気で心配になったが、勇者としての力が与えられているというのは本当らしい。
勇者にしか扱えないという触れ込みの聖剣は羽のように軽く、文字通り手足の延長のように楽々と扱えたし、騎士団長がその鍛え上げた膂力でもって振り下ろした剣を正面から受け止めても力負けしなかった。
もっとも力の使い方がわかっていないというのもまた事実で、技巧の面では完全にあちらに軍配が上がり、何度となく転がされては青空を拝むはめになった。
転がった陽介を見下ろしながら騎士団長が何か言い、それをソフィアが訳して伝えるというまどろっこしいやり方ではあったが、呑み込みの速さも勇者の力の範疇なのか、言われたことはすぐにできるようになった。
一日目にして新人騎士の一人くらいなら、腕力に頼らずとも相手にできるようになったくらいだ。
剣の訓練の後は少し休憩して――あれだけ体を酷使したのに、“少し”で済んだことも驚きだ――魔法を習った。
この頃にはすっかり順応していた陽介はワクワクしたが、まずは座学、しかも王国の歴史についての講義の方が長いくらいだったのでちょっとガッカリした。
授業が終わって部屋に戻り、初歩的な明かりの呪文を試しに唱えてみると手のひらの中に光が生まれた。――興奮して叫んでしまい、見張りの兵士が泡を食ってドアを叩いてくる事態にもなったが、それもご愛嬌である。……多分。
訓練も授業もけして優しいものではなかったが上達が実感できれば楽しいもので、陽介は後から思い返して自分で感心するくらい真面目に取り組んだ。
そして訓練すること一か月。
騎士団長、魔導師長からもお墨付きが出て、いよいよ魔王討伐の旅に送り出されることとなり、出発前夜の王宮では勇者と彼に伴って出陣する兵士たちの激励の為、盛大な宴が開かれることとなった。
国中の貴族が集まる席だからと豪華――というよりはゴテゴテと飾り付けられた重たい衣装を着せられて陽介は辟易したが、同じく着飾ったリリアーナ王女を見るやたちまち機嫌を直した。
「今日はわたくしがエスコートして差し上げますわ」
「よろしくお願いします、王女殿下」
つんとすましてみせる王女に、陽介も恭しく腰をかがめる。それから二人で顔を見合わせて笑いあった。
王女も何かと忙しい身だと聞いているが、時間を見つけては応援や差し入れをしてくれていたので、今ではすっかり気心の知れた仲だ。
二人寄り添って大広間に入ると、わっと歓声が上がった。
「うふふ」
「どうした?」
「わたくしたち、お似合いですって」
「えっ……へえ」
「あら、照れてらっしゃるの?」
「べっつにー」
エスコートするという宣言は伊達ではなく、リリアーナは通訳をはじめ、押し寄せる客たちの牽制まで十全に果たしてくれた。
陽介はレンの親衛隊を思い出して少し笑った。
「あら、どうされたの?」
「いや、ちょっと思い出し笑い」
「そうですか……あら、どうしたのかしら」
楽団による演奏がふいに止まり、代わりに拡声魔法による声が会場に響き渡った。
リリアーナ王女がすかさず通訳してくれる。
「今日のために市井で評判の歌姫を呼び寄せたのですって」
「へえ」
「ま、所詮は下賤の出ですもの。にぎやかしになれば上等ですわ」
歌姫。ちょうどレンのこと(正確に言えばその親衛隊のことだが)を思い出していたところだったので、タイミングがいいなと陽介はまた笑ってしまったが、初めて聞く嘲りを含んだ口調にびっくりして王女を見た。
が、彼女にはその意味が分からなかったのか、にっこりと笑顔を返されただけだった。
(まあ、王女様とかにとっちゃそういうもんなのか……)
陽介は無理やり自分を納得させたものの、何となくうすら寒いものを感じて半歩ほど身を引いた。
王女はそれに気づかず微笑んでいたが、しかし従者に連れられて現れたかの歌姫を見て表情を凍りつかせた。
それは彼女に限った話ではなく、再び拡声魔法による紹介が入るまで、広間は水を打ったように静まり返っていた。
体つきはこの国の令嬢や婦人がたと比べれば起伏は少ないが、陽介から見れば十分すぎるほど魅力的な曲線を描いているし、肌が透けて見える薄い布地でできた衣装も扇情的だった。
肌は白いと言えば白いが、異国の血でも混ざっているのか、陽介が見慣れた日本人のそれに近い。それに、なるほど市井の出らしく日焼けの痕まであった。
オレンジがかった茶色の髪は尼のように肩口で切り落とされ、結い上げてすらいない。こんなに短い髪をした娘は、少なくとも王宮では見たことがない。下働きの娘だって一様に長い髪をしていた。
だが、男たちからの下卑た野次も、女たちの侮蔑を含んだ嘲笑も聞こえてくることはなかった。それどころか、会場中に満ちたのはまぎれもない感嘆であった。
――美しい。
右眼は髪色と同じ淡い褐色、左眼は琥珀さながらのとろりとした飴色。
色の違う両の瞳は、並み居るお歴々を前にして怯むどころか不敵とも言える光に炯々と輝いている。
文化や歴史などによって培われ理屈立てられた美の基準など小賢しいとねじ伏せんばかりの、いっそ暴力的なまでの圧倒的な美貌である。
ぶん殴られた衝撃も覚めやらぬうちに、歌姫が背後に従えた楽団に合図を送る。再び会場に楽器の調べが響き、強張っていた体から自然と力が抜けていく。
空気が弛緩し始めた隙を突いたように、第二の衝撃はやってきた。
紅に染められた魅惑の唇が一瞬だけ弧を描き、そして、歌い出す。
「――――!」
はっ、と誰かが息を呑んだ。
宮廷で披露されるに相応しい、戦士たちを送り出すのならもっと激しくてもいいくらいの、ゆったりとした優雅な旋律だ。
紡がれる歌詞は、おそらくはこの国の、それも庶民の日常風景。
――夜が明けて、一日中忙しく立ち働いて、ふと見上げた空の眩しさに目を細める。
日が沈み、家族の待つ家に帰って、何てことのない出来事を報告して笑いあう――
王宮の中で決められたスケジュールで動いていた陽介にとっても、それどころかこの場にいる貴族たちのほとんどが馴染みのない、知ることさえないだろう貧しくささやかな生活。
まさに今この時、目の前で営まれているかのような、そして自らがその一因であるかのように色鮮やかな光景であり、体験だった。
だが、それを見下す者も、首をかしげる者さえいなかった。
この景色を、この営みをこそ守らなければならないと強く思わせるという意味では、なるほどたしかに勇者を送り出す場には相応しいものだ。
――人々は祈りを捧げて眠りにつく。
夜空に浮かぶ満点の星々が、かれらを優しく見守っていた――
歌が終わる。
余韻が溶け切ったのを見計らって、歌姫が一礼した。令嬢然としたそれではなく、胸に手を当てて腰を引くように屈める紳士のような礼だったが、佇まいが凛としていることもあってか、なかなか様になっていた。
歓声と拍手が弾け、人々が彼女の元へ殺到する。
未だ衝撃の覚めやらぬ――彼の場合、歌に対して以外にも理由があったので尚更だ――陽介はぼんやりとそれを眺めていたが、他ならぬ歌姫の方が輪を抜け出してこちらへ歩いてきた。
歌姫は目を合わせてにっこりと自信に満ちた笑顔を向け、何事か――おそらくは挨拶だろう言葉を口にする。陽介には理解できない、すなわち現地語である。
首をひねっていると、彼女はふっと王女の方へ視線を向け、同じように挨拶をした。
王女もまだ混乱しているのか、通訳の役も忘れてボソボソと(これも普段からは考えられない態度だ)会話していたが、次第にクスクスと楽しげな笑みも見せるようになった。しかもこちらをチラチラ見上げながらのそれに、さすがに口を挟んだ。
「――何の話?」
『、、、、、、、? ……あ、あら、失礼しました。その、勇者様は素敵な方ですねと」
「ふーん、へへ、そっか」
あからさまに取り繕った様子だが、あえて問い質したりはしなかった。リリアーナのことだ、悪口ということはなかろう。
「ところでさ、あの――む」
唇に歌姫の人差し指が触れた。
やんわりとした仕草だったが、一瞬の視線から黙れという意図を察して口をつぐむ。と、そっと指が離れ、今度は彼女自身の唇に当てられた。
傍目には色っぽいやりとりに見えたのか、周囲から抑えた歓声が上がる。
しかし陽介にはその仕草にも、ニヤリとした表情にも覚えがあった。
歌姫の耳元で、唯一見覚えのある銀色のピアスがしゃらりと揺れる。
あんな歌を歌える人は世界中探したって一人しかいないと思っていたが、何しろここは別の世界だ。だから完全には確信を持てていなかったが、間違いない。
――あ、マジで本人だ。