宇宙からの色々
寝不足の頭と、いつものご奉仕に加え、慣れないものも加えさせられ、疲れも抜けきらない躰を女王様に引き摺られながら登校する。
彼女と私は別のクラスなのだが、この学園は彼女が敷いた物理法則に従って動き彼女の意のままに動くのだ。
よってそんなことは些細な問題で学年が違おうが、授業と授業の合間は彼女の時間なのだ。
授業中は退屈だが誰のものでもない時間であり、私からすれば唯一私の時間だと、蚊の鳴くような声で叫んでも醜い自尊心を満たせる時間なのだ。
楽しい時間はあっという間で気がつけば彼女の独壇場になってしまうのは、私が他の従者達と違うところだろう。
蝶よ花よと育てられた子はいるだろうが、彼女は動く花畑だ、ミュージカルも驚きのありさまだ、山が動くなんて話ではない、野も山も川も海も意のままだ。
ただの人間にもお優しいのだが、何年も張り付いていた時間が長いと、彼女の分厚い美しい仮面に気がついてしまったのはここ最近のことだ。
そして審判の時は訪れた
「さぁ、待ちに待ったお昼ね、嫌な相対性理論も砂時計はひっくり返せなかったようね。
私がこんなに胸を躍らせたのは、何年振りかしら今日は記念すべき日ね、歌でも歌いたい気分だわ。」
どうやら御身体は大変ご機嫌らしい、今年は豊作だろう。
「はぁ、そりゃようござんした、あっしもうれしゅうございます」
「くるしゅうない、よきにはからえ。なんだか間違えっているような気もするけれど、まぁいいわ。あなたと私の子供みたいなものだもの、嬉しいに決まっているでしょう?あなたも喜んでくれると嬉しいのだけれど。」
驚いた、そこまで考えていたとは。単なる気まぐれとしか思わなかったがなんだ、そこまで至っていたのか。末恐ろしい、できちゃったならぬ造られた婚だ。彼女の出自からすればこういう生まれ方にコンプレックスを感じていそうなものだが、案外そうでもないのかもしれない。
弁当の中身はまぁ普通だ、庶民的ななんの捻りもない普通の内容だが、彼女の手にかかれば、著名な作家の芸術品に美術的価値が勝手について莫大な値段がつくように、この手弁当も彼女の御業の一つに加えられるのだろう。
「それなら私が驚いたのは、冷蔵庫を開けた時が最高潮ね。どこで調べたのか知らないけれど、私の好きなものと、あなたの好物に二分された、馬鹿みたいに大きな二食弁当はあれを見れば誰だって驚くわよ。」
「そう?あなたって結構偏食じゃない、普段はなんでもい〜なんていい加減なようだけどしっかり選んでるわよね、どのお店にいっても、長い間メニューと睨めっこしてうんうん唸ってるじゃない。意外とこだわり強いし、その上頑固よね。私もあなたとの付き合いは結構長いから、それくらいわかるわよ。」
「返す言葉もございません。」
完敗だった、こいつは意外と私のことを注意深いとまではいかないが、割と見ていたらしい。意外と抜け目ないやつだ。
いや、彼女に見えないところなんてあるはずがないのだ。彼女にかかれば見ずとも、視えているのだろう。
そう思わせるだけの何かが彼女にはある、すっかり忘れていた、私もすっかり麻痺しているのだろう。
「さぁ、あなたとの楽しい会話もいいけれど。せっかくのお弁当が勿体無いわ、いただきましょう。」
不思議と背筋が正される、判決を待つような、表彰されるような、偉人の前に立つような。
彼女が用意した料理を弁当箱にしまい込むだけだ、適当にキーボードを叩いたらシェイクスピアのハムレットになるわけではなく、適当に鍵盤を叩いたらバッハの蟹のカノンになるわけでもなく、適当に絵の具を投げてポロックのナンバー5になるわけでもない、もっと簡単なことだコイントスで両方表のコインを使うのと、ダイスを456賽にしたり、カジノをコントロールするディーラーのように、結果は見なくてもわかるのだが、それでも、万に一つ奇跡的に偶然が起こるかもしれない。
そう思うとつい身を構えてしまうのだ、私のような些末な人間にはいつまで経っても克服することはできないだろう。
「まぁ!素敵なお弁当、実にあなたらしいわね、素敵よ。ありがとう、私とても嬉しいわ。夢にまで出てきたもの、今日も朝から楽しみでしょうがなかったの。いえ、実はずっといつかこんなことが起きればいいなって思っていたの、昨日はついに思い切って色々準備したの、その間も楽しくてしょうがなかったわ、プランは前から練っていたのだけれど実行に移すとなると、きっかけを作るのが大変だったわ。あなたってば私の仕掛けた罠をスイスイ抜けて行くんだもの、でも昨日はちょっと強引だけど上手く行ってよかったわ。」
どうやら彼女も上手くいかないことがあるようだ、偶然とはかくも恐ろしいものだ、こんなところで奇跡を起こしたらどこかで帳尻合わせで、当分の間奇跡は取り上げられてしまうだろう。食当たりや、交通事故や、病気はしないように心がけるとしよう。
「それくらい言ってくれればよかったのに、あなたも奥手なところがあったのね、意外だわ。」
「私のか弱い乙女心ではそんな破廉恥なこと言えないわ、あなたににべも断られたらもう私は、生きてはいかれないわ。そういうところもきちんとあるのよ?あなたはもっと私を高く見積もってくれているようだけど、私だって普通の女の子なのよ?」
彼女の言う普通がどんなものなのかは、実に興味深いが私からすれば首が痛くなるくらいのレベルなのだろう。天に向けて唾を吐いても自分に返ってくるだけだ、諦めよう。
「最近なんだか、あなたの意外な側面ばかり知らされて、私の中のあなたはおかしなことになっているわ。一体あなたってどんな人なの?どんな人になりたいの?」
不意に口をついて出てきてしまったが、怪物に名前をつけるように、怨霊を神格化して事態を治めるように、私は彼女を普通の人間として見たいのかもしれない。だが、私が彼女を求めたのはそんな理由ではないはずだ。
彼女が私の世界に介入してから、私の幼気なプライドは塵芥と化してしまった。
高校生になっても、私はきっと上手くやれる、いわゆるカーストの上に立てるはずだ、そう言う確信めいた何かがあった。
平等なんてものが幻想だったはるか昔に比べれば、人類は遥かに豊かになったが、人類は結局誰かと比較することからは逃れられないのだった。そんな悲しいモンスターたちが跋扈する学校生活を私はサバイブすること、それだけがみんなが幸せになれる世界で、私だけの幸せを手に入れられる唯一の手段であり、独立した幸せを手にする手段であった。
それが台無しにされたのは彼女が私の前、いや人類の前に降臨してから、見事に崩れ去った。今までは人間同士で競争していたのに、バイクや車が紛れ込んでは話になるわけがない、馬力が違うなんてものではない。
頂点捕食者が人類だとすれば、その上に立つのが彼女だろう。だが彼女は我々脆弱な人類をとって食うなんてことはせず我々の思い描く、都合のいい女神様の座に甘んじていてくれたのが、唯一の慈悲であり幸運であった。
どいつもこいつもが、彼女を神輿に担ぎ上げている中、私はその神輿に忍び込み彼女の膝の上で微睡む猫になってやろうと思ったのが、私の浅はかな考えだったのだが。その計画が即座に失敗したのはもはや言うまでもないだろう。
「実は私はね、普通の女の子になりたいの。」
意外な返答に私は天地がひっくり返るかと思ったが、神様が人にまで降りてくる。この時点で驚天動地だ、結局元に戻ってしまった。
「自分で言うのはちょっと恥ずかしいけれど、私ってそういう風に造られた存在なの。
それもかなり出鱈目によ、ゲームの点数がどれだけ離れていたってひっくり返せるし、当たりがないくじでも当たりを引けるし、空だってそのうち飛べるかもしれないわ。
どうやったって私は特別な何かになれてしまうわ、そんな私に唯一できないことは普通になることなの。
普通って難しいわよね、人にはそれぞれ普通があって、私とあなたではかけ離れているわ、悲しいくらいね。
それでもみんなが私みたいになっていれば、それこそ幸せになれるかもしれないけれど、そんなことはないわ。
だって世界は広いもの、私たちはこのいつまで経ってもそこが見えない、宇宙の中に放り込まれてしまったの。
きっとこの世界のどこかには、私やあなたが知らないだけで私みたいな、私より優れた人がいるかもしれない、もしかしたら私みたいな人しかいない所もあるかもしれないわ。でも世界に生まれる人たちはもっと無作為よ、みんながみんな私みたいに造られた人間じゃないし、仮に造られた人しかいないとしても、きっとみんながみんな同じ人間になるとは思えないわ、きっと個性を持つ個体が現れてそれが風邪みたいに広がっていって、みんなそれぞれ自分を見つけて普通の社会になってしまうわ。
それに今の私は、自分が普通ではないことを知ってしまっているわ、この広い世界で普通なんていつまで経ってもわからないし、決めることなんて誰もできないだろうけど、私はなってみたいの普通に。」
私はそこまで考えて、生きていなかった己の視野の狭さに呆れるが。そこが彼女が普通たり得ない所以なのかもしれない。普通の私たちは目の前にあることで手一杯だが彼女くらいなんだって思い通りになるレベルになれば、自分が何か別のものになることが難しいのだろう。持っているものを手放すのが惜しいのではなく、ポケットの中が四次元にでも繋がっていて、出せども出せども尽きないせいでいつまで経っても終わらないのだ。
でもなぜ彼女はそこでふんぞりかえることを選ばなかったのだろうか私は思った。
「それは寂しいからなの?それとも何かそうならなければならない理由でもあったの?」
「そうかもしれないわ、私の周りにはたくさんの人に囲まれて幸せに満ちているわ、でも幸せはそこにあるだけで、私のものにはならないし、誰のものではないの、少なくとも私のものではないわ。
私はね、誰かの特別になってしまうのが嫌になったの、私に出会うまでは自分を中心に世界が回っているような人が何人もいたわ、自己中心的な考えだけど、周りがそれを許してしまうくらいには優れていたの、だけれど私の周りにいるのはそういう人だった誰かよ。そういう人たちもまとめて普通の人になってしまって、私はそんな人たちの特別になってしまったの。それが私は悲しかったし、同時に罪の意識を感じてしまうの、あの人たちの大切な何かを私は奪ってしまったのではないか、生きる意味だとかそういう誰しもが持っていたかもしれない、これから持ちうるかもしれない大切な何かを私のせいで無くしてしまった。
それがとても耐えられないことだったの、でもあなたは違ったわ。
何かはわからないけれどあなたは違う気がしたの、現にあなたはこうして私といる、理屈ではなく直覚の何かね。」
幽霊の正体みたりというわけではないが、ついに女神様の仮面が剥がれ落ちたのか、そもそも剥き出しだったのを私たちは見ないままにして、都合のいいように見ていただけなのかもしれない、それか女神様のお優しい心で隠してくださっていたのだろう、お優しい限りだ。
そうなれば私も腹を割って離さねばなるまい、それが礼儀だろう。
「私が他の人達とどう違うかなんて知ったことじゃないし、わかりっこないけど。
私は別にあなたを特別視しているかどうかで言ったらわからないわ、あなたの期待を裏切ってしまっていたら御免なさいね。だけど私は、最初はあなたのことを疎ましく思ったし、今もなんなら嫌いかもしれないわ、目の上のたんこぶね。
私はね、あなたに勝つことはとうの昔に諦めたわ、それで私はあなたの一番になってやれば私はあなたに勝つことはできなくても、あなた以外には勝てると思ったの。
みっともないでしょう?私はあなたの下に新たなカーストを作ろうとしたの、まぁ今となっては失敗したわ、徹底的にね。
それから私は考えたわ、あなたの周りの人達、あなた、そして私。
私みたいな狭い世界しか見れない、普通の人間からすれば世界はあなたの意のままになっているの、そこから外れた私は、果たして世界にいるのか、いないのか、そんな世界と私をつなぐのは私を世界から爪弾きにしたあなたしかいなかったの。私のおかげであなたが救われていたとしたら、私はあなたにしか救われないわ。
まぁここは痛み分けだから許してあげる、私はあなたに抱かれている間はあなたと繋がっているときは、ちょっとした全能感を感じることができたわ、あなたとひとつになればあなたの持つ何かに触れていれば私もなれるかもしれない、何かの間違えであなたの一部になるのかもしれない。そんなことも考えるくらいには、あなたに陶酔していたわ。
結局のところ。あなたは私の特別よ、だって世界にはあなたしかいないの、それしかいないの、あなたに取り上げられてしまったの、私はあなたを愛しているのかもしれないし、あなたしかいないからあなたを愛しているのかは分からないわでもね、私はわからなくもいいわ、あなたがいればね。あなたがどうかは知らないわ、だって今の今まであなたが抱えていたものなんて知らなかったし考えもしなかったわ。でも本当は見えてもいたし知ってもいたのかものね、私はその程度の人間だけどあなたはどう?こんな私をどう思う?」
自分の中にこんなに言葉が潜んでいたとは驚きだ、吐き出してよかった。そうでもなければパンクして死んでしまっていただろう。自分と世界の距離感を測るのは得意だったが彼女と居る間に麻痺していたのかと思ったが、もうすでに答えはとっくの昔に出ていたのだ。私の狭い世界はいつの間にか彼女に取り上げられて彼女しかいなくなっていたのだ。
「そうね、こればっかりは私にはわからないわ。でも、あなたはあなただし私は私よ。こればっかりは変わらない真実よ。
でも試してみるのはいいかもしれないわね。」
「何を試すの?」
「ここでシテみない?おかしな話かもしれなけど、なんだか私とあなたは少し分かり合えたような気がするの、少なくともお互いを深く知ることができているはずよ。知識ではなく感覚的だとかそういう、曖昧なところで。」
なんだかよくわからなかった、さっきから頭がぼんやりしているような気がする、ついさっきも思ってもなことや、いや思っていたのかもしれないが、今はなんだかよくわからない。
彼女の手が私に触れる、私の肌が彼女に触れる。
自分の体の境界が曖昧になる、彼女の指が私の指に絡みつく、また境界が曖昧になる。
思考がまた曖昧になる、意識が解けていく、彼女はどうなのだろうか、まだわからない、いつかわかるのだろうか。
彼女の唇が私の唇に触れる。
彼女が私に入ってくる。
彼女と私が重なる。
私が溶けて彼女と混ざり合う、なんだかひどく眠い、このまま眠ってしまおうか。
私は誰だっけ。そういえば私の名前は・・・