レステ
レステとしての記憶は、実はほとんどない。
孤児院に来たのが4歳の収穫期も過ぎたころ。そのあとの冬、猛威を振るった風邪にかかり、高熱を出した。私が気が付いた時には熱に浮かされていて、同時に混乱もしていたのだと思う。
アレルギーの苦しさとも違う体の苦痛はいつまでたっても苦しいまま。視界に入るのは病院の白いカーテンやシーツではなく、年季の入った素朴な内装。そんな中で、私は一向に良くならない体の不快と苦痛に呻いていた。そして、熱が少しづつ下がり周囲を確認できるようになったころ、私は私が違うものになっていることを認識したのだ。
時々様子を見に来てくれる、知らない言葉で話す少女。水のほかに時々口に運ばれてくる果汁やミルクの味の違和感。でも、言葉のイントネーションはいつも聞いているもので、呼びかけられているのが自分の名前で、自分に向けられた簡単な問いかけの内容は不明瞭なりにも理解できる。水を飲ませてくれる時に少女が話す聞いたことのない言語から、”水”だとか”飲む”だとか、そういう単語が混じっていることがわかるのだ。
私の記憶の中では全く知らないはずなのに、その少女の存在もミルクの味も何故か知っているし、いつもの良く馴染んだものとしても認識している自分もいる。 何というか、言葉も習慣もわからない知らない国で行き倒れて、見ず知らずの人にお世話になっていた、みたいな状態だった。
寝返りを打った時の体のサイズ感が違う。自分の手が小さい。肌の質感が柔らかい。思ったように体が動かない。 意識が浮上するたびにそんな違和感を感じながら、いったい、何が、どうなっているんだ、と思っていた自分もいた。
私が気が付いてから、何度も水を飲ませてくれたから、多分1日~2日経った頃だと思う。少し熱が下がり始めた頃、私は小さな子供になってることを認識した。
いや、認識したというか、観念したというか。
記憶にある自分の手と違う手を見た瞬間、驚いて、思考停止して、訳も分からずに、とにかく何かを否定した。
(えっ、なにこれ? 何かおかしくない? 変だよね、おかしいよね、どういうこと?)
と、そういう思考を何周も何周も繰り返した。手を挙げて、体をよじって、違和感の正体とそれを否定する要素がないか、考えていた。
同時に生まれ変わりや転生という非現実的な単語が頭をよぎってはいたんだ。まあ、何度目が覚めても変わらないサイズの小さな手に、逃げられない現実を突きつけられ、認めざる終えなかったというのが正しい。
ただこの体の持ち主、レステと呼ばれていた子供、の意識は既になく、私はレステの記憶を引き継いだ。いや、レステからすれば、私が彼女の体を乗っ取ってしまったようなものかもしれない。とにかく、私の自己認識は”常和”のままで、レステの記憶を”知っている”。
そういうことで、私はレステと名付けられた体で生きていくことになったのだ。