魔物の暴走(スタンピード)
前回、俺が興味本位で、国家機密に相当する貴重な鉱石の触媒である“賢者の石”を創ってしまった。
俺が何気なく国家機密を創り出してから一夜が明けて、俺たちは帝都へと急いでいた。
理由は、俺が暗黒物質創造で創り出してしまった、賢者の石を何かの拍子に他の者へと知られる危険を減らすためだ。知られた場合は、こちらには霧騎士が七人と精霊王と契約をしているミュレイが俺と行動を共にしているから、滅多なことでは危険性は無いかも知れないけれど、暗殺者に怯えての暮らしや国家戦力を投入される可能性もあるとのことなので、迅速に行動することが求められた。
そうは言っても、帝都への道のりは半分も進んでいなかったので、当初の計画よりも多少早めに動いていると言った程度のものだ。しかし、朝早くから行動を開始したり、休憩時間を削ったりとした行程の見直しをすることによって、半日分程度を短縮できたらしい。
今夜、視界の開けた場所で野営をすれば、明日の昼前には帝都へと到着できる予定だ。
俺たちは、昨夜と同じように役割分担をしながら野営の準備に取り掛かった。
俺は人間の姿で周囲を警戒していたのだが、薪をくべている霧騎士の男性が火付けに苦戦している姿が目に留まった。そこで、少しだけ火を点ける手伝いをすることにした。
『爆炎を司る精霊王と契約を交わし者、エヴェイユの名において3番目の炎の精霊を行使せん。松明の灯!』
ミュレイと二人だった時に普通に使っていた魔法なのだけれど、松明の灯だけで灯がともっている時には、煙が全くでないので不思議に思っていた。そうしたら、ミュレイが魔法力だけを消費している時には、空気がない水中でも灯が付いていると教えてくれた。
松明の灯から薪へと火が移り、黒い煤けた煙が空へ立ち昇っていく。
火付けを行い、再び周囲の警戒と今夜の獲物を探す為に生き物の気配を探っていたのだが、何やら森の様子がおかしい。明確に何がと言われると困るのだが、森全体が静まり返っていて動く物の気配がしないのだ。
俺は感覚を研ぎ澄まして周囲の様子を探ってみる。普段であれば、日暮れ前になれば鳥は巣へと戻り、夜行性の肉食獣は活動を開始する時間だが、鳥の歌声も草木を揺らす音も聞こえてこない。不気味なほど森が静かすぎるのだ。
なぜ、動物たちが姿を隠したのかを不審に思っていると、空気と大地が震動していることに気が付いた。前世で何度も感じた大地震の前触れ……初期微動に近い振動だ。俺は、心の底から恐怖心が湧き上がってくることを実感していた。
「……地震か!?」
大地震の前触れのような雰囲気に包まれているが、何かが異なるような気がする。
何が違うのかは明確に判らないが、恐怖心を伴う嫌な感じだけが膨れ上がっていく。
「この震動は、魔物の暴走だ!」
隊長のアルベルトが叫んだのをきっかけにして、霧騎士の皆さんは、蜂の巣を突いたように騒ぎ出した。
「こんな開けた場所で、魔物の暴走に出くわすなんて……」
ふと見れば、ミュレイも顔を青ざめさせている。
「魔物の暴走っていうと、何かに驚いた集団が、我を忘れて集団で逃げ出す現象だったかな」
前世の記憶を頼りにしてみたが、具体的に何が起こっているのか情報が欲しかったので、振動の原因を探ろうと呪文を唱えてみる。
「風雷を司る精霊王と契約を交わし者、エヴェイユの名において、11番目の風の精霊を行使せん。風の探知!」
魔法の疾風が四方八方へと駆けていく。そして、周囲の詳細な地図が頭の中に出来上がっていく。
その一方向から、津波のごとくおびただしい数の魔物が此方に迫ってきていることが判った。このままの速度で接近してくるのなら、五分と待たずに俺たちの居る場所へ怒涛の勢いで押しかけてくるだろう。
誰かに意見を聞いている時間は無いだろうな。ミュレイの傍に寄った俺は、そう考えて意見を口にする。
「おびただしい数の魔物が、後五分ほどで此処に到達します。周囲には、俺達全員が隠れられそうな場所は在りません。ですので、壁を造ってやり過ごそうかと思うのですが、ミュレイの意見を聴かせて下さい」
「助かるには、それしかないでしょうね。何か手伝えることは有りませんか?」
ミュレイの状況判断の速さは頼もしい限りだった。
「では、慌てずに私たちの周囲に集まるように指示を出してもらえますか。それから先は、洞窟を封印した時と同じ要領で、手伝ってください」
俺はそれだけ言うと準備に差し掛かる。
「風雷を司る精霊王と契約を交わし者、エヴェイユの名において、4番目の風の精霊を行使せん。音声伝達!」
音の発生源をミュレイに定め、誰かに声を届けるというよりも広範囲に大音量で伝わるように設定した魔法を発動させた。そして、ミュレイに話すように伝える。
「すぐそこまで魔物の暴走が迫っています。私とエヴェイユでやり過ごす手立てを講じますので、今すぐに必要最低限の物だけ持って、私達の側に集まってください」
ミュレイの良く通る声は、周囲にいる霧騎士の面々にも届き、馬を引き連れて集まってくる。
人数を確認したミュレイと隊長のアルベルトが俺に合図を送ってくる。俺はそれに答えると、皆に背を向けて、魔物の暴走が向かってくる方向へと身体を向ける。
「地重を司る精霊王と契約を交わせし者、エヴェイユの名において、4番目の地の精霊を行使せん。土壁!」
出来るだけ船の先端のような、尖った形になるように2枚の大きな土壁を自分たちの居る場所を中心にして、左右に作成する。続けて、2枚の土壁の結合部分を魔法的に接続して決して外れないようにする。
「地重を司る精霊王と契約を交わせし者、エヴェイユの名において、6番目の地の精霊を行使せん。魔法の錠前!」
そして、土壁全体の強度を上げるために魔法力を込められるだけ込めて強化する。
「地重を司る精霊王と契約を交わせし者、エヴェイユの名において、11番目の地の精霊を行使せん。結合強化!」
魔法で土壁を造り、それを強化した俺は、ミュレイへと振り返る。ミュレイの方でも何を求められているのか理解していたらしく、すぐに呪文の詠唱に入る。
「水氷を司る精霊王と契約を交わせし者、ミュレイ=フェリクスの名において、14番目の水の精霊を行使せん。氷乃棺」
土壁の狭くなっている箇所に氷で補強が入る。俺たちが二か月過ごした洞窟を封印した方法の耐久度を、こんなに早く見ることになるなんて思ってもみなかったけれど、これで自分たちを守る壁が完成した。
最後に後方にも土壁を造って、完全に俺達がいる場所を周囲から隔離した。
「確証は有りませんが、出来るだけ衝撃を受け流す為、先端部分を船の様な形に作ってありますし、そこは特に強度を上げてあるので、長時間の魔物の突撃にも耐えられると思います」
丈夫に作られた頼もしい土壁を見上げれば、これでダメだったら、何をしても無駄だろうと、なぜか達観した気持ちになった。
「絶対に安全だと言い切れるものではありませんが、即興で作るしかない状況下において、出来る限りの強度を誇る壁だと思います。恐怖心は此処に居る誰しものが抱いているでしょうが、皆で耐え抜きましょう」
ミュレイも俺の言葉に続けて霧騎士の皆さんを安心させようとしてくれていた。
「我々は、狼殿とミュレイ様を信じるしかありません。此処で魔物の暴走をやり過ごしましょう」
隊長のアルベルトが答えてくれ、他の隊員の皆さんも頷いてくれている。
ただ、俺は出来るだけの事を考えて創ってあるが、一抹の不安もぬぐい切れないでいた。それは、実戦経験が無いことからくる不安だろう。机上の空論とならないことを祈ろう。
「魔物の数は数えきれないほど、終了時間も予測が出来ません。その間、じっと息を殺して後方へと轟音が流れていくのを待つしかありませんので、不安があって然るべきかと思いますが、ここはミュレイが言ってくれたように耐え忍ぶしかありませんので、一緒に頑張りましょう」
それが終わり一息ついた俺が周囲に目を配れば、馬たちが怯えている様子が目に留まった。もともと馬とは臆病な性格をしていて、戦場に出られるような軍馬であっても、その本質は変わらないのだろう。更に閉じられた空間で馬が暴れれば、不測の事態に陥ること間違い無しということに行きついた俺は、何か出来ることが無いか考え、魔導書の中にある呪文を一つ試してみることにした。
「馬たちを後方の一か所に集めてもらえますか」
俺の発案に霧騎士の皆さんは、何か言うでもなく素直に従ってくれた。今の時間が無い状況下では、不平不満無く行動に移して貰えることは、非常に有難い。
俺は馬たちの居る方へ右手を向けて、魔法を詠唱する。
「風雷を司る精霊王と契約を交わせし者、エヴェイユの名において、13番目の風の精霊を行使せん。静寂!」
何の反応も無いから、効果が出たのか怪しんでいると、静寂の範囲内にいた霧騎士の一人が、慌てて動いた拍子に背負っていた鍋を落とした。けれど、範囲の外にいる人たちには、何も聞こえてこないので、きちんと音の伝達を遮断することに成功たようだ。
動物の耳というのは、人間のそれよりもはるかに性能が良いということを実感している俺にとって、魔物の暴走の轟音は、恐怖を掻き立てる地響きに等しかった。だから、本質としては臆病な馬たちが恐慌状態とならないようにする為にも音の遮断は必要だと判断したのだ。更に俺は馬たちへの呪文を重ねる。
「風雷を司る精霊王と契約を交わせし者、エヴェイユの名において、5番目の風の精霊を行使せん。精神安定!」
追加で馬たちに精神安定の呪文を強めにかけて、これからの衝撃と轟音とで恐慌状態にならないように強制的に落ち着かせた。
似たような魔法が日光魔法にも有るのだけれど、灯がともってしまうので、暗闇の中で使用した場合、魔物の暴走の的になってしまい、こちらに全体が集中して突進してこられても困るので、風雷魔法の精神安定を採用した。
他にも地重魔法で地面を緩くしたり、爆炎魔法で罠を仕掛けたりしようかとも考えたが、下手に刺激をして、余計に恐慌を強めることを危惧したので、これ以上は何もしないことにした。
そうこうしているうちに地響きが大音量で迫り、地面は立っているのも辛いほどに強く揺れだした。俺は土壁を見上げて、耐えきってくれよと祈った。
すぐに魔物の暴走に自分たちが飲み込まれたことが理解できた。なぜなら、数百の大岩を転がして、それを土壁にぶつけ合わせたかのような轟音が俺たちの元に響いてきたからだ。
ただ、予想した通りに後方へと流れていく音を聞いて、自分たちが魔物の標的で無かったことに安堵していた。また、夜だったためか空を飛ぶ魔獣は数が少なく、自分たちに目もくれずに飛び去って行ったもの幸運だったと言えるだろう。
長らく続く轟音に精神を擦り減らしていると、唐突に静寂が訪れた。
後方へと遠ざかっていく足音だけが、危険が去っていったことを告げていた。
息を潜めて待ち望んだ瞬間だった。
「助かったのか……」
誰からともなく発せられた言葉に安堵の響きが含まれている。
だが、何とも言えない恐怖心と不安感は、魔物の暴走が過ぎ去ったというのにベッタリと全員の身体に張り付いているかのようだ。嫌な汗が止まらない。
まだ終わっていない。
それを俺たちよりも素早く実感した馬たちは、精神安定が効果を表していのにも関わらず泡を吹いて昏倒した。もしも、魔法をかけていなかったら、馬たちは即死していたかもしれない。
漆黒の夜空の向こうから、恐ろしい速度で強大な力を持った“なにか”が、こちらへと飛んできている。確定ではないが、魔物の暴走を起こした元凶が追いかけてきたのだろう。だが、あれだけの数の魔物を恐慌状態にして追い立てる魔物など存在するのだろうか。
俺は魔狼の姿へと戻ると、ミュレイが固めてくれた氷の上に飛び乗り、虚空を睨み付ける。
次回、漆黒の夜空から舞い降りる強大な魔物の正体が明らかに!
毎週【金曜日】の夕方頃に更新予定です。
また、見に来ていただけるように頑張りますね。