少女との出会い
人間の世界で死んで、異世界へと転生した俺は、魔狼へと生まれ変わった。
そこで、狩りの仕方や魔狼としての技術を学び、俺は独り旅立った。
今生の父母や兄弟姉妹たちと別れ、独りで何処までも続く森をただひたすらに全力で走る。
自分の荒い呼吸が耳に届くが、息苦しさや疲労感を感じることは無く、後方へと高速で流れゆく景色と少し湿り気を帯びた空気が気持ちいい。
どれだけの距離を走っただろうか。どれだけの時間を走っただろうか。
弾丸のような速度で、木々を避けながら前だけを見て森の中を走った。
突然、視界が開けて、どこまでも続く空と水の青さが目に飛び込んできた。
『海だー!』
俺は、この世界に来て初めて見た海に興奮していたのだろうな。モフモフな自慢の尻尾をぶんぶんと振り回しながら、思念伝達に盛大に魔法力を込めて叫んでしまった。
それに怯えたのか、湖畔の鳥たちが一斉に飛び立つ。
色とりどりの鳥たちが、青い空へと登っていく様を眺めながら、俺は清々しい気持ちでいた。
そんな中、ふと気が付くと、クスクスと小声で笑う可愛らしい声が聴こえてきた。
声のする方を向くと、俺から少し離れた砂浜に体育座りをした状態で、俺の方へ首を傾けている女の子が居た。
薄い空色をした肩で切りそろえられた髪に真っ白なワンピースが良く似合っている。
「笑っちゃって、ごめんなさい。でも、狼さん。ここは、湖ですよ。舐めてみたら淡水だってわかります」
女の子は、笑いを堪えながら俺に説明してくれる。
俺も素直に水を舐めてみると、確かに真水であることが解かり苦笑する。
ただ、全力で長い時間を走ったせいか、喉が渇いていたので、飲める水は正直ありがたかった。
たっぷりと湖の水を飲んで、横を向くと、少女は興味深そうに俺の顔を見続けていた。
『人間……だよな。こっちの世界にも人間が居たんだな。それなのに、なんで俺は狼に転生したんだろう』
俺は、転生先の世界で人間に出会えた嬉しさよりも、人間に転生できなかったことに対する淋しさの方が勝っていた。
「狼さん。思考が洩れていますよ」
少女は、何が面白いのか相変わらずクスクスと笑いながら指摘してくる。
『最近、思念伝達を使った会話しかしてこなかったから、無意識にこっちで声をだしちゃうんだよね』
ここまで話して、ふと気が付いた。
『あれ。俺の言っている事って通じている』
そう、俺の今の身体は魔狼なのだから、基本的に人間の言葉を話している訳では無いのだ。
「魔力に思念を乗せているみたいなので、考えていることが広範囲に通じていますよ」
女の子は普通に答えてくれた。
自分の思考が周囲に駄々洩れなんて、恥ずかしい限りで赤面してしまう。……今は狼の身体なので、赤面するのかどうかは判らないけど。
そこで、もう一つの疑問が生まれた。
『なあ、俺って大きな狼だと思うんだけれど、怖いとか思わないのか』
問われた少女は、何を今更という風な顔をしていたが、立ち上がってワンピースに付いた砂を払うと、
「申し遅れました。私、賞金稼ぎ(バウンティ・ハンター)をしている、水魔法の使い手、ミュレイ=フェリクスと申します。これでも依頼が有れば、魔物を狩ったりもしますので、それなりに魔物に対する耐性がある方だと自負しております」
と、自己紹介をしてくれた。そして「ついでに言うと、狼さんは、人間臭いと言うか、魔物っぽくないと言うか」と、俺を警戒しない理由にも答えてくれた。
『そうだよな。たった数ヶ月で、身体が狼になったからって、心までは獣になれる訳じゃないもんな』
俺の独り言のような思念は、またしてもミュレイに伝わっており
「狼さんは、人間の転生者なのですか。すごく流暢に話されていますし、さっきの思念でも『人間がいるのに、なぜ狼に転生した』みたいな感じでしたが」
『正直に答えて良いものか判らないけれど、俺は元人間だよ。幸運に恵まれることができて、こっちの世界へと転生することができたけれどね』
素直に答えると、ミュレイは納得したような表情になった。
「では、狼さんが転生者だと解かったので、私は賞金稼ぎとしての仕事を始めたいと思います」
そう言って、ミュレイは左手に持っていた大学ノート程度の大きさで、参考書程の厚みのある本を持ち上げた。
『賞金稼ぎって事は、やっぱり俺は討伐されるのかな』
せっかく知り合った人間の少女と闘いたくは無いから、もし戦闘になるようなら、一目散に逃げようと考えていた。
「なぜですか?私が受けた依頼は、巨大な狼の討伐では無く、狼に“転生”した元人間を魔法使いとして一歩を踏み出せるように導くことです」
俺は混乱していた。
『俺を討伐しに来た訳では無く、俺に魔法を授けてくれるのか?』
そして、同時に憧れだった魔法を色々と使えるようになる喜びを感じていた。確かに今でも思念伝達に空間転移や蒼炎の柱などは使えるけれど、これらは、どちらかと言うと超能力や種族的な特技って感じで、魔法と言う感じがしなかったからだ。
「具体的に私が水氷を司る精霊王から直接受けた依頼は、この場所に人間から転生を果たした巨大な狼が一匹来るので、魔法契約を手伝い、魔法使いとしての基礎を教えて欲しいと言うものです。それと、私たち賞金稼ぎは、無闇矢鱈と危険を冒す冒険者とは違い、依頼が無ければ無益な争いはしませんよ」
この世界の常識を一つ知ったような気がした。しかし、賞金稼ぎと冒険者の違いなど、前世で気にしたことすら無かったな。って、言うか、水と氷を司る精霊王様が、俺の手助けをする為にミュレイを派遣してくれたってことなのかな。
色々と理解が追いつかないが、俺はミュレイと言う少女の言葉を信じることにした。
そんな俺の心の中での葛藤をよそに、着々とミュレイは砂浜に置いてあった鞄から何かを取り出しつつ準備を進めている。そんな気がする。
「まず、狼さんのお名前を伺っても宜しいでしょうか」
ミュレイに名前を聞かれて俺は困った。前世での名前はもちろんあったが、こっちの世界での名前は、まだ無かったからだ。だって、魔狼の群れでは、誰も名前での個体識別なんてしなかったからだ。
前世の名前を名乗っても良かったのだが、せっかくなのでファンタジーっぽい名前にしたいと思った。そこで、思いついたのが、こっちの世界での自分の理想を、自分的にお洒落だと思っているフランス語にして言葉にしてみることだ。
『エヴェイユ。覚醒って意味だ』
とっさのことにしては、なかなか良い名前だと思う。
「ありがとうございます。エヴェイユですか。綺麗な響きの名前ですね。では、その名前で、これから精霊との契約を始めますね。まずは、精霊と契約できなければ、魔法を使うこともできませんからね」
『ミュレイさん。出来れば、もう少し詳しく教えて貰えませんか』
何となく敬語になってしまう。
「わかりました。先ほども言いましたが、魔法を使う為には、精霊達と契約を行う必要があります。何故なら、この世界の魔法は自然界の精霊の力を行使するものだからです。その他にも種族特性として使える技能的な魔法も有りますが、そちらの方は、他の種族が習得する事は基本的に出来ません」
なるほど。俺の使える超能力っぽい魔法は、魔狼の特殊技能って考えで合っていそうだ。
「その契約についてですが、上位の精霊と契約が出来れば、それよりも下位の精霊の力を行使することが出来ますが、最下位の精霊としか契約が出来なかった場合は、1つしか魔法を使うことが出来ません。また、精霊の種類は系統別になっていて、日光・爆炎・水氷・風雷・地重・闇夜の6系統が確認されています。更に1系統につき1人の精霊王と18人の精霊がいて、それぞれに1つの魔法を行使する権限を得ます。そして、精霊王と契約が出来れば、1枚だけ白紙の魔導書が付与され、その系統で1つだけ独自の魔法を創造する権利を得ます」
そこで、俺はあることに気が付いた。
『ミュレイさんは、多分、水氷の精霊王と契約しているんですよね。って、ことは、魔法を1つ創造する権利を得ているってことですか!』
「正確には、日光と水氷の二人の精霊王と契約しているので、創造できる魔法の枠は2つ有るのですが、どんな魔法がそれぞれの系統に必要なのかが判らず、創造するには至っていませんけどね」
不覚にも、ちょっとだけ困った表情を見せるミュレイが可愛いと思ってしまった。
「どの系統の精霊が契約に来てくれるかは、あなたの魔法の質によって変わりますし、契約に費やす魔法力の量によって、私のように系統が増えたりもします。ちなみに2系統以上の精霊と契約できることは稀なのですよ」
今度は、ちょっとだけ誇らしげな表情に微笑ましく感じてしまう。
「最後に精霊の償還に成功すると、自分専用の魔導書が精霊の手によって作成してもらえ、名前によって契約を確定させます」
そう言ってミュレイは、自分の魔導書を見せてくれた。厚さは参考書程度かな。その表紙に金色の手形が付いている。
「では、精霊との契約ができるのは、逢魔が時である夕方だけなので、これから直ぐに正円を描いて……。まず、魔方陣を狼の身体で、描けるのかしら?」
ミュレイの不安も最もであった。俺は、四肢の先にふっくらとした肉球が着いた四つ脚の獣だ。正円や魔方陣なんて描ける訳が……。
俺は、ふと前世の記憶を思い出して、おもむろに少し長めの木の枝を二本拾ってきた。それを先の方でクロスさせ、その交点の部分に魔力を流した爪を突き刺すと、二本同時に穴が開いた。そこへ、短い木の枝を差し込み固定する。即席の巨大なコンパスの出来上がりだ。
それを地面の上で口と前足を使って一週回せば、綺麗な正円を描くことができた。
ただ、正円の大きさが俺サイズなものだから、前世で相撲の土俵くらいの大きさになってしまった。
それでもミュレイ的には問題ないらしく、先端に銀色のペンを取り付けると、もう一度、今度は魔力を込めながら、円をなぞるように一周描くように指示してきた。
「では、少し円の外にでて待っていてください。少し必要な図式を書き足しますので」
俺が円の外に出るのと入れ違いにミュレイが円の内側に何やら幾何学模様を書き加えていく。正直に言って、細かな図形がコンパスや定規を使わずに正確に書き込まれていく様は、とても興味深く楽しい時間だった。
また、正円を描く理由についても手を休めずに動かしながら話してくれた。
それは、魔力の範囲を決める為であり、特に召喚と契約の儀式を行う際には、自分の魔力で限界値を決める為にも重大な意味が有るらしく、大きな魔法陣は、それに見合うだけの魔力を消費するらしい。但し、外枠以外の場所は、誰が描いても別段問題がないらしく、細かなことはミュレイに任せてしまっている状態なのだそうだ。
次いで、ミュレイは別の小さな円を描くと、その中にも幾何学模様を書き加えていく。外周には文字っぽいものも書かれているが、今の俺には読むことができない。
文字があるなら読めるようにならないと生活に不便だな。ミュレイの描く文字を見ながら、俺はそんなことを考えていた。
短時間だったとは思うが、夕暮れが迫るころにミュレイは、大小二つの魔法陣を書き上げていた。
「さて、間もなく逢魔が時になります。契約をする間だけですが、人間の姿に変化してもらいますね」
『人の姿になれるのか!』
俺は余りの嬉しさに声を張り上げてしまった。
「嬉しいみたいで何よりですが、せっかく戻ってきた湖畔の鳥たちが、また、逃げてしまいましたよ」
ミュレイは微笑むように注意を促す。
周囲を見れば、確かに多くの鳥たちが飛び立っていた。夕暮れの時間帯に申し訳ない。
それとは対照的に心が軽くなった気がした。もう人間の姿にはなれのではないかと諦め始めていたからだ。
「人間の姿になれるとは言っても、一時的なものですし、イメージが曖昧だと形が崩れてしまいますので、前世の姿でも思い浮かべてはいかがでしょうか」
俺がミュレイの描いた小さな魔法陣に入ると、彼女は、静かに目を閉じて、左手に表紙の立派な魔導書をかかえ、右手を俺の方へと突き出す形で、小声で何か呪文のような言葉を唱え始める。
「水氷を司る精霊王と契約を交わせし者、ミュレイ=フェリクスの名において、13番目の水の精霊を行使せん。外見変化!」
ミュレイの呪文が終わると、俺が乗っている小さい魔法陣から魔力が注がれる感じがして、みるみる俺の体が小さくなり始めた。毛深くて立派な肉球を持った腕が、細くて貧弱な人の手へと変化してゆく様子が目に映った。
「おぉー!人間の姿だ!」
声帯を使って、俺は肉声を出すことに成功した!
でも、思っていたよりも声質が軽くて高い気がする。
そして、ずぶずぶと地面に足が飲み込まれていく感覚に、慌てて魔法障壁を展開する。
何時もの感覚で魔法障壁を展開したので、ずいぶんと今の身体には大きなモノが出来てしまったが、地面に飲み込まれることは防げたらしい。
「質量保存の法則だよな。あれだけの大きな質量を持った狼の身体が、いきなり小さな人間の大きさになれば、地面との接地面積が少なくなって、地中へと沈み込むのも道理か」
いきなり考え込んだ俺を魔法障壁の外で見ていたミュレイが不思議な表情でのぞき込んでいる。
「もっと年配の方を想像していたのですが、随分と幼い方だったのですね」
そこで、ふと自分の外見が気になって、湖をのぞき込んでみると……。
そこに映し出されていたのは、前世で小学校入学式の写真に写っていた俺だった。
毎週金曜日の夕方に投稿予定です。
宜しければ、次回もお越しください。