心の在り処
裁判官が、法廷に立つ男へ尋ねた。
「一体何故、あなたはこのようなことを? 有名な発明家であるはずのあなたが」
男――発明家は裁判官をじろりと見た後、朗々と語った。
「私は人類にとって非常に重要な問題の研究に取り組んでいた。その調査のために必要なことを行なったに過ぎない」
発明家の開き直るような態度に、裁判官は眉をひそめた。
「あなたが行なったことの事実を確認しましょう。あなたは数年前、病院に保存されていた不特定多数の精子と卵子を盗み出した。そしてあまつさえそれを勝手に人工授精させ、様々な胎児を生み出した。合っていますか?」
裁判官が聞くと、発明家は素直に頷いた。
「それは倫理にもとる行為です。そのことを、あなたは分かっていて行なったのですか?」
「そのとおりだ」
発明家は、自身の行いを反省する様子を微塵も見せずに肯定する。
この時点で裁判官にとって、発明家への心象は悪い方へと傾いていた。
「もう一度聞きます。何故そのようなことを行なったのですか?」
「調査のために必要だったからだ。私は常々、疑問に思っていることがあった。それは『人間の心というのが一体いつ生まれるか?』というものだ」
検察や弁護側、傍聴席も含め、法廷内がにわかにざわつく。裁判官は「静粛に」とお決まりの台詞を吐いて周囲を制した。
「その疑問が、何故精子や卵子を盗み出し、胎児を生み出す行為へとつながるのですか?」
「無論、心が生まれる瞬間を観測するためだ。私は独自に、人間の心がのぞける装置を発明した。これによって、受精卵がただの物質から人間になる瞬間をとらえようとしたのだ」
法廷内がいよいよざわめきを抑えられなくなる。裁判官は、もう一度、しかし今度はより激しく「静粛に!」と言い渡し、質問を続けた。
「あなたは……何故そのような研究を行なおうと考えたのですか?」
「何故だと? そんなこと、誰でも思うだろう。人間がただの物質ではなく心のある生物だと、全ての人類が共通認識しているにもかかわらず、心がいつ発生するかという疑問に関してはいまだ答えられていない。人間は、『自分に心がある』と思っていながら、その実、心の在り処を誰にも証明出来ないのだ」
一息挟み、発明家は続ける。
「これは宇宙開闢にも等しい至上の命題だ。人間という種の解明に向けて、避けて通ることの出来ない道なのだ」
熱っぽい視線で発明家は自論を展開する。半ば狂気じみた演説に、裁判官は次の質問を躊躇いそうになった。
「……それで、観測は出来たのですか?」
瞬間、発明家の気勢は、一息に消火するようにしぼんだ。
「いいや……無理だった。私が何度装置から胎児たちをのぞいても、既にそこには心があった。だが心の発生する瞬間だけは、どうしてもとらえることが出来なかった」
心底落胆した様子で発明家は首を振った。
その時、座っていた弁護士が立ち上がり、発明家へ向けて言った。
「そんなのは当たり前ですよ。いくら観測しようとしたって、いや、観測するからこそ、心の生まれる瞬間なんて見えるはずがない」
「なんだと? どうしてそんなことが分かる?」
発明家が尋ねると、弁護士は「簡単ですよ」と答えた。
「心は独りでは生まれてこないからです。誰かが誰かを見ようとしたとき、もう既にそこには、心が生まれているのです」