2.前世の記憶
佐藤椎名という男は至って普通の人間だった。日本に生まれ、両親に愛されながら成長し、高校、大学と順調に進学して、そこそこ大きな会社に就職した。仕事はできる方だったらしく、同僚の中では早く昇進していき、重要な仕事も任されることが多くなった頃、一人の女性と結婚した。
彼女は会社の受付嬢だった。一男一女の子供を儲けたが、子供が小学校に入ってしばらくすると、妻は男を作って出て行った。椎名は特にショックを受けることはなかった。ただ、母をなくした子供たちに申し訳ないと思うだけであった。後から聞いた話だが、元妻の女性は、仕事ができて顔もいい椎名を旦那にしたかっただけで、椎名が思ったよりつまらないので浮気したとのことだった。椎名は、それを聞いても何も思わなかったし、仕方がないとも思った。椎名は彼女に恋愛感情を抱くことは最後までなかった。もちろん、子供たちのことは愛しているし、両親のことも大切に思っている。友達も多く、親友と呼べる人もいた。ただ、恋愛感情だけがわからなかった。
だから、彼女には申し訳ないことをしたと思っているし、感謝もしている。恋愛感情を理解できない自分が子供を持てて、孫にも恵まれた。75歳で病気になって死ぬ時も、愛する家族に見守られて逝けた。幸せな人生だったと、自信を持って言える。
という内容の夢を見た。シーナは、目の前で繰り広げられる佐藤椎名という男性の記憶を、ほぼノンストップで強制的に見せられた。そして見終わってからは、これはただの夢ではなく、記憶であり、かつての自分のものであるとはっきり理解していた。
目が覚めたシーナは混乱と膨大な量の記憶に耐えきれなくなり、再びベッドに倒れ込んだ。メイドが騒いでいるのを頭の隅に聞きながら、クラクラする頭に耐えきれず、意識を
手放した。
次に目を覚ましたのは2日後だった。熱があるらしく、まだ頭がクラクラしていたが、思考能力は幾分か戻ってきたように思った。メイドが慌ただしく動いているのを横目に、シーナは記憶を整理することにした。
(つまり、俺は前世の記憶を思い出したというわけか…)
熱に浮かされた頭でしばらく考えたのち、シーナが出した結論はそれであった。シーナは不思議と落ち着いていた。まだ混乱は治らないが、納得できる部分も多々あったからだ。思えば、シーナは昔から不思議な発言をすることが多かった。なぜ車が走っていないのか、テレビはないのか、魔法や魔物なんて漫画やゲームの世界のようだ、等々。この家ではシーナが多少変な発言をしても可愛がられてきたのであまり気にしなかったが、シーナが変人令嬢と言われるのはこのせいでもあるかもしれない。
(そりゃあ漫画とか言っても伝わらないよな)
ないものをいくら言ったって伝わるわけがない。シーナが魔法オタクになったきっかけはまるで漫画みたい!という気持ちが8割を占めているが、どれだけ他者に説明したところで理解してもらえなかった理由がようやく分かった。
前世の記憶がある。この事実はシーナにとってこれからの人生を揺るがす大事件とも言えるが、それよりももっと大きな問題がシーナの心にのしかかった。
その問題とは、この異世界が乙女ゲームの世界ではないかということだった。
そう、最近流行のアレである(メタ)。シーナが椎名であった頃、孫と共にしていた乙女ゲーム「学園シンデレラストーリー」という王道学園ものの乙女ゲームの世界にこの世界は大変似ているのである。
(似てるってかほぼ一緒なんだよなあ)
学園シンデレラストーリーを大まかに説明すると、主人公『アリス』平民の身でありながら、特待生として貴族が通うハイデンフィール学園に入学し、様々な困難に乗り越えながら男性と結ばれるというものだ。こってこてである。だが、超人気作品であった。主人公の可愛さや攻略キャラが魅力的なこと、ストーリーが凝っていることや絵や声優が豪華なこと、様々な要素から10代女子に大人気だったのだ。
この乙女ゲームを、体調を崩すことが多くなり、家に籠もりがちな椎名のために孫がゲーム機ごと持ってきたのだ。もちろん椎名は乙女ゲームに興味はなかったが、孫と一緒にゲームができることが嬉しく、全ての男を孫と攻略した。乙女ゲームを舐めていた椎名は、ストーリーに泣かされたとき考えを改めた。隠しキャラまで攻略し、攻略本を買って、今度は全てのスチルをゲットしてやろうというところで、病気が発覚、入院となった。病室でも、お見舞いに来てくれた孫と共にゲームを楽しんだ。何が言いたいのかというと、椎名にとってこのゲームは、やり込みにやり込んだ大好きなゲームということである。
この世界を乙女ゲームの世界だと思った理由はたくさんある。例えば、ゲームで描かれていた歴史や世界観、存在しているものがこの世界と一緒だとか、国王や王妃、王子の名前が一緒だとか、ハイデンフィール学園が存在しているとか、シーナもエドガーもゲームに出ていたし容姿もほとんど一緒だとか、挙げればキリがない。ゲームの世界だと確定することは簡単だが、認めなくない気持ちが強い。たまたまゲームと同じような世界なだけならばそれでいい。だけど、この世界がもし、誰かがプレイするゲームの世界そのものだったら。椎名が考えていることが、これまでの思い出が、そしてこれからの未来が、誰かに作られ、操られているとしたら。考えるだけで血の気が引いた。
しかしシーナには事実を確かめる術がない。前世の記憶があるってだけでも突拍子がないのに、ゲームの世界だなんて証明ができない。そもそもこの世界の人にはゲームという言葉が伝わらない。
ゲームと類似点は多々あれど、違うところだってもちろんある。ゲームでは細かいところまでは描かれないから、そもそも同じかわからないことだって沢山ある。なにより、この世界がゲームで、プレイヤーがいるのかどうかは学園に入学するまでは分からない。今考えても分からないことをこれ以上考えるのは時間の無駄だとシーナは思った。
ならば考えるべきは今後の自分の立ち振る舞いじゃなかろうか。
ただのシーナと前世の記憶ありのシーナ(newシーナ)は性格がガラリと変わってしまっていた。シーナは引きこもりで社交が大の苦手。からだを動かすことは好きで、エドガーの鍛錬に混ざることはあれど、それ以外は基本インドアである。大人しくて人見知りの引っ込み思案、かなりのネガティブ思考、以上が大まかなシーナの性格である。対してnewシーナは基本椎名の性格そのままなので、インドアというよりはアウトドア派でやりたいことはバンバン挑戦していきたいし、明るく社交的な楽観主義者である。
熱で倒れたらこんなに性格が変わっていたとなれば、過保護なエドガー一家は大騒ぎとなろう。となれば、徐々に徐々に自分を出していくしかないのだが、今更あのネガティブを演じるのはきついものがある。よって、シーナは決意した。エドガーにだけは言ってしまおう、と。