第四話
レンの暴走回!
――翌日。
レンは白亜の宮殿の裏にある、生垣の蔭に隠れていた。少しの隙間も無いよう綺麗に揃えられた生垣はその実、隠れ場所としては最適だ。
白陵宮の正面広場では今日も大規模なデモが行われているが、頻繁に飛び交う怒号はいつもよりもずっと遠くで聞こえる。
政治的にも軍事的にも帝国の中心を担う白陵宮に侵入し、その要所を爆破する――それがレンの父親を殺された復讐――「計画」の内容だった。
裏口をじっ、と見つめる瞳に宿った底無し沼のような深淵の光は、レンの心に広がった闇の深さをありありと映し出している。
宮殿を警備しているホムンクルス達は、正面口のデモの対処に駆り出されているのだろう、今の裏口の見張りは一人だけだ。
要するに、今が白陵宮に潜入する絶好のチャンス。
――腐り切った帝国を内側から崩してやる。自分達がした行為の報いを、せいぜいその醜い身で受け止めろ。
憎悪に顔を歪めながら、レンは懐から鼠を取り出した。ここに来るまでの間に捕まえたその鼠に白い布を巻き付け、抑えつけていた手を放す。
鼠はまるでレンに怯えるかのように、勢いよく生垣の蔭から逃げ出していった。
放った鼠はすぐに生垣に隠れて見えなくなり、それでもレンはその方角を眺め続ける。
布の中央部分には肥料を精製して取り出した硝酸が染み込ませてある。布の端に付けた火はやがて布の中央に燃え移り、鼠を包みこんで激しく燃焼するはずだ。
ほどなくして、シュ、っという鋭い音と共に、少し離れた所で白い煙がもくもくと立ち上った。肉の焼ける、耐えがたい匂い。
何者だ!と叫びながら、泡を食って煙の立った方向へ駆けていく護衛のホムンクルスを無表情に見送り、レンは見張りのいなくなった裏口から一人、白陵宮の中へと侵入した。
† † †
白い壁に白い天井。その大部分を大理石を削って作られた白陵宮は全てが白い。
床に敷かれた真紅のカーペットが無ければ、今頃自分は遠近感覚を失い、宮殿の中を彷徨っていたに違いない。そう思える程に、白陵宮は広かった。
デモの時に見た宮殿の外観を必死に思い出しながら、レンは爆薬――昨日の夜、余っていた肥料を精製して作った手作りの硝煙爆薬だ――を握りしめ、壁の陰から陰へと隠れながら移動する。
狙いはホムンクルスが詰めている部屋。父さんを殺した敵をここで討ち果たす!
――見つけた。
レンは柱の陰に隠れて開きっぱなしの入り口を窺い見る。何人かのホムンクルスが殺風景な部屋の床に座り込み、何をするでもなく無表情に壁の一点を見つめているのが見える。
本当にやるのか。心の中で、不意にもう一人のレンが囁いた。彼らは決して感情を爆発させないのではない。させられないのだ。
彼らが帝国によって大量生産され、命令に従わされている事はレンでも知っている周知の事実。何もしないでただ床に座り込んでいる彼らの様子は、レンに改めてその事を思い出させる。
彼らに、本当に罪はあるのか。それを殺そうとしている自分は、何か重大な考え違いをしているのではないのか。
――いいや、彼らにそのつもりがあろうとなかろうと、彼らが父さんを殺したというのは紛れもない事実なんだ。
こちらに向かって近づいてくる話し声が聞こえ、ようやくレンは我に帰った。
惚けている場合ではない。
デモの鎮圧が終われば正面玄関に駆り出されていたホムンクルス達が戻ってきて、レンはあっという間に捕まってしまうだろう。
びっしょりとかいた手汗を、レンはぼろい布切れと化した服の端で何度も拭い取る。
手持ちの中で武器に使えそうな物は、裏口で囮に使った分を引いて硝煙布が残り五枚。硝煙爆薬が三個。そして、果物ナイフが二本。
ホムンクルスの透明な障壁は、鉄パイプで殴りつけてもびくともしないくらい強固だ。ナイフを握りしめて真っ向から突撃しても、到底倒せる相手ではない。
硝煙布も威力より使い勝手を優先してある為、頑強な障壁を持つホムンクルスが相手ではせいぜい姿を眩ませる煙幕の役割を果たすくらいが関の山だろう。
ならば――爆薬で柱を崩して、部屋ごと一気に押し潰す!
入り口に忍び足で近付き、しかしそのまま飛び込むのではなく、レンは扉の後ろに回りこんだ。
扉の蝶番の部分に硝酸爆薬を取り付け、さらにその一メートルくらい先にある柱に向かって走る。
室内に居るホムンクルス達が気づいて追ってくるが、構わない。ここまで来たらもうスピード勝負だ。
硝煙爆薬を仕掛け、ダッシュでその場から走り去る。後は追手のホムンクルスから逃げ切って、離れた所から爆薬に火をつけるだけ。
チェック・メイト。
人外の速さでもうレンのすぐ後ろまで迫っている追手のホムンクルスに瞠目し、レンは心の中で毒づく。
(足まで速いのかよ、このチートどもめ……)
次の瞬間、足がもつれた。倒れ込みながらも、レンはしっかりと右手で握りしめた点火装置、そのボタンを親指で押し込む。
終わりだ……ホムンクルス!
迫ってくる大理石の白い床がやけにゆっくりと感じられ、次の瞬間、レンは強かに頭を打つ。
ゴン、という重い音が響き、辺りに静寂が広がって――そこでようやく、レンはある事に気がついた。
爆発の際に生じるはずの轟音がいつまで経っても聞こえて来ないのだ。
握りしめた点火装置のボタンはしっかりと押し込まれた状態で止まったまま。問題無く点火の手順が行われたのは疑いようもない。
となると、残っている可能性はただ一つ。
爆薬は――不発だった。
追手のホムンクルスに抑えつけられ、後ろ手に縛り上げられながら、レンは眼前で起こった出来事の理解を拒むような表情を浮かべていた。
字数が伸びない……
改行忘れがありました。ご指摘下さった方、ありがとうございます。