ドラゴンイーター シラカワアリスⅠ
よろしくお願いします。 ようやくアクションぽくなるその①
十年前、【DRAGONER ADD “O”】が製作発表直後に爆発的な支持を得た理由は、既に巷に溢れていたファンタジー性を求めてのことではない。
人気の大きな要因となったのは、そのタイトルの後半に記される【ADD “O”】の文字に秘められている。
この【“O”】とはつまり【OTHER(他者)】を指し、直訳すると『他人を加える』という意味合いになるのだが――この【DAO】は、後に【アッドオーシステム】と呼ばれるシステムシリーズの先駆けとして開発されたもので、使用者の記憶情報と先行入力されたデータから、外見や行動、その思考や反射においてさえ、ほとんど現実に存在する人物とうりふたつの存在を構築することを可能としたのだ。
それまであった夢の住人たちが、予め設定された規律の下で行動する上で拭い切れなかった虚像感を払拭したこのシステムの登場に、当時の人々はさぞかし熱狂したという。
――そして四年前。
この【DAO】を手に入れた僕が、どうして竜退治のお供にと、近所の白川さん家の有栖さんを起用したのかは、今をもっても謎である。
◇◇◇◇◇
「で? 頭の方は大丈夫なの?」
廊下に出た白川は、肩に提げた学生鞄を揺らして尋ねた。
「……痛い。凄く痛い。凄く凄く痛い」
部屋の鍵を閉めながらつい先ほどぶたれた頬をさすると、まだじんじんと熱を持っていた。どうやら肌が擦り剥けていたらしく、滑らせた指先がわずかに引っかかりを覚えた。
「ああっ、切れてる。傷物にされた! もう、お嫁に行けない」
シクシクと口で言ってみると、白川の眉間にシワが寄る。どこかの僕の幻覚と似ていて、冗談が通じないのだ。
僕は扉の施錠を確認する振りをして、静かに距離を取った。
「ふざける余裕があるなら大丈夫そうね。全く、あんたってヤツは――」
白川はいかにも不満だという感じで、無い胸の前で腕組む。
「――人間が出来てるかと思えば、たまに考えられないようなことを仕出かすんだから」
そうですね、と適当に相槌を返すと、どうやら僕の脳内でやった誹謗を読み取ったらしく、白川は一層不満の色を濃くして続ける。
「いい、秋春? 私は命の恩人よっ!」
「…………はい?」
「補助もなしに潜夢して……一体、誰のおかげで無事に戻ってこられたと思ってるの?」
「いや、それは」
お前が来なければアリスが――とは言えない。
どうやらアリスは、部屋に近づく人の気配を察して姿を隠したようだった。その際に、出しっぱなしにしていたファイルを片付けてくれたことは、正直助かったが。
――それにしても、だ。
現実比でおよそ百倍の時間的余裕があったのなら、一言くらい説明があっても良かっただろうと思う。
白川はえらく尊大に、無い胸を張ってみせた。
「しかも、夢遊保委員のパスコードを使って管理ネットワークの無断使用っ! 及び……」
「……及び?」
「及び、色々っ! 少なく見積もっても四つぐらい違反っ! 私が鞄を忘れて戻ったから良かったものの、あんな所を先生に見つかってたら実刑よ、実刑っ!」
そうきつく言った白川は、鬼の首でも取った顔で僕をビシッと指さした。
このあたりの会話からも判るとおり、基本、白川有栖は真面目なバカである。
真面目なバカというのは歴史も証明する厄介さで、平時は硬く実直と思える姿勢で人に妙な信頼感を与えながらも、ここぞというタイミングで期待を裏切ってくれるので、始末に終えない。
大体、どこの世界に補修を受けに行って筆記用具の入った鞄を忘れる人間がいるのだ。しかも、それで滞りなく補修を終えているあたり、教師の匙投げっぷりもわかるというものだ。
重ねていうが。白川有栖は真面目なバカである。
それでも、現在進行形で相手をする場合においては、嘘が下手で、駆け引きが出来ず、意外と思いやりのある白川有栖という人間は、鋏などより遙かに御し易く、交友関係が狭い僕にとってはそれなりに重宝する存在である。
関係修復。もとい、事実の改竄は優先事項に該当するか。
「あのなあ白川。一応言っておくが、僕は規則違反とかしてないから」
白々しく言う僕に、白川は「なに言ってんの、こいつ?」といわんばかりの顔を寄越した。
――まさか白川の奴。この程度のことで、僕の弱みを握ったつもりだろうか?
下校時刻までそれほど余裕もないので、続きは職員室へ向かいながら話すことにした。
「なあ白川。そもそも僕らみたいな学生風情が、SS社の管理ネットワークを使って他人の夢に入るのを認められているのはどうしてか、知ってるよな?」
先んじて昇降口へ向かおうと角を曲がった白川が、階段へ向かう僕に気付いて追いかけて来た。僕を小バカにするように、横目で覗いてくる。
「そんなの、潜夢者免許を持った人が――ウチの場合はヒバリちゃんがそばにいて、SS社の常駐監視と一緒に、不手際がないか見張ってるからでしょ?」
「だよな。なら――」
と。階段を上ると薄暗い廊下に職員室の明かりが漏れているのに気付いて、声を潜めた。
僕と白川は、まだ職員室に残って仕事を片付けていた教師の数人に頭を下げ、ヒバリちゃんから預かっていた鍵の束を所定の位置に戻す。
静かに職員室を出てから、言葉を繋ぐ。
「――なら、顧問担当やら常駐監視やらが、どうしてそこまで他人の夢への侵入に注意を払っているのかも、もちろん知ってるよな?」
「それは――」
と。白川が表情を曇らせる。
普段から夢遊保委員の仕事を――他人の夢を覗く行為に嫌悪感を抱いている白川は、どうもこの手の知識を蔑ろにしている傾向がある。この辺りの知識を掘り起こす作業も、僕が無罪を勝ち取るために必須なので、もう少しだけ頑張って頂きたいところだが。
「【DREAM WALKER】で見る夢は――といか、睡眠時の脳に情報を送り込む行為自体がもう、それなりに色々と危険で――夢の世界を下手に崩しちゃうと、場合によっては人間の深層意識だかってのにまで影響を与える……みたいな話だったような気が……」
夢遊保委員として必須の基礎知識のはずが、既に語尾がごにょごにょと怪しい。
ここで話を投げ出されても困るので、僕は任せたばかりの確認作業を引き取ることにした。
「現行で唯一と言ってもいい睡眠管理機器【DREAM WALKER】が、人間にとって間違いなく有用であることは、国内のおよそ九十五パーセントといわれる普及率が証明してる。初期の開発目的であった学習機器としての機能はもちろんのこと、実技訓練系のソフトを繰り返し使えば、理想の動作を脳が経験、記憶して、現実での再現を可能とするからだ」
僕は隣を歩く白川が、訳知り顔でうんうん頷くのを見て、続ける。
「そんなドリームマシンの問題は、個人によって、休息としての睡眠を損なわずに処理できる情報量が異なる、って所だ。自分の適正情報量を超過した夢を見続けると、夢遊中毒と呼ばれる肉体的変調が顕れ、人格にまで影響が出る。だからこそ、一般推奨される学習ソフトや訓練ソフトにさえ、利用時の注意事項がびっしりと記載されていているわけだが――それでも、間違いなく能力を向上させる効用と、現実じゃ体験できない快楽に、今じゃそんなものを守る方が珍しいって有様だ」
「らしいね。私の知り合いにも、何年か前にそんなことしたバカが居たよ。名前に四季の漢字が二つ付くやつ。バカだよねー」
白川は僕に見せ付けるように、やれやれと首を振った。
僕は何か、喉の奥に飲み込み難いものを感じながら続ける。
「だから、僕ら夢遊保委員が夢遊中毒者の自律覚醒を促す場合でも、極力、侵入先の夢に馴染み、情報量を増やさないように細心の注意が払われている。潜夢の際には二重の監視と記録をつけて、違反者には罰則まで設けるほどだ」
――本当は、そんなの無視してさっさと夢を壊せば早いんだけど。とまでは言わない。
必要な情報をようやく列挙し終えた僕の隣で、白川は無情にも、ポケットから取り出した携帯端末でパズルゲームを起動していた。
僕の視線に気付くと、面倒くさそうに口を開く。
「それで?」
「……つまり、ここで僕が言いたいのは、どんな夢を見るのも基本的には自己責任。国やSS社の管理部が危険視しているのは、睡眠時に無防備な人間が無断で夢に侵入され、破壊されるような状況だってこと」
「……当たり前じゃん」
「当たり前だろ?」
「やっぱり秋春、犯罪者じゃん」
「違う」
僕はきっぱりと断言する。
何を勝ち誇った顔で言っているんだこいつは。今の話の流れから、そろそろ僕が言いたいことに気付いてもいいだろうに。
昇降口で靴を履き替えながら、僕は一つ大きくため息をついた。
「僕はさっき、【DREAM WALKER】からSS社の管理ネットワークを通り、そこからもう一度自分の【DREAM WALKER】に――つまりは自分の夢に侵入できるかを試していたんだ」
「…………はいぃっ?」
それはもう渾身の「頭、大丈夫ですかーっ?」だった。軽くじゃなく、腹が立つ。
「別におかしな話じゃないさ。他人の夢への潜夢には、SS社の管理ネットワークを通って他の【DREAM WALKER】に接続している。その時の僕らは、やはり同様に【DREAM WALKER】を使用した睡眠状態にある。ということは、ベッドの上に残った肉体は、夢を見ている可能性があるだろ?」
「ん? ……んんっ?」
「普段からソフトを使って用意した夢は【DREAM WALKER】で体験してるけどさ。なら、他人の夢に潜夢する際、残された僕の肉体が見ている夢があるとすれば、それは【DREAM WALKER】が操作しない、単純な原型としての夢なのか、やはり【DREAM WALKER】によって構築された夢なのか」
潜夢者の経験を持つ人物であれば、誰もが一度は思いつくという有名な疑問に、頭を抱えて考え込む白川。そのまましばらく帰ってこなくていいから。
白川を昇降口に残したまま駐輪場に向かうと、背後から軽やかな足音が追いかけてきた。残念なことに、僕の予想よりもずっと早いご帰還だった。
「ねえ秋春? なんかそれ、夢遊保委員の教本に書いてなかった?」
……しかも、気付かれてしまった。
「そうだったか? ともかく、他人の夢に入っていない僕は、だから罪には問われない。嘘だと思ったら、明日にでも接続記録を調べてみろよ? 今日付けで外部端末への接続は、ヒバリちゃんとやった真柴なにがしくんへの接続以外には無いはずだ」
流石にそこはもう、アリスの奴が毎度のように記録の削除をしているだろう。
……してるよな?
僕は妙な不安を覚えつつ、駐輪場から引っ張り出した自転車に跨ると、話はこれまでとばかりにペダルを踏んだ。白川のことだ。どうせ明日には忘れているだろうが、これ以上ボロが出るのはよろしくない。
「……うん? うん。それじゃあ――あれ、秋春っ?」
白川を置き去りにして校門へ向かう。途中、嫌な風切り音に気付いて振り返ると、自転車に乗った白川が猛スピードで追いかけてくるのが見えた。
僕は慌ててペダルを漕ぐ脚に力をこめる。
「ちょっと! ねえ! 待ちなさいって、秋春っ!」
校門に辿り着く遙か手前で横に並ばれる。顔には僕の嫌いな表情が張り付いていた。
「うるさいっ! さっさと帰れっ!」
校門が遠い。
「帰り道、同じじゃん!」
「知ってるけど帰れっ! 黙って帰れっ!」
我ながら情けないまでの身体能力差だ。僕が全力でペダルを漕いなお、薄ら笑いの白川との距離は一ミリとして広がらない――と思うと、唐突なスキール音。
見れば、すぐ横にいたはずの白川が消えていた。
「ねーっ、秋春ーっ!」
その、学内の隅々にまで行き渡るんじゃないかと思うほどの大声に、僕はペダルを踏み外す。危うく転びそうになりながらもどうにか停車し、振り返る。
校舎から校庭から、未だ学内に残る生徒と教師の視線を一身に集めた白川は、自転車に跨ったまま地面に片足を着き、満面の笑みを浮かべていた。満面の笑みで、続ける。
「夢遊保委員のコードを使って、管理ネットワークを無断使用した件はーっ!」
閑散とした夜の白羽高校に、勝者の声が谺した。
精神的には秋春くんより白川さんのが大人です。