ドラマイーター ヒイラギツカサⅠ
よろしくお願いします。ドラマっぽいとこその③
◇◇◇◇◇
「去年の十月に無茶な練習で右肩を壊して、野球部を自主退部……それがあのエンドレスサマー……たいした面白味もない夢を見ていた理由か」
僕は待機状態にあったPCの立ち上げを待つ間に、真柴忠邦についての情報を読み返し、適当にカタチだけの報告書をでっちあげようとしていた。
そうして数分。慣れた作業に淀みなく動いていた指は、しかし夢遊中毒の深度入力欄でピタリと止まる。
要経過観察となる「1」か。
即日医療機関での受診が義務付けられる「2」か。
少し悩んで、結局、後日報告書の内容を確認するヒバリちゃんに丸投げしようと、空欄のままでフォーマットを閉じた。
どれだけ真面目に取り組んだところで、所詮は夢遊中毒についてかじった程度の素人仕事だ。
その役割として求められるのは、こうして誰も見ない報告書の作成などではなく、今回のケースのように低深度の――比較的軽度と思われる無遊中毒者の夢に潜夢して、事前の計画通りに帰還信号を仕掛け、自立的な覚醒を促すことにある。
「しかし……」
それでも、僕が貴重な学生時代の放課後にこんな、ほとんど慈善事業の塊みたいなことを、ヒバリちゃん風に言うならば「腐れ仕事」を、自ら四年も引き受け続けているのには理由がある。
さきほどヒバリちゃんにも応えた、特別手当として支給される微々たるお小遣いというのが一つ。
もう一つは――、
僕は椅子の上で大きく背伸びして、学ランの内ポケットから鍵の束を取り出した。
古いゲームタイトルが刻印された銅板のキーホルダーには、本数こそ違えど、ヒバリちゃんが机の上に置いて帰った鍵束と全く同じ形状の鍵が束ねられている。
「……中学の時もそうだったけど。どうして教師ってやつは、こうも管理が甘いんだろうな」
僕は取り出した鍵の束から、もう片方の束には含まれていない鍵を選り分け、机の一番下の段の引き出しの鍵穴に差し込む。鍵を反時計回りにまわすと、重い手応えで「ガチンッ」と硬質な音が響いた。
引き出しの中にびっしりと収納されていたファイルを端から順に引っ張り出し、中身を確認する作業を繰り返す。六冊目の半ばで、ページをめくる手が止まった。
「柊司……二年の生徒か」
開いたページには、髪の長い少女の写真があった。
バストアップのいかにもな証明写真は、恐らく学生証から流用したものだろう。見るからに大人しそうな少女の瞳には、どこか感じるものがある。
「一年生の冬休み明けから不登校気味となり、夢遊中毒の疑いで受診勧告。医師の判定は深度4――直後に専門の医療施設へ収容されて減睡治療を始めるも、改善されず、か」
夢遊中毒の重篤患者として診断されてから、すでに三ヶ月少々。
一日の大半を眠ったままの減睡治療に充てているという点は、体力的な面での不安材料となるが。重深度の無遊中毒者として長く夢に浸った経験は、そのまま夢遊保委員としての高い適正となる。
同様に記録された成績、当時の担任が残した生活態度にも目を通す――が、どこにも問題は見受けられない。どうやら僕の期待通りの人材らしい。
再度、確認のために報告書に視線を走らせる――と、悪寒。
「――――――死ぃ。」
声は突如、僕の耳元で響いた。
同時に背後から重みのない腕が伸び、首に緩くまとわりつく。僕はほとんど反射的に、読んでいたファイルで【それ】を払った。
手応えはない。
それどころか、椅子を飛び退いて振り返った先には、姿さえなかった。
「…………ふふふふっ、ははっ」
また傍らから声が響いた。視線を走らせるが、確かに部屋の中には誰もいない。
「あーっはっはっはっはっ!」
次第に冷静さを取り戻し始めた僕に気付いたのか、声はあからさまな哄笑へと変わりながら、室内を移動していく。
ようやくその正体に気付いた僕は、苛立ちの混じった声を吐き出した。
「【call Alice.〈潜伏〉out】」
僕の声で、奇妙な衝音を伴って部屋の宙空に突如出現した【それ】は、
「へっ?」
と間抜けな声を上げてベッドの向こうへと落下した。どうやら頭でも打ったらしく、えらくのったりとした動きでベッドの影から顔を出す。
「……最悪っ、信じらんない!」
「信じられないのはお前の存在だ」
呆れる声を投げられて、不機嫌そうに立ち上がったのは、褐色の肌にショートボブの白い髪。要所を覆った軽鎧の上から黒い長外套を羽織り、腰に短剣を提げた――まるでファンタジーの世界に出てくる夜盗のような、そんな奇抜な格好をした少女だった。
「……アリス。もう何度も言ったが、その格好だけはやめろ」
「やめてください、でしょ?」
アリスは猫科を思わせる顔と、猫そのものな金の瞳でニンマリと悪意の滲んだ笑顔を作り、ベッドの上に立ち上がる。そうしておもむろに腰の短剣を引き抜くと、その場でくるりと回ってみせた。
「見て見てっ! この最っ高にイカしたセンスっ! かぁーっくい~っ!」
その残酷すぎる当てこすりに、僕は自然とうな垂れかけた頭をなんとか支える。喉の奥からこみ上げてくる恥辱の痛みをどうにか冷やし、声へと固めた。
「【call Alice. change form】〈電絡士〉」
僕の発声に伴って、アリスが光の粒子に包まれた。ほどなくチューブとコードがごてごてと付属する、近未来的な乳白色のボディースーツを纏う姿となって出現する。
そんな自分の姿を確認したアリスは、
「はっはぁ~ん。最近のアキハルは、こういうのがお好みと」
と。また嫌がらせのように笑って見せるのだった。
「……ちげーよ」
僕は、僕自身が描いた幻想の声に、ただ、不機嫌に答えるしかない。
◇◇◇◇◇
今から十年前。西暦二〇三五年のことだ。
製作発表直後、業界でも異例の速度で初回生産の予約完売を達成した【DREAM WALKER】専用体感ソフト【DRAGONER ADD “O”】――【DAO】は、従来の製品をはるかに凌駕した現実感とカスタム自由度を誇り、既に睡眠管理機器販売メーカーとして国内市場を独占しつつあったSS社の地位を不動の物にすると同時に、百万単位の夢遊中毒者と、その数倍の夢遊中毒者予備軍を生み出した。
一時は「命の危険に瀕する」とされる最大深度、深度5の夢遊中毒者さえも産み出した悪夢は、発売からわずか二週間で、オンライン上を通じて全ての【DREAM WALKER】を管理するSS社により永久凍結処理が行われ、今なお続く夢遊中毒者への手厚い保護制度を成立させた契機として歴史に名を残した。が――、
――問題は、今から四年前。
中学二年生当時の僕は、『夢遊中毒者製造機』ともいえる、その【DAO】の未凍結品を手に入れ、無様にも一時的な夢遊中毒状態に陥り、
――そうして現在もなお、その悪夢。【アリス】の名を持つ幻覚以上現実未満の存在に囚われ続けていることだ。
……いや、違うな。
僕がそこに見つけた問題は、僕と同じ【特別】を、他の誰かが持つ可能性がある、ということか。
◇◇◇◇◇
手間と時間にかこつけて、制服のままベッドの上に仰臥する。
両耳を塞いだイヤホンを、ヘッドボードと一体化した銀のアーチ型――【DREAM WALKER】に接続する。
壁の時計に目をやると針は午後六時を指していた。
完全下校時刻まで、残り百二十分。
やはり、それほど余裕はない。
「アリス、準備はいいか?」
「『いつでも」』
冷たい声が二重に響いた。
指示した通り椅子に腰掛け、机に向かったアリスは、しかし、どうにも面白くなさそうな顔をして、僕が片付け忘れた柊司のファイルを眺めていた。
机の上、夢遊保委員での潜夢には事前の準備が必要となる調整機材のほとんどが、今も電源すら入れられずにいるのはいつも通りだが。今日は、明らかにやる気がない。
「『……なに?」』
僕の視線に気付いたアリスが不機嫌に問う。
「『やんないの? 時間、無いんでしょ?」』
「いや、――始める。任せるぞ」
言いながら、僕は電源を入れてヘッドボードから引き出したアーチ型で視界を覆うように調整し、目を閉じた。ヘソの上で軽く手を組み、静かな鼓動を数える。
『Welcome to the DREAM WALKER』
瞼の裏に仄かな明かりが灯ると、顔の周りで何千回と訊き慣れた女の声が響いた。
鈍く鳴動する作動音に紛れ、人の可聴域を外れた振音が脳を揺らし始める。
『SS社は貴方が夢を叶えるために必要な、経験と知識を得る場を提供しております』
迫る眠気に抗ってふと薄目を開けて伺うと、机に向かうアリスが、起動した【DREAM WALKER】と繋がる調整機材の一つへ手を伸ばすところだった。アルミ製の表面に触れたアリスの指先が、金属の硬度を無視して機材の中へ飲み込まれていく。
僕は再び目を閉じて、静かに、深く息を吐き出す。
『【DREAM WALKER】は貴方を現実から解放し、貴方の望むセ――ガ、ガガガッ』
間もなく感覚が浮遊し、思考が沈殿する。
◆◆◆◆◆
――雪が降っていた。
霞む世界の光景に、どこか既視感を覚えながら、僕は一人その場に立ち尽くす。
鈍く遅れた感覚の同期を、吸い込む空気の冷たさが知らせた。
ようやく晴れた視界に映るのは、無数の電飾によって幻想的に彩られた、夜の街並み。
周囲を行き交う人々の間に視線を彷徨わせていると、そこが白羽高校からほど近い、白羽女駅と繋がる通りの一つを模したものだと気付く。
僕は降り積もった雪に心地よい足音を響かせながら、通りに面した店の一つへと近づいた。ショーウィンドウを覗き込む通行人の一人を装って、自分の姿を、侵入した世界の外観を確認する。
磨かれた窓に映るのは、どこか印象の残らない癖っ毛と特徴の無い顔。耳からは黒と赤の二色が螺旋を描いたイヤホンコードが下がり、派手なファーの付いたジャケットの内側へと続いていた。
足元に妙な寒さを覚えて視線をやると、この寒空の下で、僕は所々が派手に擦り切れたジーンズに、荊模様が刻まれたやたらと尖ったレザーシューズという、目も当てられない出で立ちをしていた。
漏れそうになるため息を堪えて、窓を向いたまま焦点をずらし、今度は背後に映った通りの様子を確認する。
通りを行くのは、どれもこれもがファッション雑誌からそのまま持ち出したような、派手な衣装の人々だった。緩やかに流れる人波の中で、ふと異質な存在が目に止まる。
大きな手持ち看板を掲げて体を揺するのは、赤白の衣装を纏った老人。
――客引きのサンタだ。
『ハローハロー、聞こえてる? ここって近所の駅前通り? クリスマス、かな?』
耳にはめたイヤホンから、アリスの声が響く。
「だろうな」
僕は息で手を温めるような仕草で口元を隠しながら応える。
「……だけどこれ、気象情報に人間モドキに、随分と容量がでかそうだが。市販の都市散策ソフトの類か?」
『ちょい待ち……正解。一応、去年発売された正規品だね。正式名称は【あなたの街ガイド2044 裏道マッピング魂寿DX 知らない街を巡り隊っ!】』
「……後半嘘だろ?」
呆れ気味に呟くと、『正解』と短い声が返される。
『地方のイベントや季節データなんかを集めた拡張ソフトも出てるみたいだけど……これは、建築物の基礎データ以外はカスタムソフトを使って、気象も人物データとかも一から構築してるっぽいかな』
「……この精度で? だとすると、恐ろしいほどの手の込み具合だな」
僕が視線を動かした範囲だけでも、通りを行き交う人間モドキの一人ひとりが恐るべき滑らかさで歩き、会話し、そのそれぞれが全く別の動きを見せていた。
「現在時刻は?」
『協定世界時で?』
おちゃらけるアリスは、僕が無言を保つと『十八時二十七分三十八秒なーう』と最近お気に入りの前時代風で応える。
「流石に二回目ともなると、潜るまで時間が掛かるか……アリス、情報量の多い場所を――」
『――調べろってんでしょ? はいはい』
アリスの検索を待つ間に、僕も足を動かす。世界を構築する規律から漏れないように、のんびりとした足取りで人の波に紛れながら、対象者――この夢の主である柊司の姿を探す。と、
『あ、そういえば曲! 導律還音を決めてなかった』
「いやだから……もう何度も言ったが、普通に発振音でいいって」
潜夢先で夢に取り込まれぬよう意識を保つ導律還音として、僕は夢遊保委員でも使用している定番を要求するが。
『クリスマスといえば、やっぱこの曲?』
アリスはいつも通りにこちらの言葉を無視して、勝手な選曲を始める。
イヤホンからは、サウンドアーカイブスからでも引っ張り出したらしいBGMに加えて、アリスの声でトナカイがなんたらかんたらとお気楽な歌が流れ出した。
夢の中で意識を向けるには充分な存在感だが、恐ろしいまでに耳障りだった。
しかもどうやら歌詞を知らないらしく、二番に差し掛かったところでアリスの鼻歌に挿し変わると、そろそろ本当に鬱陶しくなってきた。
文句を言おうとしたところで、前触れもなく鼻歌が終わる。
『駅前の……ほら、噴水だっけ? あそこを中心に、やけに情報量が集中してる』
「駅前広場なら、この先を曲がってすぐだな」
僕は緩やかに流れる往来を無視して、足早に駆け出した。途端に全身に鋭い痛みが走り、僕の体の端々が輪郭を暈して淡い光の粒が零れ出す。
規律に背く行動に、僕を異物と見做した夢が、負荷を掛け始めたのだ。
「時間は?」
『十八時四十八分二秒なーう』
アリスの回答に、雪を踏む足に一層と力がこもる。周囲を行き交う人間モドキが何事かと視線をくれるが、気にしている暇はない。
「さすが重深度患者。体感よりも時間の進みが早い早い」
『ハルアキの体感だと、現実の十倍前後ってとこかな? まあ、夢だからね』
「そしてお前の仕事の遅さが酷い酷い」
『ぎりぎり? ねえ、ぎりぎり?』
僕の焦燥を感じ取り、アリスが弱者をいたぶる嘲笑の声を上げた。
『私もそっち行って、手伝ったげよっか?』
「【call weapon】――」
僕の非難を無視したアリスの言葉を、僕も無視する。
「――〈青銅剣〉」
声と同時に、世界にノイズが走る。
どこからか現れた影が僕の右手に、長い棒の形を取って集積し、影が消えると同時に手の中で金属の重量と質感を伴って実体化する。
現れたのは、ファンタジーゲーム定番の直剣。【DAO】でも殺傷能力低めの武器〈青銅剣〉だが。重要なのは、この世界に僕が呼び出した物体がこうして存在できているという事実だ。
僕は即座に輪郭を暈し始めた剣を片手に、更なる規律違反で増した痛みに耐えながら、駅前広場の噴水を目指して、急ぎ角を曲がる――と。
その衝撃的な光景を前に、脚が止まった。
「…………は?」
人で溢れた駅前広場は、一目でそうとわかるほどの異様な情報量で満ち、目を疑うような大樹が――巨大なクリスマスツリーが屹立していたのだ。
方錐状に広がる枝葉は、それに似合った特大サイズのファンシーな飾りと電飾とで、恐ろしいまでの幻想的な色合いをしながら、ある種の狂気的な人吊りカーニバルとなって彩られている。
そこには現実世界で見慣れた噴水など、跡形もない。
「……悪趣味過ぎる」
『そう? いいじゃん、可愛くって。こういうの、昔はデカ盛りって言ったんだっけ?』
耳の奥で響く声は『私は好きだなーっ』と訊いてもいない感想を寄越す。
僕は意を決し、異様な圧力を放つ駅前広場へ踏み込もうとする。と、
「あでっ!?」
顔に衝撃。ほとんど弾かれるような勢いで、後ろに吹っ飛ばされた。
身体を起こすと、まるで広場への侵入を阻むように、先ほどまで何もなかったはずの空間に黄色と黒の縞模様で書かれた【警告・立入禁止】の文字が無数に浮かび、壁となっていた。
「なんだ、これ?」
『あー、潜夢者対策の防壁だね』
僕がすっ転んだのがよほど面白いのか、アリスが笑声の混じった声で告げる。
『条件を満たしていないと、今のアキハルみたいに、ボーン!』
「……なあ、アリス。 ……お前、これ、知ってただろ?」
『いやいやまさか。まさかまさかまさか』
姿は見えないが、その言葉の端々に滲んだ声色で、腹を抱えるアリスが容易に想像出来た。僕は寒さとは別の何かで震えるこぶしを握り締め、雪の中から立ち上がる。
「なあ、アリス?」
寒さとは別の何かは僕の声まで震わせるが、返答は無い。どうやら笑いを押し殺そうとしているらしく、漏れ出た喘鳴が雑音となって耳に届いた。
「いいか、覚えてろよ? そっちに戻ったら――」
『いやいや、そんな怒んないでよ。情報量的に何かあるとは思ったんだけど、見慣れない組立てだったから見落としててさ。まあ、すぐに解除したげるから』
言ったアリスは『んんーっ』とお気楽な鼻歌を響かせる。
「……時間は?」
『んー、と。三分ぐらい……かな? ……アキハルの体感で?』
「そうじゃなくて、今の時間だ!」
『じ、十九時八分ジャスト!』
完全下校時刻まで五十二分。
他者の侵入を警戒して設定された防壁なら、外からの操作に任せる他はない。だが、仮に解除できたとしても、覚醒からの帰り仕度までを考えると、ぎりぎりで間に合うかどうかだろうか。
自分の体を確かめると、光の粒子に包まれた全身は輪郭を失い、その末端たる指先は消失している有様だ。握る直剣も、既にその刃のほとんどを失っており、柄を手放すと、この世界にあるはずもない【存在】は、瞬時に光の粒子となって消滅した。
時間に圧されて無理をした手前で、これ以上この場に留まることは、現実の僕の存在にまで関わる。
魂を、人格を失い、命はともかく廃人コースが確定してしまう。
「――時間切れだな。アリス、切り離してくれ」
僕は街の明かりに薄墨の色となった夜空を見上げて、呼びかけた。
……が、反す言葉が無い。