ドラマイーター マシバタダクニⅡ
よろしくお願いします。 ドラマっぽいとこその②
「言わなきゃわからんか?」
「殴らなきゃ、の間違いでは?」
僕の指摘に――痛覚確認の手伝いにかこつけて――すでに振りかぶりの軌道にあったヒバリちゃんの拳が止まる。拳が止まっているうちに、僕は上掛けを剥いでベッドの向こうに脚を降ろし、安全圏へと逃げおおせた。
「あえて言うなら、ロスタイム的な何か的な? 手間暇かけて作った楽しい夢から醒めるわけですから。ならせめて、もう少しだけでも長い方がよろしいかと」
「余計な世話だな」
背後からちくりと刺さる苦言に肩をすくめながら、僕は籠に預けていた黒いスラックスと白いカットシャツを手に取る。スラックスを穿き、カットシャツに袖を通したところで、ようやく僕は、背後のヒバリちゃんがやけに重い空気をかもしていることに気付いた。
あまり上手くない状況に、僕は慌てて反論未満の言葉投げる。
いわゆる言い訳というやつだ。
「あの様子なら、間違いなく明日の朝までには、仕掛けた帰還信号が起動しますよ。仮に――真柴くん、でしたっけ?」
「真柴忠邦」
「その、真柴忠邦くんにしても、もう三日も学校サボって現実逃避してるわけですから。彼に、週末を待つだけの自制心があったとしても、夢の中じゃ時間なんてあってないようなものですし……」
「だからどうした? お前のやったことは、間違いなく余計な世話だよ」
ヒバリちゃんは呆れるように、苛つくように、僕の背後で深くため息を漏らした。
ヒバリちゃんはため息がよく似合う。
僕はヒバリちゃんにため息を吐かせるに生きていると言っても過言ではないので、わざわざ振り返らずとも、ヒバリちゃんが今どんな顔をしているかは、手に取るようにわかるくらいだ。
「ああ、じゃあアレです。噂に聞く、優しさ――善意、ですか? そいつの真似をしてみました」
「善意、ね」
と。ヒバリちゃんは皮肉を込めて吐き捨てる。
「なんかそういうの、この世の中には必要だって言うじゃないですか」
「確かに、現実には必要だろうな。だが、夢の中には不要だよ」
「……ですか?」
なかなか厳しい物言いに、とぼける僕の語調も弱まる。上手い返しが見つからない。
どうやら時間切れとの判定らしく、ヒバリちゃんが不機嫌に続ける。
「自制の利かない学生ならまだしも、いい歳した大人までが夢に逃避して、現実の人間を圧迫するのだから、全く……こんな面倒な手段を取らずに、夢遊中毒者なんて連中は、一人残らず叩き起こせばいいんだよ」
「そんなことしたら――下手すりゃ確か、死ぬんじゃないんでしたっけ?」
ヒバリちゃんの酷く乱暴な物言いは、もちろん冗談なのだけど。
僕は少し驚いた風を装って言葉を濁した。
極力婉曲になるよう意識して、曖昧に暈した言葉を繋ぐ。
「ええっと、外部からの強制覚醒はもちろんのこと。重深度判定をもらった中毒者の場合は、ちゃんと時間をかけて減睡治療を続けていかないと、夢に自分を――確か、魂を置いてきてしまって、自我の喪失がーとか。脳に障害がーとか。そういうアレになるのでは?」
「魂、か。そんな不確かなものが存在するとは思えないが」
「でも、まあ。事実としてそうした方針、指導の下に治療が行われているわけでして。ならやっぱり、叩き起こすなんて無茶をしたら、人死にに近い被害が出るんじゃないかと……」
「死ねばいいのさ。どうせ現実の世界に絶望して、生きることから逃げ出した連中だ。そんな連中のために、現実を生きる人間が手間を掛けてやる必要はないよ」
……わお。
ヒバリちゃんは、まるで何かを呪うように言うのだった。
「そこまで言わなくても――」
いいじゃないですか、とまでは言えないままに、僕は続ける。
「少なくとも僕は、夢遊保委員の特別手当のおかげで、いい感じのご飯にありつけていますよ。このご時勢、放課後からの時間帯じゃ、まともなアルバイトも見つからないですからね」
僕は努めて軽く、冗談と聞こえるように呟いた。
微かに鼻で笑ったヒバリちゃんは、それから少し間を置いて、それでもまだ強情に、重い声色のままで話を続ける。
「お前も、十人十色の夢に合わせた帰還信号を用意するのに、幾らかかるか知ってるだろ? 重深度患者の場合は月単位で行われる減睡治療に欠かせないそれを、馬鹿らしいことに七割が国の負担だ……そもそも根本的にズレてるのさ、こんな対処療法は」
「夢遊保委員の顧問らしからぬ台詞ですね、それ」
「三年ごとの持ち回り制――という名の新人いびりだ。愚痴も出るさ」
酷く平坦に言って、ヒバリちゃんはまた一つ大きなため息を漏らした。
「あと一年か。……もう、辞めちゃおっかな、教師」
鬱屈した声に続いて、僕の背後で重い足音が響き、椅子が軋みを上げた。
いったい何があったのか。
どうやら今日のヒバリちゃんは、相当に御機嫌斜めだ。
僕は背後に気取られない程度に小さく息を漏らして、それからもう一度だけ話の方向を捻じ曲げる努力をする。
「持ち回り制ですか。生徒の場合は基本、四〇人掛ける四クラス掛ける三学年を、各校の委員運営に必須となる人数の二で割るところのくじ引き&ジャンケン制でしたから。てっきり、職員室でも同じかと」
「大人という生き物には、面子も外聞もあるからね。いまや立派な社会問題となった夢遊中毒の対策担当を、くじ引きやジャンケンで、というわけにはいかんのさ」
「そういうもんですか」
「そういうもんさ」
呆れるようにそう言って、ヒバリちゃんは小さく笑った。
成功に満足した僕は、しかしそこでシャツのボタンを掛け違えていることに気付いた。
話に意識を割き過ぎた間抜けを反省しつつ、少し急いで掛けなおす。
「しかしそうなると、三年も続けて委員をやっているお前と白川は不幸が過ぎるな」
傑作だ、とヒバリちゃんは底意地悪そうに笑った。
そんな声音に僕は、どうやら今度は手先の方に意識が集中していたらしく、
「ああいえ、白川のやつは中学三年の時から数えて四年連続で当たりを引いてのジャンケン負けで、す――」
とまで言いかけて、これこそ蛇足だったと言葉を切ったのだが。
時すでに遅く。僕が肩越しに振り返った先でヒバリちゃんは、
「――が?」
と。ヒバリちゃんは僕の言葉尻を捕まえて、ひどく不愉快そうに顔をしかめていた。
こうなってはもう、観念する他ない。
「……僕の場合は少々例外的で、中学二年の頃に夢遊中毒への抵抗値が――睡眠時に処理可能な情報量が人より頭一つ高いとわかったので。……その、なんというか……ここの特別手当を目当てにして、毎年、立候補させて頂いていたりします」
「ハッ、立候補っ!?」
ヒバリちゃんは盛大に鼻で笑う。それはもう、心の弱い人間なら自殺を考えるであろうほどの、見事なまでの見下しっぷりだった。
やはり特別手当でなく、木城先生目当てに、と言うべきだったか。
「人の嫌がる腐れ仕事を、わざわざ立候補でありますか? 瀬野秋春委員殿は?」
ヒバリちゃんは実に教師らしからぬ卑下卑下しい声色で言う。
……いや、これはこれでため息と同じくらいには似合っていて、一部の趣味を持つ方々からはお給金の発生すら見込める域に達しているのだが。
生憎とそういう趣味とは縁のない僕は、多少強引に話を逸らす。
「そういえば、その白川の姿が見あたりませんが」
室内に視線をやって級友の姿を探すポーズを取ると、未だ軽蔑の名残を残したヒバリちゃんは髪を掻き上げながら、これまた酷く不愉快そうに鼻を鳴らした。
「お前が潜夢した直後、学年主任の西島が探しに来てね。あの石頭が、こっちはくっそ繊細な作業の途中だってのに、補修のサボりだとかと抜かして白川を連れてったのさ」
「ああ、道理で」
ようやくシャツのボタンを留め終えた僕は、籠に残った学ランを羽織り、ベッドから腰を上げた。振り返った先で、ヒバリちゃんの顔に残った疑問に気付き、応える。
「いや、道理で白川のやつ、今日は自分が潜夢するーなんて言ってたんだなって」
ついでに言えば、真柴忠邦の夢の中で『僕』という存在が安定しなかったことも。イヤホン越しに寄越される情報が妙に曖昧でやけに遅れていたことも。
ただ単純に、人手不足だったということか。
それでもまあ、平時はこうして隙を見せ、ダメな大人を演じてみせるヒバリちゃんだが。
ヒバリちゃんも夢遊保委員の顧問となる際には、かなり難解だと噂される講習、試験をクリアして、潜夢者免許を取得している。
真柴忠邦本人も、自分の用意した夢に不審を抱くほど、大きな違和感は無かっただろう。
そう頭の中で納得して頷くと、何故かヒバリちゃんも笑顔で頷いていた。
「……どうかしましたか、木城先生?」
その脈絡の無い笑顔に首を傾げると、ヒバリちゃんは笑顔のままで顔を逸らして、
「だから今日は、色々と復帰の手順が――少しばかり手間取ってね。私はもしかしたら、やっぱり現実側の調整不足で、『瀬野秋春』という個人は向こうの夢に取り込まれて、人知れずさらっと消滅したりしてんじゃないかと。帰還直後に慌てて声を掛けたワケでした」
ちゃんちゃん、と。
視線を逸らしつつも、さらっと危険な事実を告げるヒバリちゃんだった。
下手に隠されるより気分はいいが、やはり顧問としては考え物な言動である。
ヒバリちゃんは、ベッドの横で直立不動のまま視線を向ける僕には気付かぬ振りをして、机の横に三つ並んだ鞄の中から赤茶色の革の鞄を手繰り寄せた。そうして鞄から緋色のタンブラーを取り出しながら、おもむろに机の上のリモコン操作し、本棚の上に置かれたテレビを点ける。
一通りチャンネルをザッピングして、ちょうど始まったニュース番組を見つけると、素知らぬ顔でタンブラーの中身を呷る。
「あー、見なよ瀬野。夢遊中毒者数、先月比で3ポイントも増だってさ。やっぱり新生活が始まるせいかねえ? 毎年四月ともなるとSS社絡みのニュースが目立つな」
ヒバリちゃんはアナウンサーの言葉を適当に拾って繰り返す。
僕は応えない。
「この分だと、今年も五月半ばまではSS社の株も右肩下がりか。まあ、あの業界は十数年も前からほとんど【DREAM WALKER】の独占だしな。毎度騒ぐ連中もいるが、人生の三分の一にもあたる睡眠時間を有効活用できる装置を、今更手放せって言われてもなあ」
今度は適当に拾った情報に、適当な私見を織り交ぜる試みに走った。
僕は応えない。
「あー……そういやアレ、知ってる? ムシン教だかって名前のカルト集団。【DREAM WALKER】の普及で、現実が夢に浸食されるー、とかなんとか騒いでるそうな……」
苦し紛れにゴシップまで持ち出す始末だ。
僕は応えない。
「……うん。そう。つまりあれだ。いくら瀬野が有能だといっても、私も生徒の命を預かる身として……もうちょっとこう、うちの委員会の……その、人手というか……設備費とか危険手当てとか……そういう諸々の掛け合いをするべきだよな、うん」
「……人員補充の件、まだ掛け合ってくれてなかったんですか?」
「いやあ、はっはっはっ。少子化って大変だよなーっ」
ヒバリちゃんは勝手に納得して、勝手に話を終わらせた。
いつも通りなヒバリちゃんに、僕もいつも通りにぼそりと呟く。
「さすが木城先生、教師生活三年目にして、早くも教師の鑑ですねー」
「ち、違うっ! 私は、こう……なんというかっ!」
ヒバリちゃんの顔には途方もない悲壮感が広がっていた。軽く涙目である。
「グ、グレートなティーチャーを目指していたんだっ! それを、ほら……だからっ! つまり…………現実が悪いっ!」
椅子の上で頭を抱えて悶えるヒバリちゃんは、やっぱり今日も僕が敬愛してやまない、いつものヒバリちゃんだった。そんなヒバリちゃんのために、僕は何もない空間から見えない物体を取り出す。
「ソンナ貴女ニ、ハイコチラ。SS社製ノ【DREAM WALKER】プログラムツクール専用ソフトヲドウゾ。シガラミノナイ、夢ノ世界ヘゴアンナーイ」
「わーいっ! ……ってバカッ!」
生徒の冗談に大人気なくも机の上のファイルを投げつけて、マジ切れするヒバリちゃん。見た目は知的なくせに実はダメな年上って、この上なく素敵だと思う。
……いや、異論は存分に認めるけれども。
冷静で知的な態度を取りながらも、時折見せるこんな調子が生徒たちに受けて、密かに「ヒバリちゃん」やら「ダメ城先生」として慕われているのを、きっと本人は知らないだろう。
危うく破顔しそうになるのを必死に押し止めていると、サービス精神旺盛なヒバリちゃんは椅子の上で脚を抱えながらに、
「あー、けどその手があったか……」
などと、更なるダメっぷりを勝手に露呈させるのだった。わーい。
僕は頭の中で小さな自分にスキップさせながら、テレビの後ろにある壁時計に目を運ぶ。と、軽い衝撃。
――現在時刻は午後五時十二分。完全下校時刻まで、すでに三時間を切っている。
どうやら白川の不在で作業に手間取ったという話は、僕の予想以上に事実らしく、帰還、調整に普段の倍以上かかったようだ。
高校生活も三年目。
今後は僕も白川も、大学進学を控えて色々と厳しくなることを考えると、やはり人員の補充は急務だろう。
「ダメ城セン――ゴホンっ!」
「あれっ! 今なんか、耳がおかしかったっ!?」
「木城先生。白川不在で時間も押してるようなんで、そろそろ報告書を作りたいのですが」
僕は机の上のパソコンに視線を向けた。ヒバリちゃんで遊び――会話を楽しみたいのは山々だが、特急で適当にカタチだけを整えるとしても、あまり猶予は残されていない。
「ん。ああ、もうこんな時間か」
言われて腕時計を確認したヒバリちゃんは唇を噛んで「……まずいな」と、僕の予想の斜め上をいく重めの反応を示した。
そんなヒバリちゃんの様子に、僕はあくまで気付かないていで、
「鍵ならいつものように職員室に戻しておきますから、気にしなくていいですよ」
と軽く応える。
付き合いも三年目となる経験から、ヒバリちゃんが一年ほど前から、無遊委員会の仕事がない時などは特に、早々に帰宅していることを知っている。そんなヒバリちゃんの様子に、一部の教師からは「不真面目だ」と非難の声さえ聞こえてくる始末だ。
ただし現在。四月となった最近は、新年度のごたごたのせいか、随分と遅くまで職員室に残っているのを見かけていた。
――間もなく切り上げ三〇を迎えるヒバリちゃんが、そうして連日帰宅を急ぐ理由については、僕も少々気になるところだが。仮にも教師と生徒である以上、そんなプライベートな質問をする間柄ではないと、僕も弁えている。
僕の申し出に、ヒバリちゃんは「でも、な」と表情を曇らせた。
「調整不足の件を心配されているなら――まあ、ご覧の通り。もしも大丈夫そうに見えないと言うのなら、眼科に行くことをお勧めします」
僕の小生意気な言葉に、ヒバリちゃんは微苦笑を浮かべて頷いてくれた。
「では、悪いが言葉に甘えるとしようか……ああそれと、今年度分の委員会手当ての振込みだが――」
「振込み用の口座手続きなら、例年通り白川にも言い聞かせて、昨日のうちにSS社の管理部にメールしておきました」
僕は言葉の先を取る少し鬱陶しい感じで、優等生を演じてみせる。
「なんてったって、立候補での三年目ですからね」
「毎度のことながら、世話をかけるな」
ヒバリちゃんはどこか寂寥感が滲んだ謝罪を漏らして、ポケットから『夢遊保委員』のタグが付いた鍵束を取り出した。鍵束を机に置くと、赤茶色の鞄を片手に静かに席を立つ。
颯爽と立ち去ろうとする背中に、僕はふと思い出して口を開く。
「――あ。それと人員補充の件ですが」
「へっ?」
背後からの声に、扉に手をかけていたヒバリちゃんはいかにも気まずそうに硬直する。
「いや、頑張るから。ちゃんと頑張る予定だから」
肩越しに振り返った顔を強張らせて、あからさまに動揺するヒバリちゃん。
とはいえ、そこはさすがの顧問だ。先ほどはああ言っていたが、陳情そのものはきっと、今まで何度もしてくれていたのだろう。
……と思いたい。
「いえ、違うんです。二年も前からお願いして、それでも増えないんですから、難しいのはわかってるんです。ただちょっと、アプローチを変えてみたらどうかな、と」
「というと?」
自分が責められるのでないと知ったヒバリちゃんの目には、一転して知性の色が浮かんでいた。切り替え上手も過ぎると、間抜けに見える不思議。
僕は危うく戯れへと流れかけた思考を掴み、口を開く。
「回復傾向にある夢遊中毒者を経過観察の名目で預かるカタチを取って、社会復帰のリハビリ的に雑用一切を押し付ける――って一石二鳥風味な案は、やっぱりダメですかね?」
「それは……」
即座に反駁する表情を浮かべたヒバリちゃんは、しかしそこで言い淀む。短く黙考して、ゆっくりと言葉を選ぶように続けた。
「……悪くはない、かもしれないが。実際は難しいだろうな。夢遊保委員として――仕事を任せられる人材ともなると――そもそも現実でずっとまともに生きているか、夢からずっと戻ってこないかの二択になりそうなものだが」
至極真っ当でとても現実的なことを言うヒバリちゃん。それでも、無しではない、というその判断に、僕は内心でほくそ笑む。
「一度、週明けにでも探してみてください。きっと一人ぐらい優秀なのがいますよ」
緩やかに頷く僕に、ヒバリちゃんは少し困ったように眉根を寄せた。
自分が『メガネで知的なおねえさん』が好きになったのは、某人形師さんのロケットペンシルのクダリが原因だと思う。