ドラマイーター マシバタダクニⅠ
よろしくお願いします。 ドラマっぽいとこその①
『Welcome to the【DREAM WALKER】』
瞼の裏に仄かな明かりが灯ると、顔の周りで何千回と訊き慣れた女の声が響いた。
『SS社は貴方が夢を叶えるために必要な、経験と知識を得る場を提供しております』
『【DREAM WALKER】は貴方を現実から解放し、貴方の望む世界の構築を可能とします』
『そこに貴方を縛る物はありません』
『存分に、世界に唯一の一人である、貴方の中に眠った無限の可能性を獲得ください』
緩やかに明滅を繰り返す明かりに、次第に意識が落ちていく。
『それでは、どうか今宵も良き夢を』
◆◆◆◆◆
蝉が鳴いていた。名前は知らない。
どこか悲壮感の滲んだ、喘鳴のような鳴き声だった。
区画整理でアスファルトの下に埋もれた、同胞たちへの手向けだろうか。
「この文章がいい例だな。素直に読むと違和感が残るが、ここでの肯定は例文と同様に後述の――おい、瀬野ッ!」
突如響いた鋭い声に、手元を離れた意識が戻る。声の出所は黒板の前に置かれた教壇。そこに立つ赤毛の女教師――木城のものだった。眼鏡の奥の険のある瞳は、俺の隣へ。
机の上に突っ伏した男子生徒、瀬野――、
――瀬野アキhルへと向けられていた。
「チッ、……おい、真柴」
机に突っ伏したまま微動だにしない瀬野に、木城は教壇の上で苛立たしげに髪を掻き揚げながら瞳を横へとスライドさせ、俺こと真柴忠邦に「隣のバカを起こせ」と顎で示した。
そこから先の展開を知る俺は、苦笑いを浮かべつつも、そのありがたくない役目を承る。
「瀬野。おい瀬野、起きろよ。――気をつけろよ、木城がキレてんぞ」
言葉尻を潜めつつ、丸めた教科書で突っついてやると、俺の気遣いの甲斐なく、瀬野はむにゃむにゃと言いながら締りのない顔を上げた。
毛先の跳ねた癖のある黒髪。インドア派らしい白い肌。どこか印象に残らない、薄い顔立ち。ゆるゆるとした動きで持ち上げられた瀬野の両耳からは、黒と赤に二色が螺旋を描いたイヤホンコードが下がり、黒いスラックスのポケットへ続いていた。
「ん。え、なに? ――ドェッ!?」
眠い目を擦った瀬野の顔に、黒い影が飛び込む。射線確保と同時に『2年2組』と書かれた出席簿が教室の中を縦に飛んだのだ。
木城の怒りの一投を哀れにも顔面で受け止めた瀬野は、鼻から鮮血を撒き散らして、椅子ごと後ろにブッ倒れた。
「瀬野ッ! お前、あたしの授業で居眠りこくたぁ、イイ度胸してるなあ?」
「ヒッ、ヒバリちゃんっ!?」
鼻を押さえて起き上がった瀬野が、鬼相を浮かべて近付く木城に短い悲鳴を上げた。
「だーれが、ヒバリちゃん、だ? ああんっ?」
「……ああ、なるほど。またこんなタイミングか」
まだ寝ぼけているのか、達観した顔でわけのわからない事を呟く瀬野に、出席簿を拾い上げた木城が冷たい笑顔を向ける。
そうしてまた教室に、重い一撃が響いた。
◆◆◆◆◆
「よお、瀬野」
昼休み。購買へ行った帰り道に、この炎天下で中庭に出て行く茶髪頭を見つけて声をかけた。……が、反応がない。
首を傾げたところで、耳から伸びた黒と赤のコードに気付き、追いかけて肩を叩く。
「よお、瀬野」
「あっ、ああ」
瀬野は驚いた顔で振り返ると、人の顔をまじまじと眺め、「マシバ、か」と違和感全快で呟き、いかにも気まずそうに頬を掻く。
「な、なんかしたか?」
「昼飯。ちょっと買いすぎたんだけど、一緒にどうだ?」
寝不足気味な隣人には気がかりなこともあったので、俺は部活の前に食う予定だった紙袋の中身を揺すってみせた。
「……昼飯? あ、いや、けど僕、ちょっと用事が」
「なんだよ、俺の焼きそばパンは食えねえってのか? ほら、行くぞ」
芳しくない反応に、多少強引に背を叩いて急かす。
中庭を進みながら周囲を見渡し、手ごろな一画を発見。綺麗に刈り揃えられた芝を踏み、広葉樹が影を落としたベンチの一つへ腰を下ろした。
「ほら、食えよ」
「あ、うん。ありがとう」
ラップの巻かれた焼きそばパンを取りこぼしそうにして受け取った瀬野が、紙袋を挟んでベンチの向こうに腰を下ろした。耳にまだイヤホンがはまったままなのを見て、俺は瀬野の肩を叩いてこちらを向かせると、ぱくぱくと口を動かしてみせた。
「あ、ごめん」
気付いた瀬野が赤と黒のコードをまとめてポケットに仕舞う。仕舞って、「あっ」となにやら慌てた様子で片耳にだけイヤホンを付け直した。
……いや、別にいいんだけどさ。
苦笑しつつ、俺も紙袋から適当に惣菜パンを取り出してラップを剥がしにかる。
「それ、授業中も聞いてたよな? 誰の曲だ?」
俺の問いに、瀬野は「え?」と濁点さえ付きそうな顔で問い返し、しばらく思案した後に、
「……エテモン?」
と短く答えた。
エテモン。エーテルモンキーは、今から二〇年ほど前に一世を風靡したロックバンドだ。
圧倒的な歌唱力と幻想的な歌詞で、若い世代に絶大な支持を得たが、結成から僅か三年で解散。それが今なおサウンドアーカイブスの上位ランキングに浮沈を繰り返すことで、現代の若者たちの間でも、ある種のカルトのごとき伝播を続けている。
かく言う俺も、歳の離れた従兄弟に進められて、大嵌まりしているクチだった。
実にいい趣味だが。しかし、どうしてそこで疑問系だ?
瀬野は俺の表情に気付くと慌てた調子で、
「あ、その、ファーストアルバム、聴いてた」
と付け加える。
「なに瀬野、おまえエテモンとか好きなの?」
「へ? ……うん。かなり?」
またも謎の疑問系である。
……まあ、瀬野がエテモン好きだというのなら、俺も話を掘り下げるには都合がいいのだが。
「ファーストっつーと『楽園』とか『純潔』とか? ほかのアルバムもけっこう聴いたりするのか?」
「あ、うん。『楽園』って……ドラマの主題歌だったやつだっけ?」
「……だっけか? なんかテレビで使ってたのは知ってるけど」
今度は俺が返答につまる。うろ覚えだ。俺は単純にエテモンの曲が好きなだけで、そういうことは覚えていない。
そんな俺の様子に、瀬野は何故か表情を緩ませて言葉を勢い付かせる。
「夜の境界、だっけ? ドラマの本編も歌詞に沿った内容で、結構、面白かったよ」
「いや、けどそれ、間違いなく俺ら生まれる前じゃね? それに、ドラマじゃなくて、なんかバラエティー系の番組だったって聞いた気が……」
「……え?」
一転して瀬野の表情が曇った。俺の視線から逃れるように顔を逸らすと、
「どういうことで?」「ハァ?」「いや、僕のせいですか?」
などと一人ぶつぶつと呟くのだ。
どうやら思いのほか重症のようだ。俺の口からは自然とため息が漏れる。
隣の席のよしみもあって、ソフトに、気長に、瀬野が抱えた問題の改善に取り組もうと思っていたのだが。こうして人前で妖精と会話をするようなら、猶予はそう無いとみるべきだろう。
俺は意を決し、最初の問いを口にした。
「瀬野……お前、夢遊中毒じゃないか?」
顔を逸らしたまま、瀬野の肩がぴくりと振れた。どうやら当たりらしい。
夢遊中毒。それは睡眠管理装置【DREAM WALKER】が夢の自由構築を可能としたことで生じた、過睡眠症や無気力症として知られる、現代病の一つだ。
俺は努めて平静を装いながらに続ける。
「なあ、瀬野? 木城は言わなかったが、睡眠が管理できるようになった現代で、普通の高校生が『授業中に居眠り』なんてものをする原因は、一つしかないよな?」
瀬野は相変わらずこちらを見ようとしなかったが、構わず続ける。
「夢遊びを責めるつもりはないよ。あの現実以上の現実感に、俺もガキだった頃はバカみたいに熱中したさ」
反応はない。逆上して殴られる程度の覚悟はしていたが……どうやら瀬野の症状は、俺が思うほど深刻ではないようだ。
それでも、危険なことに変わりはない。
「瀬野……お前、【DREAM WALKER】に学習ソフト以外で、何本走らせてるんだ?」
瀬野はしばらく動きを見せなかったが、やがて緩慢な動作でスラックスのポケットをまさぐり、一枚のプラスチックカードを取り出した。
一昔前に流行った黒いカードタイプのソフトには、赤い絵筆で殴り書いたような数字の『3』が二つ、向きを適当にして転がっていた。
「これだけ」
こちらを見ないままでソフトを差し出し、瀬野が呟く。
「あとは、普通の学習ソフトだけ」
受け取った黒いソフトをひっくり返すと、そこにあるべき情報量の表示がない。外見から察していたが、やはり密かに流通していると聞く非正規品のようだ。
「――で。やっぱ中身は十八禁か?」
未だこちらを見ようとしない瀬野の姿に、俺は努めて砕けた口調を投げた。しかし――、
「いや、それ、中身はエテモンの……ライブ映像集」
「はっ?」
――寄越された意外すぎる回答に、ほとんど反射的に声が出ていた。
「……マジで?」
「マジで。非正規品だから、途中、二箇所ぐらい編集が荒くてブツ切れ状態だけど。アリーナの最前列を体験できるやつ」
映画やドラマ、ゲームの世界を擬似体験できる【DREAM WALKER】の娯楽用ソフトは数多く販売されているが、既に解散したアーティストのライブ映像となると著作権関係に加え、現存するデータの変換工程で大きな問題があるらしく、市場に出回ることはないと言っていい。それが――、
――しかも、エテモン?
気付けばソフトを握る俺の手は、熱狂に震えていた。
「……へ、へえ。そのライブって、いつのだ?」
「色々。解散前の、最後のやつとかも入ってた」
「……マジで?」
「マジで」
俺の言葉を繰り返す瀬野は、空いた片方の耳にイヤホンを付け直しながら続ける。
「僕はもう堪能したから、貸そうか? ただそれ、やたらと収録時間が長いくせに、速度調整系のカスタムが利かないから――週末に見ないとこうなる」
瀬野アキhルは自分の薄い顔を、まだ赤味の残った鼻を指差しながら苦笑した。
◇◇◇◇◇
「『瀬野、最後のアレはなんだ?」』
水面を漂うような緩やかな覚醒の中にいると、耳の奥で響いた声が意識を鷲掴んだ。
重力下へと引き戻される不快感に耐えながら、まだ重い瞼をどうにか持ち上げる。
視界を遮るように顔を覆っていた銀色のアーチ型を頭の上へスライドさせ、ヘッドボードに押し込むと、紅茶色の長い髪が特徴的なパンツスーツの若い女性――白羽高校の英語担当にして現三年一組担任、木城雲雀ことヒバリちゃんが、銀フレームのメガネを乗せた知的な顔で、ベッドに仰臥する僕を覗き込んでいた。
「『完全に蛇足だろう?」』
酷く気だるげな声は、ヒバリちゃんの付けたインカムを通った分と合わせて二重で響く。
僕は耳に付けたイヤホンを引き抜いて、コードを噛んだ棒型の巻き取りボタンを押した。
棒型に収納されたイヤホンコードの重さを確かめながら視線をやると、見慣れた光景。白羽高校の校舎で――低深度夢遊中毒者への初期治療を受け持つ――夢遊保委員が有する一室が広がる。
遮光性の高いカーテンに覆われた窓。保健室にあるような簡素なベッドが二つ、それぞれヘッドボード一体型の【DREAM WALKER】を設置して並び、壁際には作業用のPCをはじめとする機材の数々を載せた机が一台。
壁際には分厚い書籍が押し込められた金属性の本棚が置かれ、その上には本来不要なはずの薄型テレビが、壁時計の下半分を隠す配置で無理矢理に置かれている。
聴覚。触覚。視覚。
味覚と痛覚はどうでもいい部類――というよりは、いっその事どうにかなってくれた方が嬉しいので、僕は確認作業を次に進める。
「……アレ、と言いますと?」
僕はベッドからヒバリちゃんを見上げる姿勢のままで、夢遊中毒者――真柴忠邦の夢から正確な『瀬野秋春』として帰還出来ただろうかと、いつものようにとぼけてみる。
まあ、挨拶のようなものだ。
続きます