6話:真鍮都市で嘯くもの
余談ですが、メルシェが師匠と呼んでいる人物と先生と呼んでいる人物は別人です。(前作参照)
君を待つ、息もできない奈落の底で。歌が音にならない。このひどく不気味で淋しいメランコリーに私の声は響かない。赦しも、罰も、何も望まない。ただ在るだで罪になるというのなら……
───
それは巨大な穴だった。荒野の只中に忽然と広がる巨大な穴。1つの街がすっぽり収まってしまうほど大きな穴の前に二人の旅人、十字架を背負った少女メルシェと大柄の青年ルゥが佇んでいた。
「すっごいですね……」
底の見えぬ深淵を眺めながらメルシェは呟く。先日、教会の人間であるリウーとクラリッサと邂逅したメルシェとルゥだったが、別れ間際リウーからある依頼を受けていた。それは、岩の国と森の国の丁度国境付近の荒野に、突如大穴が出現。その調査、及びその危険性により必要かつ可能であれば封印するというものであった。
元々は封印師率いる専門家達がやるべきことなのだが、強力な魔術師は今イゴール一行を追っており、手が回らないとのこと。
「調べるってったって、一体どうやって……」
ルゥが穴を覗きながら呟いているとメルシェは既にその穴へ飛び込んでいた。
「おい!あの馬鹿は死ぬ気か……⁉︎」
そう叫びながらルゥも思わず飛び込む。飛び込むとあたりは一瞬で真っ暗になり全て感覚が遮断されたようにあたりは静謐を極めており風もなく、抵抗もない。今まさに奈落の底に落ちているとは思えない感覚だった。そして気がつくとルゥは地面に足を付けていた。
「これは、一体……」
「空間が別の空間に喰われているんです」
不意に聞き慣れた声がするので振り向くとそこにはメルシェが立っていた。
「空間が……喰われる……?」
ルゥは思わず聞き返す。
「えぇ、偶にある事だと師匠から聞いた事があります。自然発生した巨大な魔力が引き合い重力の様なものとなり、やがて空間を捻じ曲げ異次元への穴を開けてしまうと。これはその穴でしょう……」
メルシェは辺りを見渡しそう告げる。目の前に広がっていたのは都市だった。数十、もしくは数百年も昔に廃棄されたであろう死都であった。空は穴の底でありながら曇りのように仄暗く、辺りを見渡せる。
「この街はもうあちら側に呑まれてます。人も住んでいる気配もないですし、穴の中心を探してチャチャっと塞いじゃいましょう」
そう言うなりメルシェはそそくさと進み出す。瓦礫は都市の墓場、人の気配は既になく、あるのは嘗ての繁栄と衰退の嘯きのみ。
しかし、二人は妙な違和感を覚える。人の残す情念か、それとも誰かが通るために作ったと思われる人為的な通り道か。それらはある種、情念とも瑣末な怨嗟ともとれる。
「今も誰かいたりして……」
メルシェが冗談紛いにそう呟いた刹那、彼方より迫り来る凄まじい殺気に二人は思わず身構える。
前方、廃墟の角からそれはゆっくりと這い寄る。かちゃりかちゃりと甲冑が音を立てながら、錆びついた片刃剣を携えて、それはやってくる。それは鉄の装甲を纏った何かであった。無骨で粗い鎧を纏ったそれは剣を握り二人の前にゆっくりと歩み寄る。
「謌代ワ縲∵ュサ繝翫レ閠?ヮ蠅灘ョ遺?ヲ窶ヲ繧ウ繝主慍繧呈ア壹せ閠??√う繧カ縲∝ー句クク繝銀?ヲ窶ヲ」
刹那目を見張るほどの一閃がメルシェに迫る。メルシェも剣で弾こうとするが弾ききれず吹き飛ばされる。
「メル!!」
ルゥは腕を変化させ、無骨な騎士に迫ろうとする
「待ってください!!」
メルシェの声に動きを止める
「これは、この方は私の相手です」
静かに剣を構え直しながらメルシェはそう告げる。
「だが……」
「ルゥさんは街の中央に聳え立つ城に向かって下さい。そこに穴の中心があります
剣に視線を集中させながらメルシェはそう告げる。
「しかしそいつは、お前向きの相手とは思えないが……」
ルゥの言う通り、メルシェが対峙している鉄の騎士はメルシェよりも一丈も二丈も大きくその体格差は歴然だった。しかし
「私を誰だと思ってるんですか?決闘祭であなたを打ち負かしたメルシェ=エルゴ=アポストルですよ?それに、剣を持つ者同士が邂逅したんです、剣で語らずどうしろと?」
楽しそうに、はたまた強がるようにそう告げるメルシェにルゥは諦めたように溜め息を吐くと
「死ぬなよ?」
とだけ呟き二人を間を駆け抜ける。騎士はすかさずルゥに刃を向けようとするが、すんででそれを止める。
「ーー!」
その間隙を縫ってメルシェは騎士の眼前まで迫っていた。互いの剣が交わり火花を散らす。しかし、体格差があるメルシェの剣はあっさりと騎士に弾き飛ばされてしまう。
「謌代ぎ荳サ繝乗里繝句惠繝ゥ繧コ窶ヲ窶ヲ縲∵腐繝区?繧ャ蜑」繝城傑繝馴而繝丞サ?Ξ譛ス繝√ち縲よ腐繝区?縲?サ帝ィ主」ォ繝翫Μ縲ょ惠繝ゥ繝悟多繝イ謖√ヤ閠?リ繝ェ窶ヲ窶ヲ」
鉄騎士は言葉にならぬ言葉で名告りを上げると、それは凄まじい剣気で迫る。メルシェはそれを躱すことなく剣で受ける。剣と剣が交わり甲高い金属音と衝撃波が巻き起こる。幾度かの剣戟を経てやがて剣を握るメルシェの腕が嫌な音を上げ出す。
鉄騎士の一閃、更にもう一振り。その衝撃に耐え切れずメルシェは土煙を上げ吹き飛ばされる。その隙を逃すことなく鉄騎士はメルシェに迫ろうとするが、土煙の中から無数の刃が鉄騎士を襲う。鉄騎士はそれらを難なく捌ききる。
「芝露でもダメですか……」
メルシェは苦しそうに呟く。間違いなくこの相手は旅の中、今まで手合わせしてきた誰よりも強い。そう確信していた。
彼女の右腕は先の衝撃で、いや元々身体にはダメージが蓄積されていたのだが、これを故障と呼ぶか怪我と呼ぶか、完全に動かなくなってしまっていたのだ。
メルシェは辛うじて動く左腕に魔剣巫迦を握り、右腕をだらんと垂らしながらゆっくりと逆手に構え直す。
「逆巻け、芝露。川曲に淀む濁流の様に……!」
メルシェがそう唱えると、芝露は液体となり鉄騎士を取り囲み竜巻の様に巻き上がり刃に形を変えながら襲いかかる。鉄騎士は狼狽えることなく、刃の竜巻を大きな一振りで薙ぎ払う。
メルシェはその隙を突き鉄騎士の懐へ駆け込む。間合い、お互いの刃の届く距離に至りメルシェは強く地面を踏み込む。
鉄騎士はそれを逃さずメルシェを斬りつけるが、メルシェは身軽さを活かし身体を空中で翻しながら剣を躱す。その最中オシャカになった右腕は切り落とされてしまうが、メルシェは止まることなく鋭い一撃を鉄騎士に与える。
「ーー!」
回転力のかかったその一撃は鉄騎士の鎧を砕き体に大きな傷を刻む。
「まだ……!」
メルシェは身体を回転させながら剣を捨て懐の拳銃をを取り出す。超大口径のスラッグ弾、それはさながら大砲に近いもので装弾数は一発のみ、その一発をメルシェは鉄騎士の兜めがけ撃ち込む。けたたましい爆発音、衝撃と共に鉄騎士は倒れる。その衝撃はメルシェをも襲い、メルシェはまたしても大きく吹き飛ばされる。
────
一方その頃ルゥは既に街の中央に聳え立つ楼閣の如き城に辿り着いていた。
楼閣はがらんどうを極めており、そこにはかつての繁栄を象った様々な絵画や彫刻が寂寥の色を帯び佇んでいた。楼閣の中は非常に単純な構造で、頂上まで大きな空洞になっており壁の螺旋階段を登ればその上に登れる仕組みになっていた。
穴を塞ぐ方法と云うのは、メルシェ曰く力の中心となっている何かがありそれを破壊することで穴の拡大を阻止する事が可能だそうだ。しかし、それは同時にこの空間の崩壊を助長することを意味する。外の状況を確かめる術はないが、あれ以上この穴が広がるのは阻んで然るべきなのは瞭然だろう。
「時間がない……」
ルゥはそう呟くと徐に足を変化させると凄まじい跳躍力で一気に階段を飛びこえ螺旋階段の中間地点まで飛び登る。螺旋階段を登り切るとそこには玉座の間があった。
何故こんな所に……?と考えるのも束の間、玉座の小さな人影に気付く。それはメルシェくらいの少女。いや、少女の様な人形であった。少女の人形は淡麗な瞼をゆっくりと開く。
「お前は……」
ルゥが不意に尋ねる。
「我は在らぬものの長、我楽多の女王なり。汝、何故ここにおる?この空間はもうじき死ぬ。ここにいては貴様も死に呑まれるぞ……」
少女は古めかしい口調でそう返す。
「何故お前はここに、死ぬとわかってて何故こんな所に居続けるんだ……?」
「我は元より死んでおる。いやそも、生きてすらなかった我が死んだと嘯くのは些か傲慢か……」
あまりに幼い身姿の女王は自嘲のように吐き捨て、続ける。
「今の我はこの人形に宿る情念の、ほんの一抹の残火にすぎぬ……。我ら元より人に非ず魔に非ず神に非ず、もと無常の傀儡なり。故に我ら情念が創りしこの幽世から出ることは能わず。しかし、妾が留まり続けたが故にこの場に魔力を集めすぎた……皮肉なものだ、我は命なきもの。故に孤独など感じなかったが、しかしこうして心を持ってしまえばなんと冷たく寂しいのだろう。命は無くとも心は在るのだ……淋しくて、寂しくて、友を仲間を求めた。しかし、命持たぬ傍輩すら朽ち果てるほど時が経ってしまった……」
少女はその人形の瞳から液体を流しながらそう語り終える。
「俺には、そう思えない……」
ルゥはその少女の言葉を静かに聴き終えた後、静かにだが確かな意思をもってそう答える。
「俺の友人に、アンタによく似た少女がいる。いや彼女とアンタが似ているというのは語弊かもしれない。けれど俺には重なって見えるんだ。己の心の所在、葛藤を抱え、それでも、生きることを決して諦めはしない。そんな生き方をする娘を、俺は知っている」
ルゥは知っている、同じ葛藤を抱える彼女の同胞を。自分の相方が彼女に出会ったら何を思い、何を感じ、なんと言うのだろうか……いや、そんな事は愚問だろう。
「妾と似た娘……か、さぞ苦労するであろうな」
女王は再び自嘲じみた、しかし今度は口に笑みを含みながら呟く
「もう慣れたよ、尤も相方になってまだ日は浅いがな」
「そんな娘と揺蕩う貴方は何を失い、何を求めて流離う?」
女王は尋ねる。ルゥは僅かばかり口を噤み
「俺は記憶を……何者であるかを探して」
と答える。
「迷いを孕んでおるな、だがそれでいい……迷いなく進み続ければふとした過ち一つで道は容易く途絶えてしまう。貴方が歩む道が険難であるのなら尚のこと……」
「今を生きる同胞と、生きながら悩む鬼の仔か……今際の際に良いものが見れた……ここに、至ってくれたことを感謝する……。なぁ、仔よ、どうかこの死にゆくだけの老耄の最期の頼みを聞いてはくれまいか……?」
女王の質問にルゥは静かに頷く
「もう少し、側にいて欲しいのだ……」
その意外な発言にルゥは思わず頓狂な声を上げる。
「なぁに、少しの間でいい。我がこの……瞼を閉じ……るまで……」
少女はそう言い残すと、静かに瞳を閉じそのまま動くことはなかった。旅路の果て、彼女にとってのそらを見届けたルゥは静かに踵を返す。せめて、起きるはずのない彼女を起こさぬように……
───
「あー、ダメだ。左足も動いてないな……右手も探さないと……」
その頃メルシェは鉄騎士の兜に大砲を撃ちこみその衝撃で吹き飛ばされていたがなんとか起き上がり、自身の右腕を探していた。
既に勝負はついたものだと油断していたメルシェは刹那に迫る殺気に凍りつく。背後には鉄騎士が立っていた。その顔は完全に砕けた筈なのだが、それでも彼は止まらなかった。
思わず刀で反撃しようと振り返るが、その時既に彼の刃はメルシェの首元にまで迫っていた。
「え……?」
頓狂な声を上げたのはメルシェだった。背後から迫る凶刃、振り返り反撃するもこの時メルシェは死を覚悟した。
しかし、意外にも鉄騎士の刃はメルシェを捉えることなくあらぬ方向に逸れ、メルシェの剣はしっかりと鉄騎士を貫いていたのだ。
「ヤ……ハリ……心……ナド、持……ツベキ……デハ……ナ……イナ…… 」
機械部のむき出しになった顔を静かに点滅させながら、鉄騎士は告げる。そのままメルシェに覆いかぶさる形で倒れたがその直後、その場に落石が降ってくる。
「助けられた……」
起こったことに整理がつかず、メルシェは震えた声で呟いた。理由はどうあれ、この鉄騎士はメルシェを殺す既の所で手を緩め、メルシェの気づかなかった落石から身を挺して彼女を守ったのだ。
「メル!!大丈夫か!」
直後その場に駆けつけたルゥが岩と鉄騎士を退けてメルシェを助け出す。
「あの時、本当なら殺されていた……それなのに助けられた……」
メルシェは上の空でルゥの声が届いていないようだった。
「しっかりしろ!」
ルゥが激しく揺さぶるとメルシェはようやく我に帰る
「……すみません、動転してしまいました……」
「それよりも、早く出ないとマズイ
この空間の主であった、我楽多の女王の力が完全に消えた今、この空間を支えるものは何一つなかった。街は捻れ、捩れ、砕け、傾き、そして沈んでいた。
「確かに、急いで出た方がよさそうですね、でも……」
俯き呟くメルシェを見てルゥは息を呑む
「お前、腕が……」
右腕は切り落とされ痛々しい姿の彼女にルゥは思わず尋ねる。
「実は左足も動かないんです、すみませんが背負ってもらえませんか……?」
弱々しい声でメルシェが尋ねる。ルゥは無言でメルシェを背負うと
「で?出口はどこだ?」
とメルシェに尋ねる。
「これから抉じ開けるので、少し時間を稼いでください
振り返ると黒い何かが都市を呑み込みながらゆっくりと迫っていた。
「了解、あれに捕まるなってことだな」
ルゥは脱兎の如き速さで街を吞み込む何かから距離を置く。やがて都市は完全に呑み込まれ、気がつけばメルシェ達は真っ暗な空間を漂っていた。
「まずいな、一寸先も闇とは……どうする?」
ルゥがメルシェに尋ねる。
「在らぬものよ集え、我は汝らの声を届けし者、汝らの愁いを祓いし者。我は求む、何処からかこの空を開きし者を。来れ攪拌の時よ、その愛手にて暗き道を照らし給え
メルシェがそう唱えると先ほどまでの暗闇に一筋の光が差し込む
「今を生きる同胞よ、我が力にて、一抹ながら汝の道を照らそう」
その声はあの楼閣で聞いた、かの女王の声だった。
その声を聴いて、先程の惜別もありルゥは思わず安堵の表情を浮かべる。
「何をボサッとしとる、早うあの光へ走れ。あれが迫っておるぞ」
その声は淡々と語る。振り返ると、あの黒い何かが彼らを逃すまいと迫ってくる。ルゥは足を変化させると、文字通り疾風の如き速さで暗闇を走り抜け光の筋道を抜ける。
そこは広陵とした荒野だった。あの穴が空いていた荒野に二人は気がついたら立っていた。辺りを見渡しても、あの穴は何処にも見当たらなかった。
ルゥは我楽多の女王の話をメルシェにすると、彼女曰く彼女達は付喪神と呼ばれる部類の者達だったらしい。
付喪神とは本来生きてはいない、無機物などに魂が宿ったもので、生きていないが、魂を持つと云う矛盾した性質を持つ。故に彼女達はこの世界の理に縛られやすく、それらから逃げるべく幽世に潜んでいるそうだ。
特にルゥの出会った我楽多の女王はおそらくそれらの最上位の類で、かつては神格にすら届き得る力を持っていたと思われる、その力が徐々に衰退し、残った魔力に他の魔力が寄り付き、自身では制御しきれず空間を吞み込むような事態に発展したと思われる。
「ルゥさん、それなんです……?」
メルシェはルゥの首元を指差す。見ると着けた覚えのない、真鍮のペンダントがぶら下がっていた。その色褪せながらもどこか虚ろで美しい様はかの少女を彷彿とさせた。
「餞別かな……」
とルゥは静かに答える。
「……?」
メルシェはわからず首を傾げる。
「それよりもお前はどうするんだよ。その腕、足、身体じゃ旅どころの話じゃないだろ……」
ルゥは背負ったメルシェに尋ねる。
「うーん、そうですねぇ……治せる人に心当たりが無いわけでは無いんですが……」
メルシェは唸るように呟く
「誰だ?」
「先生です、正確には先生の館にいる使用人のお姉さんです」
メルシェ曰く彼女の剣の師の付き人ならば、彼女を治せる可能性があるとのことそれも山の国の辺境地な為、時間はかかるものの決して遠くは無いそうだ。
「それで?そこまでお前はどうやって行くんだよ……」
ルゥが恐る恐る尋ねる。
「もちろん、背負ってくださいっ♡」
メルシェは満面の笑みで答える。
「こいつ……」
あの女王と交わした会話を思い出しながら、ルゥは大きな溜息を吐きながらも渋々、メルシェを背負い直して、歩き始めるのだった。
もし次回も読んで下さるのなら
次でお会いしましょう。