5話:魔術師と教会
茜さす、夕の色はなお朱く。山々の袂に、稜線の先に落つる落陽に何を思う。夕間暮れなずむ落陽を背に二人の旅人が街を目指し先を急ぐ。その二人というのがまた奇妙な二人組で、武器一つ身につけていない大柄の青年と背中に身の丈ほどの十字架を背負った少女の二人で、彼らは何やら談を交わしながら足を進める。
「錦秋の候、お日様もやはり釣瓶のように落ちますね〜」
十字架を背負った人形の少女、メルシェは稜線の向こうに顔を埋める西日を眺めながらそう呟く。その視界の端に一羽の鳩が落日の中に溶けていくのを彼女は見逃さなかった。
「あぁ、幸い次の集落はもうすぐだ、野宿はせずに済みそうだな……」
青年は目を上げそう呟く。その視線の先にはポツポツと小さな灯が灯されていた。街に比べれば些か心許ないそれが、旅人にとっての標になっているのも事実だ。
そんな二人の影を追うもう一つの影。その影はもう何日もの間彼らに悟られないギリギリの距離を保ちながら気配を絶ち臭いを絶ち、宛ら空気のようにルゥたちを尾行していたのだ。
「ようやく岩の国の辺鄙、カルダンなら教会に悟られることなくあの被験体を処理できる……」
影はこの時を渇望していたように、唸る様にそう口ずさみ、ただただ、二人の後ろ姿を睥睨するのだった。
──
────
二人は集落についた途端人々に囲まれる。なんでもここには滅多に他所の人間が訪れることがないらしく、取分け巨大な十字架を背負った旅人など以ての外で、二人の噂は瞬く間に村中に届いた。二人はは酒場に案内され、そこで暖を取っていた。
「これはこれは旅のお方、随分とお疲れのようだ。寝床を手配しましょう、今夜はごゆるりと……」
村の長らしき人物が食事を運んだきてくれた。マトンのシチューに腸詰めの盛り合わせ、黒麦酒と一限の旅人を持て成すには十分すぎるものだった。
「なにからなにまでありがとうございます」
出されたシチューを啜りながらメルシェはそう言う。
「いえいえ困った時はお互い様ですから、それに……」
村長はメルシェを一瞥し続ける
「実は過去にあなたと似た格好の方に村を救って頂いたことがありまして……」
それを聞いてメルシェの目の色が変わる
「それはいつ、いつの話ですか……⁉︎」
「もう8年は経ちましょうか……巨大な棺桶を背負われた黒髪の御仁でした」
曰く、元々古戦場だったこのあたりでは夜な夜な亡霊が彷徨うような事態が続いていた。亡霊は弱い女子供を憑殺し、その被害は十幾を軽く超えていた。
そんな時、颯爽と現れたのが棺桶を背負った魔法使いの青年だった。青年は飄々とした出で立ちであったが、有無を言わさない圧倒的な力で悪霊を祓い退けたと言う。
「多分、それは師匠のことだと思います……(でも棺桶……?)」
メルシェは視線を落とし僅かに逡巡しながらそう答える。彼女の知る限り彼女の師匠の背負っていたのは十字架だったはずだが……それでも、村長の嘯く出立ちや死霊に対する圧倒的な制圧力は彼のそれに違いないものだった。
「おぉ、やはり貴女はあの方のお弟子様で、それならば一つお頼み申す……」
そう言うなり村長は全力でメルシェの前に額ずき
「どうか……この村をお救いください……!」
それに続き酒場にいた村人たちも続々と彼女に頭を下げる。
「もしかして、来る時に見た鳩って……」
メルシェは思い出したように呟く
「我々が飛ばした者です、実は……」
彼が口を開こうとすると、ルゥが途端に立ち上がる。彼は感じ取っていた。何か来る……風邪を切り凄まじい速度で何かが迫っている。
夜の帳が幕を降ろす。曇天の最中月は見えず、まさに闇夜と呼ぶべき夜、檐溜は累ね累ねを繰り返しやがて沓脱石を穿つのだ。それは彼らの世界。理不尽に虐げられ摂理に流され理に潰された者たちの骸の空。凄まじい速度で闇夜の廻廊を走り抜け通りかかるものを出会い頭に斬り殺すそれは、紛う事なき怪物である。
メルシェとルゥは急いで酒場を出るとそこには、かの怪物が立っていた。首無の黒馬に跨り白銀の鎧を纏った騎士。しかし、彼の首には在るべき頭が無かった。
「其奴です!!其奴が夜な夜な村に現れては老若男女、見境無く斬り殺す首無しの異形!」
「デュラハン……」
かの異形の名はデュラハンそれは騎士、首の無い愛馬の嘶きと共に死を運ぶ不退転の騎士。その首は既に無く、在るのは生者への渇望と嫉妬のみか。
「ここには貴方の守りたい者も倒すべき敵も居ません。踵を返して静かに眠ってください……」
メルシェは剣に手を添え、静かに告げる。
「───……」
しかしデュラハンは徐に剣を構え襲い掛かる。その刹那、ルゥがデュラハンに迫る剣撃を掻い潜り、彼の元まで迫ると、凄まじい拳の連撃でデュラハンを殴りつける。
「……⁉︎」
しかしデュラハンは何事も無かったかのように剣を降りルゥを払い飛ばす。
「大丈夫ですか……⁉︎」
メルシェが心配そうに尋ねる。剣を躱し着地したルゥの両腕は甲冑を殴ったことで皮が剥がれ血だらけになっていた。
彼の身を案じたのもつかの間、今度はメルシェに向かい迫ってくる。咄嗟に剣で防ぐが、馬のスピードと大の大人の大振り、力を流しきれずメルシェは民家の壁に叩き付けられる。デュラハンはすかさずとどめを刺しに迫るがルゥが馬を蹴り上げ邪魔する。
「おい、死んでないか?」
今度はルゥが尋ねる。
「全然……ピンピンしてますよ……!」
メルシェはそう嘯きながら剣を構える。
けれど全身が重い。無痛とはいえ確実にこの身体にダメージは蓄積されてる……
「貴方こそ、腕を血だらけじゃないですか!」
「すぐに治る。しかしあの鎧なんだ……?びくともせんし、それにあの感触……」
「デュラハンは実態を持たない幽霊が鎧に憑依した者だと思ってください……!倒す方法は聖具かで鎧ごと穿つぐらいしか……」
「よし、じゃあ……」
ルゥは徐に立ち上がると、腕を変異させる。
「今夜は朔、月も出ていないなら夜でも力を抑えられる……!」
ルゥは月のない新月の空を見上げそう呟くとデュラハンを凌ぐ速度でそれに迫る。デュラハンは剣で応撃するがそれを難なく躱し今度はデュラハンの乗っている馬の後ろに回り込みそして
──踏鳴、脚閃!
ルゥは強く、強く地面を踏み込みそして、デュラハンの脇腹を蹴の一閃が穿つ。デュラハンの鎧はひび割れ体勢を崩すが、落馬にまではいたらない。
「もう一発!」
メルシェは懐に偲ばせていた拳銃を取り出す。それはルゥとの決闘の際に姿を覗かせた一挺で、華奢な少女の手には余りある大口径の自動拳銃だった。彼女は深く腰を据え、そして一発。刹那、けたたましい爆音が轟き彼女の腕の中で小爆発が起こったかのような衝撃。それが暴発でなく発砲の衝撃だと誰が想像できようか。放たれた偽銀弾は臙脂の炎を纏いながらデュラハンを穿つ。彼の鎧は完全に砕け散り、さらにルゥがもう一蹴。勢いのままにデュラハンはそのまま落馬する。
「大仰な馬に跨ってた自分を恨め……」
倒れた先には背負っていた十字架を手にしたメルシェがいた。
「かくあれかし……」
メルシェはそう呟くなり、力強く十字架をデュラハンの鎧に突き立てる。デュラハンは苦しそうにもがくが、やがて動かなくなり、乗っていた馬は骨灰になり地面に溶ける。
「夕星の声を聞きし者よ来れ、かの者の慈悲を以って那由多の時を彷徨う者を静かな河の畔り辺へ連れ帰らん……汝らが名は───」
メルシェがそう唱えると十字架が仄かな輝きを帯びる。そして、一抹の光塵と共に騎士の亡骸は夜空に溶けていった。
「お前、あんな大仰もの持ってんだな……というかお前決闘祭で俺にあれ向けてたよな……⁉︎」
「決闘祭の時は空砲でしたよ!それに貴方、銃弾効かないじゃないですか⁉︎」
ルゥの苦言にメルシェは慌てて言い返す。僅かな沈黙が二人を包み、それに耐えられず二人とも思わず吹き出す。
「終わったか……」
ルゥは立ち上がりながら呟く。
「えぇ、けど……」
メルシェは辺りを見渡す。
「見たか……?あの男の腕……」
「なんだあの男……まるで怪物じゃないか……」
「あんな奴を村に置いておくと碌な事が起こらんぞ……」
「あんな怪物と一緒にいるのだ、あの娘だって怪しいぞ……」
周囲には二人を怪訝に思う声が溢れかえっていた。そうだ、これが自然な、ごく当たり前な反応なのだ。怪物を見たら誰しもそうなる。忘れていたわけではないが、彼女と行動していて麻痺していた……
そんな鬱屈とした空気を砕くように一つの拍手が鳴り響く。それは人混みの中からゆっくりとメルシェ達に近づいてくる。
「いや〜御見事!流石はメルシェ嬢」
それは黒いフロックコートを纏った洒脱軽妙な青年であった。装飾の施されたフロックコートとその首からかけられた銀の十字架とが、彼が教会の人物であるということのなによりの証左である。
「アルベールさん?」
メルシェは尋ねる。
「えぇ、アルベール・リウー。光の王、白金十字の魔術師、ラファ・L・アームストロングが直属、銀十字がアルベール・リウーにございます」
「ちなみに同じく銀十字、クラリッサ・ミラーも居ります!」
リウーの影からひょっこりと顔を出した、同じく銀十字を首から下げた少女がそう告げる。容姿はメルシェと同じくらいの幼さか。こんな少女でも銀十字になれる者なのか、ルゥは関心していた。
「光の王の直属……⁉︎」
「そんな重役人がなんでこんな村に……」
再び周囲がどよめく。
「彼らは我々、教会の重要な職員です」
辺りの惑いを一蹴するようにリウーはそう告げる。
「し……しかし、魔術師殿。あの者の腕、あれは明らかに人ならざる、異形の者の……」
「しかし、光王は彼を慕いこうして名を称えておられます。彼を否定するということは我らが主、アームストロング卿を否定するということになりますが、よろしいか?」
リウーは淡々と告げるが、その発言の中には凄まじい圧力が込められていた。そう告げられ、辺りの村人達は皆、彼らに再び額ずく。
「まぁ、半分は冗談です」
リウーは先程とは比べものにならない程気の抜けた調子で呟く。リウーに諭され、漸く村人達はルゥやメルシェに対する疑念を捨て去ったかはともかく、彼らの前でそう言った噂を取り沙汰すことはなくなった。
──
────
「アルベールさん、お久しぶりです」
夜も明け、キャバレーで再び邂逅したリウー達にメルシェは微笑み挨拶を交わす。
「お元気そうで何よりです。こちらは相方のクラリッサ・ミラーです」
一揖もそこそこにアルベールは隣に座り食事を掻き込む少女を紹介する。彼女は何度か咀嚼を繰り返して音を立てて嚥下すると
「はい!ご紹介に与りました、銀十字クラリッサ・ミラーです!アルたんの相棒です!」
溌剌とした表情で答える。アルたんはアルベールのことだろう。ミラーは舌の根も乾かないうちに
「ねぇ、メルシェちゃんって言ったけ?貴女いくつ?私16なの!」
と多弁に舌を回し、淀みなくそう尋ねる。
「えっと、私も多分そのくらいですかね……?」
メルシェは歯切れ悪く辿々しくそう答える。
((多分……?))
ルゥは訝しんだが、詮索はしなかった。
「メルシェ嬢。つきまして、そちらは……」
談笑もそこそこに、リウーはルゥを一瞥し尋ねる。
「ルゥ・ガルーだ……」
ルゥはそう名告る。彼の目線は彼の、リウーの首に下げている十字架には見覚えがあった。それは、記憶が混濁して確かなことは言えないが、しかし、その十字架に見覚えがあった。黒いフロックコートの様な制服も同じだ。我を忘れ、気がつけば周囲を血溜まりに変えたことが自分が覚えているだけでも正確には記憶が残っている内に3度、その最初の記憶、現状、ルゥにとって最も古い記憶。
「この十字架に、何か心当たりでも?」
その質問にルゥは思わず目を逸らす、そう、ルゥは恐らく彼の同僚を数人殺害している。苦し紛れにルゥは切り返す。
「そちらこそ、随分と俺にご執心じゃないか、俺に用があるのならはっきり言え!」
ルゥの切り返しにリウーは少し驚いたような表情を浮かべるが、すぐに口を綻ばせる。
「えぇ、まぁ……尤も貴方にご執心なのは我々だけではありませんがね。狼男さん。しかし……本当に生き残りがいたとは……」
リウーがそう呟くなり、ルゥの目の色が変わり、リウーの前に迫る
「っ、やはり、人狼はもう俺以外存在しないのか……?」
「えぇ、もう40年も前のことですし、ある種の常識とも思えるのですが」
「そ、そうなのか……」
ルゥはそんなことはついぞ知らなかったと言った様相であったものの、泰然さを繕ってみせるが、やはり動揺は隠せはしない。狼狽するルゥの姿を見てリウーは少し訝しむ。
「記憶の欠落……ある種の不在証明にすらなりえる。ふむ……」
含みのあるようなリウーの呟きにルゥは徐々に苛立ちを覚え始める。
「あんた、何を知っている……」
痺れを切らしたようにルゥが迫る。
「私が知っているのは、私の知っていることだけですよ」
「答えになっていない!!」
興奮を抑えられずルゥは立ち上がる。
「まぁ、落ち着いて。まだ何も話してないではありませんか、コーヒーが冷めてしまいますよ?」
余りにも頓狂な口調に調子を崩されルゥは渋々席に着く。となりでミラーは風馬牛といった具合で食後のデザートとして注文したパフェにスプーンを立ててそれをメルシェの口元に差し出している。メルシェはというと、困惑と羞恥で顔を紅葉にしながらもそれを受け入れて口を開けている。
どうやらこの僅かな時間でさえ少女たちが心を通わせるには十分だったようで、右隣で互いに白々しく睥睨、牽制し合っている男性組との温度差でコーヒーが一層冷えてしまいかねない。
「まずはあなたの身の上ですが、はっきり言ってそれは我々の知り得ることではありません。故に、我々はあなたを最後の生き残りとしか認識できていなかった、昨夜までは」
「他の人狼はどうなったんだ……」
「駆逐されました、教会に。恐らく、あなたを除いて一人残さず。先程述べたようによう四十年前の話です」
リウーは淡々と語る
「四十年……?いや、そんなことより今教会がと……⁉︎」
「おっと、誤解を招くようなので言っておきまずが。教会と言ってもそれを行ったのは一部の、というよりたった一人の男の仕業です」
リウーはルゥを一瞥すると続ける。
「教会には九つの派党があります。それぞれに教会の……基、理の根底にある概念が当てはめられ一つの派党につき、一人の白金十字の魔術師が当てはまります。派党はそれぞれ王冠、知恵、理解、慈悲、峻厳、美、勝利、栄光、基礎の九つからなり、その中央に王国たる代理人が存在します。かつて人狼を絶滅させたのは、峻厳を司る、焔の王。白金十字イゴール・ヴェスヴィオ・デプレその人です」
「焔の王……?そもそも白金十字というのは一体……」
ルゥはいまいち腑に落ちないと言った具合に困惑し尋ねる。
「白金十字の魔術師というのは、教会の長直轄の魔術師で、等級最上位である白金十字章を賜った9人の魔術師のことです。それぞれが文字通り規格外の力を有しており、最早人間の域を超越していると言っても過言ではありません。私たちの長、アームストロングさんもその一人、光の王、栄光を司る魔術師です」
リウーに変わりミラーが食べ終わったパフェのスプーンを回しながら説明する。
「峻厳を司るイゴール卿はその、過去に色々とあった様で、廃絶思想が強い方でしてね。峻厳の司はそもそも教会のあるべき姿を糺す役割をになっているのですが……」
クラリッサは口を噤む。教会の魔術師2人はバツが悪そうにお互い顔を見合わせる。
「そのイゴールという人がどうかしたんですか?」
不思議に思ったメルシェが尋ねる。
「卿……いえ、イゴールは教会から離反。現在、教会延いては魔法省、つまり重罪人として世界から追われているのです」
彼は警告無視の人狼虐殺を含む教会への叛逆の咎を受け竜の国と山の国の国境に存在するルボア監獄に幽閉された。教会始まって以来初めて白金十字の魔術師が罪人として捕らえられた大事件であった。しかし、教会最強の名を冠する白金十字を幽閉しうることが可能であるのか、世界最大、最高峰の規模と設備、そして練度を誇るルボア監獄であってもそれは懸念された。しかし、イゴールは抵抗するどころか甘んじて幽閉を受け入れたとされる。
そしてイゴールの人狼大虐殺の事件から四十幾年経った数ヶ月前、それは起こった。監獄の長であり現金十字最強の一角成すスブラ・シルト氏が不在の際、監獄が襲撃され金銀十字含む十数名の魔術師と獄吏が殺害され、イゴールを含む数百にも及ぶ教会、及び魔法省指定の犯罪者の脱獄が発生したのだ。
「イゴールを解放したものが一体何者なのか、目的は、未だわからないことだらけというのが現状です」
アルベールは更に続ける。アルベール曰く、イゴールの脱獄が知れ渡る頃、峻厳に属する魔法使いの中から離反者が続出、それらはイゴールの信奉者であることが明らかになり、イゴールの一行に合流したものとされる。さらに、半月ほど前に教会の管轄する魔法図書館の第七書架が襲撃され、禁書や危険な魔導書が強奪され、この書庫の警護を行なっていた銀十字の姉妹が消息不明になっているという。
リウーがそう語り終えると、ルゥは徐に立ち上がる。
「因みに……」
リウーは小さくルゥに目配せをし、そして
「卿は恐らく、貴方を狙っています」
リウーは立ち上がり何処かに行こうとするルゥを指差し告げる。
「どちらへ?」
「関係ない……俺は自分の出自を確かめる、その為の旅に何も変わりはない……」
ルゥは静かにそう告げる。
「関係ない、そうですか……」
リウーはそう諭すが、ルゥは無言で席を立ち、そのまま酒場を後にした。アルベールは無言で彼を見送ると
「ミラー、頼みましたよ」
と、隣に座っている彼女に告げる。ミラーは無言でしかし、ピシッと笑顔で敬礼の所作を取るとそのまま勢いよく立ち上がりルゥの後を追うようにキャバレーを出ていくのだった。
「あのミラーさんは……」
メルシェは不安そうに尋ねる。
「あぁ、なんの心配もご無用。ただ少し今彼を一人にさせる訳にはいかないというだけのことでして……」
アルベールはそうとだけ言うが、無論メルシェにはなんのことかはわからない。暫しの沈黙。
「あの……」
二人が出て行ってから沈黙に暮れる間もなくメルシェは再び挙手し尋ねる。
「さっきの話ではイゴールって人が人狼の大量虐殺したのは確か……」
「はい、四十年も前です」
アルベールは答える
「じゃあルゥさんって少なくとも四十路以上……」
「それはありますまい、人狼の寿命は森人の様に高いものではありません、寧ろ人より若干短い程度だったと言わます」
「えっ、じゃあ……」
メルシェはポカンと口を開けて言葉を失う
「えぇ、少なくとも彼は人狼が絶滅したとされる四十年前以後に誕生日しているのは間違いありません」
それが何を意味するのか、ルゥは判っているのだろうか、少なくとも今のメルシェには理解できなかった。
「それって、人狼は絶滅してないってことは……」
「それは有り得ません、ここ数百年で西鬼や大西鬼と言った亜人種の中でも人との共存が難しく害亜人と指定された種は人類のエゴによって滅ぼされたとされます。種も残らぬよう悉く、文字通り根絶やしと言うやつです。鬼も人狼も繁殖力は頗る高いことで有名ですから一匹でも生き残っていれば間違いなく大虐殺の後、数年でまた頻繁に目撃されるようになります。それが数十年見られないのはつまりそういうことです……」
「でも、じゃあルゥさんは……?」
「それは、本人が一番知りたいはずです。だから焦っているのでしょう。生き急いでるともいえる」
アルベールは居なくなったルゥの空席に一瞥をくれ、今度はメルシェに目線を移し
「彼について、貴女はどう思いますか?最後の怪物か、将又己を探す旅人か……いや、そもこの大地にこの足で立った時から命とは往々にして旅人なのやもしれません。メルシェ嬢、貴女にとって彼は一体何でしょう?もし彼がイゴールを同族を鏖殺した憎み、復讐に駆られた時、あなたは止めるでしょうか?それともそれを助長するでしょうか?えぇ、わかっていますとも。ともすれば彼の中にイゴールに対する復讐心があろうがなかろうが、それが、存在しない記憶に対する最も答えに近いものだと、そう思っているのでしょう?」
メルシェは冷め切った紅茶に僅かに口に運ぶ。沈黙が肌を刺すような居心地の悪さをもたらす。そして
「私は何とも思いません。その正誤に関係なく、口出しする権利も止める権利もありせんし……」
メルシェは静かに慥かに答える。しかし、ただ……と続き
「ただ、彼が復讐をすると言うのなら手伝ってもいい。それが彼の在り方だと彼が決めたのなら。けれど、それ以外、彼が復讐以外に自身の存在意義を探すと言うのなら、私は全力で彼を助けたいと思ってます」
メルシェの真摯な瞳を前に、リウーは思わず吹き出す。
「やはり、あなたはヤタさんのお弟子ですね。よろしい!ならば彼のことは貴女に一任します。元々彼の監視を仰せつかって此処にあなた方を探していたのですが、我々にあなた方の在り方を探す旅を止める権利も理由もまだありますまい。もし、また何処かでお会いすることがあればお力を貸しましょう」
アルベールはどこか喜ばしげにそう言うと、人差し指を一本立て
「ただし、ご忠告。背後には常に気を配ることです……」
と声を潜めそう進言するのだ。
「背後ですか……?」
メルシェは思わず振り返るが、無論誰かが彼女を睥睨しているわけでも、ましてや荒事の気配など彼女には見て取れなかった。彼女が訝しげにしていると
「先程まで、お二人は尾行けられてたんです」
アルベールの言葉にメルシェは目を見開く。
「全く気付きませんでした……」
彼女は驚きと困惑、そして情けないと言った自責の念を顔から滲ませる。
「今回は相手が隠密のプロですから、仕方がありません……どちらを追っているのか、それが気がかりでしたが、どうやら我々の予想通りだったようです。その件はこちらで何とか致しましょう。ですが、以後はお気をつけを……」
そうとだけ言うと、男と彼の姿が徐々にまるで幽霊のように透けていく。投影魔法の類のようだった。メルシェが呆気に取られている間に彼の姿は跡形もなく消えてしまった。
混乱したメルシェだったが、すぐに冷静さを取り繕い必死に思考する。一体いつから?いやもしかしたらこの酒場で落ち合っていた時には既に?でもどうして……そう考え耽るが、合理的で、かつ最もらしい可能性ならとうに頭によぎっていた。それは先程までメルシェたちが何者かに尾行されていたと言う話だ。先程のアルベールの口ぶりからしてその何者かの尾行対象は恐らくルゥ、その何者が何を企んでいるのかは知る由もないが、嫌な予感しかしなかった。そして、ここにこうしてメルシェが一人取り残された事実が物語るのはたった一つ。自分が足手まといになる。そうアルベールから思われていたのだ。そう考えると悔しいやら悲しいやらでメルシェは涙は出ないが泣きそうになりながらも、メルシェは居ても立っても居られず立ち上がりルゥの後を追おうとする。しかし
「あれ〜?どこ行くの?」
と間の抜けた声がメルシェを呼び止める。それはミラーのものだった。時しもあれ、先程ルゥを追って出て行ったクラリッサ・ミラーが戻ってきたのだ。
「えっ……⁉︎なんでミラーさんが、さっきルゥさんを追って出て行ったんじゃ……」
彼女の登場に驚きを隠せず、素っ頓狂に上ずった声でメルシェはそう尋ねる。
「うん。そうなんだけどね、アルたんたらね、お金置いていかずにメルたんを残して出てきちゃったていうもんだから、お金渡しに来たの!」
彼女はそう言いながら十分すぎるほどの紙幣をメルシェに手渡す。
「あぁいえ、奢って頂くつもりだった訳では……ってそうじゃなくて!」
メルシェは動転しながら取り繕い
「ルゥさんが、危険な目に遭ってるんじゃ……」
と辿々しく尋ねる。それを見てミラーは口元を緩めると
「メルたんは本当に優しいねぇ……」
と優しく微笑みメルシェの頭を撫でる。
「メ、メルたん……?」
メルシェは若干顔を引き攣らせ、首を傾げる。
「あれ、嫌だった?じゃあメルちゃんで!」
「あぁ!いえ、嫌だったという訳では……」
などと、女子同士姦しく可愛らしい言い合いをしていると
「大丈夫、何も心配いらないよ」
とミラーは優しくメルシェを抱擁する。
「投影魔法まで使って置いてけぼりにされた事とか、思う所は色々あると思うけど、あれはアルベールなりの優しさというか、気遣いなんだよ。きっと……」
メルシェの栗色の髪を撫ぜながらミラーは彼女を慰める。
「あぁ見えてアルベール結構強いしね!」
ミラーはそう言い切りサムアップしてみせた。それはメルシェを落ち着かせる為に取り繕ったものではなく彼女の本心からのものであることは、今の余裕の少ないメルシェにでも容易に推察できたのだった。
──
────
人影の絶えた路地裏の隅、ルゥは静かに己が在り方を考えていた。同族を鏖にした者がいたのだ。もし、俺が過去の記憶を失わずにいれば、俺はそのイゴールに復讐していただろうか……しかし、自分が何者であるかわからない今の俺が復讐をしたとして、それに何の意味がある。いや、そもそも俺は本当に人狼なのか、編纂と変遷を繰り返す記憶が天邪鬼のように、偽りと真実の境を塗りつぶしていく。考えれば考えればほど思考は纏わりつきこんがらがっていくのだ……
刹那に殺気、ルゥは間髪入れず踵を廻らす。そこには一人の女性が立っていた。全身を路地裏の闇に溶け込むような黒装束で覆った細身の女性。彼女の首には三日月の象られた首飾りが下げられていた。それが何を意味するか、ルゥは逡巡する。
「誰だ、あんた」
ルゥはそう言葉を振り絞る。得体の知れない相手。脅威を、敵意を測らんと五感を研ぎ澄ませる。
「知る必要のないことだ」
彼女はそうとだけ吐き捨てるなり両袖から細身の剣をスルリと取り出して構える。二人の間に、薄暗い路地裏に刺すような沈黙が流れる。互いに距離を詰めるタイミングを見計らい、瞬きを止め呼吸を浅く長く、小さく止め、それが時間の緩慢さに拍車をかけていた。
ルゥが泥濘を踏んだ、それが開戦の火蓋となり互いが須臾の間隙に距離を詰める。しかし……
「待った」
女性の双剣を、ルゥの爪を遮ったのは、アルベールだった。彼は二人の間に器用にも割って入り背中に背負った剣も抜くこともなく、二人の刃をいなして見せたのだ。
「っ!お前は……」
「狙うならこのタイミングだと思ってましたよ、特装のお嬢さん」
生き馬の目をくり抜くが如き須臾の攻勢、たじろぐ女性にアルベールはそう言いながら彼女の武器をまるで子供から玩具を取り上げるように、あっさりと取り上げてしまう。そしてそのまま彼女の腰に手を回そうとするが、彼女は咄嗟に身を翻し、リウーから距離を取る。ルゥも現状を理解できずにいたが、無意識のうちに距離をとっていた。
「アルベール・リウー、栄光の伝書鳩……まさか、人狼を単独で行動させていたのは私を誘き出す為か?」
女性はリウーを睥睨し吐き捨てる。
「ほぉ、これは珍しい。フリメール鉱の刃ですか、魔力伝導率の高さと冷気を内包出来る性質を持つ一方で非常に希少かつ精錬加工の手間のかかる金属。こんな珍品を魔法省では、いえ特装では支給されるのですか?」
アルベールは彼女から奪った剣をまじまじと観察しながらそう尋ねる。
「黙ってそれを返せ、そして何も見なかったこととし踵を返せ」
彼女は相変わらず眉間に皺を寄せた不機嫌な表情でアルベールを睥睨し、悪辣にそう吐き捨てる。
「そう邪険にするものではありませんよ、ミス・ヴェーナ」
その言葉を聞いて彼女は、ヴェーナは意表を突かれたように目を見開き、ますますアルベールを睨みつける。
「貴様、何故私の名を……」
「あまり教会を侮るなよ、小娘。我々も馬鹿ではないのです」
アルベールは一歩また一歩ヴェーナに歩み寄る。宛ら彼女たちの思惑はお見通しと言った具合のようだ。ヴェーナは身を低くし構える。
「もう一度言う、教会を侮るなよ」
アルベールは語気を強め顔を暗く色をなし彼女を睨みつける。両者の殺気がぶつかり合い今までにも増して殺伐とした空気が狭い路地裏に立ち込める。不意に彼女の通信機が音を立てて振動する。彼女は僅かに通信機に目を落とし、次いでアルベールを見やる。アルベールは「どうぞどうぞ」といった様相で、肩をすくめてみせた。
「何?今対象と接敵してるんだが」
──そうか。だが悲しきかな、その注文は取り消しだ。
「はぁ⁉︎それどういう……
──どういうも何も、今お前の目の前の現状を見れば理解るだろうが。教会の目に触れた以上、これ以上軽はずみな行動は控えるべき。これがお上の見解だ。
通信機の向こうの相手は淀みなく淡々と話す。
「そんなもの、ここにいる全員始末してしまえば……!」
──しまえば?その後のことも考えて行ってるんだろうな?
そう言われてヴェーナは言い淀む。
──そこにいる教会術師殿と代わってくれ。
通信機の向こうの相手にそう言われてヴェーナはアルベールを一瞥すると、その通信機を彼に向かって投げ渡す。アルベールは綽々とそれを受け取り耳に当てる。
──栄光の伝書鳩、アルベール・リウー殿か。うちの若いのが失礼をしたようだ。許してやってほしい。
「お互いちゃちな緞帳芝居は抜きにしましょう。サー・オクトルート。特装の諸兄諸姉が何故があってあの青年を追うのでしょう?」
アルベールは臆面なく電話越しの相手に向かってそう尋ねる。
──知らない方がいいこともある。お互いのためにもね……
通話機の向こうの彼、オクトルートは含みのある物言いをし、さらにこう続ける
──それに、我々の追っている彼、その連れの少女もなにやらワケありという話じゃないか……とても興味深いねぇ。
オクトルートは粘滑らかにそう尋ねる。彼の言葉に若干不満げに眉を顰めるアルベールだったが、軽く溜息を溢し
「なるほど、秘密はお互い様と」
──無論、其方が件の少女についての情報を提示して頂けるのであれば話は別ですがね?
オクトルートは老獪にそう笑う。
「止めておきましょう……それは誰にとっても得策ではない選択ですので。それで?まだ彼を付け狙うつもりで?」
──いや、貴殿らに目をつけられた以上彼に何かあったら我々が疑われるのは自明の理。ここは潔く手を引かせてもらうよ。
アルベールの糾弾にオクトルートはあっさりそう答えた。しかし、その言葉の裏には今のところはと続いているのは明らかだった。
アルベールが通信機をヴェーナに手渡すと、彼女は再びそれを耳に当てる。
──ヴェーナ、退き給え。いいかね、これは命令だ。君一人ではアルベール・リウーには勝てはしない。
オクトルートの言葉には累々とした重みが感じ取れた。通信機が切れ、ヴェーナは遅疑逡巡するが、意を決したのか通信機を下ろし腰に戻すと
「それ、返しなさい」
とアルベールの手に持つ双剣を指差しそう言いやる。
「見逃してやるからそれを返せといっている!」
ヴェーナは苛立ちながらそう叫ぶ。アルベールは仕方ないと言わんばかりに再び肩をすくめ、それを放る。間髪入れず、ヴェーナはそれを奪取するとアルベールではなくルゥを睨みつけ
「精々今のうちに、諸国漫遊を楽しんでおくことだ……」
と吐き捨て、音もなく高く飛び上がり建物の屋上に登ると、そのまま姿を消してしまう。やがて路地裏には在るべき無量感と静寂が訪れる。
「なんだったんだ……」
ルゥが辟易とした表情で呟く。
「ルゥさん」
アルベールの呼びかけに何だ……とルゥが尋ねようとした刹那、リウーは剣の柄に手をかける。
──夕火りの刻、粘滑らかな遥場にありて、廻儀い錐穿つ……
リウーがそう呟くや否や、抜き身をかざす。刹那、刃は波打ち、異様な肉塊となり、獣の爪のように歪な刃がルゥに襲いかかる。身の危険を感じルゥは腕を変化させるとその刃を両手の爪で防ぐ。
「何のつもりだ⁉︎」
ルゥは叫ぶ。先程までルゥを庇護するような振る舞いを見せたアルベールだったが、今はルゥに刃を向けている。
「ふむ、お見事。とだけ言っておきましょう」
意外と言った具合に頓狂な声でリウーは答える。
「何のつもりだと聞いている……!」
ルゥは状況が整理できず言及する。
「いえね、私も少々心配性でして、貴方に任せてよいものかと、彼女を……」
アルベールの語る彼女というのはメルシェのことだろう。
「正味、この一撃を受けていようものなら貴方を彼女から引き離してイゴールを釣る餌にするつもりでした。結果はまぁ、及第点といったところでしょうか……」
「随分と上からものを言うな」
「当然です、本来、我々は貴方を捕縛する命を受けて貴方を探していたのですから。先程貴方を襲おうとした連中と同じようにね….」
「先程の……そうだ、さっきの奴は一体……」
「魔法省第九課、執行課の特別魔装執行官。通称特装。魔法使い殺しを生業とする魔法省お抱えの殺し屋集団だとでも思ってください」
アルベール・リウーは淡々と答える。
「なんで、そんな連中が俺の命を……」
「さぁ?魔法省の真意は私にはわかりません。ただし、我々があなたを追う理由は単純です」
リウーは空いた手で懐に手を伸ばす。そして取り出したのは二枚の写真、血み泥に覆い被さる死体達、その首元にかけられた銀十字がくっきり映っている。そしてもう一枚は……
「爪を見せましたね……」
それは痛々しく遺体に刻まれた爪痕だった。リウーのその言葉にルゥは思わず身構える。リウーは教会の魔術師殺しの事件について探りを入れてきていた。彼の中で昨夜の騒動、そして今の寸劇でそれは確信へと変わったのだ。
路地裏に痛い程の沈黙が続く。互いが互いの間合いを探るように臨戦態勢を取る。しかし
「この位にしておきましょう……」
リウーは写真を懐に仕舞い、歪に変化させた剣を元の形状に戻して鞘に収める。
「俺を斬るんじゃなかったのか?」
ルゥは徐々に腕の変身を解きながらしかし、警戒を解かず尋ねる。
「貴方が本当にかの時間の犯人であれば、その選択肢もあったでしょうね。しかし、それも飽くまで選択肢です」
「俺は犯人ではないと?」
「理由は二つ、一つは状況証拠だけでは断定しかねるということ、つまり疑わしきは罰せずということです。そしてもう一つ、単純に貴方程度では銀十字複数人を殺害することなど不可能に近いと判断した為です」
リウーは続ける
「貴方は先程、自分の出自の旅にイゴールは関係ないと嘯きましたが、本当にそうでしょうか?薄々勘づいているはずです……」
リウーの言う通りだ。イゴールは恐らく、いや必ず俺の前に現れる。天災とも称される暴威の前に俺は何ができる?メルシェはどうする?守り切れるのか?それにこの先さっきの特装とかいう連中が再度襲ってこないとも限らない……いや、そもそもこの旅に同行させるのを止めれば……
「彼女はきっと貴方の提案を断固として拒むでしょうね」
まるで心を読んだのかと言わんばかりに、リウーはそう言う。
「どうして言い切れる……?」
ルゥは訝しげに尋ねる。
「あのお嬢さんはひどいお転婆ですからね、その癖一度決めたことは是が非でも貫く聞き分けのない頑固者です。全く誰に似たのやら……」
思い当たる節しかなかった……
「だからこそ聞きなさい、貴方に彼女を、彼女に貴方を託します。今はまだ狼男と少女合わせても半人前といった具合でしょう。しかし、二人いれば艱難辛苦の道にも僅かばかり、光の差す可能性は上がりましょう……」
リウーは今までになく真摯な口調でそう告げる。
「我々にはあなた方の旅を、行く末を遮ることは出来ません故、どうか、後悔のない旅を。またいずれ何処かの地で会いましょう」
リウーはそう告げると踵を返し、彼の元を去った。僅かに残った緊張の余韻にルゥは小さくため息を吐く。
「応援、されたんだよな……」
しかし、リウーが述べたことは全て、必ず近い未来直面する。それまでに自分の答えが見出せるか、ルゥは静かに路地裏の沈黙の中自らに問うのだった。
「あぁ、そうだ」
突如として立ち止まる。
「急いでキャバレーに戻ることをお勧めしますよ。彼女は見かけ通りの寂しがり屋ですから」
と振り返ることなく助言し、手を振りながら路地の奥へと消えて行ってしまう。ルゥは急いでキャバレーへの街路を駆けるのだった。
──
────
「彼を見てどう感じました?」
路地裏の暗路を行くリウーはおもむろに尋ねる。相手は相棒のクラリッサ・ミラーである。ミラーは音もなくリウーの隣にまるで瞬間移動したかのようにぬるりと現れる。
「どうというと?」
ミラーは素っ頓狂に尋ねる。
「私を侮らないで頂きたい。キャバレーの席でも、貴女はメルシェ嬢と戯れながらも彼を見ていました。どこまで見えました?」
「うーん、記憶については本当に混濁してるみたいなんだよね。覗こうとしたんだけど傷みのひどいフィルムみたいに途切れ途切れの記憶が順不同で流れてる感じ。気になったのはね、彼が記憶の中に出てきたんだよね」
「彼?」
「そう、ルゥ・ガルー自身が彼の眼前にいた」
ミラーは淡々とそう答える。
「そうですか、教会の銀十字殺害事件の当日は満月、人狼種の満月による夜暴走は飽くまで衝動的なものであり、本来の力を増強させることはないと伝わっていますが……」
リウーは歩みを止めて懐の写真を再び取り出す。
(ルゥ・ガルー……教会の想像以上に特殊な個体か……それに彼の出現とイゴールの脱獄の時期の合致、偶然で済ませるのは些か不自然か。兎角)
「先ずはなにより光王卿に伝えねばなりますまい……」
「そんなことよりもさ」と今度はミラーの方がリウーに投げかける。
「よかったの?さっきはあの人狼くんがイゴールに狙われてるとか、監視のついでに会いに来たみたいな口ぶりだったけど、逆でしょ?あの人狼君の方がおまけで、本懐は──」
彼女は澱みなく続けようとするが、突如、ミラーの言葉を遮るようにリウーは彼女の口元に人差し指を当て口を閉じさせる。
「今は皆まで言う必要はないでしょう。飽くまでも可能性でしかないのですから。そう、まだ今は……」
リウーはそう言い終えると、背中に携えた歪な剣の柄を僅かに見やる。まるで、もうじきそれを振るう機会が訪れることを予見するように。
人形の少女と怪物の青年の旅、世にも奇妙な二人組、たった二人の旅団の轍を意味ありげに辿る影、手繰る糸。
青年少女の意志とは関係なく、大人たちは彼らを庇護し、或いは害し、或いは弄び、或いは滅ぼすかもしれない。それらのアフェクトとエフェクトを受けてなお、ある彼彼女の生き様こそ、その紡錘を世界の意志と呼ぶのかもしれない。
登場キャラクターや用語が増えてきたので用語集をつくろうかな…