#0:墓師(1)
13 years ago──
「どうなってんだ、この街は……」
青年は煙草を口に含めながら呟く。人目の一切ない目抜き通りを呆然と眺めながら煙を吹かす。ガチャガチャと歩くたびに喧しい音を立てる青年は非凡な装いをしていた。まず目につくのは背中に担いだ身の丈に迫るほど巨大な棺。彼自身が然程背が高くはないとはいえ、大の大人一人はすっぽり納棺できる大きさのものである。古びた鎖で幾重にも縛られたそれは、青年が歩くたびにガチャリガチャリと音を立てている。青年自身は細身のドレスシャツの上にオーバーコトーを羽織っており、片手には皮大鞄を手にした黒髪の彼は髪色に相対した煙を吹かしながら思案する。
(報告と全然ちがうじゃねぇか、病人どころか街には人っ子一人いねぇ……)
処暑のち白露に傾く日々日和の候、秋晴れの空に浮かぶ雲、煙草の煙が縷々燻る。青年がこの街、川の国辺境、マルタイカに訪れたのには理由があった。一月ほど前からこの地域で疫病が大流行、救難信号が周囲の街々に送られた。幸い治療法の確立されているものと断定され、その治療に斥候として教会から二人のを派遣、一人は医療に秀でた術師、もう一人は彼女の護衛の武闘派の術師だったそうだ。彼女たちは状況を判断の後、必要な薬品の量、人員を具に報告するのが本来の流れだった。しかし
(彼女達から届いたのは報告書ではなく救難要請だった……)
疫病の大流行で街一つが壊滅的状況に陥っている可能性がある、その上先日派遣した魔術師からの連絡らそれ以降完全に途絶えたとだけしかわかっていない状況しかしこれは……
疫病大流行の惨状とは程遠い、気味が悪いほど閑静とした街。あまりに静かすぎる。青年は大通り沿いの民家の窓に張り付き、カーテンの隙間を覗きみる。側からみれば完全に不審者のそれであるが、この非現実的な状況の前ではあまりに瑣末なことである。しかして……
「なんだ、こりゃ……」
彼の目に飛び込んできたのはあまりにあっけらかんとした光景だった。陶器の人形、所謂ビスクドールと呼ばれるもの、それが生きた人間のように動いているのだ。椅子に座り本を読む少女型のドール、その向こうでは母親のつもりだろうか、成人女性型のドールが鍋をかき混ぜている。
ここも……ここも、この家もそうだ。まるで人形が人間のように生活している。否、生活しているつもりでいる。不意に人形の一人と目が合う。僅かに身構えるが人形はまるで何事もなかったかのように、自らの行動に還る。まるでそこにいた人間が人形にすり替わったような異様な光景、その不自然な不気味さに青年は首筋に汗を一筋浮かべる。
「まともじゃ無いな……」
青年は2本目の煙草に火を点け、煙を吹く。
(先遣の二人はこの状況を知って、なら彼女達はどこに?いやそもそもこの異質な状況が疫病の流行と繋がらない……)
青年は徐に駆け出す。そもそもこの街が救難信号を出した発端は疫病の流行、あまりに不自然な街の様子が誰かの仕組んだものだとして、診療所には疫病の痕跡が必ず残っている筈だ。診療所まで完全に疫病など露知らぬといった様子であれば、前提を改める必要がある。最初の救難信号そのものを訝しんだほうがいいだろうか。幸いにも然程大きな街ではない、故に診療所を探すのにも苦労はしなかった。というよりそこがそうであると付近に着く頃には察しがついていたからである。
鼻を突く腐臭、戸の壊された白壁の建物の中を一瞥し青年は絶句する。夥しい数の死体。その殆どが医療従事者のものである事が彼ら彼女らの服装から見て取れた。血溜まりに蛆が泳ぎ一歩踏み込む度に銀蝿が拒むように顔目掛けて飛んでくる。死体はその殆どが完全に腐敗しており、辛うじて人である事が認識できるほどに爛れていた。中には報告通りの疫病の痕跡の残るものも確認できた。しかし、その中で一人、腐敗の進んでいない遺体が目につく。
というよりはその遺体は腐乱した遺体たちの上に被さる形で倒れており、建物に入った時点で目に入ってはいた。遺体は女性のもので、手にはガントレット、スーツ姿に首には銅の十字架が鈍い輝きを放っていた。
「銅十字、連拳のヘレン……先遣された教会の魔術師の武闘派の方か……」
手袋をはめ遺体に触れる。完全に死後硬直も解けており死後1日半といったところだろうか。兎角目につくのは彼女の体の至る所にある刺し傷である。それはもう滅多刺しにされており、さぞ苦しみながら死んだ事が窺える。
(数年前に会った時は銀十字補佐で十字持ちですらなかったが、銅十字になっていたのか、教会指定では最下級とはいえ並以上の力量は持ち合わせていただろうに、一体誰が……)
振り返ると同時に頬を掠む刃をすり抜け青年は鋭い掌底を繰り出す。音もなく擦り寄っていたそれは街で人を演じていた人形のうちの一体だろうか、その手には刃物が握られていた。掌底は人形の胴体に深くめり込み、バキバキと鈍い断裂音を立てる。
──捻掌、一重!
青年は更に強く踏みなると、掌から魔力の衝撃波が続けて撃ち放たれ、人形は粉々に粉砕される。
「──そういうことか……」
青年は納得した様子でヘレンの亡骸から徐にガントレットを取り外す。取り外していると、彼女の手のひらに握られた紙切れを見つける。紙切れには
─4-12-1.Canal─
番地だろうか、血の滲んだ紙切れを青年は自分のポケットに収める
「少し借りる、借りは返してやるからな」
ヘレンのガントレットを自分の腕に装着すると彼女にそう告げゆっくり踵を返す。背後には人形が四体、各々が包丁やフライパン、鉄棒などで武装しており狭い入り口で犇いていた。
「聞け、魂よ。理を紐解くことはお前には叶わない。死すれば理の先を臨むことは叶うだろうか」
青年は床に置いていたトランクを小突くように蹴ると、トランクは一人でに開く。中からソードオフの散弾銃と手のひらサイズの薬瓶が2本飛び出す。
「せめては酒と盃でこの世に楽土を啓こう」
青年は薬瓶の蓋を開けるとそれを腐乱した死体群に浴びせかける。人形は関係ないと言わんばかりに襲いかかる。
青年は煙草を口から溢すと、狭い室内で青年は人形達の攻撃を一体、二体、三体と難なくかわす。出口付近にいた四体目の背をとり、躊躇う事なく、その頭にスラッグ弾を撃ち込む。弾丸は人形の頭を粉々に砕き飛ば、その向こうにいたもう一体の人形の胴にも大穴を開ける。
「死して君が楽土に逝ける保証などないのだから──」
青年の落とした煙草が薬品に浸された死体に触れる。
──灼かたれ、荼毘!
青年が唱えると、煙草の火は火から炎、炎から焱にみるみる昇華し、小さな診療所を一瞬にして火の海に変えてしまう。
青年が周囲を見渡すと、次から次へと人形がのろりのろりと現れる。それぞれが武装しており子供型の人形すら刃物を握っていた。
「悪いが……」
青年は間髪入れずダガー数本投げ、それは人形達に命中する。しかし、人形はまるで何事もないかの様に歩みを止めない。しかし
「全部を相手取る時間はない」
ダガーにくくりつけられていた擲弾が火を吹き、けたたましい音を立て爆破する。
青年はその黒煙に乗じて屋根上に登ると、懐に忍ばせていた二枚の紙切れを取り出す。一枚は未晒の紙の封筒であり、中に入っている便箋に速筆で報告を綴り終えると青年はその便箋を封筒に収める。そしてそれをくしゃくしゃに握り潰す。すると、潰れたはずの封筒は無数の伝書鳩になり、そのまま空高く飛んでいった。後は……
青年はもう一枚、草臥れた紙切れはヘレンの持っていた番地の記された紙切れだった。青年は屋根伝いに街を飛び回り、カネルなる建物を探す。しかし、探し回りはじめて間もなく人形達が屋根の上まで登ってき出す。
「─っち、流石に鬱陶しいな……」
青年は正面に立ちはだかる人形に先のスラッグ弾を撃ち込み、吹き飛ばす。不意に路地裏に目をやるとそのには『Canal』の文字が、はっきりと目に映った。青年はすかさず路地裏に飛び降り、追って降りてきた人形達を間髪入れず短刀と散弾銃で破壊し、そしてその看板の前に立つ。辺りに人の気配はない。しかし、扉に手をかけるや否や、バチン!とまるで強い静電気が迸るような衝撃に襲われる。
「結界か……」
青年は少し驚いたような表情を浮かべるがすぐに、臆することなく再び扉のドアノブに手を添える。
──崩れよ
青年の囁き一つで、扉を閉ざしていた結界は安易に崩れ去る。青年がドアノブをゆっくり降ろし引こうとした刹那、扉は一人でに開かれた。そして扉の向こう、暗闇の中から突如飛んできたのは鈍い刃の一閃。青年はその刃物をいなすと、それは小柄な女性だった。長い金髪を結った若い女性で、そのナイフを握った手は震えている。それだけではない、その目には恐怖の色が浮かび表情も焦燥している。
「落ち着け、教会だ」
青年の言葉を聞いて、女性は焦燥からあっけらかんとした表情に変わり、そのまま意識を失ってしまった。
「っておい……⁉︎」
青年が女性を抱き抱えると、彼女が飛び出してきた扉の中の暗闇を一瞥する。
「できれば手を貸して欲しいんだが……」
その言葉を聞いて、おどおどと躊躇いを見せながらも、二つの小さな人影が仄暗い通路の中から顔を出す。それは少年少女の二人組で、見た目でいえば少女の方が歳上に感じた。
「お前達は、この街の人間か?」
青年の質問に二人は辿々しく頷く。
「お兄さんはいい人……?」
少女は訝しげに尋ねる。その目は青年の手に持った散弾銃と背中の棺桶に向けられている。
「そういう曖昧な質問はよしてくれ。俺は教会の要請で来た旅の魔法使いだ」
青年の言葉に少年少女は顔を見合わせる。
「なに、そう訝しむな。お前達を助けに来たんだ。それよりも……」
青年は周囲を一瞥し
「人形どもに見つかる前に中にこのお嬢さんを抱えて入りたいんだが?」
僅な沈黙の後、少女が頷き中に案内するような所作をとる。青年は気を失った女性を抱えて背中に担いだ棺桶を上にぶつけないように慎重に扉を潜る。少年は青年が持てなくなったトランクを抱えてその後を追い、最後に扉を閉める。そして路地裏にはなお閑散のみがのこるのだった。




