深層の真相(1)
雨、かつて止まない雨はないと口上高らかに賢者は謳った。しかしどうだ?見上げる空は常に曇天に小雨の様相。雨の国コンクリートの都市群が水蝕され、人の尋ねなくなった墓跡の様に草臥れる様は宛ら文明の限界を人間に知らしめているようにすら思えた。
「レデ隊長、これを」
底なしの奈落に沈みかけた廃都に似つかわしくない、軽量なプレートアーマーで武装した人影が三つ。そのうちの一人、細長いフラスコの様な鉄兜を被った男は、何かを発見したのか、地面にかがみ込んでそれを凝視する。
「なになに?標的のフンでも発見した?」
三人のうちで最も軽装のレデと呼ばれた女性は男にそう尋ねる。
「いえ、糞ではありませんが……」
男が一瞥する先に目を向けるとそこには、雨によって消えかかった二つの足跡。成人男性大の足跡と
「子供の足跡……」
レデの横に佇んでいた大槌を携えた男性が訝しげに声を上げた。
「確かリスタの難民は8年前の作戦で鏖殺されたと聞いていますが……」
フラスコの兜の男も不可解な面持ちで今にも消えてしまいそうな足跡を睥睨する。
「もう8年経っている。あの後に移住してきた移民や難民の可能性だってある」
「それを考慮すれば、この成人男性サイズの足跡が標的のものでない可能性の方が……」
フランス兜の男と大槌の男の二人がぶつぶつと詮ない論駁を繰り広げている間、レダはただ消えゆく足跡を眺めていた。それは彼女たちが追っている標的のものではなく、その横に小さく刻まれた子供の方だった。
「どっちでもいいんじゃない?仮に標的以外だったとしても、今度はその人に尋ねればいいんだから、我々のやり方でね」
彼女はそういうと、曇天に似合わぬほど不敵な笑みを浮かべる。二人の男たちは僅かにたじろいだ。その笑みが彼女の悪い癖が出る前の前兆だと知っているからだ。
「隊長、今すごい顔してますよ」
フラスコ兜の男の言葉にレダは口元を綻ばせ
「カルフ、メンツェル。それじゃあ征こうか……」
彼女はこれから征服すべき壮観な都市の卒都婆を見やり、そう溢すのだった。
──
────
リスタにはもう久しく日の光が届かない。だからか、ここに住む彼らは地下に洗い物を干す。リスタの地下には巨大な区画が存在し、谷の様に構えるその深淵はこの国に根差したかの大穴の様に底がない。
かつては地下都市として、或いは排水排熱施設していたのであろう仰々しい機械設備の櫛比するその空間に場違いな物干し竿が並び、竿に干された衣類が地下施設の巨大な谷風に煽られて揺れている。
不意に強い風が吹き抜け、一枚のタオルケットが攫われた。それを追いかけて少女が狭い通路を走っている。タオルケットが鉄柵の向こうに飛んでいってしまい、少女もそれを追って鉄柵の向こう、奈落に向けて手を伸ばす。すると、鉄柵が鈍い音を立てて突然歪み、少女はそのまま体勢を崩してしまう。
「危ない!」
間一髪、少女の手を取ったのは金髪碧眼の女性だった。彼女は鉄柵を掴んだままその細い腕で少女をしっかりと抱えていた。深い地下の底に落ちていくタオルケットを見送りながら少女は安全な通路に徐々に引き上げられていく。
「言ったでしょ、鉄橋通路では絶対走らないって」
女性は少女の手を強く引いて窘める。
「ごめんなさい、お母さん……でも、タオルが……」
少女は今にも泣きそうな声でそう辿々しく答える。
「タオルなんてまた買ってくればいいんだから。とにかく無事でよかった……」
女性は安堵の表情で少女の頭を何度も何度もやさしく撫で回す。少女もされるがままに嬉しそうに頭を差し出す。
「さぁ、上に戻ろう。お兄ちゃんたちが何か持って帰っているかもしれない」
そう言って彼女は少女の手を取ると、入り組んだ通路の闇の中に少女と共に消えていくのだった。
──
────
時を同じくして、地上では二人の青年が雨の廃都を練り歩いていた。雨除けの外套を纏った二人は何かを探しているように辺りを見渡している。すると、一人が何かを見つけたらしく急に駆け出す。
「あった!ルゥさんこれだよ!」
青年の一人が手を振りながら声を上げた。それを聞いてもう一人の青年、ルゥは声を上げた青年の方に駆け寄る。
「ベレット、どうした?」
「ほら見て、古い装飾品。削れても鍍金みたいに剥がれてないし多分貴金属で出来た高価なやつだよ」
「そうなのか?」
青年ベレットの説明にルゥは訝しげにそう尋ねる。
「この辺は神代の、塔の国の都市の一部がまだ残ってるんだ。だからこの辺の瓦礫の下にはまだまだ貴重な品が眠ってるかもしれないって母さんが言ってた」
「ペトラが?」
ルゥの言葉にベレットは快く頷いた。
「こうして見つけた装飾品や貴重品を母さんがカルダンの闇市で売ってそれを僕らの生活費に充ててくれてるんだ。母さんの闇医者稼業だけじゃ十人以上いる弟妹たちの生活費は賄えない。
ベレットは周囲の瓦礫の山を一瞥して続ける。ベレット達弟妹はこの雨の国リスタでペトラに拾われた孤児だ。弟妹と呼んではいるが、誰一人として血の繋がりはないらしい。
「本当は子供には危ないからって母さんはやらせたがらなかったんだけど、僕たちが無理言ってやらせてもらってるんだ」
ベレットは今年16になる。彼ら弟妹は8年前、魔法省の特装にリスタの住民が皆殺しされた事件に遭遇しており、その事件の日彼らを魔法省の人間の魔の手から守ってくれたのがペトラだったのだという。彼女はベレット達を地下区画の中枢、つまり今ベレット達が根城にしている拠点に匿い、その入り口を精巧に隠匿したことで魔法省の魔法使い達を出し抜いたのだとベレットは鼻高々に語ってくれた。
「母さんは僕達の命の恩人だ。僕たちの親はみんな魔法省の連中に殺されてしまった。そんな僕らに生きる術を教えて、生きる場所を与えてくれた。だから、僕らは早く大きなりたいんだ。早く大きくなって母さんに恩返ししたい!」
だから、今は少しでも家計の足しになればとこうしてトレジャーハンター紛いのことをやっているのだと、ベレットは話した。
「とは言っても、僕らの力だけで退かせれる瓦礫なんてたかが知れてるし、もうこの辺りもだいぶ探し尽くしたし、あんまり高望みはできないんだけどさ……」
「ベレット、この下とかどうだ?」
ベレットが振り向くと、彼が何処か悔しそうにそう呟くのを余所に、ルゥは身の丈ほどもあるコンクリートの瓦礫を両腕で持ち上げていたのだ。ベレットは目を丸くし
「……⁉︎ルゥさん凄い!それ魔法?」
「まぁ、そんなところかな……」
羨望にも似た眼差しで駆け寄り尋ねてくるベレットにルゥはバツが悪そうにそう答えた。実のところ彼自身、自分の肉体の強度や怪力の説明ができない。自分が何者なのかわかっていないのだから当然といえば当然だが……
「あっ!ここにも似た様な装飾のネックレスが!」
((体力は大分回復した。イゴールに殺されかけたあの日から2週間、メルシェは無事だろうか……))
目の前の装飾品に夢中のベレットの声がルゥの耳には譫言ほどにしか届いてはいなかった。
((イゴールは未だに俺を追っているのだろうか……))
ルゥはあの時のことを思い出して、考えてしまう。もう一度奴と向き合った時、果たして俺は奴に勝てる……いや、そもそも奴に立ち向かうことができるのだろうか、あの絶対的な暴威に……
ルゥは徐に空を見上げた。空は今日も昨日と変わらず曇天。もう久しく太陽を拝んでいない。それ程ここに長居したということだ。もし、イゴールが俺の居場所を察知したら、奴はここに現れ、ベレットやペトラ達ごと俺を……
そう考えるとルゥは途端に恐ろしくなった。俺は今すぐにでもここから離れた方がいいのではないか、そうとすら思えた。いや、ここから離れようとは何度も思った。しかし、そのたびに「身体が完治するまで」と言ってくれるペトラやベレット達の厚意に甘えていたのだ。
「身体は十分回復した。そろそろ潮時かもしれないな……」
ルゥが一人そう口ずさんだ刹那、彼の鼻腔を刺激臭が通過する。戦地跡、或いは女衒の行き交う路地裏。凡そ平穏とは程遠い場所で幾度となく嗅いだことのある不快な臭い、間違いない。これは……
((腐臭……))
思わずルゥは身構える。臭いがキツくなる。近い、腐臭の原因がすぐ近くに……ルゥはベレットにペトラの所に戻る様に言おうと彼の方を見やる。
その時だった。突然、ベレットの真横にあったコンクリートの壁がけたたましい音を立てて崩れ去る。ズン、ズンと重く粘滑らかな足音を響かせてそれは現れた。砂埃と腐臭を撒き散らすそれは、巨大な獣だった。
いや、正確には獣と呼べるのはその体格だけで、その体躯は様々な生き物の肉体を継ぎ接ぎにして無理矢理獣の形に留めているというのが正しいのかもしれない。その歪な体躯にはこれまた取ってつけたように首が二つ垂れている。
「ベレット!」
ルゥは瞬時に手足を変化させると、その勢いのままに、歪な獣に鋭い蹴りを入れる。獣の皮膚が裂け腐った血液を撒き散らしながら獣は形容し難い悲鳴をあげる。ルゥは砂埃の中、倒れたベレットを抱えると、即座に獣と距離を取る。
「ベレット、立てるか?」
ルゥの問いにベレットは震えながら頷く。
「あ、あんなのこの国で見たことない……あれは一体……」
ベレットは声を震わし辿々しく言葉を振り絞る。その端々には恐怖の色が滲み出ていた。
「わからない。ただ一つわかることは……」
ルゥはベレットの前に立ち獣に向かい構える。
((目的は恐らく俺……!))
ルゥは僅かに呼吸を置き、そして再び獣に向かっていく。歪な巨軀ではあるものの、その実こいつ自体は大して強くない。ルゥは先程一撃を浴びせてそう確信していた。だからこそ、強気に攻める。
獣の皮膚に張り付いた爪、或いは歯だったであろうものがルゥの頬を掠める。しかし、ルゥは臆することなく、獣の懐に入り込み鋭い足刀を打ち込む。獣はどす黒く淀んだ血液を吐血し、のたうつ。ルゥは体勢を崩した獣にもう一撃、先程の体勢から繋げて回し蹴りを打ち込んだ。それがトドメとなったのか、獣は何度か痙攣を繰り返すと、完全に沈黙する。
「倒した……の?」
物陰に隠れていたベレットはおずおずと頭を出して獣が起き上がってこないかと、心配しているようだった。
「恐らく、もう死んでいる」
ルゥはそう答えた。しかし、この獣は一体……イゴールの差金か……?兎角、一難去ったとはいえ、ここが安全とは言い難い。
「ベレット、ペトラの元に戻ろう」
ルゥがそう声をかけた瞬間、再び異臭が鼻につく。それは先程の獣が撒き散らしていた腐臭とは違う、ツンと鼻につくが何処か薬品的な……だが、その臭いの正体よりも先に発覚したこと、それはその臭いの主が気色の悪い魔力を撒き散らしながらルゥ達に近づいていること。周囲に立ち込める腐臭の中でこの臭いに気づけたのもこの気味の悪い魔力と随伴して届いたからだと、ルゥは気づいた。
「何が来る、ベレット急い──「見つけたぁ」
ルゥは本当的に察知していた。この声の主が、この異臭と、気味の悪い魔力の原因であると……ルゥは声の方を振り向くと、そこには三人の人影。
「ほら、双頭の腐狗なら簡単に見つかっただろう?」
彼らはルゥを睥睨して何やら話し合っている。
「本物ですか?」
「本人に聞けばわかるでしょ」
そう言って三人のうち、真ん中の女性がルゥを指さして
「君、人狼だよね」
そう尋ねた。
「だったらどうした、あんたら何者だ……」
ルゥは警戒しつつそう尋ねる。ベレットは彼の背後に隠れている。
「私たちは魔法省第四課、特別魔装執行官。通称特装」
彼女は、首元に三日月の紋章の入ったエンブレムを掲げて臆面もなくそう答えるのだった。




