19話:幕間の語り部
久々にメルシェちゃんが登場します…
身体に力が入らない……
震えが止まらない……人形なのに……
寒い……
嗚呼そうか、これが……
……痛み。
吹雪の中、揺蕩う少女の意識が記憶を遡行する。なんで私はこんな所にいるんだっけ……?
……、…………。
そうだ、私達はイゴールの襲撃にあって……それで私はヘミングさんに助けられて…………
ヘミングの死に対する自責の念で押し潰されそうだった。こんな時、泣けるのなら、どれだけ楽なのだろう。けれどもこの琺瑯の双眸から涙が流れることはない。決して……
「ルゥさん……は……何処に……探さな……きゃ……」
先の戦闘での負傷で両手を失いまともに稼働しない体を腹這いで進む。しかし雪上の匍匐は非常に辛く両腕の無い彼女は顎を使って這うことしか出来なかった。
ルゥが生命力の高い狼男とは言え、瀕死の彼にこの環境は……メルシェは前方に大きな洞があるのを発見する。もし彼の意識が戻っているのなら吹雪を凌ぐ為にあの洞に潜んでいるかも知れない。というよりも今の彼女の行動力ではこの吹雪の中、彼を探すのは不可。あの中に彼がいることを祈るのみだった。
洞に近づくにつれ、メルシェは妙な胸騒ぎを覚える。まるで何かに手招きをされているような、そんな気さえした。間違いなくこの奥で誰か私を呼んでいる。メルシェは洞の中に這入る。洞の中は降りの階段になっておりそれに気づかなかったメルシェはそのまま石畳を転がり落ちる。
「……痛……くはないんだけど……」
メルシェは埃とカビを纏った体躯をゆっくり起こし辺りを一瞥する。中は小さな石室になっており、中央に小さな玉座。それを見てメルシェは言葉を失う。玉座には男が、男だったものが、座っていたのだ。皺まみれで萎んだ体躯は玉座に鎖と杭で打ち付けられており、胸には錆びついた剣が突き立ててある。
メルシェはゆっくりと這いながら玉座に近づく。
『叛逆せし者フゲイレ』
玉座にはそう刻まれていた。
「あぁ、こんな日が来ると……いつか来るのではないかと思っていたよ。」
玉座に伏した干からびた男が口を開く。
「ふぁ⁉︎」
予想外のことにメルシェは思わず頓狂な声を上げる。
「ハハ……驚かせてしまったかな、これは失敬。」
男は頭を下げ謝罪する。干からびたか細い首は今にも千切れてしまいそうだった。
「あなたは一体……それにどうしてこんな場所に……」
メルシェは辿々しく尋ねる。
「叛逆者だからね。私は世界に歯向かわなければならなかった。だが私はその使命から逃げた。その報いを自ずで課しているのさ。こうして朽ちるのを待つ私の元に君が、死の代理人が訪ねてくれた。これは僥倖としか形容し難いよ。」
「死の代理人……私が……?それに叛逆者って一体……」
「おや、もしかして君は知らないのかい?なるほどそれはそれで納得がいく。なら教えてあげてもいい。ただしこれはこの世界の理の片鱗にして不条理の檻だ。知るか否かはの判断は君に委ねよう。」
「教えてください。」
メルシェは二つ返事で答える。これでようやく自分が何者なのか知ることができる。師匠が、先生がひた隠しにしていた真実をようやく掴むことができる。
「……そうかい、君は強いのだね。」
男は小さく呟くと一呼吸置いて続ける。
「まずは自己紹介だ、私の名はフゲイレ。かつて覇王フゲイレの名で荒剣隊を率いた淵の国の王さ、そして叛逆者だ」
「淵の国、昔話で聞いたことがあります。かつて、神々がこの大地に跳梁跋扈していた時代、黄昏の国や煉の国同様、神に抗い神々によって滅ぼされた国だと……」
「その通りだ、我々は挑みそして滅んだ。その結末に寸分の狂いもない。だが、それだけではない。」
フゲイレは徐々に瞳に熱を取り戻し、続ける。
「物語に起承転結があるように、どんな顛末にもその幕間がある。何故、我々が滅んだが、そも何故、我々が神に挑んだか……」
「教えてください」
メルシェは間髪いれずそう告げる。
「あぁ、そうするとしよう。先、君が言ったようにかつてこの地上には神々が存在した。それは理の管理者、或いは代理人。文字通り、我々より高次の存在だった。人々は神を畏れ、崇まい、そして憎んだ。無量の天恵、指を振るえば地が揺れ海が叫ぶ。そんな規格外な力を持つそれらに、かつての人間は言いなりになる他なかった。神の、傲慢の時代さ。」
「傲慢の時代……」
「ある神は国で最も美しい娘を贄に差し出せ、ある神はこの世で最も貴き宝珠を寄越せと、もし出来なくば……ここからどの神も同じさ。なんなり人にとってかけがえのないものを無条件に奪うのだ。そして幾たびも悲劇か起こりそして重なっていった。無論、そして幾度となくそれに刃向かう者は現れた。そしてそれは語り継がれていない。理由はわかるだろう?そういうことさ……」
「しかし、ある時。一人の人間が、たった一人で神々に宣戦布告の鬨を上げた。やがて神喰らいと畏れられるその男は地上に蔓延る神々を総て喰らい尽くさんという勢いで暴れ回った。そんな中、彼に乗じ神々に抗おうとする勢力が世界中に現れた」
「その中にあなたも……」
「そう、淵の国は小さな渓谷に並ぶ塔楼の国。国は貧弱だが、それでも他国を退くだけの兵力は有していた、それが荒剣隊」
フゲイレは懐かしむように目を潤ませ続ける。
「彼らの最たる特徴はその兜、薄鉄のその兜は歪な長さをしていた。それは淵の国に聳える塔楼を表していたんだ。それして彼らを率いた私は当時の叛逆者だった」
「叛逆者……」
「想像してごらん、この世界は一つの舞台だ。そしてかつての神々は無論正義の味方、舞台の主役だ。しかし、正義があるためには必然的に悪が必要になる。それが叛逆者だ。
叛逆者にはある程度の力を与えられる。それは神程とは言わないが人外たらしめるほどの力だ。悪役が弱すぎては正義の味方もかたなしだからね。
そして叛逆者はそう定められたその時より世界の敵となる。差し詰め世界の癌とでも言えばいいか」
「そんな……誰がそんなことを決めたんですか……」
「創造主さ」
フゲイレはそう弱々しく吐き捨てる。
「私は創造主に与えられた、人ならざる覇者の力を……それを以って私は、我々は蜂起した。神の傲慢を打ち破る為、人の時代の為。しかし、所詮は神に迫る力、私がいくらそれを手に入れたとして、本来の神々の力に届くはずもなく、あまりにも脆く、呆気なく我々は敗れた。荒剣隊は全滅。辛うじて逃げ延びた、逃げ延びてしまった……」
「我々が打ち破れ間も無く、開闢の叛逆者である彼がたった一人の行軍を繰り返し神々を追い詰めていく。そして神々は一致集結し、その叛逆者を迎え撃つ。今の風の邦のあたりかな……兎角、彼と神々は三日三晩戦い続けた。そして神々は敗れた」
「ちょ、ちょっと待ってください……!」
すかさずメルシェは口を挟む。
「叛逆者は神には勝てないのではないのですか……?創造主がそう作ったように、あなたがそうであったように……」
メルシェは辿々しく尋ねる。
「そう、そうだとも。我々叛逆者は神には勝てない。だが不規則はいつだって存在する。たった一人、神を喰らいその力を取り込むことで神と同等の力を手に入れた叛逆者、神喰らいと呼ばれた彼……」
「しかし、神の敗因は彼の存在だけではない。神々の軍勢に加わらなかった神も数多存在した。それらはもとより人との繋がりが強い神、信仰を糧にする神、または理に限りなく近い神。その中にいたのさ、恐らくはその神喰らいを唯一葬るほどの力を持った神が彼の名はヘルメス死の神……」
フゲイレは枯れた梢のような指をゆっくりと運ぶ。
「墓師の少女、君のことさ……」
「わたし……?」
「死の神ヘルメス、それが君の中にある君の本質。恐らくは君を君たらしめるもの。これが君ついての全てだ」
メルシェは言葉を失った。彼女の師ヤタは心のない生きた人形であった彼女に「心」を与えたと云う伝聞、恐らくはそれがその、それ、彼のいう「死の神の何かしら」ということである。それが私の本質……
己が意識の外にもう一つの自我が混在する。心の中で聞き覚えのある旋律が響く。鍵盤をうつ指がテンポを上げる。彼女の拍動も自ずと早まる。
「ヘルメス……、私が……?違います……だって私はメルシェ……メルシェ=エルゴ=アポストル……」
メルシェは何度も自分の中で己の名を繰り返す。そんな彼女を他所に思考の最中ジグジクと口ずさむ声は彼女のそれではなかった。そう、確かに初めから気づいていた。そこに扉はあったのだ。私を私たらしめるものの他に、もう一つ。恐らくは、この体にそれが入った時に別たれた、若しくは……
ともあれ、メルシェは自我を持ったその瞬間から今に至るまで自身の中にもう一つ、曖昧な、しかし確かにもう一つの何かがある事、誰かがいることを確信していた。しかしそれを何と呼べばよいか、はたまたそれが本来異常か正常か人形の彼女にはわからなかった。それを心と呼ぶとして、彼女は自分の心の在り方に心当たりが無いのだ。
「それ故に使者か……君の師も皮肉な名を与えたものだ……」
フゲイレは哀れむような口調で告げる。
「私は……」
メルシェは力なくへたれ込む。その目は、琺瑯の双眸に光は差さない。
一つの身体に複数の意思を持つ、それは混在する私そのものを私と呼べばいいのか、それとも……
それを確かめる術ならある。彼に、ヘルメスに尋ねるのだ。しかしその扉のノブは彼女にとってあまりに重く歪に感じた。扉の向こうから聞こえてくる死の舞踏の旋律が嫌に重苦しく、鬱屈を帯び彼女の思考を遮る。
「あ……あぁ……」
メルシェの思考は無規律に掻き乱され、その目は正常のそれではなかった。
「私は、一体……私の意思は、心は……」
「まるでテセウスの舟だ」
それは扉の向こうから響いた声だった。
「君を君たらしめるものが一体何なのか、もし仮に君がそれとの主導権が入れ替わった時、君が君であれるのか……怖いのだろう?」
それは徐々に扉の元へ近づいてくるように感じた。そして恐らくドアの目の前に立ち止まりドアノブに手をかける。
「生とは常に二律背反、存在証明と自己の否定は常に一重、言葉をいくら並べたとて身一つでそれは浮き草の夢、昼間に臨む幻月が如し」
そんな声を彼女は呆然と聞いていた。
「その弱々しい炎を、途絶えそうな心を見ればわかるさ。さぞ疲れたのだろう、休みたいのだろう?けれど今膝をついてはダメだ、その灯火は消していけない。苦難の雨風に晒されていたとしてもそれだけは守らなきゃダメだ。決して、決してだ。その灯火は魂、君が本当に君でありたいなら、それだけは消しちゃダメだ」
ふとメルシェの胸元に仄かな火が浮かぶ。それに気付いたメルシェの瞳に僅かな灯りが映る。
「幾許かの猶予だ、次に会うときは君の方から扉を開けてくれることを祈るよ」
その声を聞いた途端、彼女はその灯火の温もりに微睡むように深い眠りに落ちていくのだった。
ーー
「問おう、死を望む者よ」
それはメルシェの口から発せられていた。しかし彼女のものではないその声はフゲイレに尋ねていた。
「汝は何故に死を望む?」
その瞳はやはり虚ろ、メルシェは何かに取り憑かれたように呟く。フゲイレはそんな彼女を見ると納得したように目を瞑る。
「逃げる為。かつて私は使命から逃れた、神に挑み神に滅ぼされる使命……しかし私はそれから逃げた。仲間たちの尸を踏み越えるのではなくただ逃げた。逃げた先で己の軟弱さを呪いここに無限の痛みを、この身の終わりまでと自らに杭と魔剣を突き立て朽ちるのを待っていた。しかし……」
フゲイレは悔恨の涙で乾涸びた頰を濡らす。
「もう、死を待つのも疲れた。その痛みからも逃げたいのだ、私は……愚かだと思うだろう……?私もだよ……」
彼の話を静かに聞いていたメルシェ……ではない何かはフゲイレに歩み寄る。
「承諾した」
刹那、彼女の無い両腕の代わりに黒い魔力が腕を象り生える。禍々しい形相のそれを彼女は微塵の躊躇いもなく彼の胸元に突き立てる。
「あぁ……痛みが……消えてゆく……」
「汝が旅の終わり、確かに見届けた……」
「待たせたな……同胞達よ、今逝く……」
フゲイレは優しげにそう呟くと手を組みそして静かに事切れる。やがて完全ながらんどう、乾涸びた体躯からは血も滴らぬ。それでも彼女の頰は微かに湿りを帯びていた。メルシェは彼の胸元から腕を引き抜く。
「意思か……」
「意思とは無限の世界に往来する反旗、抵抗にこそ宿るもの。それが世界に抗う反逆者と呼ばれるものたちであれ、己が何者であるかを探求する化け物達であれ……」
メルシェは、いや彼女に宿るそれは彼女の言葉を反芻しそう呟く。
「ともあれ、やがて陽の光も失い、運命は君を駆り立てるだろう。だからこそ君は立ち向かわなければならない。そうだろう?ヤタ……君が信じたんだ、僕も信じるさ……」
この世は舞台、人は役者。かの歌劇にはそうある。なれば神は、それを繰るものはなんぞや……
【墓師】
墓を背負い旅をする者。戦地、被災地を巡り斃死者を弔い葬送する者たち。メルシェや、その師ヤタがそれである。分派は存在せず一代に一人という決まりがありその起源や由来は不明だが代々の墓師は皆々「死の神の朋輩であり、枷であった」という。




