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FREEKS  作者: 空原 梨代
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2話:邂逅と決闘

 蒼穹(そうきゅう)は映え、空高く馬肥ゆるとは正にといった錦秋(きんしゅう)の候。人混み賑わう大きな街の街道を、少女は歩いていた。男物のオーバーコート、軍刀を腰に携え背中に十字架を背負った少女メルシェ。彼女は今、水の国(ミウル)、港湾都市レイアに訪れていた。ターナーの、いや、作家(フィリップ)ではなく画家(ウィリアム)ほうが描く港を彷彿とさせるそれは天上に頂く日光が白日の名の下に町と海を照らし尽くし、少女を含む尽くが黄金色に輝き、街は収穫期とさらに建国祭の時期と重なった言うのもあり活気に溢れて、市場は色取り取りの食材や衣類の雑貨、波止場の沖仲仕(おきなかせ)の雑多雑踏で溢れていた。


「久しぶりにこんな賑やかな街に来たなぁ……」


 メルシェはどこか楽しそうにそう呟くと、旅の疲れを癒すべく何か軽い食事をとろうと財布を開くが……


「…………」


 財布の中はたったの6公用幣(モンク)。早い話、路銀が尽きたのだ……

 まずいことになった。何とかしてお金を稼がなければ、元々旅先で手に入れた珍しいものを売ったり、教会の仕事をして路銀を稼いでいたが、このところ寒い地方にずっといた為、それらしいものをなにも持っていない。教会(・・)の仕事はすぐに終わるものを探すのは難しいだろう、日銭を稼ぐのには向かない。賭博(カジノ)は、未成年だと追い払われるのが目に見えている……はて、どうしたものか……

 途方に暮れているメルシェ、ふと街の向こうに目をやると、なにやら巨大な建物。近づいてみると、それは巨大な円形の建物だった。

 豪華絢爛、煌びやかな装飾と、それに不釣り合いなほど荘厳な出立ちのそれは明らかに他の建物とは異質のものだった。


「これは……お城……?」


 メルシェが首を傾げそう呟くと


「ははは、違う違う、これは決闘祭に使われる闘技場、円形闘技場(コロシアム)さ」


 隣で聞いていた男性がそう教えてくれた。


「決闘祭?」


 メルシェが首を傾げて尋ねる。すると男はさらに


「決闘祭っていうのは、毎年建国祭と並行して開催されるもう一つの祭りで、この季節になると各国から著名な格闘家や、腕自慢の選手達がこの国に集まってその辣腕を振るう全4日の祭典さ。優勝賞金は600万モンク。性別出自前歴不問、外から来た選手には滞在中の食費や、宿代が負担されるんだ、至れり尽くせりって感じだろ?」


 と付け加える。男性の話を聞いてメルシェの目の色が変わる。


「それって、いつ始まるんですか?」


「ん?大会か?大会の開始は明日、エントリーは今日の午後5時までだった気が……」


「参加します……」


「誰が……?」


「私がです」


 メルシェは自分を指差し満面の笑みで答えるのだった。


 ──

 ────


「え〜っと……貴女(アナタ)が参加するのかなぁ……?」


 受付の女性は若干困惑した様子でメルシェに尋ねる。


「はい、お金がないので」


 メルシェはそう即答し、空虚な音を奏でる財布を振ってみせる。


「思い切ったわねぇ、参加証の費用も結構するのに……」


「え……参加、証???」


 メルシェは目を丸くしてあっけらかんと尋ねる。


「あら聞いてないの?この決闘祭には参加証が必要なのよ。宿も食事もタダと言えば聞こえはいいけど実質この参加証代がそれを担ってるようなものだし……」


 朗らかな受付の女性の表情と対照的にメルシェの表情が徐々に強張っていく。


「因みにおいくらですか……?」


「4万公用弊(モンク)


 えもいえぬ表情を浮かべ、背中に背負った十字架がそのまま屹立してしまいそうなほど立ち尽くすメルシェに受付の彼女はただ瞠目し十字を切り祈ることしかできなかったのだった。


 ──

 ────


「受付は確か午後5時まででしたね!今、3時過ぎ……5時までに絶対4万公用弊集めて来ますから!!」


 受付の彼女にそう啖呵を切ったのはいいものの、果たしてどうしたものかな。路銀を稼ぐためのお金を稼がねばならないとは、世の中とはかくもままならないものか……行き当たりばったりが基本なメルシェにしては珍しく苦悩していた。

 とはいえ、人の本質はそう易々と変わるものであるずもなく、メルシェは立ち止まって考えに耽り込むことより、歩きながら考えることを選んだようで、決闘祭の余熱に満たされた大通りを、バザーの櫛比する目抜き通りを不規則な石畳の中、同じ色の石だけを飛びながら彼女は舞う様に歩いた。石造のコンコースは軽快なタップを鳴らしてブーツの足取りを彩っていく。

 見よや!これなるは葬儀屋の舞踏と言わんばかりに、十字架を背負った彼女の足取りは宛ら奇人にも似ていたのやもしれない。しかし今更といった具合に、彼女は一切気にする様子はない。ほぼほぼ一文なし、だが誰が言ったかオブ・ラディ・オブ・ラダ。虚しい財布の中身より賑やかな大通りにこそ人生の本質があるのでは無いだろうか。そう意気込んで彼女の足取りはなお一層軽くなった気がした。色鮮やかな雑貨の数々、馥郁を立ち上げる、見ただけで美味だと理解ってしまう料理の数々、かくも露店の誘惑は凄まじい。だが参加証代をいかにひり出すかを懊悩する彼女の財布にはそれらを天秤にかける余裕もあるはずもなく、華やかな誘惑を断ち切るように足速に屋台の群を横切り、幾許(いくばく)歩いたか。不意にメルシェが足を止めて立ち止まる。

 彼女は眼前に構える雄大な大理石の彫刻を無言で眺めている。10メートルはあろうかという荘厳な女神の彫刻。気がつけばメルシェは目抜き通りを抜けて街の中心部の聖堂前までやってきてたようだ。とりとめもなく彼女は舞いこそしないが、依然軽い足取りで聖堂内に踏み込む。

 中にはそれなりの人が犇めいていて、殆どが観光客なのだろう、興味津々に聖堂内のロトンダの内壁に描かれた神話の絵画などを眺めている。メルシェは財布の中に残った6モンク硬貨を奉献箱に財布の隅の埃ごと落とし込むと


(4万モンク降ってきますように、地面に転がってても大きに結構です……!)


 などと、取り留めもない私欲をどこの誰のとも知らない神の像に祈願していた。

 しかして、よく目を凝らしてみれば観光客たちに紛れてその中に修道服とも官服ともつかない装いをまとった人物たちが目についた。彼らはこの聖堂内にあって最も然るべき格好なのだろうが、そんな彼らが最も早足でこの聖堂内を右から左へ、上を下へと忙しなく行き来しているのは些か、不自然にすら思えた。彼らとすれ違う時、一瞬だけよくメルシェと目が合うことがあった。しかし、それは彼女の背に背負った十字架(それ)がもの珍しく映ったからだと思っていた。しかし、彼らのうちのひとりの首に下げられた銅十字の首飾りが目に入りメルシェはふと思い出した。そういえば、この街の教会支部は文化遺産の古い聖堂をそのまま使用しているということを。

 教会、聖堂なのだから当然といえば当然なのだが、ここで言う『教会』は特定の宗教を指すものではない。教会とは魔法使い達の設立した組織であり、その成立は比較的浅いとされ、神代と呼ばれた時期を数百年過ぎた頃といわれている。魔法体系が確立されつつあった当時、その成果が戦争という形で顕著に示されるようになっていた。どこの戦場でも魔法使い達が駆り出され強力な魔術と魔術の衝突は天変地異を巻き起こし国を飲み込み、山を裏返し、兎角それは神々の横暴の蔓延った神代の焼き直しに相違ないとまで呼ばれるほど凄惨たるものだったそうだ。そんな戦いに魔法使い達は辟易としていた。

 そんななか、ひとりの男がこう提案した。


「戦争兵器として利用されている魔法使い同士が結託すれば、争いは無くなるのではないか?」


 と、酷く荒唐無稽な絵空事。文字通り机上でうたた寝をしながら思い描いたような空論だと、当時は言われただろう。今だってそう言われているのだ、だが、現在教会が存在するということはどういうことはつまりそういうことで、とどのつまり彼はその絵空事を実現させてみせたのだ。

 ある魔法使いが自分を決闘で負かしてみせろと言うと、その男はその魔法使いのプライドごと魔法使いを捩じ伏せ屈服させた。ある魔法使いが、自国に家族を人質に取られるやもしれない、と懸念すれば彼はその魔法使いの家族をその国から亡命保護してみせた。ある魔法使いが帝国より金を出すのであればと言えば男は言い値をくれてやると──兎角彼は人外染みた行動力と力で当時世界で最も強力と称された九人の魔法使いを手中に納め、そして教会の設立を宣言した。教会の設立につき、男は各国間の戦争の即時停止を要求したのだ。

 当時の強国はさぞ肝を冷やしたことだろう、自分達の切り札があっさり手元から離れたかと思えば、その力を今度は一方的に突きつけられることになるなんて。各国こぞって教会に牙を剥く……なんてことが出来ようものか。各国から奪われた九人の魔法使いが、どれだけ法外な力を有しているのか、彼らを利用していた国々が痛いほど理解していたからだ。そして、強国達がいかにその魔法使い達に依存していたかが浮き彫りになった。

 その後は、魔法使いを失った元強国が他国に攻められないよう工面したりと、ある程度のアフターケアを施しつつ、世界中の魔法使い達に


 ──上堂、魔法使いよ正しく求道せよ。義く探求せよ。私利私欲大いに結構。然りとて人の道を踏み外すことなかれ、これなるを容認できるもの代理人の名の下に教会の威光と庇護を与えん。


 メルシェは壁に刻まれたその文言に目を通す。そう、この声明文を掲げたのだ。この文言は未だ教会の掲げ続けるところであり、以降の教会の組織的規模の拡大は目覚しいものだったという。そして、組織的変遷も殆どなく教会は今日に至る。

 教会のやっていることは言ってしまえば組合の様なものであり、魔法使いに仕事を斡旋することが表立った活動である。この街に来たばかりの彼女は、日銭を稼ぐのには向かないと言っていたものの、結局は足を運ぶ羽目になっていた。


「本末転倒というか、なんというか……」


 メルシェは肩をすくめてそう溢し、聖堂内をもう一度見渡す。文化遺産の聖堂だけあってその大半は形骸化した観光用のステンドグラスや彫刻、絵画の諸々、それらから遠のいた聖堂の端に、仕事の張り出された掲示板や受付のカウンターが取ってつけたように設置されており、その周囲には仕事を探しに来たと思われる傭兵稼業を営む魔法使い達。彼らは物好きでない限り目立った装いを纏ったりはしない。変に目立って商売敵を作らない為だ。

 メルシェはその掲示板に掲載された内容に目を通すが、やはり数日がかりの仕事ばかりだ。不意に時計を見ると既に5時まで1時間を切っている。やはり、2時間で4万モンク稼ぐなど流石に無理があったか……メルシェが項垂れていると男が一人、彼女の横に立つと、何やら難しい顔を浮かべ一枚の紙を一睨している。

 あまりに難しい顔をしているものなので、メルシェは思わず彼の目線の先、つまりその紙切れに目を落とした。そして、確信する。それは今彼女が喉から手が出るほど求めていた4万モンク……で手に入れようとしていた決闘祭への参加証そのものだったのだ。


「あぁー!!」


 メルシェは目を見開き思わず声を上げる。隣の男はメルシェの声に振り向き彼女を見下ろす。長身で逞しい恰幅の彼は首を傾げ


「君は、何だ?」


 とメルシェに尋ねる。


「あ、すみません。私、メルシェと言います」


 メルシェはペコリとお辞儀しそう答え


「失礼ですが、その紙……」


 と、彼の手にする参加証を辿々しく指差す。


「あぁ、これか。決闘祭の参加証だ。腕試しのつもりで出場しようとしたんだが、急な仕事が入ってしまったんだ。だからといって捨てるのは些か勿体ないと思ってな。だからこの掲示板に貼っておけばどこかの物好きが飛び入り参加に役立ててくれるかもと思ってたんだ。尤も、登録締め切りまで残り30分を切っているが……」


 と語る男の首には銅十字が下げられていた。


「あの!」


 メルシェは強く彼に踏み寄り


「その参加証譲って頂けませんか?」


 そう彼に懇願した。


「君に?しかし……」


 彼は訝しむ表情でメルシェを見つめ、暫し考え込む。恐らく何故こんな少女が決闘祭に参加するのかといった疑問だろう、先程見たところ女性は片手で数えるほどしか参加してなかったし……すると、別の男性が彼の元に駆け寄ってくる。


「おい、何やってるんだ。ゴドリー!」


 黒縁の眼鏡をかけたマッシュの青年は、彼にそう声をかける。


呪眼卿(サー・カトプレパス)、申し訳ありません!支度は済んでますのでいつでも出発できます」


 ゴドリーと呼ばれた参加証を手にした彼は眼鏡の彼をカトプレパスと呼び、そう答えるが、その後にメルシェを気まずそうに一瞥する


「何だ?この少女は……」


 カトプレパスは眼鏡越しに目を細めながらメルシェに視線を落とす。彼の首には銀十字が下げられていた。


「それが、この少女が自分の決闘祭の参加証を譲って欲しいと……ただ決闘祭は危険な祭りと存じてます故彼女に渡していいものかと葛藤していた次第で……」


 ゴドリーはバツが悪そうにそう答える。


「そんなもん、さっさと渡してやれ。お前が持っててもどうしようもないだろうに」


 カトプレパスは面倒臭気に頭を掻きながらそう吐き捨て


「5時発の輸送船に便乗させてもらうことになってるんだ。お前も急げよ」



 そう付け加え、彼は早々に踵を返して歩き出す。ゴドリーは僅かに逡巡するが、仕方ないと言った具合にメルシェに参加証を手渡し、そのままカトプレパスの後を追って駆け出していった。


「まさか、あの6モンクのご利益……」


 忙しなく駆け抜けていた教会の魔法使いたちを見送った後、メルシェは自分の手に残った参加証を嬉しさ半分、呆気に取られたような表情で見つめるのだった。


 ──

 ────


「サー、いいのですか?彼女のような少女に決闘祭の参加証を渡してしまっても……」


 ゴドリーはカトプレパスの後を追いながら、そう尋ねる。


「お前、あの参加証を貰う際に署名したろ?」


 目抜き通りを港に向かいながらカトプレパスはゴドリーを見やり尋ねる。


「えぇ、手続きの過程で」


「なら、あの少女があの参加証を使えるわけないだろ、少しは考えろ」


 カトプレパスは頭を抱えながら吐き捨てる。ゴドリーは思いもしなかったと言った具合に目を見開き納得しているようだった。


「それにしても、お前何で決闘祭に参加しようとしてたんだ?弱者を嬲る趣味でもあるのか?」


 カトプレパスは呆れた様子で尋ねる。


「?いえ、決闘祭は強者が自身の腕を競う場と聞き及んでおりました故……」


「本当の強者が仕事でもないのにあんな大衆の面前で手の内を衆目に晒す訳ないだろ。あんなママごと、参加するだけ時間の無駄だよ……」


 カトプレパスはそう吐き捨てると、立ち止まる。眼前には黄昏の赤に染まった大海が潮騒を奏でていて、夕焼けを遮る様に巨大な蒸気船が浮かんでいた。沖仲仕たちが忙しなく荷物を積み込んでいる影が長く伸び、夜の近づくことを知らせている。


「こいつは焔の国(イグレリオ)のクーランに向かう貨物船だ。こいつに同乗させてもらうことになってる」


「イグレリオ?しかし教会の人間である我々はイグレリオには入れないのでは?」


 カトプレパスの言葉にゴドリーは首を傾げ尋ねる。


「だから、貨物船に便乗させてもらうんだ。木箱や樽と相席の楽しい楽しい4日間の船旅だ。覚悟しとけよ」


「そこまでして何故イグレリオに?」


「詳細はまだよくわかってないが、どうやら件の脱獄囚のどいつかが何かしでかしたようだ……」


 カトプレパスは辟易とした表情を浮かべ、桟橋にかかる木板に足をかけるのだった。



 ──

 ────


 日の暮れかけた闘技場前。辺りはすっかり薄闇に包まれ、ガス燈が徐々に灯り出し街の煙突からは白い煙が縷々燻ってくる。

 受付の彼女はその細い腕につけられた腕時計に目を落とす。


「10、9……」


 徐に彼女はカウントダウンを口ずさむ。それが意味することは言うまでもない。


「5、4、3、2……」


「間に合いましたか⁉︎」


 その声は突然のことで、受付の彼女を驚かせた。声はカウンターの真横から聞こえてきた。それがメルシェのものであることも言うまでもあるまい。


「本当に4万モンク集めたの⁉︎」


 受付の彼女は目を見開き驚きを隠せない声を上げる。


「いえ、でも……!」


 メルシェは誇らし気に参加証を彼女に見せつける。


「あら、でもそれ他の方の参加証よね……?」


 受付の彼女は恐る恐るそう尋ねる。それを聞いてメルシェは再びあっけらかんとした表情を浮かべ、今一度舐め回すようにその参加証を一睨する。ゴドリー・クリムト。小さくだが確かにくっきりとそう名前が記されている。それが意味することは一つ。彼にしか使えないと言うことだ。何故、どうしていの1番、今の今までこんな単純なことに気がつかなかったのか……きっと浮かれていたのだ。メルシェのその顔から徐々に余裕が失われていくのが受付の彼女にも容易に見てとれた。


「あの、これじゃ参加できないんですか……?」


 メルシェは不安気にそう尋ねる。


「普通ならそうなんだけど、うーん……」


 受付の彼女は今にも泣き出しそうなメルシェを気まずそうに一瞥し、そして小さくため息をこぼすと、新しい参加証を一枚メルシェに差し出す。


「ここ、名前に不備(・・・・・)があるわ。だってあなた女の子でしょ?ちゃんと本名を書かないとダメよ?」


 そう言いながらメルシェの持っていた参加証のゴドリーの名前を指し、彼女の持つそれと、新品のそれを取り替えたのだ。


「いいんですか……⁉︎」


 メルシェは目を輝かせながらそう尋ねる。


「ただし、危ない相手と当たったらすぐ棄権するのよ?」


 そう言いながら、受付の彼女は人差し指を立てて内緒よ、と言いった具合にウインクしてみせた。そして、メルシェがつらつらと名前を綴り、それに彼女が了承の判を押すのだった。

 その晩メルシェが案内されたのは、流石は4万払っただけのことはある(彼女は払ってないが)絢爛煌びやかな宿場で、メルシェは大きな一室に案内された。シャワーを浴び、衣類を洗濯すると、よほど疲れていたのか、彼女は早々に褥に就くのだった。


 ──

 ────


 音が聞こえる、ピアノの音……?ポロン……ポロン……と単調だが、不快じゃない。何て曲だろうか、一体誰が……。

「D」の音がまるで時計のように12度、伽藍堂の闇に響く。音の正体を確かめようと視線を上げるが視界がぼやける……


「誰……」


 しかし、目覚めた彼女の耳にピアノの音は最早途絶え、がらんどうの室内にはただ、彼女の声が響くのみであった。


「夢……?どこか懐かしいような、あれは一体……」


 彼女は訝しげにそう呟き、重たい身体をベッドから降ろすと再びシャワーを浴び、昨日乾燥機にかけていた洗濯物を取り出し整理する、乾燥機といってもとても簡易なものの為、女物の衣服などはすぐに傷んでしまうやもしれないが、彼女の纏うそれは男物のオーバーコートに白いカッター、そして軍装の細身のズボンである。恐らく最も乱雑に扱われる衣類の良い例だろう。

 メルシェは衣服を整えると、軍刀に手をやり、一度抜刀し、何かを確認すると、再びそれを仕舞う。かくして、路銀の為と飛び入り参加した決闘祭は幕を開けるのだった。


 ──

 ────


「ルールは簡単!一対一で殴る蹴るして相手を南無三にした方が勝ちだ!降参も有り!勿論、武器の使用はOK!剣なり銃なり好きに使ってくれ!ただし飽くまでも建国祭を彩る祭りの華だって事を忘れるなよ〜?」


「あの、すみません」


 些か陽気な審判のルール説明の最中、メルシェは手を挙げる。


「南無三ってなんですか?」


「あー、ニュアンスの問題だな……要はKO!knockout(ノックアウト)させりゃいいんだよ!お嬢さん!」


「あっ!なるほど、ありがとうございます!」


 納得したように頷くと、メルシェは手を下す。


「おい……あんな小さい娘が何で出場してんだ……?」


「さぁ……だがまぁ、あの娘と当たれば一回戦突破は確実だな」


「「「あ〜、あの娘と当たらねぇかな〜」」」


 耳に入る野次をメルシェは全く気にした様子はなかった。トーナメントのくじ引きの結果、メルシェ初戦は最終試合となった。自分の出番が来るまでの間、彼女はある試合に釘付けになっていた。

 それは、とある青年と女性の戦いで、女性はライフル銃を携えていた、一方、赤髪の青年の方は武器を持たず素手で挑んでいた。

 彼女の目に留まったのは青年の方だった。その酷く痩せた細身の体躯と、草臥れた髪、濁った瞳はどこか、野良犬を彷彿とさせた。周りの決闘者曰く、今回の参加者の中で素手で挑んでいるのは彼のみとのことで、確かに、辺りを見渡しても剣や銃を携えた人は多いが、素手の人物は見当たらない。その異色なスタイルはある種の荘厳ささえ感じた。観客たちが一笑する中、メルシェは彼の強さを確信していた。

 彼女の剣の師曰く、素人が剣を持ち戦うのと拳を以って戦うのとでは、圧倒的に剣の方が有利である。これが武器が武器たる所以であり基本概念である。

 しかし、玄人(くろうと)同士となれば話は変わってくる。玄人の剣客(けんかく)と玄人の拳客(けんかく)、どちらが勝つか……これは当事者しか解り得ない。詰まる所、得物を持たず戦う者、拳を以って戦う者は、それ則ち、己が拳が剣よりも鋭いことを確信した者のみだ、故に油断するな、決闘とはそう言うものだ。武器で決まる優劣など、稚児(やや)剣戟(チャンバラ)までだ。と……

 そう、彼は確信しているのだ。己が身こそが至高の武器たることを。


「あんたさぁ、本当にいいの?このままじゃ死ぬよ?」


 青年に向かい、女性はそう言い放つ。強そうな相手かと思っていたが、手ぶらの相手を見て杞憂は消し飛んだ、そんな顔だ。


「あぁ、構わない。俺は死なないからな」


 青年もまた、余裕を持って返す。両者互いに拮抗、そして決闘の鐘が鳴る。

 先に仕掛けたのは女性の方で、ライフルの照準を青年に合わせるなり、躊躇わず放つ。しかし、青年は焦ることなく、其れを(かわ)す。


「……⁉︎ 」


 初弾を躱され、動揺する女性。観客も同様に動揺していた。


「マジかよ……ライフルの弾を躱したぞ……⁉︎」


「どういう反射神経してるんだ……」


 会場のどよめきの中、青年は特に気にすることもなく彼女に歩み寄ろうとする。


「確かにすごい反射神経……けど……いつまで避けれるかな?」


 そう言い放つと彼女はライフルを彼に向け、二発、三発と撃ち放つ。彼女も彼女で大した腕だ。初弾からこれまで、全ての弾丸が明らかに急所を狙っていない。主に関節や脇腹など、急所でなくとも、しかし確実に相手を追い詰めるような射撃。だが、それ故か彼はそれらを全て躱し、ゆっくりと彼女に迫る。彼女が急所を狙っていないから……?いや、恐らく急所を狙ったとしても……

 ライフルの残弾が尽きると、今度は二挺拳銃に切り替え、彼に撃ち続ける。が、青年は弾丸の連弾を涼しい顔で掻い潜り、遂に彼女の眼の前に至る。彼女はライフルに取り付けてある銃剣で彼に斬りかかる。青年はそれを受け止め


「これで、万策は尽きたろう?リタイアしてくれ」


 と青年は促す。


「私だって、負けるわけにはいかないんだよ……!600万手に入れて、血生臭い傭兵なんか辞めて、家族に楽させてやるんだ……!」


 彼女は徐に上着を脱ぎ捨てるとそれを青年に投げ捨てる。


「あんたを嘗めてたのは謝るよ……けど、こっちにも負けられない理由ってのがあるんだよ……万策尽きた……?残念……!」


 彼女はそう言い口元を綻ばすと、銃口を彼の顔面に向ける。


「!」


 彼女の投げ捨てた上着を青年が払い除けた刹那、けたたましい銃声が鳴り響き会場が静まり返る。


「ははっ、銃器の利点は残弾を誤魔化せることだね……!」


 勝ちを確信していた彼女の顔から笑みが消える。弾丸を至近距離で、しかも顔面に食らったはずの青年が立っているのだ。


「馬鹿な……⁉︎あの距離あの体勢で躱せるはずが……」


「あぁ……躱せなかった……」


 そう言いながら青年は徐に握りこぶしを開く。カランと音を立てて落ちたのは潰れた弾丸だった。


「うそ……受け止めた……?そんなまさか……」


 彼女は力なく立ち尽くし口を開けたまま呟く。


「化け物……」


「あぁ、そうだ、化け物だ……」


 そう言いながら彼女に近寄ると、正確な突きで、彼女の鳩尾(みぞおち)を突き、彼女を気絶させる。観衆も、決闘者も言葉を無くしていた。


「すごい……!強い!」


 ただ、メルシェのみ感激の声を漏らすのみだった。賑わいの雑踏に流されるように時間は流れ、メルシェの出番は彼の試合の2時間後だった。相手も剣士で、鎧を纏った軍人の様だった。


「騎士の国、ギラグスタフ国軍大尉。アテス・ホーキンスだ、お嬢さん悪いことは言わん、棄権してくれ!」


 騎士は頭を下げ、剣を構える。


「ご丁寧にありがとうございます。でも大丈夫です。私は強いので」


 メルシェは微笑み、剣に手を添える。やがて、決闘開始の鐘が鳴る。


「ええい!どうなっても知らんぞ!」


 そう叫び、アテスはメルシェに向かい走り出す。メルシェはゆっくりと剣を抜きそして、彼の刃に合わせ剣を弾く。しかし、彼も其れに合わせ二度、三度と斬撃を浴びせる。メルシェはそれらを全て(さば)き、距離をとる。彼女は邪魔そうに十字架を降ろし、再び刀を構える。


「成る程……確かに腕は良し……しかし……」


 アテスは剣を構え直し名告(なの)りを上げる


「我が名はアテス!アテス・ホーキンス!我が君主、ハルゴッドスタンドスティード陛下、遠き祖国より御照覧あれ!」


 そう叫ぶなり、彼はすごい勢いでメルシェに距離を詰める。そして、横の大振りを構える。メルシェとしては大の大人、それも巨漢の彼との力比べに勝ち目はない、大振りともなると彼女の華奢な腕では凌ぎきれない。その為、背後に下がって距離を取り(かわ)したいのだが、予想以上に間合いを詰められ、躱しきれない。メルシェはしゃがみ込み、大振りをなんとか躱す。しかし……


「甘い!!」


 刹那、アテスは大振りした剣を即座に持ち替え、再び振りかぶる。


「……っ!」


 これにはメルシェも堪らず、受け身の体勢から転がり、やっとの事で難を逃れた。


「ちょっと危なかった……でも……」


 そう言いながらも刀を構え直すメルシェ


((勝ち筋は見えた……))


 頬を緩め、彼女はそう呟くと徐に剣を鞘に収め出す。


「降参か?」


「まさか、勝ちに行くんですよ」


 そう言うとメルシェは刃が鞘に収まったまま刀を構える。


「なにやら策か?だが、我が剣技の前には全て無駄だ!」


 そう叫び、アテスは再び凄まじい速度で迫ってくる。メルシェは落ち着いた様子で刀を真っ直ぐ振りかぶり、そして……勢いよく斬りつける。すると、刀が収まっていた鞘がその拍子にすっぽ抜けてアテスに直撃する。


「はぁ⁉︎」


 不意を突かれたアテスは思わず立ち止まってしまう。


「くっ……!(さか)しい真似を……⁉︎」


 そう言おうとするも束の間、メルシェのアッパーがアテスの顎を強襲する。彼の意識はここで途絶えたそうだ。



 ──

 ────


「おい、聞いたか⁉︎あの娘、騎士の国の軍人に勝ったそうだぞ!」


「マジかよ!何者だ⁉︎」


「十字架背負ってたらしいから教会の人間かもな……」


「教会ってあの化け物集団のかよ!」


「何にせよ、底が見えねぇな……」


「底が見えねぇつったらあの男も……」


「あぁ……あの銃を素手で止めたやつ……」


彼奴(あいつ)は文字通り化け物って感じだったな……」


 街のレストランは今日の決闘祭の話題で持ちきりだった。素手でライフルの弾を防ぐ青年、騎士の国の軍人を打ち負かした少女、諸々……メルシェは夕餉をとりながらそれらの話に耳を傾けていた。


「いやぁ、有名になったらどうしよ〜」


 なんて独り言を言っていると、見覚えのある顔が彼女の前に現れた。それはアテスだった。


「すまん、少し言いたいことがあってな……」


 メルシェは何の縁か、彼と食事を共にすることになった。


「先の試合はその、すまなかった……」


 アテスは食事の並んだテーブルに頭をつけ謝罪する。


「何がでふ?」


 それらを頬張りながらメルシェは尋ねる。


「その……降参しろとか……上から色々言って、結局君に負けてしまった私が言える台詞ではなかった……」


「あぁ、全然気にしてないので、貴方も気にしないでください。私こそごめんなさい、あんな手で勝って……」


「いや、それこそ君の策に私が破れただけの話……君は誇って然るべきだ!」


 アテスはエールを飲み干しそう言うと


「一回戦で、それもこんな少女に負けるとは……まったく……騎士の風上にも置けぬな、私は……」


 アテスは情けない声でそう呟く。それを聞いてメルシェは


「それは違います、あなたは強いです。それもそこらの剣客や、騎士よりも何倍も!ただ、貴方の剣に正直すぎる……、だからあの時も、貴方が懐へ真っ直ぐ駆け込むことが予測できたんです」


「成る程……剣技は型に()めすぎても(あた)わずか……いい勉強になった!」


 そう言うと、またいつか何処かの地でと、握手をし、レストランを出て行った。


 ──

 ────


 決闘祭2日目、その日も、彼女は青年の決闘に夢中になっていた。今回は野太刀を振り回す巨漢が相手で、青年は恐ることなく男の間合いに攻め入ると、斬撃を躱し、またも鳩尾に凄まじい連撃を与え、それを気絶させる。


「やっぱり強い……」


 メルシェはトーナメント表を眺める。お互い勝ち進んでいくと、決勝で彼と当たることになるようだ。しかし、彼の動きには型があるように思えず、彼の武術は武術と云うより、獣の動きに近いものが感じられた。


「うーむ……、どうやって勝てば……」


 次のメルシェの試合の相手はチェーンソーを携えた男だった。顔中に傷と金属を埋め込んだそれは悪人ヅラ以外の何ものでもなかった。確か前の試合もこの男は対戦相手を惨殺していると聞いた。


「ゲヘヘ……降参はみとめないぜ……?」


 男は汚い笑顔でそう言い放つ。


「え……じゃあ、私も認めてあげません」


 試合開始の鐘の音と共に、けたたましいチェーンソーの回転音が鳴り響く。


「死に晒せぇ!」


 男の叫び声と共に凶刃がメルシェに迫る。しかしメルシェは怯むことなく、チェーンソーを軍刀で受け止める。刃同士が擦れ合う激しい摩擦熱と金属音が会場に響く。初めは余裕の表情だった男の顔から笑顔が消える。簡単にへし折れると思っていた彼女の軍刀が全く折れる気配が無いのである。それどころか、チェーンソーの刃が悲鳴を上げ出す。


「馬鹿な……⁉︎この刀何でできてやがる⁉︎」


 男は狼狽(ろうばい)しながらも、力を入れチェーンソーの出力を上げる。しかし、メルシェは全く動じず依然(いぜん)刀で抑えている。


「刃の強度に限定すれば、この()に勝てる刀は存在しません」


 メルシェは笑顔でそう語ると、思い切り振り切る。刹那、チェーンソーの刃鎖がちぎれ爆散する。破散した鋸の歯が火の光にあてられ、まるでガラス細工のように舞台に飛び散る。男はまるで目の前で起こった事態が飲み込めていない様子だった。


「この剣の名前は巫迦(ふか)……所有者の意志が強度に変換される魔剣です」


「ば……馬鹿な……!」


 男はやっと状況を理解したようで後ずさりをする。


「馬鹿じゃ無いです、メルシェです」


 メルシェは軍刀を、巫迦を鞘に収めるとそう言いながらゆっくり男に歩み寄る。


「わ……悪かった!降参だ!」


 男はチェーンソーの残骸を捨て両の手を上げ降参を示す。しかし


「あれ?私も、降参は認めないって言いませんでしたか?貴方が言い出したんですよね?」


 メルシェは笑顔で歩み寄りながら、ゆっくりと背中に背負った十字架を手にとる。


「ひっ……!」


 そこからの試合は省略させてもらうが、以後男が悪事を働こうとすると、身の丈ほどある十字架を気を失うまで顔面に叩きつけてくる少女の顔を思い出すようになったそうだ。


 ──

 ────


 2日目の午後は選手たちの休息と、日程の帳尻合わせもあってか試合は組まれていない。ということもあって、メルシェは初日と同様にレイアの港を散策していた。

 決闘祭に参加できたことで、今のことろは食うにも寝るにも困りはしてないが、あくまで一時的なものに過ぎず決闘祭に優勝しなければ、一文なしであることに変わりないのだ。

 というわけで、買えもしない屋台の骨董品やフードを目で鼻で楽しみながら彼女は依然人中が薬と言わんばかりに、ひしめく人混みを闊歩している。

 刹那、キラリと眩い光が一筋、彼女の目に差し込み不意に視線を上げると、それが大聖堂のステンドグラス越しのものであったことが見てとれた。人並みに誘われて、気がついたらあの聖堂の前まで来ていた様だ。

 特に理由はないが、その実特にやることがあるわけでもないのでメルシェは徐に聖堂内に足を踏み入れる。

 聖堂内は以前同様、観光客でごった返していた。メルシェは人の波を鮮やかにかわしながら巨大な彫刻の前で足を止める。

 それは以前彼女が6モンクを押し込んだ(ほうのうした)荘厳な女神の像で、メルシェはこれも何かの縁と手を合わせてみた。


「あら、あなたは……」


 どこか聞いたような声にメルシェが振り向くと、そこにはメルシェによくしてくれた受付の女性が立っていた。


「その十字架、いつも背負ってないといけないの?」


 メルシェの背負った十字架を一瞥し、彼女はそう尋ねる。


「別にそう言うわけじゃないんですけど、大切なものなので……」


 たははと笑うメルシェに微笑みながら歩み寄り


「優勝祈願?ならこの神様はお門違いよ」


 彫刻に拝んでいたメルシェを見てか彼女はそう告げる。


「……と言いますと?」


 訝し気に首を傾げるメルシェに彼女はこの彫刻の女神について教えてくれた。女神は名をイズミルと言い、海の女神たち、ネレイスの一人だった。神々との戦乱の時代、彼女は人間側に付き、波の庇護を人々に授け、人々を勝利に導いたとされ、今でも港湾都市の守り神としてこうして祀られているのだという。


「それで、そのイズミルは戦争の後どうなったんですか?」


「彼女は同族を殺めた贖罪として、自らを泡に変えて海と同化したと言われているわ……」


 メルシェの質問に、彼女はそう答えた。その顔は悲劇を口ずさむようで、イズミルの彫刻も、聖堂の入り口をただ向くのみで、その微笑むような顔ですらどこか悲し気に見えた。


「勿論、ぜんぶおとぎ話の域を出ないけどね。神々との戦争なんて考えてもみれば突飛押しもなさ過ぎるものね」


 数千年も昔とされる神代の生き証人など、いるはずもない。仮にいたとして、その神々のあらましを気宇壮大に物語ったとして、それらを鵜呑みに信じるものなどいるはずもなく、ただの阿呆としか思われないだろう。だから決して噯にも出さない。だから昔話であり、神話であり、美談であり、悲劇なのだ。


「あの奉納箱はなんなんですか?なんであの彫刻の下に態々設置してあるんですか?」


 メルシェは最も気になっていたことを尋ねた。


「あぁ、それは……」


 受付の彼女は人差し指を一本立てると、それを彫刻のそばにいた女性に向ける。指差された彼女はそんなことは気づかずか、意にも留めずか、熱心にイズミルの像に拝んでいる。メルシェは彼女を何気なく観察すると、すぐそのお腹の膨れ具合で一目で彼女が身重であると察せられた。


「安産祈願……?」


「そう、海神(わたつみ)の中にはこうやって安産祈願を兼ねた神様もいるとか……ほら、羊水って海水と似ているって言うし」


 彫刻に手を添え、摩りながら彼女は続ける。


「こう言う擬似信仰は後世の後付けだっていう意見が大半だし、実際その通りだと思うんだけど。擬似的な信仰も時が経てば本物になって、人に光や希望を与え照らす。なら擬似でも後付けでもいいじゃない。そう思うの」


 彼女の言葉にメルシェは無言で頷いて、イズミルの像を見上げる。二人の間に残る穏やかな沈黙も人だかりの雑踏にもみ消されていく。そんな二人の会話に耳をそば立てる者が一人。あの獣の様な武術を扱う青年もまた、手持ち無沙汰にこの聖堂に足を運んでいたのだ。そこでゆくりなくも、隣から聞こえてきたのは、決闘祭で一度目にした十字架を背負ったあの少女の声がするではないか。気がつけば青年は無意識に二人の会話に耳を傾けていた。


「母の愛は偉大ですね、こうして息をする前から思われてるなんて生まれてくる赤ちゃんは幸せものです」


「あなたのお母さんももしかしたらここでお祈りしていたのかもよ?」


 自分のお腹を摩りながら熱心に祈る女性を眺めているメルシェに、受付の彼女はそう囁く。


「実は私、自分の母親に会ったことないんです。だから、彼女が私を愛していたかなんて……」


 メルシェはどこかバツが悪そうにそう答えた。


「あら、そうだったの……ごめんなさい。でも……」


 彼女は口を噤むが、それでも


「誰しも生まれたからには誰かに愛されて、望まれて産まれてくるものだと思うの。勿論貴女だって。だってそうでしょう?あそこでお母さんに抱かれている赤ちゃん。あの子はご両親の愛と望みの元に生を受けたの。その赤ちゃんが抱き抱えている人形も、人形師さんが、あの子のような子に抱いてくれる様に、喜んでもらえるようにと望んで作られたもの。そうでなかったらきっと悲しすぎる……」


 彼女はそう語る。メルシェは視線を落とし


「私も、そう信じたいです」


 とだけ答えた。(けだ)しこの時、奇しくもメルシェと聞き耳を立てていた青年の、二人の意中には同じ懊悩が深く纏わりついていた。


 なら私は、俺は誰に何を望まれて産まれてきたのだろうか──


 ──

 ────


「ホテルの良いところは、シャワーをいくら浴びてても怒られないことだ」


 部屋に戻りシャワーを浴び終わったメルシェはドレスシャツに袖を通しながら呑気に呟く。濡れた髪の毛を乾かすことなく、自室から出ると、ある人物と出くわす。それはあの青年であった。


「あ……」


 思わずメルシェは声を漏らす。青年も彼女に気づき、目があう。暫しの沈黙。沈黙の(せき)を切るように青年がゆっくり口を開く。


「君は、決闘祭の……」


「はい、メルシェと言います」


 歯切れの悪い彼にメルシェは笑顔で答えると手を差し出す。


「俺は、ルゥ」


 戸惑いながらも、出された手を握り握手を交わす。


「見たよ、騎士やチェーンソー使いとの戦い。すごい腕前だ……」


「貴方のほうこそすごい武術じゃ無いですか、まるで隙がない……」


 互いが互いを称賛し、再び沈黙。


「君はどうして決闘祭に?」


 不意にルゥはメルシェに尋ねる。それを聞かれ若干バツの悪い表情を浮かべながら


「それはその、まぁ先立つものが、というか路銀が必要になったと言いますか……」


 と気恥ずかしそうに辿々しく答える。それを聞いて


「なるほど、似たもの同士と言う訳だ」


 とルゥは僅かに口元を緩めそう言いやる。


「次は準決勝、これでお互い勝ち進めば、決勝で当たる事になる」


「えぇ、そうなりますね。お互い全力を尽くしましょう」


 メルシェは笑顔でそう言いルゥを見る。彼は何か言いたげだったが、口を噤み、何も言わずその場を去る。


「全力で……」


 彼が去り、がらんどうの廊下に少女は1人嘯くのであった。


「全力か……あぁ、結局言えなかったな」


 回廊の十字路の隅、陰で青年は俯く。少女の屈託のない笑顔に感けて言い出せなかった。まぁ、いい。また明日にでも……と彼は踵を返し自分の影を踏みつけるのだった。


 ──

 ────


 三日目、準決勝の試合は悪天候の中行われた。ルゥの対戦相手はショットガンを二挺携えた男で、銃の腕もさる事ながら、身体能力も高く不思議な技を使うされ、優勝候補と噂されるほどの実力者だ。

 メルシェは彼の試合を傍観していた。試合開始の鐘が鳴り、仕掛けたのは男の方だった。男はショットガンを一発、ルゥに向かい放つ。ルゥはそれを容易く躱し、男に迫る。


「〜♪」


 男は余裕そうに弾を込め直すと


「今度のはちょいと熱いぜ?」


 と口走り弾丸を放つ。刹那、弾丸は巨大な火の玉と化しルゥに迫る。


「魔弾……!」


 観客席から見ていたメルシェは思わず目を見開く。


 魔弾とは言わずもがな、魔力の込められた弾丸であり、本来魔法の使えない者にも安易に魔力を授けることのできる利器である。

 本来魔弾には二種類存在する。一つは、魔導師の魔力を根元に構築する即成弾。もう一つは既にある薬莢に魔力を込め作り出された既成弾。前者は高威力だが、即席で作る為一発の作成に時間と魔力がかかりコスパが悪い。保存も効かない。また、自身の性質以外の魔弾を作れないというのも難点。後者は威力こそ即成弾に劣るものの、作り貯めできる為、実戦での魔力消費はほぼ無く、また自分の魔力以外の属性の魔力の魔弾も使用でき、魔力の属性弾を属性弾(エーテルバレット)と呼ぶ。先ほどあの男が使用したのは、火の属性弾だろう。

 また、薬莢があれば、自身の魔力を込め即席の既成弾を作ることも出来るが、正味な話、既成弾である必要がないのである。薬莢で魔力をコーティングしてるという時点で既成弾を作るより即成弾を作った方が威力と時間のコスパを考えると妥当と言えるだろう。と、以前師匠に教えて貰った事を思い出した。


「次のはもっと凄いぜ?」


 ルゥが火炎弾を躱している隙に男は次弾を装填していた。


 ──主よ御手を以って引かせ給え。


 刹那に放たれた弾丸は鋭いものの、何か細工がされているとは思えなかった。ルゥは警戒しながらもそれを躱す。しかし、弾丸はみるみる弾道を変えて、再びルゥを狙う。不意を突かれたルゥを弾丸が貫く。

 かの歌劇曰く、魔弾の射手は七発の中、六発を望むところに当てることが出来るが、最後の一発、七発目は魔王の望む場所に当たると云う。しかし敵を穿つは一つの弾丸。


「故に、魔王恐るるに足らず」


 男がルゥに向かい十字を切っている最中、突然ルゥが立ち上がる。観客は勿論、男も目の前の光景が理解できていないようだった。


「馬鹿な……⁉︎急所を貫いたはずだ!」


 確かに彼の弾丸はルゥの心臓を貫いていた。しかし……


怪物(おれ)は死なない、この程度ではな……」


 ルゥは蹌踉めきながら起き上がりそう呟く。男は怯むこと無く魔弾を打ち続ける。しかし、ルゥは一瞬煙のように姿を変えると、弾丸を全てすり抜け、彼に迫る。そして、彼が装填する間を与えず、片方のショットガンを壊し、もう片方を蹴り上げる。


「あんたが俺の魔王(ザミエル)か……いや、違うな……俺の腕が悪かった。それだけだ」


 丸腰になった男は両の手を上げ降参のサインを示す。準決勝、ルゥは勝利を収めた。


 ──

 ────


 次の準決勝、メルシェは鞭使いの女性と対戦することになった。試合が終わり、客席に来ていたルゥはその試合を眺めていた。


「ねぇ〜……降参してお姉さんとイイコトしない……?」


 彼女は挑発的にそう尋ねる。


「お断りします。イイ試合にしましょ?」


 メルシェもまた、どこか挑発的にそう返す。試合開始の鐘と共に女性の鞭が鋭く畝りメルシェに迫る。メルシェは巫迦でそれを防ぐが鞘に鞭が絡まる。彼女はそのまま剣を抜き鞘を捨てる。刀を構えるメルシェだが、荒れ狂う鞭に行く手を阻まれ、近づくことが出来ないでいた。


「あれ、当たったら絶対痛い……いえ、痛みは感じないんですけど」


 メルシェは独り言のように呟くと、静かに息を整える。


(なんじ)、師の(おし)えを守る()し、(ゆめ)怠らず決して其の道を外る無かれ。汝、師の訓えを破る可し、己が理念に基づき、既存の型を崩し自身のものとせよ。汝、師の訓えを離れる可し、武の理を知りえば訓えだけに非ず、形骸化された型からの逸脱を成就せよ」


 メルシェは静かにそう唱える。


「何それ、呪文?」


 鞭を(なび)かせながら女性は尋ねる。


「剣術の先生の言葉です。私は先生の真似すらできませんが……」


 メルシェはゆっくり剣を構える。


「先生はこう言うの、力ずくで突破すると思うんです」


 そう言うなりメルシェは女性目掛けて駆け出す。しかし、女性も近づけまいと鞭で応戦する。鞭状の武器は敵との距離があればあるほど威力と安全性が増す。逆に言えば、距離が無くなればその二つを失う危うい武器でもある。また、そもそも殺傷能力が非常に低い鞭はその音と速さで恐怖を煽る。故に、其れさえ慣れれば、見えてしまえば簡単に対策ができるのだ。

 だが逆に、使い慣れた武器を扱うのであれば、その程度の弱点、克服していて当然であろう。大振りは弧を描く軌道、メルシェはこれをすり抜け女性に迫る。女性は待っていましたとばかりに、疾く鋭い、小降りの連撃を打ち込む。しかし、これこそ鞭の最大の弱点が仇となる。鞭はその性質上、大振りにせよ小降りにせよ、二撃、三撃と連撃を繰り出すには必ず鞭身を自分まで振り戻さなければならない。メルシェは鞭の軌道を読みながら剣で鞭を絡め取り彼女の懐に駆け込む。


「私の勝ちですね」


 メルシェはにっこり微む。2人の間隙に、僅かな沈黙が残る。


「さぁ、それはどうかしら?」


 頬に汗を流しながらも、彼女はまだ勝ちを放棄してはいなかった。刹那、鋭い蹴りがメルシェを襲う。が、メルシェの姿は彼女の目の前にはもうない。


「いいえ、私の勝ちです」


 メルシェは背後から柄で頸筋を打つ、女性は二言なく地に伏せた。


 決勝進出を果たしたメルシェは、試合後、夕星の映える街頭でルゥと邂逅(かいこう)する。物憂げなルゥはメルシェを待っていたようだった。


「君に言っておく事がある」


 ルゥは真摯な表情で切り出す。


「明日の試合、棄権してくれないか……? 」


「嫌です」


 メルシェは即答する。


「君の実力は知っている、凄まじい剣の腕だ、故に君相手に俺は手加減出来る保証はない」


「手加減なんてして欲しくありません、文字通り全力で挑みます故、全力で来てください」


 メルシェも力を込めてそう言う。


「優勝賞金も全部渡そう。路銀が必要なんだろ?」


「確かに、お金欲しさに参加しましたが、今はそれもついでです」


「何故……」


「勝ちたくなったんです。貴方に、私より強い貴方に!」


 メルシェはどこか楽しそうにそう云う。暫しの沈黙、街は(セキ)に染まり、小さな路地から差し込む落日は彼女たちを赤黒く染め上げる。


「わかった。ならこれ以上言うまい……だが、後悔しないでくれよ……」


 そう言い残し、ルゥは去っていった。彼が去るまでメルシェは動けないでいた。最後の一言、あの時に彼女に向けられたのは、重圧的な殺気だった。張り詰めたそれに潰されるように、彼女は動くことが出来なかったのだ。


「しませんとも……」


 誰もいない街頭に一人、彼女の声が響く。


 ──

 ────


 その晩、宿に帰ったメルシェは部屋に置いてある電話である人物に電話を掛けていた。


「あっ、もしもし……モナドさん?先生いますか?ちょっと相談したいことが……」


 相手はメルシェの剣の師だった。


「あら、メルちゃん?元気?ちゃんとご飯食べてる?怪我してない?」


 電話の向こうから聞こえるのは柔和そのものな女性の声。メルシェを心配しているようだった。


「はい、私はピンピンしてます!それよりもモナドさん、先生は……」


「ちょっと待っててね……旦那さま〜」


 電話特有の砂嵐めいた沈黙が続き、やがて受話器に近づく足音が徐々に聴こえてくる。


「忙しい、手短に済ませろ」


 電話口の声は無愛想にそう告げる。メルシェは動物的な動きをする武術に対する、対処法、立ち回り方を尋ねる。すると、電話口の向こうから小さいため息が聞こえた。


「まず、動物の動きを取り入れた武術なんてのは存在しない、何故なら幾ら動物の動きを真似しようとも、その時点で人間の動きになるからだ、仮にそんな拳法があったとして、それは動物の動きを擬似的に真似た型だ、故にパターンが存在する。お前の言っている男は動きにパターンが存在しないのなら、それはその男が文字通り動物の様に戦っているからだろう、逐一状況を目で見て判断し、それを脳で理解して行動する。凄まじい動体視力の為せる業だな。武術とは言い難い」


「じゃあ、どうやって勝てば……」


「弱点が無いわけではない、状況を一から見て判断しているのだ、当然型を基本としている武術体系のそれらの何倍も脳を使って戦っている。この意味わかるな?」


「脳の容量過(キャパオーバー)……!」


「そう、だがまぁ、お前にその男をキャパオーバーまで追い込む実りょ……


「先生!ありがとうございました!」


 食い気味に礼を言うメルシェに電話の向こうの相手は大きな溜息を吐く


「そういえば、他の方が噂してました、私が教会の魔術師なんじゃないかって」


 メルシェの質問にこれまた大きな溜息が帰ってくる。


「……仮に教会の魔術師がその決闘祭に出ていればそいつの一人勝ちだろうな、特に銀十字以上なら、お前もその小僧も赤子の手を捻るように負かされるだろう」


「何度もお会いしたことはありますが、そんなに強いんですか?」


「奴らが強いのではない、お前たちが弱すぎるのだ」


 弟子に吐いていい言葉じゃない……メルシェは言いたい事を飲み込みつつ深々と礼を告げ電話を切る。はてさて、内兜は見透かした、あとはその方法を……

 メルシェは電話を降ろすなり、思い切りベッドに倒れ込む。


「あーダメだ。眠い……」


 夢現(ゆめうつつ)微睡(まどろ)みの感覚に呑まれメルシェの意識は徐々に遠のいていく。


 ──

 ────


 ポロン、ポロン

 ジグ♪ジグ♪ジグ♪

 (きびす)拍子(リズム)を取りながら♪

 ポロン、ポロン


 まただ、あのピアノの音がする。それに今度は歌まで聞こえる。中性的な声だ。

 はてさて、ムヴマン・モデレ・ドゥ・ヴァルスとは如何なものだったろうか……?ピアノを奏でながらその声は独り言のように口ずさむ。


 ジグ……ジグ……ジグ……♪


 声は段々遠のいていく。この声は一体……


 目を覚ますとやはりピアノの音は消え、何の変哲も無いホテルの一室のベッドの上だった。


「また、あの夢……」


 一昨日と同じ夢に違和感を覚えながらも

 メルシェは身支度を整える。


 それにしても、あの声……何処かで聞いた……?


 ──

 ────


 決勝の日和は良く、晴天の候。清々しい午前の爽やかな日差しの中、決勝戦は執り行なわれることになった。メルシェとルゥは互いにステージの上に上がり、見つめ合う。

 鐘はまだ鳴らぬ。メルシェは彼のスピードに遅れを取らまいと、刀に手を添えゆっくりと抜刀。ルゥはただメルシェを見つめている。

 そして、試合開始の合図の鐘が鳴る。その瞬間であった。それは一瞬の間に起こった。鐘がなったその瞬間、メルシェの目の前にルゥの姿は無く、自身の手元に、握っていたはずの巫迦が無くなっていたのだ。

 ゆっくり振り返ると、そこにはルゥが立っていた。また、ステージの端に巫迦も転がっていた。詰まる所、まさに刹那の間に彼女の腕から武器が弾かれたのだ。

 メルシェは彼から目を離してはいなかった。しかし、見えなかった。それ程、彼との間には実力差があるということだ。


「これで勝負あったろ……、さぁ棄権してくれ。 」


 そう告げるルゥ、しかし、メルシェの顔は笑っている。まるで、好きなものを目の前にした子供の様に。


「どうして笑っている……君にもう勝ち目は……」


「私、嬉しいんです」


 メルシェは口を綻ばせながら懐に手を伸ばし拳銃を構える。


 ──

 ────


 それは何年も前、剣の師と稽古の最中にて


「師匠、強くなるにはどうすればいいんですか?」


 メルシェは不思議そうに尋ねる。


「自分より強い奴と戦え」


 師は吐き捨てる。


「でも、私はいつも師匠と稽古しているのに全然強くなってる気がしないのですが……」


「強くなっていないわけではない。が、急速に成長しているわけでもない。自分より程よく強い相手がいることが急速に強くなる近道だ。尤も、そんな都合のいい話などそうそうないがな……」


「仮に、仮にですよ?私と師匠が本気で斬り合ったら、私は少しでも早く成長できますか?」


 メルシェは辿々しく尋ねる。


「無理だな。無惨に負けて屈辱を上塗りするだけだ」


 師は吐き捨て、いつもと変わらず規定の型を彼女に叩き込むのだった。


 ──

 ────


「本気を出しても勝てるかどうかわからない人と戦えて、嬉しいんです。あなたが相手なら、私は”本気の底上げ”を出来る。それに……勘違いしないでください……私はまだ負けてませんよ?」


 メルシェはそう言いながら徐に剣の代わりに鞘を左手に構える。


「血気の勇は戒めろ……と師に教わらなかったのか……?」


 そう告げるルゥだったが、その刹那彼女に異様な気配を感じる。それはまるで、己が初めて感じる様な禍々しく、力強いものだった。彼女の闘志の強さに説得を諦めたのか、ルゥも再び構えをとる。

 一瞬の均衡、刹那の一閃。ルゥは再び、凄まじい速度でメルシェに迫る。少々不粋だが次は、武器では無く彼女自身を……そう考えていたが、しかしメルシェは彼の攻撃を躱し懐に鞘で打ち込む。さらに、銃口は彼の顔をしっかりと捉えていた。


「……⁉︎」


 ルゥは身を翻し、即座に構えなおすが、彼は驚きを隠せないでいた。一回目の攻撃で反応すらできていなかった彼女が二回目の攻防で反応するしないどころか、カウンターを仕掛けてきた。彼女は俺の動きを読んだのか……?それとも、見て反応したのか……


((どちらにしろ、試してみるか……))


 ルゥは小さく息を吸うと、再びメルシェに向かい襲いかかる。しかしメルシェは静かに鞘を構える。そして、またしても鋭い打突でルゥの脇腹へ打ち込む。やはり……彼女は俺の早さについて来ている。どういう理屈かは知らんが、たった一回の攻防で俺の速度に慣れた……


「どうして速さについて来れるのか?って顔してますねぇ〜」


 メルシェはニヤけながら言う。


「あぁ、隠しても意味ないしな……」


 ルゥは素直にそう告げる。


「満足いく理由に聞こえるかわからないですが、私の義眼()は少し特別製なんです」


 メルシェは自分の瞳を指差し続ける。


(ひとえ)に言えばとても記憶力の良い目なんです。おかしな言い方かもしれませんが、この目で一度捉えた者は私の記憶から決して消えません。それが、例え一瞬のことであっても……私は意識の中でその一瞬を反芻してあなたの速さに慣れてしまいました。本来は相手の剣筋と剣速、癖を読むのに使うんですが、単純な速さ(・・・・・)だけならそう時間はかかりません」


 メルシェがそう言い終わるとルゥは小さく溜息を吐く。


「成る程、認識を改める必要があるな……」


 そう告げたルゥの躰は一瞬にして変化した。彼の腕と足は獣の如き強靭な爪と毛で覆われていた。


「本気を出さずに勝てる相手ではない」


 そう言いながらルゥは構える。


「やっと本気出してくれますか……♪」


 メルシェも嬉しいそうにそう言うと再び構え直す。



 しかし、観衆は裏腹にルゥの変貌に畏怖を示していた。仕掛けるのはルゥ、今度は煙の様に姿を変えメルシェを取り囲む


「そぼ降れ、芝露(しばつゆ)


 メルシェはオーバーコートの中に手を入れ小型の瓶を取り出す。中には水のような液体が入っている。彼女は徐にそれの蓋を外し中の液体を垂らし出す。

 すると、それは地面に着く前に空気の中にとけていく。それは徐々に形を成し幾つもの刃のように変化する。


「この()の名前は芝露、実体を持たない魔剣です」


 そう言うメルシェの周りに芝露は漂い、それは徐々に液体のような状態から変形し、硝子の様に透明で鋭利な刃が幾つも現れる。


 そして、メルシェに攻撃しようと実体化したルゥに目掛けて一斉に襲いかかる。しかし、ルゥもそれらを躱しながらメルシェとの距離を取る。気がつくとメルシェは先程吹き飛ばされた巫迦を再び手にしていた。

 彼の隙を伺いながら徐々に距離を縮めていたのだ。


「これで振り出しですね」


 メルシェは巫迦と無数の水銀の剣を構えそう告げる。


「あぁ……」


 一瞬の静寂、そして、両者共に刃を交わす。無数の鋭刃と爪牙がぶつかるたび凄まじい音と剣気が刹那に響きわたる。

 メルシェにとっては芝露のコントロール、加えて自身の攻防をフルスロットルで熟して満足に戦えるのはざっと五分程度、その間に彼との決着をつけなければならない。

 それはルゥにしても同じことであった。どんなに早く立ち回ろうとも、既にその速さを見極められているうえ、この手数の相手の攻撃を逃げ凌ぐのは至難……

 互いが互いに早期決着を望んでいた。剣と爪が交わる速度が増す。更に無数の火花が戦いを彩る。無数の刃に目を奪われると、メルシェの強烈な一撃をもらいかねない、ルゥは勢いよく、後退し再び距離を置こうとする。


「逃がさないっ!」


 そう叫びメルシェは彼女の身の丈ほどもある十字架を振りかぶり投げつける。ルゥは驚きながらも十字架を蹴り返す。その一瞬の隙と死角を縫ってメルシェは彼の懐へ潜り込む。


「っ!」


 ルゥは再び後退しようとするが、背後からは芝露が迫っていた。


 ((……避けきれん……!))


 メルシェの強烈な一太刀がルゥに伸びる。しかし、それはルゥの頬を掠めると、急速に力を無くし、メルシェはその場に倒れ込んでしまう。一瞬、会場は静寂に包まれ、どよめきだす。


「あ〜ダメだ……私の方が容量過(キャパオーバー)……」


 振り返ると、芝露も刃の形を保てず、徐々に液体に戻っていく。


「あの一撃を貰っていれば、確実に俺の負けだった……」


 ルゥは今になり固唾を呑みながらそう呟く。


「お前は一体……」


 そう尋ねようとし、メルシェを見ると、彼女は穏やかな寝息を立ててスヤスヤと眠っている。


「……」


「……俺の負けだな……」


 ルゥはそう溢し、聞き手を力なく空高く掲げるのだった。


 ──

 ────


「あら、やっと目が覚めたのね。おはよう」


 重い瞼を瞬かせるメルシェ。その声の主の方に視野を移すと、そこには受付の彼女がパイプ椅子に腰掛けていた。


「ここは……?」


 弱々しい声でメルシェは尋ねる。


「病院よ、お医者さんがあなたの身体を診察した後、酷く驚いていたそうだけど身に覚えは……?」


「それは、まぁ……そうでしょうね」


 彼女の問いかけにメルシェはたははと苦い笑みを浮かべながら答える。バツが悪そうにするメルシェを一瞥して、詮索すべきでないと悟ってか、受付の彼女はそれ以上は何も聞かなかった。


「それで、試合はどうなったんですか……?」


 辿々しいメルシェの問いに、彼女は優しくメルシェなら頭を撫でて


「あなたの勝ちよ。あの時あなたを決闘祭に参加させちゃった時はどうなることかと思ったけど本当に勝っちゃうなんて……すごいのね、あなた」


 受付の彼女は感慨深くそう語る。そして彼女は徐に懐をまさぐると、片手サイズの小包を取り出しそれをメルシェに手渡す。メルシェがそれを受け取ると、一人でに封が解かれていく。どうやら彼女が触れることで開封される魔法が施されていたようだ。

 中身はと言うと、びっしりと敷き詰められた紙幣だった。一万公用弊(モンク)札600枚。それはメルシェが決闘祭に参加した本来の目的であった路銀、喉から手が出るほど求めていたものだ。

 しかしメルシェはというと、どこか浮かない面持ち。受付の彼女は賞金だけではないと病室の卓上に並べられた景品の数々の説明をしているが、それすらメルシェの耳に入っているかすら怪しい。


「あの……」


 不意にメルシェが目録を説明する彼女を遮り


「決勝で戦った、あの人……ルゥさんは」


「あぁ、彼なら……」


 受付の彼女曰く、試合が終わりここまで運んでくれたのがルゥらしい。


「その後何処に行ったか、何処に行くかとか聞いてませんか⁉︎」


 メルシェはそう尋ねながら徐にベッドから起き上がると、検診衣を脱ぎ近くに畳まれていた自分のドレスシャツをまとい始める。


「さぁ、特には聞いてないわね……って、何して……⁉︎」


「私がここに運ばれてどれくらい経ちますか?」


 シャツのボタンを手慣れた手つきでかけながら、メルシェは尋ねる。


「一時間くらいかしら……?ほら、まだ一時間しか経ってないんですもの、もっと安静にしていないと」


 受付の彼女は親身に、そう言いメルシェを引き止めようとするが、既にメルシェは男物のオーバーコートを羽織り、部屋の隅に立てかけてあった十字架に手をかけていた。


「そこにある景品、全部差し上げます。旅には無用の長物ばかりですし、何より色々良くして頂いたお礼と言うことで!」


 メルシェは十字架を背負いながら彼女にそう言い、深々と跪礼(カーテシー)すると踵を廻らし、その足でそそくさと病室を出て行ってしまった。喧騒を置き去りにした様な酷く強烈な静寂が病室に残った。だが病室とは本来そう言うものだ。


「まったく、こんなもの私にとっても無用の品よ……メルシェ、あなたはきっと愛されて生まれてきた。だって、あなたのその愚直なまでの聡明さはあなたが愛に包まれて育まれたものだもの……あなたを育ててくれた人がそうであった様に、あなたを産んだ人もきっと……」


 一人きりになった病室、二度と会うことは無いかも知れない。そう知れども窓越しに走り去っていくメルシェを追いながらそうぽつりと呟く彼女の顔は何処か朗らかだった。

 街は祭りの気配を残したまま、眠りに耽る朝露は街の隅より滴っている。借りていたホテルの一室にもんどりを打ちトトランクに依頼を乱雑に詰め込み乱雑な旅支度を済ませると、そのままチェックアウトを済ませホテルを飛び出し、そして探すのは勿論、あの青年だ。

 晩夏の朝焼けは白く眩いものでこそあるものの、その実肌を伝うのは暖気よりも寒気なのはそれが秋の足音であることの証左か、青年は、ルゥは少し早い白風に身震いしながら閑静(かんせい)に混じる(かまびす)しい余韻に浸りながら街を後にする。いつぶりだろうか、こんなに楽しい気持ちになれたのは……

 メルシェと言ったか、彼女とも少し話をしてみたかった。そう思えど、祭りで少々力を出しすぎてしまった。関係者からも言及はされなかったが、明らかに避けられていた。やはり、俺は……


「待ってください!」


 遮光が差し込む勾配の緩い坂に差し掛かった時、声に思わず振り返る。十字架を背負った少女、それはメルシェであった。


「お前は……」


「メルシェです!」


「知っている……それで何の用だ?」


 頭を掻き毟りながらルゥは尋ねる。


「私と一緒に旅をしませんか?」


 彼女の提案にルゥは目を見開き、驚きを隠せないでいた。


「この俺と、旅……だと?」


 昨日の試合で確かに彼女は見たはずだ、己の人ならざる力を、爪を。


「何故……」


 思わずルゥは尋ねる。


「あなたに興味があるからです。それはもう、筆舌に尽くしがたいほど!」


 メルシェは満面の笑みでそう答える。


「確かに俺もお前に多少なりとも興味がある。だが、俺は化け物だ、一緒に旅は出来ん……それに」


 俺は人殺しだ……そう答えようとした刹那。


「貴方が化け物なら私は人形です。いいじゃないですか、同じ人ならざる者同士、楽しくいきましょう♪」


「人形……だと……?」


「さぁさぁ、お金も貰った事ですし、さっさと街を出ましょう!夜までに次の街へ着かなくては……」


「おい、まだ旅をするとは……」


「あっそうそう、600万モンクは私が持っておきますね〜一応勝者は私ですし」


「この小娘……」


 こうして、紆余曲折ありながらも、旅をする事になった怪物の青年と人形の少女。かくして、ようやく物語の幕は上がることとなる。のべつ幕なしの奇譚の旅が……

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