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FREEKS  作者: 空原 梨代
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1話:白鯨は嘶き、怪物は猛る

 どこまでも広がるような真っ白な雪原を少女は歩く。阿僧祇(あそうぎ)の空、白く(かす)み淡雪の立つ雪で足取りは重く、栗色の髪をなびかせながら一歩進むのにも一苦労だ。少女は軍刀を杖のように使い、一歩ずつたしかに歩みを進める。彼女の背中には十字架が背負われていた。

 やがて、雪原の雪の積雪も太もも辺りだったものが長靴程まで浅くなり、(まば)らながら植物の姿も確認できるようになった。空は(なお)広く澄み、何処までも白く深く、今にも吸い込まれそうだった。



(さかな)の香り……?」


 不意に少女は呟くと、(おもむろ)に駆け出す。少し先、小高い丘の先から小豆を転がしたような音が聞こえる。少女は脇目も振らずに丘を駆け上る。そして丘の上から見えた景色に言葉を失う。

 それは、何処までも続く深い黒。底のない黒と対になるほど伽藍(がらん)で物寂しい白空。押し寄せる荒波が岩肌を削り、小豆を転がしたような音ばかり空白にこだまする。空の白さと相極まって(それ)は漆黒の(しとね)のようだった。


「これが、海……」


 この世界、という名のシステムが回りだしたその日から、少なくともその日よりこの世界を覆い、揺蕩い、注ぎ、満たすもの。生命の淵源、理の一輪。そう本で読んだ事があった。海は全てを知っている。海は何も知らない。だから誰もが彼女を愛し、誰もが彼女を憎む。クールベの描いたような寂寥感が、潮騒と冷たい北風に乗せられて少女を包み込む。

 少女が一息ついたのも束の間、視線を逸らすと桟橋の先に人影を見つけた。打ち寄せる波の音は跫音(きょうおん)を消す。気配を消す。そして、刹那を消す。少女が人影の後ろに立っても、それはこちらに気がついてはいない様子だった。人影は痩せ型の老人で、汚れた衣服をはためかせ佇んでいた。


「あの……」


 少女は声をかけるが、聞こえていないようだ。


「あの、おじいさん……」


 再び声をかける、しかし老人は首を捻るのみでこちらに気がつかない。ゆっくりと老人の肩へ手をやる触れた途端老人は振り返りメルシェと目が合う。


「おぉ……人じゃ、人がおるわ……」


 老人は力無いが驚嘆の声でそう言い放つ。リールを巻き戻し、何もかかっていないことを確認すると、再びメルシェを眺める。


「お前さん、どうしてこんなとこにおる?」


 老人は尋ねる。


「旅をしてるので……お爺さんはどうしてこんなところに?」


 メルシェの問い掛けに老人は(しらみ)混じりの髪の毛を掻き毟りながら


「ワシはずっとここじゃ、産まれてこのかたこの地を離れたことはない……」


 と答えた。


 ───


 所々に薄氷(うすらい)の張った最北の玄海(げんかい)にそれは鳴り響く、オカリナの様に高く、オルガンのように響くそれは極界灘の遥か向こうより迫ってくる。それは突如海面から跳ね上がる。それはまごう事なき白鯨(はくげい)であった。

 体長は優に五十メートルを超える巨躯で体に無数の藤壺を纏った白鯨はまさに幻海の権化。その巨体を空中で翻すと、再びあのオカリナの様な声で(いなな)き、漆黒の海へと潜っていった。凄まじい水音を立て、その飛沫は数キロはあろうこちらまで届いてきた。


「嬢さん、海を見るのは初めてかい?」


 白鯨をただただ呆然と眺めていたメルシェに老人はそう呟く。無言で頷くメルシェを見ながら思い出すように老人は呟く。


「そういえば昔、嬢さんに似た風貌の男が訪ねてきたことがあったけなぁ」


「本当ですか……⁉︎」


 老人の言葉に少女は目の色を変える。


「嬢さんと同じように背中に墓を背負った男だった。あぁ、確かに間違いない」


 老人は記憶を反芻するように顎を指でさすりながらそう答える。


「その人は……何か言っていましたか……?」


 メルシェは少し悲しげに辿々しく尋ねる。


「さてな、何しろ何年も前のことじゃしなぁ……ただその男は哀しそうな顔をして海を見ておった」


 老人は海を見ながら思い出すように呟く。広大無辺の海の原、浜で荒々しく岩を穿ち沖で静かに音なく佇む。さらにその向こう、水平蠢く陽炎は果たして私達の知るそれなのだろうか。


 ───


「──、なぁ老人」


 墓を背負った青年は烟草を吹かせながら尋ねる。


「なんじゃ、若造」


「ここは寒いな」


「何を当たり前な……ここは雪の国(スニークルズ)のそれも最北端(ガロム)じゃぞ」


 老人は呆れたように答える。北風は雪を巻き上げドラム缶の焚き火を揺らし吹き荒む。


「神信心が灼かなやつほど天国に行けるそうだ。だが考えてもみろ、神やら何やらに仕えない連中はどこへ行く?……そういう人間はきっと今、この泡の中にいるんだ。波に立つ白銀(しろがね)(まだら)はそう言うものたちなんだ。けったいな話だろう?」


 青年は徐に呟く


「鷹の歌か?ならもう一度頭を垂れねばな」


「博識じゃないか」


 青年は少し嬉しそうに口を綻ばせ、その口から煙を吐く。烟草の煙と白い息が来たの空に昇っていく。遍くものが微睡むように眠っている。それを眺めるが彼はそれが浅いものと知っている。

 そう、だから君、覚えておくといい。この広い地平に人類の跳梁跋扈の余地などなく、頂きの峰々から深海の底まで、本当の意味で我々の領地など存在しないのだ。


 ───


「ワシの名はサンチャゴ、この辺りにはワシ以外誰も住んどらん。旅の少女、荒屋で良ければ泊まっていくといい。」


 そう言い放つとサンチャゴと名乗る老人は竿を片手に徐に歩き出す。衾雪を歩むは二人の人影、そぼ降る雪は音を殺す。メルシェは無言のサンチャゴに無言で付いて行く。軍刀が雪に引っかかり歩きづらい。

 やがて一軒の小屋が見えてくる。荒れ果てまるで廃墟のような小屋だ。老人は鍵のない扉を開けるとその中に入っていく。外見に違わず廃れたの小部屋で、寝台と様々な物が無造作に置かれていて、文字どおり足の踏み場もない状態だった。老人は転がっている瓶や缶を部屋の隅に投げやり、スペースを作ると座り込みメルシェに寝台に座るように云う。


「大したもんは出せんが雪風は凌げる、まぁ、気がすむまで居ればい」


 サンチャゴは未開封の缶詰をメルシェに差し出す。メルシェは十字架を降ろしながらそれを受け取る。


「ここには貴方しか住んでいないんですか?」


 メルシェは手にした缶詰を摩りながら尋ねる。


「ワシらの先祖がここに移住したのがちょうど二百年ちょい前、この辺りはニシンがよく取れてな、かつてはそれなりの集落があった。じゃが時代が進むにつれニシンは減り、村を維持するのが困難になった。一人、また一人とここを去っていった。ワシの家族も……」


 サンチャゴは空の酒瓶を握りながらそう語る。どうして……とメルシェが口を開こうとした刹那、再びあのオカリナのような声。


「捨てる事ができなんだ、あの歌声を……産まれた時からあの歌声を子守唄に生きてきた。あの白鯨に先祖代々、この海共々守られてきた。それに……」


 サンチャゴは口を噤むその顔は魚油の行灯によって明暗が映えていた。


「高慢かもしれんが、彼奴を……白鯨を一人にするのが偲びなかった……」


 口を綻ばせそう言う彼の顔は何処か幸せそうだった。しかし、突如顔色を変えると胸元を押さえ苦しみ出す。


「大丈夫ですか……⁉︎」


 メルシェはサンチャゴに駆け寄るが、彼はそれを静止する。


「心配ない、薬がある」


 老人は胸元から薬瓶を取り出す。


「これは例の男に貰ったものでな」


 老人は薬瓶を手に振り、それを口へ持っていき薬缶の注ぎ口から水を啜る。


「その男の人、多分私の師匠です」


「そうか、それなら改めて礼を言っといてくれ……」


 サンチャゴの言葉にメルシェは残念そうに首を横に振り


「師匠は今消息不明で……」


「そうか……」


 サンチャゴは深く頷き


「お前さんは、どうして旅なんかしとる?」


 サンチャゴはメルシェに続け尋ねる。


「私は、世界を見たいんです。色んな場所へ行って、色んな人と出会って、色んな体験をして、そして、私の在り方を考えたいんです。死んだって言われている師匠だって、本当は生きているかも知らないですし……」


「そうか……」


 老人は深くゆっくり、何度も頷いた。



 やがて夜も更け、行灯の灯りも消えた。メルシェに寝台を提供したサンチャゴは床に直で眠っている。メルシェは慣れない寒さに目を覚ます。毛布に(くる)まるがどうにも寝付けない。仕方ないので、ゆっくりと起き上がるとサンチャゴを踏みつけないよう、ゆっくりと足を運び、外へ出る。

 外は白銀の大地を月光が照らす美しい世界だった。風も少なく雪も止んでおり音の無いまるで絵画のような世界。不意に海を見ると、白鯨が飛び跳ね嘶く。

 それでも、世界は白と黒のみ、跫音も(たゆ)る。


「師匠……世界の端は少し寂しい所でした……」


 メルシェは誰かに語りかけるようにそう呟くのであった。


 ──

 ────


 翌朝、サンチャゴは死んでいた。彼が薬瓶と言っていたそれを手に取るが中は空だった。よく考えれば至極当然である。数年前から患っていて、師匠に貰ったのだとすればとうに薬も無くなっていただろう。メルシェはサンチャゴの痩せ細った体躯を抱えると、何も言わず小屋を後にした。

 骨と皮だけの亡骸のなんと軽いことか、それが命だったものの重さであると思いたくないほどに軽薄なそれは、しかしメルシェの心に、まだ幼い少女の魂にのしかかるには些か鈍重である。


「生死の去来するは……なんたらって……私には一生わからないのかも……」


 メルシェは海岸線に一人佇み、海を眺める。そして、背中に担いでいた十字架を降ろし、徐に地面に突き立てる。私に彼の骸を弔う資格などあるものか、しかしされど勤めとは往々にしてそういうものだ。


「せめて、海の近くに……」


 そう呟くとメルシェはその場を後にする。元来た雪原を再び歩く、背後で大きな水飛沫、オカリナのような白鯨の声。しかし振り返ることはない、それは別れを惜しむものではなく、慰歌だと知っているから。

 彼を弔いいくばくか進んだ頃か、暫く歩いていると、出会いたくなかったものと遭遇する。それは巨大な獣だった。洞穴獅子と呼ばれるそれは最北端の王、ただの獣(・・・・)の中では食物連鎖の頂点に君臨する存在だった。体長二メートルを優に超えるその巨体と鋭利な爪と牙、光る眼光は旅の少女を狙っていた。しかし、メルシェは怯むどころか剣に手を添えると、一瞬で間合いを詰め、自分の三倍はあろうかという巨獣を一撃で斬り伏せてしまう。


「彼方に見えるのは一抹(いちまつ)泡沫(うたかた)彼岸(ひがん)の歌が聞こえる、此岸(しがん)の我らは何を思う」


 血飛沫の中、メルシェはそう口ずさむ。少女は死を知らない。

 温もりを知らぬその身体に血は通わず。故にその者、人に(あら)ず、魔に非ず、(ひじり)に非ず。ならば、少女は何ぞや……


 ───


「そいつが無くなったらいい加減ここから去りな、そんな下らない病でくたばりたくなけりゃな」


 十字架を背負い直し、立ち去る間際、青年はそう告げた。


「考えとくよ」


「本当だろうな?あぁ、そうだ。もし、あんたがここにいるうちに、彼女が訪れたら言伝(ことづて)を一つ頼まれて欲しい」


「言伝?誰かがここを訪ねると?」


「あぁ、多分きっとな。俺の弟子だ。若い娘らしい」


「らしい……?なんじゃその歯切れの悪さは……」


「あぁ……正味な話、現在の俺に弟子なんていない。これは少し未来の話をしている」


 青年の言葉に老人は首を傾げる。


「未来の話?意味がいまいちわからん」


「だろうな、だが来る。大嫌いな知り合いの言葉曰くそうらしい、そいつの予知は全て的中する」


「魔法か?」


 老人は訝しげに尋ねる。


「厳密には違うがそんなもんだ。ラプラスの事は話せば長くなる。兎角、俺と同じ少女が来たら伝えてくれ」


 ───


 満月の夜、人知れぬ深い森の中、青年はひたすら歩いていた。誰もいない場所を探す為、誰にも会わなくて良いように……人目を避けて生きる、其れが青年の精一杯の善意であった。しかし……


「おい!てめぇ、こんなとこでなにやってんだぁ?」


 目の前に現れたのは松明を持った男、見渡すと青年は山賊に囲まれていた。


「くひひ……有り金全部置いてったら命だけは助けてやるぜ?」


 山賊の一人が金品を渡すように催促する。


「やめろ……」


「あぁ?」


「逃げてくれ……!」


 青年は苦しそうに額ずき懇願する。


「あぁ⁉︎誰が逃げるだぁ⁉︎何ぬかしてんだてめぇは!」


 山賊の一人が激昂し、青年に突っかかる


「逃げろ!!!」


「あ?」


 一瞬の出来事だった。山賊は真っ二つになっていた。青年の忠告も虚しく、其れは起こってしまった。そして、そこに立っていたのは先程の青年ではなく、異様な怪物であった。


「な……何だこいつ⁉︎」


「か……構うな、!殺せ!」


 山賊達は武器を構え畳み掛けるが怪物は片腕で其れらを薙ぎ払う。その力は圧倒的で、薙ぎ払われた者で息をしている者は既にいなかった。恐怖した山賊達は武器を捨て一目散に逃げ出す。しかし、怪物は逃さない。一人一人、文字どおり虱を潰すように丁寧に切り裂いて行った。

 やがて夜も更け、青年は目を覚ます。辺りを見渡すと無数の人だったものに気がつく。


「どうして……!」


 自らの血に濡れた手を眺めながら青年は咽ぶ。


「俺は……化け物なのか……」


 生きとし生ける者は誰しも、自分が何者であるか、選んで生まれてこれない。青年がそうであるように……されどそれは諸々の矜持であり、諸々の誇りとも言えるものである。しかし、今の青年にそれは能わず。ただ、己を嘆き獣のように吼えることしか出来ない。

 青年は……否、怪物は猛る。その咆哮は谷を越え山々を貫き響く。怪物は探す。己が在るべき場所を、己が在るべき意義を、意味を。己が在るべき理由を。

 怪物の旅は今より始まるのだ──


暇を見つけて急いで書いてたら

全然字数が無いですね…

次回からもっと字数を意識します…!

よかったら次回も読んで頂けると幸いです!

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