7話:魔王の庭園
そろそろ用語、人物集を作らなければ…
驟雨そぼ降る人影なき深い森の中、男は歩いていた。髑髏で拵えられた、ひどく草臥れたの頬当を付け、これまた草臥れた黒いマント纏い、腰に左右二本、計四本の片刃剣を携えた男は、鬱蒼と茂る林地を行く。その姿は恐々しく、放つ気こそ禍々しいものであったが、彼の背中はひどく淋しいものだった。
不意に男が立ち止まる。目の前に小柄な人影が倒れているのだ。男はゆっくりそれに歩み寄ると、それは少女であった。男物のぶかぶかのオーバーコートを羽織り背中に自身の身の丈よりも巨大な十字架が覆うように少女が衰弱して倒れていた。
「そのコートに十字架、お前……」
男は少し驚いたように呟くが、衰弱しきった少女に言葉が届いているはずなどなく、応答えるのは雨音のみだ。
「どうやら、賭けはお前の勝ちのようだな……墓師」
男はそう吐き捨てるなり、大きな溜息を吐き徐に少女を背負う。
「し……しょぅ……」
少女は苦しそうに誰かを呼ぶ。
「俺はあの男ではない。全く……この叛逆者が、随分と腑抜けてしまったものだ……」
少女を背負うとそう溢しながら雨垂れの最中、男は帰路を急ぐのであった。
────
鬱蒼と茂る深い森の中、二人の旅人が歩いていた。少女と青年の二人組みで、少女はどうやらひどい怪我をしているらしく、あの雨の日と同じような格好で青年が少女を背負い歩いていた。
「お前の先生ってどんな人だよ?」
青年ルゥが少女メルシェに尋ねる。
「一言で言えば出鱈目な人です」
メルシェは空を眺めながら呆と答える。
「目の前に立ちはだかるものを剣一本で斬り伏せ、我が道を行く。そんな人ですかねぇ……」
「はぁ……」
ルゥには些か理解しかねる節もあったのだろうが、それは後に痛感することになる。ウィリアムの筆で描かれたようなシラカバの茂る湖畔を歩く2人を臨むのは猛禽の双眸か将又……
「痕跡を発見、かの人狼のものと見て間違いないかと。はい、山の邦の最西端です。はい。追跡、発見次第隙を見て始末します──」
二人を追う複数の影。影は虚ろに潜む狩人ら。獣の薫りを追い山を見ぬ者なりや、首に下げた砕けた十字架が何を意味するかを追われる2人が知る由などない。
どれだけ歩いたことだろう、軽い体躯とてそれなりの重さがある、ルゥの体が疲れを覚えだした頃、ようやくメルシェが声を上げ指を差す。指先を辿ると、その先には確かに煉瓦の敷き詰められた仰々しい壁と、その向こうに臨む館が確認できた。二人が辿り着いたのは古びた洋館、蔦に飾られた煉瓦の壁をを超え、白石で拵えられた回廊を歩く。左右を見渡すと、古今東西、四季折々、兎角、ルゥが見たこともないような色とりどりの草花が美しく咲き乱れている。
──これが、メルの剣の師の家……?
剣の師は女性なのか……?とルゥがひとり思い耽っていると
「おい」
刹那、背筋の凍りつくような殺気と声に思わず立ち止まる。声のする方へ向くと、そこには男が立っていた。髑髏の頰当に黒く煤けたマント、顔はよく確認できないが、歳はルゥと同じくらい、或いは若干若いようにすら感じた。手にはメルシェの軍刀に似た装飾の片刃剣を握っている。あまりの殺気にルゥは思わず身構える。
「旅人か、この庭に何の用だ……?用がなければ、麓の村に……」
「先生!ただいま戻りました!」
ルゥの背中の上から、男に向かってメルシェは元気に挨拶する。
「……」
男は何かを察した様に、暫し沈黙すると不機嫌に剣を鞘に納め
「入れ……」
とだけ言ってそそくさと去ってしまった。洋館内は絢爛だがどこか趣があり厳かとも雅とも形容できる雰囲気に包まれていた。館に入るとすぐに女性が出迎えてくれた。使用人服姿の麗人で彼女はかしこまるなり
「いらっしゃいませ、旅のお方。メルシェちゃんもおかえりなさい。旦那様から話しは伺っております。どうぞごゆるりと……」
と深々と頭を下げ、ルゥを大広間に案内する。大広間には美しく、どこか不揃いな絵画が壁を彩っていた。
「モナドさん、ただいまです!」
ルゥに椅子に座らせ貰ったメルシェの姿を見るなり
「あらあら、随分ヤンチャしたのね……」
と微笑みながらメルシェを撫でると、ルゥの方を見ながら
「あなたはメルシェちゃんのお友達……?私はモナド、モナド・スコット。あなたは……?」
「ルゥです、ルゥ・ガルー。彼女とは、まぁ成り行きといいますか……」
ルゥは言葉を濁す。確かにメルシェとの関係性を今まで真面目に考えたことなどなかった。
「彼も自分探しの旅の途中だったんですよ、だから一緒に探しませんか?ってことで一緒に旅をしてるんです」
メルシェがそう言うとモナドは何かを察したように微笑み
「そう……見つかるいいわね」
とだけ話し、メルシェの傷の具合を見るため機材を取りに行った。ルゥはメルシェに辺りを散歩してくると告げ、館の外に出る。白石の道を少し外れると、花々の園がルゥを取り囲む。メルシェと自分の関係、それは何なんだ……?どう形容すればいい?友人?何か違う、戦友?そんな血生臭いものでもない、恋人?論外だ。だとしたら……そう思い耽っていた最中不意に
「おい」
と先ほどと同じ声がする。振り返ると、やはり先ほどの男、メルシェの師が立っていた。メルシェ曰く名は確かエドヴァルドと言っただろうか。
「あんたは、メルの剣の師……」
「お前はメルシェと旅をしてきたんだったな」
ルゥの声を無視するように彼は詰問する。
「えっ、あぁ……」
ルゥは思わずそう返す。
「何故、ああなるまで放っておいた?」
「えっ?」
「何故、あいつを止めなかった」
その声にはどこか怒りのようなものを感じられた。
「あの馬鹿には痛みを知らない。それは、自身の身体に対する自制が効かないということだ。人間、基本来意思を持って戦う者には生まれながらに痛覚が付いてくる。それは自制の為であり生き残る為だ。だが、人形だったアレにそれは無い。お前も共に旅を続けていたのだ、それくらい知っているだろう?」
ルゥは無言で頷く
「どうせ、あの馬鹿のことだ。また無茶して俺の剣を真似たのだろう……」
「真似もなにも……あんたが彼女に剣を教えたんだろ?少なくとも俺はそう聞いている」
それを聞くとエドヴァルドは吐き捨てるように溜息を溢す。
「俺が教えたのは剣の握り方、振り方、いなし方だけだ。それ以上のことは一切教えていない」
「どうして……」
「意味がないからだ。それ以上以下の理由もない」
彼曰く、メルに彼の剣術は体格的にも技術的にも合っておらず、自身にあった剣術を自分で考えろと旅に出る彼女に告げたそうだ。それは剣の師になるのか……? 兎角、メルシェは彼の元でただ只管、剣の基礎を3年鍛え続けたそうだ。
「意味がないって……確かに向かないとはいえ、旅に出る弟子に基礎中の基礎だけしか教えないのは師としてどうかと」
ルゥは怪訝に呟く
「仮に、もし仮にだ。お前の目の前に命を奪う術を、ただ只管に鏖殺の術を授ける者が現れたとして、それをお前は恩寵と、導きと讃え、受け取るか?」
エドヴァルドは踵を返して、ルゥと相対する。彼は言葉だけをルゥに投げかけるがその言葉には往年の刃に積み重なった彼の恐ろしさが滲み溢れていた。ルゥが言葉に詰まっていると、エドヴァルドは再び溜息を吐き
「少なくともあの小娘にそんな度量も必要もなかった。それだけの話だ。尤も、今はまだというのが正しいだろうがな」
「これから先、彼女にあんたの、殺人剣が必要になると言うのか?」
ルゥは尋ねる。
「飽くまで先は誰にもわからないというだけの話だ。だが、お前もわかっているはずだ、この世界は誰かと手と手を取り合うだけでは生きていけるほど生半なものではないことを、神代以前からそうだ。結局救う為には殺さねば、与える為には奪わなければならない。盲目の創造主と、白痴の支配者共をこの世界から追い出せども何も変わらなかった……」
その言葉は、天地開闢の成り行きすらまるで知っているかのような口ぶりだった。
「あんた一体……」
しかし、言葉はかき消された。凄まじい衝撃で煉瓦の壁を砕き、植え込みを踏みつけそれらは侵入する。黒い装束を纏った無数の兵隊達。黒い装いこそ揃えているものの、その他に統一性を感じられない。正規の軍兵というより傭兵に近いものを感じた。彼らは隊伍を組みルゥ達を取り囲む。
「こいつらは⁉︎」
ルゥは思わず男に背中を預け尋ねる
「知るところではない、だが……」
男は兵に踏み付けられた花々を一瞥するなり眉を顰める。
「無駄な抵抗はするなよ、人狼。抵抗をしようがしまいが、ここで死ぬ事実は変わらない。数刻とて命は惜しいものだろう?」
兵達の中から隊長格らしき人物がそう告げる。黒装束に白髪の長髪、二本の太刀を携えた男だ。首には砕けた金十字を下げている。
「てめぇ……」
ルゥは確信した。その風貌、首に下げた十字架、それになによりルゥのことを人狼と呼ぶそれが、彼が何者かも物語っていた。
「申し遅れた、私はイゴール卿傘下。金十字、エゴン・マーカス」
男はそう名乗る。やはりイゴールの配下の元教会魔術師。アルベールに聞いたように、やはりイゴールはルゥを追っているようだ。
「何故俺を追う、俺が人狼だからか?」
「貴様が知る必要はない」
エゴンは両鞘から双剣を引き抜く。涼々と滾る炎と、沸沸と凍える刃のそれは、魔剣と呼ばれるもののそれ。
ルゥは徐に腕と足を変身させる。その爪はいつもより強靭にも、禍々しくも見えた。綽々と、しかし裂帛たる間合。風を切る音を轟かせエゴンとルゥの刃と爪が火花を散らす。
「教えられないと言うのなら、手足を剥いででも教えてもらう……!」
ルゥは鍔側まで顔を寄せ猛獣地味た犬歯を剥き出しにしてそう叫ぶ。
「害獣が……!掛かれ!獣狩りだ!」
エゴンがそう合図すると黒装束の軍勢は各々の刃を抜き構える。彩られた庭園は僅かな間に戦場と化してしまった。
季語で言うなら鞦韆。庭には色とりどりの花が咲き乱れ、季節を謳歌していた。彼女が見たらきっと喜ぶであろう。彼女が帰ってくるその日までこの庭はかくあって欲しい、庭の管理人はそう願っていた。しかし、不毛で理不尽な蹂躙が花々を踏み潰す。そしてそれが、古庭の管理者の怒りを買うことになる。
「退け、手を出すな」
そういうなりエドヴァルドは片刃剣を抜く。
「だが、あいつらは俺を……」
ルゥはそう言いかけるが
「知ったことか……」
と一蹴する。
「お前達。どこの誰かは知らんが、誰の庭を踏み荒らしたか思い知らせてやろう……」
エドヴァルドは台頭しそう告げる、その背中には先程とは比べ物にならない殺気が、怒りが、剣気が感じられた。
「貴様こそ、どこのどいつか知らんが、害獣を匿うと言うのなら容赦はせん……」
エゴンがそう告げ指を鳴らすと、黒尽くめの兵隊は一斉に男に襲いかかる。ルゥは加勢するべきだと構えていたが、この時メルシェの言葉を思い出す。
──
目の前に立ちはだかるものを剣一本で斬り伏せ、我が道を行く。そんな人ですかねぇ──
その言葉の意味を彼は痛感することとなる。
「人間共が……身の程を知れ!」
男はそう吐き捨てるなり、目の前に迫る敵を次々と一振りで薙ぎはらって行く、迫る剣をいなすどころか
、その剣ごと相手を叩き斬り潰す。迫る有象無象をたった一太刀で有無を言わさず切り伏せる。まるで麻布や綿を切り捨てるように。男は一歩たりとも動かずに、周囲に屍の山を築き上げる。黒尽くめの軍勢も、格が違うと察し距離をとる。
「粒を揃えたところで所詮は虜囚、駒にもならんか……」
エゴンはそう言いながら男に近づく。
「剣客同士、先ずは名告ろうではないか」
エゴンは自らの手袋を外すとエドヴァルドの足元に投げ落とす。言わずと知れた古典的な決闘の申し込みである。しかし
「ふん、エゴン・マーカスと言ったか。成程な、あのマーカス家か。音の国の没落旧家。その魔剣。矛盾剣、滾冰と凍炎の双剣はマーカス家の家宝だったな。古き伝統の踏襲に二の足を踏んだ様がそのそれか、哀れなことだ」
エドヴァルドはエゴンの申し込みを受け入れるどころか、その手袋を踏みつける。
「貴様……!」
激昂するエゴンを他所にエドヴァルドは剣で手袋を貫くと先端に突き刺したまま放り投げエゴンに投げ返す。
「決闘だと?巫山戯るな糞餓鬼。そんな大仰を言い張るのは、下げた金十字の鍍金を剥がしてからにしろ」
古来より決闘は同格の者同士の雌雄を決するもの。その申し込みを踏み躙るということの意味は一つ。エゴンは足元に捨てられた泥で草臥れた手袋を無言で一瞥し、ゆっくりと体を傾けるそして。
「殺す!!!!!!」
一閃、芝を剥がすほどの踏み込みの後、刃は鞘から抜けていた。ルゥですら認識できないほどのスピード。やはりこの男は教会の魔剣士、その強さは伊達ではないということだ。
「後悔させてやる!!我がマーカス家を!何より私を侮蔑したことを!!後悔させてやる!!!!」
冷たい炎を滾る氷の刃は既にエドヴァルドの喉元に迫っていた。
「避けろ!!」
思わずルゥは叫ぶ。しかし、それは刹那驚きと困惑の声に変わる。なんとエドヴァルドは2振りの刃が交差するタイミングでその双剣を手で握り止めていた。
「それで、次はどうする?」
エドヴァルドはつまらなそうに尋ねる。
「舐めた真似を……!これならどうだ!!」
エゴンは双剣に更なる魔力を込める。剣の青白い炎を紅蓮の冷気が徐々に力が増していく。
「相反する運命!わが剣技の前に塵と……」
エゴンがそう叫び終える前にバキンと、鈍い金属音が鳴り響く。そして先程まで輝きを帯びていた双剣が輝きを失い、まるで飴の様に砕け落ちる。なんとエドヴァルドは相手の大技を握り潰したのだ。素手で。
「それで、次は?」
再び尋ねる。エゴンは言葉を失う。同じく彼の周りを囲う傭兵も絶句する。
「なんなら貴様ら全員で一斉でもいいぞ。取り巻きども」
エドヴァルドは最早エゴンは眼中にないかのように周囲を取り囲む黒装束にそう言い放つ。黒装束の傭兵達はあまりの強さに後退りする。
「ふざけるなぁぁぁぁあ!!!!!」
エゴンは青ざめた肌になお青筋を立てて、激昂し折れた魔剣を擦りかざす。
「邪魔だ」
エゴンの皺くちゃの顔面にエドヴァルの拳が容赦なくめり込む。エドヴァルドはエゴン相手に結局一度も剣を使うことなく屠ってしまった。エドヴァルドの拳を受けエゴンは黒装束の取り巻きを巻き込み崩れた壁の外まで吹き飛んでいった。
「息のある奴は屍共を連れて帰れ、邪魔だ」
エドヴァルドは先程斬り伏せた屍の山を指差し吐き捨てる。残党達は彼を恐れ彼の言うまま、仲間の体躯を背中に担いでわななき山道を下っていった。
ルゥは納得した。メルシェの言っていた言葉の意味を、そして、彼女に彼の剣が向いていないという理由を……
「あんた、一体……」
「俺の名はエドヴァルド、かつて魔王、叛逆者と呼ばれた男だ」
男の名前を聞いてふとあたりを見渡す。咲き乱れていた花々は軍靴の足跡と共に泥濘に滲み、あの美しかった庭園が見る影もない。
「悪い……俺の所為で庭が……」
「本気でそう思っているのであれば早急に死ぬべきだ。今回の刺客は前哨に過ぎない、お前が生き続ける限りアレらはお前を追ってくるだろう」
その口ぶりはルゥの素性を理解しているようだった。そう、これから旅を続けていく中で、恐らく、いや必ずどこかで先の様な刺客とまた対峙することとなる。イゴールが何を考えているのかはわからないがそうなった時、俺は奴らに勝てるのか……?俺は強くならなければならないんだ。
「強くならなければ……」
「戯け」
エドヴァルドが不意にそう告げる。
「自身の力もコントロール出来ぬ奴が安易に強くなるなど口にするな。貴様の力は極端すぎる。死ぬか殺すかの取捨択一ほど凄惨かつ愚かなものはない。そうだろう、人狼よ。貴様はどう在りたいのだ」
「俺は……」
そうだ、今のままではイゴールは疎か恐らく先の金十字にすら勝てるかどうか……だが、力のコントロールと言われてもあの衝動に呑まれることなく力を使うのは至難だ。だがこのままでは居られない。それは、自分が一番理解していた。
「かくある様に望め、渇望は人を強くする。尤も、お前は人ではないがな……」
エドヴァルドは剣を納めながらそう告げる。騒ぎの収まりを察知してか、モナドが館の影から現れる。
「追い討ちは……?」
モナドの静かにエドヴァルド尋ねる。彼女のか細い指に僅かばかり力みが見える。
「放っておけ、連中に二度襲う度量などあるものか」
「承知しました」
僅かながらの沈黙の後、モナドは穏やかな笑みでそう答える。
「まぁこれは……、お掃除が大変ですわ……」
続けてモナドが辺りを見渡し呟く。
「して、あの馬鹿の様子はどうだ?」
エドヴァルドは尋ねる。
「はい、肉体的疲労がかなり溜まっています。数日はここで休ませるべきかと……それと、切断された右腕と左足の経絡ですが、やはり私では修理の仕様がありません。もっと腕の立つ方でないと……」
モナドは静かにそう告げる
「そうか……」
エドヴァルドはそうとだけ云うと庭を一瞥し、モナドに片付けを任せ一人去っていった。彼女一人に片付けさせるのも偲びないためルゥはモナドと共に瓦礫や土塊を退かしていた。夕闇が森にとけ、二人の影を大きく写す。山の淵に落ちる紅に、照らされる庭園を傍目にルゥは口を開く。
「あの、この瓦礫は何処に置けばいいですか?」
「すみません、お客様にまで。壁沿いに瓦礫置き場を作っておきましたので、そこに……こういう時に修復魔法が得意な方がいれば楽なのだけど、生憎私は専門外で……」
モナドは申し訳無さそうにそう呟く
「いえ、元々あいつらの目的は俺だった訳ですし、手伝わせてください……」
ルゥは手を止めずそう返す。
「また、五年、もしかすると十年。前の様に綺麗な園を作るにはかかるかもしれない……」
モナドは少し悲しそうにそう告げる。
「この庭は、エドヴァルド氏の……」
不意にルゥが尋ねる。
「いいえ、違うと仰っていました」
モナドは静かにそう返す。
「では、誰の……?」
ルゥの質問にモナドは首をふりながら
「わかりません。けれど、旦那様にとって、とても大切な方だと仰せられておりました。とても大切な方からの預かり物だから、決して汚してはならないと、何年も何年も一人で守ってきたと……」
とだけ答えた。
「一体、いつから……」
「さぁ……、私がここにお勤めさせて頂く様になったのが丁度十年前、その時には既にかの花園は美しく咲き乱れておりました」
夕紅の中、枯梅の梢が揺れる薄闇の影にて二人の話譚をエドヴァルドは静かに耳を澄ませているのだった。
─────
翌る日、壮麗な朝焼けが山の麓を照らす。優しく柔らかな斜光が窓から差し込む。ルゥはその光で目を覚ます。
部屋は少し小ざっぱりしてはいるものの趣のあるオルモル家具で拵えられたやはり美しい部屋だった。ルゥはゆっくりと起き上がると、着替えを済ませ広間に向かう。広間では既にモナドが朝餉の支度を済ませており丁度メルシェも起きてきたところだった。片足が動かず片腕も失ったメルシェは松葉杖を片腕に、壁を伝い器用に部屋に入ってくる。
「おはようございます、よく寝れました?」
メルシェは寝ぼけた目を擦りながら尋ねる。
「あらメルちゃん、起きたら声をかけてっていったでしょ?」
モナドは驚いたように目を見開き、彼女に駆け寄る。メルシェの身体を抱えると、車椅子に着かせる。
「このくらいなら一人でできますよ!」
メルシェはそう答える。
「そんな身体なんだからちゃんと人に頼らなきゃダメよ?ごめんね、車椅子が届いたのが今朝で……」
モナド曰く、麓の町から仕入れたそうだ。ルゥは静かに頷き辺りを見渡す。しかし探し求めている相手はまだ来ていないようだ。
「旦那様ならお昼頃お目覚めになられますよ」
モナドの言葉にルゥは静かに息を吐き、並べられた朝食にメルシェと共にフォークをつけるのだった。
─────
「稽古をつけてくれないか……?」
白昼、エドヴァルドにそう懇願したのはルゥだった。一人用のソファに座し新聞を読み耽っていたエドヴァルドは彼の目を一瞥すると、小さく溜息を吐き新聞をテーブルに置くと何も言わず徐に部屋から出て行く。ルゥは少し戸惑った様子だったが、彼に着いて行くことにした。
エドヴァルドは屋敷の門を出ると山道を進む、辺りは一面紅葉の世界、麓を見下ろせば実った稲穂が黄金色に揺れている。もうすぐ新嘗の時期だろうか……そんな事を思い耽りながらルゥはエドヴァルドのあとを着いて行く。不意にエドヴァルドが立ち止まり振り返る。そしてルゥを凝視しながら
「取り敢えず、本気でかかってこい」
と告げる。
「こ、ここでやるのか……?」
ルゥは思わず尋ね返した。辺りは数多の大樹に囲まれた樹林、障害物が多く稽古をするのに向いている場所とは思えないからだ。
「場所は関係ない。むしろお前達狼男にはお誂え向きの環境だろう。周囲を取り囲むのは樹齢数百年の大樹、それは強靭かつ柔軟な肉体を持つお前の力を最大限に活かす環境だ」
エドヴァルドはルゥを一瞥し続ける。
「さぁ、殺す気で来い」
そう言われルゥは徐に手と足を変身させる。そして、聳え立つ幾本もの大樹の上をまるで猿の様に飛び回る。その速さは徐々に増して行き、そして緩急をつけた刹那、エドヴァルド向けて急降下する。
エドヴァルドはルゥを視野で捉えて居なかった。しかしエドヴァルドはあっさりとそれを躱し代わりに手甲をはめた拳をルゥにお見舞いする。
ルゥは勢いよく吹き飛ばされ、木にぶつかる。
「なっ……⁉︎死角だったはず……!」
ルゥは思わず叫ぶ。
「この距離感で死角も糞もあるか、お前が飛び回っている間お前の位置はお前の空気を切る音でハッキリ確認できる。それが何処で止まったかもな。あんな攻撃、目を瞑っていても避け切れる」
エドヴァルドは呆れ返った様に呟く。
再びルゥはエドヴァルドに迫る、今度は体を靄のように透かしエドヴァルドの攻撃を躱し迫る作戦だった。しかし、エドヴァルドは靄になっているルゥに平然と掴みかかり自然に捩じ伏せる。
「馬鹿な……⁉︎」
ルゥは思わず叫ぶ
「幻霧、自らの身体を霧化させる。多くの人狼が自然体得するもの。体躯の霧化とだけ聞けば聞こえはいいが、実際は自らの体を霧状に擬態している様なものだ。規模も範囲も行動時間も非常に短い。燃やせば燃えるし、凍らせれば凍る。弾丸や刃は躱せても、魔力を纏えば容易く触れることができる安易な駄術だ。そんな遊戯が俺に通用すると思うな」
エドヴァルドはそう吐き捨てルゥを突き放す。
「言っただろ、殺す気で来いと……」
その後、ルゥは何度もエドヴァルドに様々な方法で距離を詰めるが全て返り討ちに遭ってしまい、打つ手なしとなっていた。
「何故、完全狼化しない」
エドヴァルドはイライラしながら尋ねる。ルゥは満身創痍の身体をゆっくりと起こしながら答える。
「あれは……俺じゃない。あれに頼ったらダメだ……」
「いいや、お前だ」
その答えをエドヴァルドはあっさり否定する。
「お前がどれだけそれを否定しようが関係ない、それはお前の中に眠っている他でもないお前の一面だ、ルゥ・ガルー」
「違う!あれは俺なんかじゃ……」
「現実を受け入れろ、其れはお前の狂気であり本能であり力だ……」
エドヴァルドはそう語ると剣を抜き、こう続ける。
「これより先は、手加減なしだ。死ぬか生きるか、お前の本能に問え……!」
ルゥは凍りついた。エドヴァルドの放つ殺気は今までに感じたことのない程強大で禍々しいものであった。確信した、目の前に居るのは紛れもない怪物、自分以上の怪物なのだと。
エドヴァルドは静かに剣を振りかざす。逃げなければ、されど恐怖で膝が動かない。間髪入れず、エドヴァルドの刃がルゥの腹部を掻き斬る。剣は深々と腹を裂き、血や臓物が溢れる感覚が襲う。痛みはない。今まで一度も、幾度となく。繰り返した、初めて体験した。これが死の感覚───
「……!」
エドヴァルドの頬を裂帛する爪。それは怪物のものであった。エドヴァルドはそれをかわし体勢を崩しながらも強烈な蹴りをルゥに打ち込み、ルゥは大木に土煙をあげ打ち付けられる。
「かつて、何度か人狼と斬り合ったことがある。奴らは死ぬその瞬間まで笑っていた。戦闘の間隙に生死の交わる血みどろの悦に浸っていた。わかるか……?お前の中に流れている血は、紛うこと無き怪物の血だ!さぁ、幕を開けろ!闘争の帳に乗じろ!!」
エドヴァルドがそう叫んだせ刹那凄まじい衝撃が森に迸る。木々の間を割き烏合を吹き飛ばし梢を揺らすそれは咆哮であった。エドヴァルドの目の前に立つそれは最早、人ではなかった。
「あぁぁ……!」
言葉とも唸り声とも取れる声でルゥは叫ぶ。
「お手並み拝見だ」
エドヴァルドは剣を構えそう呟く。ルゥはゆったりと立ち上がると、一瞬でエドヴァルドとの距離を詰める。そして凄まじい速度でエドヴァルドを殴り飛ばす。エドヴァルドは木々を突き抜けるが、何事もなかったかのように起き上がる。
「確かに、これは先程とは比較にならんな」
エドヴァルドは少し感嘆とした態度で呟く。
ルゥは再び凄まじい速度でエドヴァルドに迫る。しかし、エドヴァルドは避けるどころかルゥの動きを見切り剣の柄をルゥの鳩尾に打ち込み、そのまま回し蹴りでルゥを吹き飛ばす。
「狂気なんて小洒落たものではない、アレはただの本能だ」
エドヴァルドは吐き捨てるように呟く。エドヴァルドに吹き飛ばされたルゥはゆったりと起き上がる。
「恐怖による緊縛、揺蕩う憎悪、怒り、なんでもいい。理性をそれらが塗りつぶした時、本能は身体の主導権を奪う。しかし……」
衝撃でルゥの腕はあらぬ方向に曲がっているが、彼は無理やりそれを元に戻す。
「力と本能が肉体を追い越してしまっている。これは調整が必要だな」
独り言のように繰り返すエドヴァルドへルゥは再び迫る。ルゥは強靭な爪でエドヴァルドに切りかかるが、エドヴァルドはそれらを全て捌き、ルゥの片腕を切り落とし、さらに背中に二本の片刃剣を突き立てる。
これには堪らずルゥは叫び声をあげる。しかし、直ぐに血は治り腕が生えてくる。
「成る程、再生能力は並以上。しかし……」
ルゥは腕を再生させるが、その腕は酷く歪で、変形していた。ルゥは再び凄まじい咆哮を放つ。するとルゥの体は徐々に変化していく。さらに体の肉は引き締まり、筋肉が引きちぎれるような嫌な音が体中から響き渡る。
「さらに、動きやすい身体に変化、否進化しているのか……しかし、無茶苦茶なものだ。自身の再生能力で自傷するとは、能力が馴染んでいない、まるで様々な能力を欲張りに詰め込んだようだ……」
ルゥはけたたましい声で叫ぶと、周囲の魔力がルゥの元へ集まっていく。それはやがて小さな球体へ変化する。
「さて、そろそろ潮時か。あれを撃たせる訳にもいかん」
エドヴァルドは静かに今四本目の剣に手を添える。その剣は酷く錆びており刃もボロボロで文字通り鈍であった。
「九葬図──」
その一振りは筆舌に尽くし難く、単に凄まじい衝撃でなく、一瞬ですべてを葬る熱線でもなく、光塵を振りまき瞬いた刹那辺りは一瞬で開けていた。聳え立っていた木々は焼けた訳でも切れた訳でもなく、消し飛んでいた。
「そういうことか……」
ルゥの暴走を一通り目視したエドヴァルドはひとり呟く。ふと、視線を落とすとそこにはルゥが首にぶら下げていた、真鍮のペンダントが転がっていた。エドヴァルドはそれを拾い上げ
「一抹の声か、いや。託すとしよう。奴の力の桎梏、軛となり、果ては奴の心が奔放不羈のものとなるよう」
そう呟くと、それを握りしめゆっくりと山を下って行く。一方、ルゥは麓の麦畑まで吹き飛ばされていた。山の上からいきなり飛んできたルゥを村人達は取り囲んでいた。
「この人、まんだ生きとんのか?」
「さぁ……?でどもあの方向、魔王さんの屋敷がある方だ?」
「てとは、こん人は魔王さんとこのお客様かね?」
村人がルゥを取り囲み物議を醸していると、突如地鳴りのような音が藪の方から響き出す。それは段々畑に近づいきており、村人達は身構える。藪の中を突っ切って来たのは巨大な狗だった。それは犬と呼ぶにはあまりに巨大で禍々しいものだったが、村人達は特に恐れることはなくそれに近づいて行く。その上にはエドヴァルドが座っていた。
「黒い鬣狗ご苦労」
エドヴァルドは犬を撫でるとそれから飛び降りる。
「魔王様、お久しぶりです!」
「今年は特別いい麦が獲れる、また麦酒をお届けに行きますよ!」
「そうそう、今年の豊穣祭の話ですが……」
村人達はエドヴァルドを取り囲むと楽しそうに彼に話しかける。
「やはり、この空気は慣れんな……」
エドヴァルドは渋々彼らの話に耳を傾ける。
「まおー!ひさしぶり〜!」
「あそんでー!」
子ども達がエドヴァルドに抱きつく。
「重い……、それに今日はあれを回収しに来ただけだ……」
エドヴァルドは面倒くさそうに倒れたルゥを指差す。
「あんら、やっぱり魔王さんとこのお客様だったんだわ、私たちったら看病もなしに失礼な……」
「構わん、ただの莫迦だ。世話になった」
エドヴァルドはそう告げルゥを背負うと番犬に乗り再び藪の中へ消えていった。深い藪を颯爽と駆け抜け瞬く間にかの洋館へ辿り着く。
「代理人めが、巫山戯た筋書きだ……」
意識の無いルゥを邸宅へ運びながらしながらエドヴァルドはそう吐き捨てるのだった。
ここまで読んでくださりありがとうございます!ケータイのメモ欄を使って書いているため段落感覚が曖昧でブロック分け等、なかなか上手くいかず読みづらいとおもいますが、少しづつ修正していく次第ですので、もう暫くお付き合いください…!(ブロック分けとうどうやればいいか教えて頂ければ幸いです…)




