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FREEKS  作者: 空原 梨代
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0話:雪旅

始まりは、やはり雪の旅路から。

 私が私を認識するにあたり、私が在ったわけですが。ややもせば作麼生、私を認識した私は、一体何処の誰に認識されて在ったのでせう──


 ──

 ────


 幻冬、寒空の候。降り(しき)る雪が音を殺したような白い世界。そんな世界を少女が行く。栗色の長髪に男物のオーバーコート腰に軍刀を携えた少女、特筆すべきは彼女が背中に背負っている巨大な十字架であろうか。畷と畑の区別もつかない積雪の最中である。何故、かくも人の姿無き土地でかような少女が歩いているのか。

 否。そんな質問は不毛だろう、何故ならそんなことは本人以外に知る意味も必要もないことだからだ。しかしながら、地平すら臨める雪原の広大さには目を見張るものがある。空と雪原が渾然一体と化し溶け合うように地平で混じ合っている。風は声、雪は礫、鈍重の雲の隨に夕間暮れの過ぎたうすやみの雪原、徐々に吹雪も増し悪路を辿る足取りは重くなる一方だ。

 雪嵐は景色を退屈色に変え、歩み歩めど本当に前に進んでいるのか訝しんでしまう。変わらない景色、変わらない雪の深み、変わらない退屈さ。吹雪に見舞われどれくらい経ったのだろうか、氷雪が秒針を凍らせてしまったのではないかと錯覚するほどに時間の流れがいたずらに緩慢だ。いや、これは普通に時計の故障か。掌で硬直した懐中時計を一瞥し、辟易とした吐息をこぼした彼女はそれを再び懐に仕舞い込む。


「何マイル歩いたかな……」


 白い吐息を零しながら、不意に少女が口ずさむ。一歩歩いて振り返れば、先ほどの足跡は既に跡形もない。歩けど歩けど目的の場所は見えない。立ち止まり、慣れた手つきでランタンの火を起こすとそれを片手に、ラ・トゥールの描いたような淡い明かりが薄闇に灯り、彼女は再び歩き出す。

 歩き、歩き、歩く先に暗く。気をしっかり保たねばならい。別に吹雪の歌に睡魔に誘われるわけでもない。しかし、まるで世界に一人だけ取り残された、或いは……兎角そんな孤独とも寂寥ともつかない感覚に見舞われてしまうのだ。少女にはそれがなにより敵わなかった。不意に視線を上げると、あろうことか雪原のど真ん中に小さな灯りが見えた。近づくと、一軒の小屋(コテジ)で、その灯りから推測するに人がいる様だった。


「こう言うのを地獄に仏って言うんだっけ……?」


 少女は少し嬉しそうにそう口ずさむとゆっくりと歩みを進める。小屋は杉で出来ていた。小さなガラス張りの窓から灯りが漏れる。玄関に面したテラスまでたどり着くと、コートの雪を払いながらゆっくりと階段を登る。小さなドアを数回ノックし


「旅の者です。一晩泊めて欲しいのですが……」


 と懇願する。暫しの無音。やがて小屋の中からカタカタと足音が聞こえ、ドアの向こうからメガネをかけた青年が現れた。


「おやまぁ、こんな山奥にお客人とは珍しい。どうぞ上がって、丁度夕餉にしようとしていたところだよ」


 見ず知らずの旅人である少女を、青年は快く迎え入れたのだった。


 ──

 ────


「へぇ、ガロムまで向かってるの?」


 夕餉(ゆうげ)を囲みながら青年は尋ねる。先程まで吹雪の雪原に居たとは思えないほど豪華絢爛(ごうかけんらん)な食事、少女は部屋を見渡しながらゆっくりとスープを口に運ぶ。窓辺の書卓には原稿用紙と本が(うずたか)く積まれており、その横では草臥(くたび)れた薪ストーブ、さらにその横にはこれまた年季の入った珈琲メーカーが湯気を上げていた。


「お味はいかがかな?」


 青年は尋ねる。


「初めて食べる料理ですが、とても美味しいです!なんて言う料理なんでしょう?」


猟師風の煮蒸し(カチャトーラ)と言ってね、本来は鶏を使うんだが、今夜は兎しか持ち合わせが無くてね。兎角、お口に合ったようでよかった」


 青年は手を合わせ、口を綻ばせながらこう切り出す。


「君は軍人?」


 青年の質問に少女の手が止まる。


「どうして、そう思うんですか?」


「軍刀、あとその内ポケットの膨らみ、拳銃でしょ?背負ってた十字架も気になるけど……この二つが主かな?」


「この刀は剣術の先生に譲って頂いたもので、銃も護身用で……不躾(ぶしつけ)でしたね、食事中にこんな物騒なもの……」


 辿々しい口調でそう言いながら少女は軍刀と銃を取そうとするが、手が滑りそれを床に落とす。落とした銃は、彼女のいかにも少女らしい嫋やかで華奢な手には似つかわしくない、大口径のひどく物々しく不恰好で大仰な銃だった。


「いや、そのままでいいよ。女の子の一人旅だ、物騒な事も多いだろう。僕は気にしないからそのまま、そのまま……」


 青年にそう諭され安堵したのか、刀を腰に据え、拳銃を胸ポケットにしまい込む。


「いい銃だ」


 風変わりな銃を一瞥し青年は言う。


「銃は師匠のお下がりなんです。こっちの剣は先生が下さったもので……あっ、先生と師匠は別の方のことで話せば長くなるのですが……」


 少女は嬉しそうに語り出す。曰く、少女の言うところの師は彼女に旅のいろはを授けた人物であるということ。共に何年も旅を続けていたがある日突然、彼女の前から姿を消したということ。彼と(はぐ)れ行倒れていた彼女を助けたのが彼女が先生と呼ぶ人物であるということ。彼女に剣術を授けた人物であるそうだ。


「訊いていいですか?」


 不意に少女は尋ねる。


「ん?なんだい?」


「どうして、あなたはこんな所に暮らしているんですか……?ここはお世辞にも住みやすい所とは思えません……」


 少女が言い終わるのと同時に青年は口元に指を立てる。暫しの沈黙。音は消え、暖炉の薪のパキパキと燃える音のみ、無音は寂寥とはまた違い、夜の暗さと冷たさ、それと少しの明かりに燻る吐く息の白さを教えてくれる。


「静かだろ……?」


 青年は口を綻ばせる。窓の外の樅と白樺の木々はおしなべて深閑さを物語る。


「この静けさが(たま)らなく好きなんだ、街は僕には(いささ)か賑やかすぎる……」


 青年はフォークを下ろしながら尋ねる。


「じゃあ、僕からも。どうして君は旅をしているのかな?」


 青年の質問に少女は手を止める。


「深い理由はありません、強いて言えば、世界を見てみたいからです。私の師匠がよく言ってました。世界は果てしなく広がり廻る箱だって、その端には誰も辿り着くことはできないのだって……だから私もその廻る箱を旅して端を見てみたいんです」


「なるほど、それで最北端(ガロム)かぁ……」


 青年は感嘆とした様子で呟く。


「私、地図の端っこに行ってみたいんです」


「でもそれが、(ひとえ)に世界の端とは限らないよ」


「わかってます……それでも……」


 少女は真摯(しんし)な目を瞬かせ、そう返す。


「まるでOb-La-Di, Ob-La-Daだ」


 少女の目を見て、青年は呆れたように呟く。


「オブラディ、オブラダ……?」


「そう、簡単に言うと人生は続くと言う意味らしい。道のように、そして君はその道を歩いて行く者だ」


 青年は少女を指し楽しそうに呟くのだった。


 ──

 ────


 やがて、二人の宴は終宴を迎え、少女は布団に包まり静かに寝息を立てる。カリカリと紙を引っ掻くような音が小屋に響く。真夜中の静寂は音を際立たせる。青年は(おもむろ)に万年筆を廻す。

 静謐(せいひつ)の中に情念を、語らいの中に温もりを、やがて妙諦(みょうてい)輾転(てんてん)し六十五刹那の中に帰結する。夜は更け時計の針が音を立てる。この世界の鼓動を刻む秒針が動き出した時から一秒たりとも、世界が人のためにあったことなどあるものか。饒舌に残酷に、文字の海の中に風のように世界はかいろいでいる。あるいはその逆か。言葉と情念の、陰る篝火に(たきぎ)()べろ。肯定でも否定でもなく、ただ在る為に火を灯せ。生きた証と呼ぶにはあまりに不出来な、ゾッとするほど美しい火花を灯せ──


「旅することは書くことであり、読むことである。或いは、旅することは翻訳することであり、故に翻訳することは読むということであり、読むことは書くということである……また、読むことは読むことであり、読むことは読んで読んで読んで読むことであり、上述のそれら全てにおいてそれは言える。しかし、それらが相克することは決してないのだ」


 コーヒーを一啜り。蒸留機の、コーヒー豆の馥郁(ふくいく)が雪国の張り詰めた空気に乗って広く漂う。原稿用紙にペンを触れ、タイトルの部分を飛ばして綴り始める。


琺瑯(エナメル)の目をもつ少女か……」


 僅かに伸びをしアルジャーノンはポツリそう呟くのだった。




 ──

 ────




「どうして……」

 

 泥濘(でいねい)に項垂れ、やつれた青年は呟いた。暗い平原、辺りには誰もいない。否、いたが、既に”いるもの”ではなくなっていた。


「どうして……」


 再び青年は呟く。彼は自分の両手を一瞥(いちべつ)する。手は血に塗れている。男は自分の周りを見渡す。周りには先程まで生きていた、人だったものが幾つも転がっていた。 彼らの首に掛けていた銀の十字架が血溜まりに浮き、そして沈んでいく。


「やはり俺は……化け物なのか……」


 死屍累々を眺めながら青年は嘆く。夜空に輝く月光と夕星(ゆうずつ)がやけに映える夜だった。


 ──

 ────



「昨晩は本当にお世話になりました」


 少女は深々と頭を下げ礼を言う


「いやいや、こっちも久々に誰かと話せてよかった」


 青年は笑顔でそう返す


「僕の名はアルジャーノン。またいつでも寄っておくれ」


 青年はそう名乗り、手を差し出す。


「私は、メルシェ、メルシェ=エルゴ・アポストルといいます」


 少女、メルシェは名乗り返し、手を握る。


「この先にはもう殆ど誰も住んでいない。ただ、ガロムの海辺にたった一人、老人が住んでいる。そこが最北端だ」


 アルジャーノンは親切にそう教えてくれた。


「それでは、良い旅路を……」


 アルジャーノン(ぬか)ずきはメルシェの手の甲に接吻し、そう唱える。メルシェも再び深く礼をすると深く降り積もった雪の中をゆっくり、ゆっくりと歩いて進む。やがて、彼女の影は完全に雪景色に消えていく。


「さてと……」


 アルジャーノンは伸びをしながら呟く。アルジャーノン……否、彼に明確な名前はない。理由は主に必要でないからである。アルジャーノンは先程咄嗟に思いついた()わば偽名である。


「新しい作品を書くことにしようか」


 青年は楽しそうにひとりでに呟く。


「人形の少女と怪物の青年が一緒に旅をするんだ、そして、自分たちが何者で、なんの為に生きているのかを模索する。タイトルは、そうだなぁ……」


 昨夜筆を走らせた原稿用紙の、最初の一枚。タイトルはまだ記されていない。青年は躊躇うことなくそこにペンを充てる。



freaks(フリークス)……いや、freeks(フリークス)だ』



楽しんで頂けたら幸いです。

タイトルのfreeksは

freaks(怪物)とfree (自由)をかけた造語です。



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