出会いと始まり
さくらの花も散り始め、これから若葉生える季節になります。私は店先に掛かった閉店の札をひっくり返し、「開店」に変えました。喫茶店【あおば】は3ヶ月の休業を経て新装オープンしました。新装とはいってもお店の内装も外観も変わっていません。3ヶ月前までこの店のオーナーは、私ではなく祖母だったのですから。
祖母は、3ヶ月前に90歳で他界しました。私にとって唯一の肉親であり、この店舗兼住宅は実家です。私は祖母と5歳からの13年間をここで過ごしました。私が引き取られてから今まで23年間祖母は、私の学校行事や家族旅行を除いて、ほとんど店を休むことなく続けていました。そして、3か月前お店に来たいつもお世話になっていた近所のおじさんが、カウンターに伏せ眠るように亡くなる祖母を見つけたのでした。私は東京の飲食店で働いていましたが、祖母の葬儀でこちらに戻り、一週間ほど祖母の遺品を片付け、あおばの店内を見る間に、このお店を継ぐことを決意したのでした。
それから、一度東京に戻り、家を引き払い。お店を1か月ほどで後任に任せ、地元に戻ってきたのです。普通なら、オーナーが眠るようにとは言え、亡くなっていたお店ですから、処分した方が良いのかもしれませんが、理由は分かりませんが、どうしてもこの店は残さなきゃ継がなければいけないと思ったのです。私が飲食店で働き、調理師免許を持っていたことも、この店を継ぐ動機になったのかもしれません。
「さて、新装あおば、開店といきますか」
よしっと、気を引き締めた私は、開店の札を入り口に出したあと、軽く店の前を掃除します。近所のおばさんが、「今日から?」と声を掛けてくれたので、「はい、サービスしますので、是非来て下さい。」と営業トーク?をして、店内に戻ります。
この店の売りは、祖母が馴染みのコーヒー輸入販売店から買い付けている様々なコーヒーをブレンドして作たブレンドコーヒーです。これがあおば自慢の一品で、これとエッグトーストのセットが、人気でした。10年前まではですけど。80歳でも祖母は元気でしたから、一日に50人ぐらい、お客さんの相手をしていたと思います。私も、週末等に手伝っていました。
この町を離れて10年、この辺りのお店は軒並みシャッター通りとなり、一部は駐車場に変貌しています。きっと、昔のようにはいかないでしょう。最近は、市内のショッピングセンターに出来たカフェに人が集まっているとか、電話では「喫茶店には常連客ぐらいしか来ないよ」と祖母も言っていたのを思い出します。だからでしょう。
オープンの10時からかれこれ4時間。
……お客さんが来ない。
まさか、初日からこれほど人が来ないとは……。最初の1時間は、食材の準備とかコーヒー、お皿やカップを拭いたりして、その後1~2時間は、テーブルを拭いたり、カウンターを拭いたり、床を掃除して潰したけど……お昼も撃沈。やる気満々だったテンションが下がってきました。
「そういや、おばあちゃんは暇なとき何か編んでな~。」
そう、祖母はお客さんがいないときや、相手をする必要が無いときには、編み物や縫い物をしていました。私の手袋や靴下、マフラーを編んでくれたこともあります。学校のぞうきんも手縫いだったなぁ。などと昔を思い出していたら、カランカランと入り口の扉についた呼び鈴がなりまた。
お客さん第一号!!です。私は満面の笑顔で入り口に向かって声をかけます。
「いらっしゃいませ。」
第一号は、シルクハットと持ち手が、傘の柄のようなステッキを持ったおじさまでした。
テレビのドラマじゃないとお目にかかれないようなオーラというか雰囲気を持っていました。
「おや、久しぶりに来てみると、オーナーではありませんね。」
第一号のお客さんは、少し首をひねりながらつぶやきました。
「前のオーナー、祖母のことでしたら、3ヶ月前に亡くなりました。それで、私がここを継ぎまして、祖母のような接客は出来ないかも知れませんが、よろしくお願いします。」
「これはこれは、ご丁寧に、そうでしたかオーナー亡くなられたのですか?それはどうも御愁傷様です。」
第一号のお客さん(通称:一号さん)は、どうも常連さんのようです。祖母が亡くなったことを聞いて、寂しそうな表情をしています。一号さんは、頭に被ったハットを脱ぎ、手前のハットハンガーに掛けてから、カウンター席の中央私の前に座られました。
「ブレンドコーヒーと、トーストのセットをお願いしようかな?」
「はい、ブレンドとトースト1つ。かしこまりました」
新装あおば、第一号の注文です。私は最初の注文に少し感動を覚えながらコーヒーの準備を始めると、一号さんは私に問いかけてきました。
「先ほどの挨拶……。君は、前オーナー。彼女のお孫さんなのかい?」
「はい。そうです。孫です。」
「そうか。そうか。」
一号さんは、柔らかく弾んだ声で、返してきます。
「しかし、この店を君が継いでくれて良かった。この街にはもう数えるほどしか私たちが通える店はないからね。」
一号さんは、この店がお気に入りのようです。私たちとおっしゃる口ぶりから、他にも、常連さんがいらっしゃるかもしれません。
「私も、祖母が亡くなって戻ってきたんですけど、たった数年の間でこの辺りもお店が減っちゃって、びっくりしました。」
「そうなんだよ。海沿いに出来たというショッピングセンター。あれが出来てから、さらに廃れてしまった。これも時代なのかね。」
一号さんは、やはり寂しそうに答えた。私はドリッパーにゆっくりとお湯を注ぎながら、話を続けます。
「そうなんでしょうか?それだと、困っちゃいます。うちの店も今日から再開したんですけど。お客さんは一号おじさま一人だけですから、それだと潰れちゃいますよ。」
一号さんは、恐縮したように答えます。
「今日がオープンとは知らず、それは申し訳ない。私が第一号というのも大変だ。」
一号さんは少し、深刻な顔をしました。
「嫌ですよ。お客さんに心配されたら、こっちがこまっちゃいます。それに、オープン初日でも、うちは広告も出していませんし、まずは常連さんが戻ってくることですし、一号さんが目の前にいらっしゃいますし……って、一号さんは失礼ですかね?」
私は一号さんに、笑顔でそう答えると、一号さんも笑顔で答えました。
「何と呼ばれても構いませんよ。一号さんとは、他の常連に自慢できるかもしれません。光栄です。それより、変な話をして済まないね。」
一号さんは、私が作ったコーヒーとトーストとたわいのない話をしながら、食べて帰って行きました。帰り際に、
「がんばってね。」
と声を掛けられ、その時は、きっと大丈夫、前の常連さんがこれから、増えるはず、頑張るぞとおもったのですよ。その時は……。
あれから、一週間お客さんは、両手の指で数えられるほどしか来ていないのです。たったの9人しかこなかったのですよ。これは予想以上に重傷です。おばあちゃんの時代からこうだったのか?それとも、3ヶ月のブランクが常連さんの足が離れるのに十分な時間だったのか?分かりませんが、流石に1週間でこれでは心配は募ります。
「はぁ、何とかしないと拙いな。」
まだ一週間だから大丈夫なんて言っていられないよね。おばあちゃんはどうやって暮らしていたのだと思うほど、これは拙いのです。絶対。本当に。折り込みチラシでも入れようか?それとも、ご近所さんに協力を求めるか?新商品?そうだ新商品を開発してテレビや雑誌に……。いやいや簡単に新商品なんて簡単には作れないし、でも考えて見るだけなら……。材料や調理時間を配慮すると、一人で出来ることには限界があるから、これじゃだめだし、あれもダメ……。
予算とかいろいろ考えると難しいのです。
昨日から今日にかけて、お客さんがいないと、こんなことを永遠考えて過ごしていました。お客が来ないから余計に、考え込んじゃう。そんな思考も5回目を越えた辺り、15時頃にそのお客さんはやってきました。カランコロンと入り口のベルが鳴りました。
「いらっしゃいませ。」
私は、嫌な思考を中断して、入り口へと目を向け、接客スマイルを作ります。
最初に入ってきたお客さんは入ってくるなり、私の顔を見て言いました。
「あら、ほんとう。ミッチーが言っていた通りじゃない。」
OLのおば……、ごほん、お姉さんという雰囲気の女性です。ちょっと?私より年上でしょうか?明らかに大人のできる女性です。スレンダーな体型にそれなりの胸、安産型なおしり、同性の私でも見とれるほどの体型です。
ちょっと読者の皆さん私と比べないで下さい。何ですか?どうせ私は……。おっと、頭の中で現実逃避してしまいました。
次に入ってきたのは、ぽわぽわとした女性です。私と同じぐらいの年でしょうか?前のOL姉さんぽい人より、少し年下な雰囲気です。胸が大きいのです。重いだろうなあれ、あれになるぐらいなら、私の方が……。
「あらあら、うんうん。」
私が、胸のことを考えていると、ぽわぽわした胸の大きな女性は、私を見て、何かちょっと遠い目をしてニコニコ納得されてしまいました。なんとなく、私は目をそらしてしまいました。おばあちゃんが、何か変な話でもしたのでしょうか?
最後、3人目の人が入ってきます。
「マジだったのか?ミチの言うことだからまた変な夢でも見たのかと思っていたが、本当だったとは、賭けは俺の負けだな。」
最後は、小学校高学年から中学生ぐらいの弟がいたら、こんな感じなのでは無いかという雰囲気の、男の子です。ただ、しゃべり方は大人びています。背伸びしたいお年頃なのでしょうか?ちょっと可愛いかもなんて思ったりして。
言っておきますが、私はそういう趣味があるわけではありません。私は一人っ子なので、あくまで、[弟がいたならな~]と思っただけですからね。
このお店を開店して初めての、お連れさんが数名いる団体さんです。ミッチーさんから新装オープンを聞いたというのは、分かりました。そして、3人のお客さん達は、カウンター席に3人並んで座りました。
私が「何になさいますか?」と尋ねると
「おれは、アメリカンとミックスサンド」
と、弟君(私の勝手な脳内ネーム)。
「私は、ブレンドとホットケーキ」
OLお姉さん(脳内ネーム)。
「わたくしは、カフェオレとケーキのセットで~」
ぽわぽわさん(同上、天然っぽく一歩遅れた仕草なので……)。
注文を取り、私はいつものように準備を始めます。3人前の注文なので、ちょっと忙しくしていたのですが、ふと視線を感じ、カウンターを見ると、3人のお客さんが、こっちをいや、弟君とOL姉さんは、愛想笑いをして目をそらしました。最後のぽわぽわさんだけが、私をにこにことずっとみています。
「あの、何かありましたか?」
私が、声を掛けると、ぽわぽわさんは
「いえ、お気になさらず~。準備をして下さ~い。」
と間延びした返事を返されました。いや、お気になりますよ。こんなににこにことずっと笑顔で見られると、誰だって気になります。この雰囲気はどう見ても、大人が子どもを見守るような暖かい目つきです。
「いや、そのずっと私の顔を見られても気になるのですが?」
コーヒーを入れる動きとか、料理を作る手元とかなら見る人はいますし、男性客が時々ちらちら私を見るというならありますけど。こんなにニコニコで、顔を目線で追われることはありません。
「あらまあ~。ごめんなさ~い。そうよね。気になりますよね~。」
ぽわぽわさんは、やはり笑顔でこう答えました。見るのを止める気はありませんということのようです。こういう目つきで見られることは大人になってからなかったので、戸惑いますが、今後はこういう事もあるかもしれないので、これも試練と気合いを入れ、コーヒーと料理の準備を続けようとすると、
「ちょっと、くしちゃん。オーナーさんが困っているじゃない。」
OL姉さんが、救いの手をさしのべてくれました。
「ごめんなさいね。この子、うちのメンバーでは、一番古くからこの店に来てるから、店が閉まってずっとふさぎ込んでいたのよ。だから、きっと嬉しくて見ているのだと思うの。」
「そうなんですか?それは、ご贔屓にしていただき、ありがとうございます。」
私が、作業の手を止めてお辞儀をすると、ぽわぽわさんは、否定するように手を振って
「見ていたのは、ちがいますよ~。こんなちっちゃかった子が、おおきく立派になったな~と思っただけですから~」
「ちょっと待て、おいクッシーそれは拙いぞ。」
何故か、弟君が突然大きな声を上げる。うん?何が拙いのだろうか?
私と彼女はほとんど同じぐらいの年に見えるけど、ぽわぽわさんは、私が5歳か6歳ぐらいの頃の容姿を知っていて……。いやいやそんなことはない。相手も5歳か6歳の頃に私と会ったことがあって、私を知っているのだきっと。じゃなければ、きっと相当な若作りをしているのかな?いやいやそれも、と考えていると
「ちょっと、ねえ、コーヒー大丈夫。」
はっと気が付くと、フィルターからお湯が少し溢れていた。
「あぁ、やってしまった……。すみません。お恥ずかしい姿をみせてしまいました」
私はこれまでこんなミスを犯した事はありませんでしたが、ついやってしまいました。
OLお姉さんは、「いや、うちのクシちゃんが変な事を言うからいけないのよ」と、笑っていた。
私は、一度考えるのを止めて注文の品を準備することに力を注ぐことにしました。
ちょっとしたミスはありましたが、オーダーを順調に作り3人に提供したところで、OL姉さんは、ぽわぽわさんに、先ほどのの経緯を説明すると私に言い出しました。
「あんた達のことだから、どうせばれるんならもう今言った方が良いじゃない。」
「そうだよ。お前が変な事をいうから、こんな事になったんだろっ――。って何これ苦え。」
弟君の言葉に、OL姉さんは、呆れ声で答えます。
「というか、あんたが余計なところで動揺するからいけないのよ。それからコーヒーはそういうものよ。あんた舌もお子様なの?」「お子様って言うなこれでも俺は――」
弟君は皆まで言わずにハッとして、黙り込みます。
そして、OL姉さんが私に向き直り、真剣な表情で、
「オーナーさんちょっと話があるんだけど。良いかしら?」
と言いました。
その側でぽわぽわさんが、おっとりした雰囲気で、
「じゃあ~私から伝えますね。美味しいですよ~このカフェオレとケーキィー」
言い終わる前に、ぽわぽわさんの頭がカウンターにがつんと倒されました。
「痛~い~。」
OL姉さんが、ぽわぽわさんの頭をカウンターに勢いよく打ち付けたようです。
「そうじゃないでしょうが、私たちのことを説明するのよ。ごめんなさい。こいつらじゃ無理だから、私から説明するわ。」
何だろうか?やっぱり彼女たちは、見た目に反して結構なお歳なのだろうか?
「私たちは、実は【かみ】なのよ。」
うん?かみ、上、紙、加味、カミ????
「はあ?かみ?」
OLお姉さんは、私の困惑顔を見てもう一度答える。
「そう【かみ】、あんまりこうは言いたくないんだけど神社とかで【かみさま】と呼ばれているあの神様。」
真剣な顔をして言うOLお姉さんは、持っていたビジネスバックのようなものに、手を入れます。私の頭の中ではこのとき、こんなやりとりが行われていました。
-脳内会議室-※ )のところは発言者名です。
??1)何言っちゃってるのですか?この人。危ない人。
??2)3人の中で一番まともそうに見えたけど、実はこの中で一番の電波さん何ですか?
??3)それとも、新手の宗教の勧誘ですか?
??1)しゅーきょー?、しゅうきょう、シュウキョウ、宗教……そうか。宗教なのか?
??2)そうだとしたら、恐ろしい人たちですよ。ぽわぽわした人は、何かが見えるとか言い出すかも。
??3)あのバッグの中から何か勧誘グッズを出すつもりだ。言いがかりもあるかも知れません。すぐに追い出すべきです。
-以上脳内会議終了-この間の時間は約2秒ちょうどです-
という流れに、何故かなってしまったです。
その結果、私は怖くなってしまいました。
OLお姉さん改め、電波宗教団体のやり手勧誘員3人を前に、私は一歩後ろに後ずさり、気圧されないように、声を振り絞ります。
「あ、あのう、宗教の勧誘とかそういうのはちょっと……。」と、
「ちょっと待ってそうじゃなくてね。」OLぽい人が答えます。
「いや、お代とかもう良いので、そういうのはちょっと。お布施とかありませんので、勘弁してくれませんか。」私が答えます。
「そうじゃなくて、本当に……。」OL
「いやもう良いので、帰ってくれませんか?」
「だから聞いて。」
「俺たちもかよ~。」
「ああ~まだたべかけです~。」
私は、自称神様を追い払いました。「ふぅ。」店内を見ると、食べかけの皿が3つ残っています。
「はぁ、よく分からないけど、やってしまった。」
怖くなって追い払っちゃったけど、話も聞かずに私は何してんだよぅ。
「でも流石に、神様はないよなぁ~どう考えても怪しいし……。おおきくなったな~とか考えて見るとどう考えても怖いし。でも、本当に危ない宗教団体だったら、どうしよう。警察に相談?いやとりあえずドアに宗教お断りの張り紙でもしようかな?」
私は、変な想像を広げながら、片付けを始めます。
その時、カランコロンと再びドアベルがなり、人が入ってきました。
「いらっしゃっ・い・まぁ――」
そこには、先ほどの自称神様の一人、ぽわぽわの人が、立っていました。
「あの~やっぱり~。そのケーキだけ食べていいかな~。おねがい~。だめかな~。」
私は、帰って下さい伝えたのですが、何を言っても効果はありませんでした。
ちょっと目元がうるうるして涙目です。いい年した大人がおなじ女性にそれをやっても、ダメだろうと思いつつも、この人なら勧誘は出来ないだろうと思い、食べたら帰るという約束で再び席に案内しました。「どうぞ。」と先ほど席に案内すると、女性は嬉しそうに、席に座ってゆっくりとケーキを食べ始めました。一口食べるたびに、ほっぺに手を当ててうっとりするその様子が、なぜか自然と私の心を落ち着かせた。なつかしいというか、暖かいというか、そんな感じです。
「あの……。先ほどは、取り乱してしまい申し訳ございませんでした。他のお二人は……。」
「あの二人なら、帰りましたよ~。きっと今日は無理だろうって~。まあ、気にすることはないわよ~。今はそういう世の中だから~。」
このクシと呼ばれていた仮称:ぽわぽわさんのしゃべりは、独特です。まるで歌っているかのように、響く声が、何故か心を落ち着かせるのです。それが怖いようで懐かしいような。そんな雰囲気です。さっき私は、何故、追い返したのでしょうか?いえ、私の方が、むしろこの人の術中に填まっているのでしょうか?分からなくなってきました。
「宜しければ、お二人にも伝えて貰えますか、申し訳ございませんでした、と。」
「あら、心配しなくても大丈夫ですよ~。あの二人はここが好きですから~また来ますよ~。その時に、あなたから、今の気持ちをつたえた方がいいですよぉ~。」
お客さんは、最後まで残さず食べて、お代まで払うと言ってくれた。私は、自ら追い出したこともあり断ったのですけど、3人分の代金を置いて、背を向けて扉を開けると次のように言って店から去っていきました。
「泣き虫な小さなウェイトレスさんは、大きく立派になられましたね。今日は本当に美味しかったです。また来ますから、頑張りなさい。」
と、間延びした声では無く、はっきりと優しく。
その時、ふと、過去の光景が私の頭に浮かんできました。父と母を亡くし、祖母の家に引き取られた私が、父母に会えず慣れない環境で、夜になる度に泣いていたという思い出。当時喫茶店は夜10時まで営業していたので、私は奥の間で一人寝ていました。そしてある日の夜、祖母に些細なことで叱られ、寝る時間を過ぎても、お店の角に逃げていじけていたことがありました。
その時に、やってきたお姉さんを思い出しました。私は涙でしゃくり上げながら、祖母の気を引きたくてちらちらと祖母を見ていました。祖母は知らん顔で、お客さんと話をしていました。時よりお客さんが、お嬢ちゃんと声を掛けてくれますが、祖母が「暫く、ほっといて」と言っていました。そんなときにその女の人はやってきました。店に入るなり私をちらりと見て、カウンターに向かうと、祖母と何かを話してから、店の隅で泣いている私の方に歩み寄り、
「小さな、ウェイトレスさん。私を席に案内してくれませんか?」と言いました。あのとき、私は何故か急に泣いていたのが馬鹿らしくなり、そのお客さんの手を取って、席に案内したのです。「ありがとう。小さなウェイトレスさん。」と言われて、ちょっと恥ずかしく、凄く嬉しかったような。
その時見たお客さんの声と顔が、今のお客さんと重なりました。カランコロンと扉の呼び鈴がなり、扉が閉まった時、私の目頭は熱くなり、暫く左右頬を熱く伝うのを止められませんでした。あのお客さんはきっと本当に神様だったのでしょう。私を見守ってくれていたのかも知れません。そう思うと涙が止まりませんでした。私は、厨房の隅に行き、あの日と同じように、涙をながしたのでした。