一の一
暗闇から意識が浮き上がってくると湿った土のニオイがした。なんだか懐かしい感じがする。昔の夢でも見ていたのだろうか。その残り香だろうか。名残惜しいが起きなければいけない。
今日は目覚まし時計のアラームがなる前に起きられたようだ。満足に思いつつ、まだ完全には意識がハッキリしないまま枕元のメガネを手で探る。しっとり濡れた柔らかい感触。疑問に思い、手のニオイを嗅ぐ。本物の土だ。夢じゃない。
パッと頭を上げ、周りを見る。どこだ、ここは?
布団の中でぬくぬくと眠りを貪っていたはずが、あたり一面に木が生い茂っている。見上げると枝や葉が視界をふさぎ、どこまで高さがあるのか分からない。その中の一本の木の根元、へこみ、苔むした部分に隠れるようにうずくまっている自分がいた。あたりは薄暗く、動くものの姿は何もない。音もしない。見覚えのない森の中に独りきりだった。
静かな世界の中、首のうしろにピリピリとした感覚があった。すこし肌寒いのか、こうしていても仕方がない。立ち上がろうとして体を動かすとガサリと音を立てた。
急にピリピリとした感覚が強くなった。その直後、考えるよりも早く体が反応した。勢いよく飛びのく。さっきとは別の木に背中をぶつけ、息を吐き出す。
意識を保ち、元いた場所を見る。矢が刺さっていた。現実にそんなものを見るのは初めてだが、たしかに矢だ。どうしてそんなものが?
深く考えを巡らせる暇もなく、続けざまに矢が飛んでくる。何度も飛びのく。撃ってきた方向を目で探るが、なんの姿もない。すぐに移動してるのだろうか。なんとかしないと。気だけは焦るまま打開策が見出せない。
また首のうしろにビリッと来た。今度はとても強く。
ハッと背後に目をやる。飛びのく先には半裸の大柄な男が待ち構え、分厚い剣を薙ぐように振りはじめていた。
矢で誘導されていた!
「どんぴしゃ!」
勝利を確信したであろう戦士が嬉しそうに叫んだ。
また体が自動的に反応した。空中で無理やり体をねじると、強く握ったコブシを力のまま振り回し、向かってくる剣の横っ面を弾き上げた。剣の軌道を変えられた戦士がバランスを崩す。それでも剣を手から離さないのはさすが。鍛え上げられた戦士なのだろう。
「なんだとっ、ありえねぇ!」
ありえない。自分自身が一番そう思った。行動は反射的だったが剣の動きははっきりと目で確認できた。その上、高速で向かってくるものに手を当て、動きを変えた。どんな超人が行えるというのか。
その勢いのまま戦士のがら空きの胴に体をぶつける。
「ぐはっ」
戦士がうめき声を上げながらふっとぶ。だがすぐに体勢を立て直し、距離を取り、剣を構えた。
こちらも着地したあと地面に低く構える。矢は飛んでこない。戦士と向かいあったまま、お互い動かない。動けない。時間だけが過ぎていく。握りしめた手の中にじんわりと汗を感じた。
そんな自らの手に目を落とす。そこには巨大な石のようなコブシがあった。指はごつごつと節くれ立ち、手の甲まで毛で覆われている。
なんだこれは? これが自分の手だというのか?
腕は? 脚は? 体中を手で触る。ムキムキの筋肉に毛むくじゃらの肌。そして気付いた。低く構えている自分と大柄に見える戦士が同じ目の高さであることに。
何者だ! 俺は! 我慢できず大きく吼えた。
「ヴォォォォォォッ!」
野太く、荒々しく、聞いたこともないような濁った、声と言えないような声が響いた。地面が震え、木がわなないた。
戦士がびくりとし、あっけに取られたように見上げた。そう、見上げた! 巨大なものを見ているように!
今日も朝から暖かい布団で目を覚まし、いつもの生活が始まるはずではなかったのか。不満と、苛立ちと、疑問と、憎しみと、この扱いは不当であると、激しく訴えたい衝動に突き動かされ、叫び続けた。