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2.どうして寂しさから国を差し上げてはいけないのでしょうか

 久々に見た王妃は誰よりも若くて美しかった。

 若いと言うよりは—————ずいぶんと幼い印象だ。

 まだ十代にすら見える。

 最後に見た数年前よりも、更に時計を逆巻きに回しているように感じた。


 動揺するこちらを眺めて、あどけない可憐な顔で小首を傾げている。

「王太子様付きの医師でございます」と王妃に仕える護衛騎士が答えた。

 そう、と興味なさそうに一瞥し、塔に向かおうとした。


 全く自分を覚えていない?

 本当に?


 すると突然、お母様と、王太子が今までにないほどの明るい声を発し、王妃に近づいた。

 かしずくように母親の足下に片足を折る。


「ご機嫌うるわしゅうお母様。ほつれる髪の一本ですら貴女は美しい。そんなお母様に私からの今日のプレゼントを」


 王太子はおどけるように、胸元のハンカチを取り出した。

 手の中にふわりと掛けて下ろすと、そこには小さなひまわりの生花をたくさん詰め込んだ、小さな鳥かご。

 王妃はまあ素敵! と鳥かごを両手に抱き、頬をバラ色に染めた。


「お仕事でお疲れならば、是非お姉さまのところで休んで頂きたいところですが、もう少し頑張りましょうか。私も後で参りますから」

「そうね。早く仕事を片づけて、この鳥かごを使って新しい作品を作るのが楽しみだわ」


 王太子と医師は、鳥かごを騎士に預け、機嫌良く王宮へ戻っていく王妃の華奢な背中を見届けた。

 横を見ると、王子はすでに仮面を剥がしている。共に歩いていた時と同じ、疲れた黄色い顔だ。


「空がぐずついてきました。天気が悪いと姉は歌が歌えません。

 これ以上、姉に負担を掛けるわけにはいけません……か……ら」


 王太子は突然苦悶の表情を浮かべた。

 ハンカチの更に奥に隠していた、胸元の茶色い液体の入った小瓶を、上着越しに鷲掴む。


 動悸と冷や汗。さらに浅い息を繰り返している。

 ひっそりと付いてきていた護衛騎士が、王太子に慌てて介抱しようとするのを、医師は止めた。

 医師はじっと、ふるえる少年の手を見守る。

 信頼する大人が見守ってくれていることが分かったのだろう。王太子は暫くして、その衝動を耐えきった。




 王子の自室。

 ベッドに横たわった患者に、医師は前の医師引き継いだ書類と一緒に診察結果を伝える。


「肝が相当やられていることは、初見から分かってはいた。

 だが、どうやら殿下は、何度も昏睡レベルの急性症状を起こしてかつぎ込まれていたようだな」


 次に昏睡を起こしたらまずいぞ。医師の宣告を少年は静かに受け止める。

 医師は再度、確認した。


「治す気はあるんだな?」

「ええ。先生が戻ってきてくださったから。一時期は相当恨みました」

「……悪かったな。でもまあこうやって戻ってきたのだから許せ」

「僕が許すようなことではありません。帰ってきてくれた大人は、先生だけでした。感謝しかありません」


 医師は昔から性格がひねているので、素直に感謝されると弱い。照れを誤魔化すように、王族にしては質素な部屋を見渡した。

 そしてこの部屋には、王宮でさんざん見かけた「あれ」がないことに気が付いた。


「ここにはひまわりがないんだな」

「ええ、あれは国を殺す花ですから」


 医師は王子の暗喩が理解できなかった。

 聞き返すが、答えは帰ってこない。

 代わりに王子は、聞いてもらえませんかと、遠い目をして口を開いた。


「先生。僕は時々思うのです。

 本当の虐待というものは、単なる暴力でも放置でもなく。

 愛情の収奪ではないのかと」


 何を指しているのかは、言わなくても分かった。

 皆、分かっているのだ。

 分かっていて、逃げられない。


 かろうじて残る愛が、ほんのかすかな期待と憐憫によって、一方的な歪んだ関係にはまりこんでしまうのだ。


 自分もよく、分かっていた。






◇◇◇◇




 子供たちは寂しいのです。


「私だって寂しいし、守ってもらいたいわ。だって可哀想でしょう?」


 第一王女の気が狂いました。


「そうなの? ただ私は、寂しいときに抱きしめて欲しいだけ」


 第二王子が酒浸りになりました。


「そうなの? ただ私は、寂しいときに楽しませて欲しいだけ」


 第二王女の笑顔がなくなりました。


「そうなの? ただ私は、寂しいときにずっとお話ししてほしいだけ」




 第一王子が亡くなりました。


「そうなの? 困ったわ。私が認められなくて寂しいときに、誰が褒めてくれるのかしら……。仕方がないわね。素敵なひまわりをもっと作って、あの人たちに褒めてもらいましょう」


 第三王子は亡くなられたのですよね?


「なあに、それ?」


 王妃様はいとけない子供の顔で、小首を傾げるのです。




◇◇◇◇




 医師が再び王宮に住み始めて暫くして、国の政情は悪化の一途を辿っていく。


 まず、過去に紛争を繰り返していた東の国々との同盟は成り立たなかった。

 紛争の原因多くが、この国が他国の豊かな土地を欲しがって、引き起こしたものだったからだ。


 急成長する西の大国は次々に周辺国を征服し、先日西隣の隣国を併呑した。

 大国は巨大な口を開けたまま、この国を見下ろしている。

 そしてある日。西の大国からの手紙が届く。

 降伏勧告という名の外交使節がやってくることとなった。


 彼らを歓待するための、国の威信を駆けた舞踏会が、華やかに開幕する




 西の大国からやってきたのは、後宮の妾妃でありながら、外交使節を担う第8妾妃と第9妾妃。

 かの国において後宮はもはや、男の夢の場所でも子孫繁栄の場所でもない。

 かつて10人居たという妾妃たちを中心に、正妃であった女王が全てを支配する。 

 彼女たちは贅をこらした見事な純白のドレスで現れた。


「皆様の歓待を感謝いたします」


 優美な曲線を生かし真珠の光沢を持つ布地が、彼女たちの女の色香を強調する。

 しかし、彼女らを知っている人間は、それが何よりも攻撃的な戦闘服であることを知っている。


 スカートを軽く摘み、優雅にお辞儀をする。

 挨拶という名の、最後通牒。






 王太子が西の大国の妾妃たちを歓待し、遠巻きに様子を見る貴族たち。


 彼女たちをに国の保護を訴えるべきか?

 取り込んで滅んだあとの地位の保全を訴えるべきか?

 亡命の手助けをしてもらうか?

 それとも……。


 保身に走った貴族たちに、まともな意見を進呈できるものはいない。

 王太子の体調不良時に対応する、という名目で着慣れぬ盛装をした医師は、歓待の様子を少し離れたところから見ていた。


 笑顔の美少年を愛でる美女。話の内容はただの世間話。

 見ている分には楽しい、舞踏会の華。

 誰も、肝心なことはなにも言わない。


 何という茶番だろう。

 そもそも王と王妃がいない。

 理由を知っている2人の妾妃は、笑顔で周りを観察するだけ。




 第8妾妃が医師に気付き、サラサラと流れるドレスの裾を広げて歩いてきた。

 「ご紹介してくださいませんの」と慌ててエスコートをする王太子にねだる。

 妾妃の姿を間近で見ると、なるほど大国の外の顔として働くだけある。彼女は美しい。

 そして感心する。知的なまなざしを色気で隠し、周りの男に一切の警戒をさせない。


「貴方のご高名は、私どもも耳にしておりますわ」

「はあ。どうもありがとうございます」

「短期間で白い巨塔の頂点まで登り詰められたのに、わざわざ国への恩のために戻られたとか」

「そう周りには思われているんですね」

「義理に縛られるなんて、実にもったいないことですわ」


 国に縛られて動けないのでしょう? と暗に匂わす。

 ああ、これは勧誘だなと医師は気が付いた。

 王太子の前で堂々としたもんだと、不安気な表情を浮かべる王太子を横目で見る。

 第8妾妃はにこやかに医師に提案した。


「ぜひうちの商会に来ていただきたいですわね」

「おや、国ではなく?」

「ええ、そうよ。所属は国ではないわ。

 私どもが打ち立てた商会は、国をまたいでどんどん規模を拡大させているの。

 おとこのように国境や部族の縄張りに縛られない、自由な商圏よ。

 あなたが商会の医師になってくだされば、国に派遣するという形を取ります。

 そして個人所有の研究所と、最先端の医学が手に入る環境を差し上げますわ」


 滔々と語られる話に、もちろんその資金は人材を送られた国からの接収した仲介料で賄われるのだろうなと、医師は想像した。

 そうですか、と述べるにとどめる。

 目を光らせた第8妾妃は、顎に細い指を当てた。


「巨大な影響力をもつ商会を背後に持てば心強いですわよ。

 権力に理不尽を強いられたときに、あなたを守れるますし。

 医師や学者は自由を研究ができる環境を尊ばれる方は本当に多いですわね。

 貴方もあえて国に所属する必要はないのではなくて? 

 ———それとも貴方にとって、何かがここにはあるのかしら?」


 医師は実に魅力的なお話だ、と言った。


「貴女たちは実に進歩的だな。どこまでも国や民を将来を見通し、行動している。

 あなた方の信頼を得られる女王は、よほど素晴らしい方なのだろう」


 だが……と医師は切った。


「私は古くさい上に、不器用な男でね。

 今は、一度手を振りほどいてしまった子供のそばに居てやりたいのだよ」

「先生……」

「そして、見捨てられない患者がここには多すぎる。

 自分は医者だ。目の前に治せそうな患者がいるのならば、離れる訳にはいけない」


 潔い医者の返事に第8妾妃は肩をすくめ、残念、でもいい男ねと褒めた。

 そこに、第9妾妃が宰相にエスコートされてやってきた。


「この国の貴族はもう全部だめね。

 うちに来たいと匂わせて来たものもいるけれど、こちらから誘うのは無駄だわ」


 王太子と宰相の前で堂々と、お前の国の貴族は使えないとはっきり述べたのだ。

 王太子は恥入り、宰相は憤懣やるかたない顔をしている。

 第9妾妃は、国をバカにされても平然としている医師に気付いた。


「あら、あなたが姉が狙っているというお医者様ね」

「第9妾妃様でよろしいのかな」

「妾妃といっても名称を残しているだけ。今は女王の運命共同体としての意味の方が強いわ」


 さて、と第9妾妃は、第8妾妃の耳に囁いた。

 第8妾妃はうなずく。


「王太子様、まもなく第10妾妃が貴方の国に軍を率いて訪れるでしょう。

 出来れば無血開城が嬉しいのですけど。

 王の統率が完全に崩れているこの王城で、貴方が内部の意見をどこまでまとめられるかしら」


 最終勧告を、王太子は粛々と受け止めた。

 後ろで宰相が徹底抗戦だと激怒するが、彼女たちは気にも留めなかった。




「王妃様のおなりです」


 そこに華奢な金糸のドレスを来た少女が現れた。

 王妃だ。ほんの数ヶ月で、さらに若返ったように見える。

 第8妾妃も第9妾妃も、思わず王太子を振り返り、王妃と見比べた。

 「実母です」と聞き、うっそマジ?と思わず素が出てしまうくらい、その幼さに驚愕する。


 若い王妃はにこにこあどけない微笑みを浮かべ、使者である美女二人を歓待した。


「ごめんなさいねえ、王は矢傷が深くて起きあがれないみたいなの」


 今朝、近衛騎士たちに暗殺されかけたからだ。

 もう国を支える騎士団までもが、王家に反旗を翻し始めていた。


「だからせめてものお詫びの品に私の作品をプレゼントするわ。嬉しいでしょう?」


 護衛騎士に持たせた、金細工のひまわりが何本も入った鳥かご。


「ちゃんと芸術協会の方に助言いただいたように、『籠の底まで純金で埋め尽くし』たわ。その方が私の作品がより芸術的で素晴らしくなるらしいの」


 絶句する周囲。妾妃たちは、ああこれかと呆れた目でひまわりを見る。

 血の気が失せていった王太子が、テーブルの酒に手を出した。





 その日の夜、王妃は言った。


「芸術協会の方が、私の作品は芸術的て価値があるって認めてくださるの。特に金をいっぱい使ったものが素晴らしいって。

あの子がいなくなって、私を褒めてくださる人が少なくなったから嬉しいのよね」


 第一王子の喪失から、国の傾斜が一気に深くなった理由だった。

 「褒めて認めてくれる」からと、協会に莫大な寄付をした。そしてたくさんの作品を作った。

 特に自分のひまわりは、自分の作品を褒めてくれる者たちに、たくさん作って進呈した。もっと褒めてくれるようになった。認定もたくさんもらった。

 あふれ咲く黄金の花。

 そして、莫大な国庫の金銀を使いきった。






 王国が亡ぶ三日前のこと。


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