表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

雨の日神社

作者: 兎狸

 木が鬱蒼と生い茂る林の奥。一本すらりと続く石畳を辿っていくと、そこにはこじんまりとした神社がある。

 薄気味悪いため、私は変な噂をよく耳にしていた。天狗に攫われるだの、喰われるだの、中々酷いものだ。きっと子供があんな人気のないところに行くのを防ぐためだったのだろう。そんな噂をたてられていた神社には申し訳ないのだけど。

 小雨が傘の上を跳ねている。小さな水溜まりを踏みつけて、私はその噂の神社に向かっていた。学校で久々にその話題が出て懐かしく思ったんだ。


「流石にもう怖くないなぁ」


 林の入り口を目の前に私は呟く。噂を聞いた当時小学生の私はその噂を鵜呑みして、バカみたいに怖がってこの林に近づくことすら嫌だったものだ。

 まっすぐ続く石畳を一歩一歩進んでいく。傘を叩く雨の音と私の足音だけが妙に大きく響いている。しばらく石畳はただまっすぐだったが、急に段を成して私の前にそびえ立った。段数を数えるのすら億劫になりそうな、体力のない私を殺しにきているようにしか思えない階段を目の前に溜息しか出なかった。

 体力をほとんど奪われながらも頂上まで上りきった。一つ息を吐いて顔を上げると目の前に何かが立っていた。修験者のような服装を纏った、天狗の面を付けた人。背中には烏のような黒い羽がふわふわと揺れていた。

 不思議な格好のその人を見上げて固まっていると、その人は肩を揺らしてクツクツ笑った。


「久々の客人だ。嬉しいの」


 低く澄んだ声で告げると、カランカランと高い下駄を鳴らして私の周りを軽い足取りで歩いていた。物珍しそうにジロジロ見られ、何だかくすぐったい。


「へぇ、今の娘は変わった格好をしておるな」

「私から見れば貴方も充分に変わった格好していますよ」


 私が口を開くと彼は驚いたように足を止めた。そして私の目の前に立って、彼は面の向こう側からくぐもった声で話しかけた。


「……娘、私が見えているのか」

「ばっちり見えています」

「ほぉ、珍しいの。面白いの」


 ひらりひらりと跳び、どこか嬉しそうに見える。大きな烏の羽を広げ、彼は宙に浮いていた。

 浮いたまま私に近づくと傘の中に入り込んできた。そして彼は私の両頬を包むように手を添えた。しかしその手は私の頬に触れずにすり抜けてしまった。彼はそれを気にもせず、無機質な天狗面の鼻先が私の鼻にくっつきそうなほどに近づいた。


「私は烏天狗だ。ここに祀られているものだ。聞いたことはあるだろう?」

「ありますけど、見たのは初めてです」

「私も初めてだ。こんな変な格好をした娘を見るのは」


 烏天狗と名乗った彼は明るく笑って傘から出た。こっちにおいで、と手招きをして彼は背を向ける。私はそれに従うように、彼の背中を追った。

 少し歩いて賽銭箱の前に辿り着いた。屋根の下、濡れていない石段に彼は腰を下ろし、髪に乗った小さな雨粒を振り落した。私も彼の隣に腰かけた。


「どうしてここに来たんだ? 気味悪いからと言って、最近は誰も近寄らないのだが……」


 噂を確かめに来ました、なんて言ったら彼はどんな顔をするのだろうか。少し悩んで口を噤んでいると、彼は私の顔を覗き込み、不安げな声を出した。


「すまない、言えない理由だったか」

「いいえ、そんなことはないんです。ただ、噂を確かめたくて」


 言ってしまった。でもだって、こんな不安そうな声で聞くのだもの、私だって何か答えないと。でも咄嗟に嘘を吐くだなんて器用なことできないから馬鹿正直に言ってしまった。……それに相手は神様だ、嘘を吐いたところで見抜かれてしまうのだろう。

 意外にも烏天狗はワクワクとした弾んだ声で私に尋ねた。


「ほぅ、噂が。どんなものだ?」

「天狗に攫われるって言うのです」


 そう言うと彼はふっと吹き出し、ケラケラと楽しげに笑った。何てことを言う、と怒られると思っていたのに、笑い飛ばされてこちらはきょとん顔だ。

 黒の羽をふわふわと揺らして笑っていた彼が突然真剣な口調で言った。


「娘よ、その噂がもし本当だったならばどうする。目の前の天狗が、お前を攫って喰ったら」


 ザワ、と木々が不穏に揺れる。彼が面を少し上げて、口元だけを見せる。口角を器用に吊り上げてニタリと笑う姿は私の背筋を簡単に凍らせた。

 目の前の恐怖に怯えていると、彼は肩を震わして笑い始めた。


「はは、冗談だよ冗談。客人を喰う趣味なんざ無い」

「冗談だったんですか。すごく怖かったですよ」

「全力出したからの。怖がってもらえなかったらつまらない」


 口元に悪戯な笑みを浮かべて彼は言う。ひどいものだ。

 この後に聞いたのだが、この噂の原因は誰でもない、彼らしい。昔に幼い子供が雨の日であろうと傘一本差さずに来るので、風邪をひいてしまう、と心配した結果に言ったらしい。「雨の日に来ると攫って喰ってしまうぞ」と。子供は素直にそれを聞き入れて雨の日には来なくなったらしい。そのときの言葉が紆余曲折して「あの神社に行くと天狗に攫われる」だなんて噂がたったのだろうな、と彼は笑っていた。

 視界の先に置かれているいくつかの灯篭に火が浮かぶ。赤の火はゆらゆらと小さく揺れていた。


「もう夕暮れか。そろそろ帰らないと叱られるぞ」

「そうですね……」


 こんな楽しい人と別れるのが何だか名残惜しく感じる。鞄を肩に掛けて傘を持ち、私は思い腰を渋々上げた。じゃあ、と別れを告げようとしたとき、右腕を掴まれ引き止められた。


「また、遊びに来てくれるか?」

「来たらまた、こうやってお話してくれますか?」

「勿論」

「じゃあ、また来ます」


 そう言うと彼は安心したように口元を緩めた。そして私の腕を放してヒラリと手を振った。


「楽しみに待っている」


 私も彼に手を振ると背を向け、長い階段の方へと歩き出した。

 階段を下りきって林から出る。気が付けば雨が上がっていた。黒の雲に少し隠れながらも青白い月が見下ろしていた。



 その日から私は毎日のように神社に行っていた。ある日は遠い昔の話をして、ある日は古い遊びをして。天狗の面から覗く口元を楽しげに緩ませて、彼はいつも遊んでくれた。


「君は毎日来てくれるけども、いいのかい? 友人や家族のために時間を割かなくても」


 ある日、彼といつもの通り石段に座って話していると、突然そんなことを言われた。表情は何も見えないが、声がどこか寂しそうに不安がっているように聞こえた。


「どうしてそんなことを聞くのですか?」

「いや……あの、前に話した雨の日ですら毎日来てくれた子供の話しただろう。覚えているか?」

「覚えていますよ」

「あの子はある日、友人と遊びことに忙しくなってしまってな、来なくなったんだ。君もそうなるのかと思ったら、なんだか……」


 嫌だなぁ、と弱々しく切ない声で呟いてうずくまる。真っ黒な烏の羽がふる、と震えた。いつでも明るく笑う彼からは想像できない、暗く悲しい雰囲気をまとっていた。その姿を見ているとひどく切なくなって、でもなんだか愛らしくも見えて。膝小僧に額をくっつけている彼の顔を覗き込んだ。


「もう充分割いていますよ」

「……はて。でも君は学校後いつもここにいるではないか。友人と遊ぶためでなく、私に割いているだろう?」

「烏天狗さんだって私の大切な友人だと思っていたんですけど……」


 そう言うと彼は膝小僧から額を離して私を見据えた。きょとんとした顔のまま、友人、と小さく呟く。私が頷くと彼は嬉しそうに口元を緩め、先程の暗さは吹き飛ばして明るい雰囲気をまとった。そしてこれ以上ないくらいの上機嫌な声で話し始めた。


「嬉しいの、友人か! はは、人の子は皆神だ妖怪だと恐れるが、君は違うのだな」


 嬉しいのぅ、と何度も何度も告げる。相手は烏天狗の身、そんな彼にただの人である私が軽々と友人、なんて言ったことを少し申し訳なく思ったが、そのようなことを思う必要はなかったみたいだ。齢幾千の彼はまるで幼い子供のようにはしゃいで喜んでいた。


「初めてだ、人の子に友人なんて言われたのは」

「私も烏天狗の友人なんて初めてですよ」

「はは、だろうなぁ。私も何千年か生きてきたけども、神と人の子が友人になるなんて初めて聞いた」


 彼は幸せそうにカラカラと笑っている。そして誰に自慢してやろう、と楽しそうに私に話す。長たらしい名前をいくつか挙げている。……もしかして全部神様の名前なのだろうか。彼はうーん、と小さく唸って、皆に自慢しよう、と一人で勝手に解決して明るく笑っていた。

 その後、はしゃぎっ放しの彼は嬉々として、まるでマシンガンのように言葉を紡いで楽しげに話していた。


「ああ……もう夕暮れか。今日は沢山話したの」

「上機嫌でしたもんね、烏天狗さん」

「君が上機嫌にさせたのだろう? 今日も楽しかったよ、また遊ぼうな」


 彼は優しげに口元に弧を浮かべて手を振った。私も大きく手を振って長い階段を下り始めた。一段一段降りていると、急に強い風が追い抜いた。それと一緒に真っ黒な烏も私を追い抜き、紫掛かった橙の空へと吸い込まれるように飛んでいき、頭の上でくるくると優雅に回っていた。

 そういえば、彼も飛ぶのが得意だと話していたなぁ。だけど以前に見せて、と言ったら今度ね、とはぐらかされた。……また言ってみようかな。



 あれから何年経っただろう。数え切れない歳月が過ぎた。大切な友人は毎日飽きもせずにここに来た。すーつ、とかいうひたすら黒い服を着ているときも、可愛らしい服で妙に可愛らしい顔立ちをして来たこともあった。男と遊びに行くとか言ってて、私は思わず相手を呪いそうになったことは今でも内緒だ。近くで祭りがあったときは、紺の浴衣を着ていた。現代の彼女の格好も昔ながらの浴衣も、どれもこれも可愛らしくて、私は何度も見惚れていた。これも内緒だ。

 若く綺麗な女人になった頃、彼女は一時期全く来なくなった。どうしたものか、と不安がっていたら、ある日彼女は一人の男と、腕の中ですやすや眠る幼子を連れて来た。


「最近来れなくてごめんなさい。この子を授かって……」

「ほう、君らの子か。君によく似て可愛らしいの」

「子供好きなんですか?」

「勿論だ。小さくて弱々しくて守りたくなる。……そうだ君も子も……少し嫌だがそこの君の愛する彼も守ってあげよう」


 そう告げると彼女はありがとう、と嬉しそうに微笑んだ。人間じゃない私が、唯一彼女のためにできることがそれだった。

 だからだろうか、彼女一家は安泰で、毎日散歩ついでによたよた頼りなく歩く幼子と一緒に近況報告をしに来た。彼女の子は私のことが見えていないようだったけども、私の存在を信じていた。中高の頃は一人できて、好きな人ができたと私に報告したり、恋人に捨てられたと泣いていた。中々厄介だが面白い子だった。

 一体どれだけ経ったのだろう。ある日、彼女の子に「母は亡くなりました」と号泣された。あまりに突然だった。寿命だった、と泣きながら私に告げていた。


「そうか、もう会えぬのか。……また、独りか」


 人の子はすぐにいなくなってしまう。折角面白い友人ができたのに。私は長い階段の頂上に座り込んだ。

 細かい雨が降っている。あの子が初めて来たのもこんな雨の日だった。天狗に攫われる噂がどうのって言っていたな。懐かしいもんだ。

 ふと聞き慣れた友人の「烏天狗さん」の声が聞こえた気がした。頭の上に降り注いでいた雨がぴたりと止んだ。頭上を見ると、あの子が持っていた傘が見えた。


「独りにしませんよ。寂しがり屋さんなんだから」


 振り返るとそこには優しげに笑う大切な友人の姿があった。

 また沢山遊べるね、と言われ、私の目の前に霞が掛かった。ばっと立ち上がって思わず小さな彼女を抱きしめる。人の子でなくなった彼女は私の手をすり抜けさせることなく抱きしめられた。


「これからも会えるのか」

「そうですよ。だから泣かないでくださいよ」

「泣いてなんかいない! 神の命は長いぞ、付き合ってくれるのか?」

「当然ですよ」


 彼女は楽しそうに笑って私の頬に伝う涙を拭う。そしてくすくす笑いながら背伸びをして私の頭を撫でてきた。初めて触れたその小さな手は驚くくらい暖かかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ