第九十四話:『鈴鳴庵』のかしわ餅と感謝の意を
この人は本当に律儀だな、と思わせられることがある。
ゴールデン・ウィークが明けて、最初の月曜日。
その人は、あの時のやり取りは冗談だったにも関わらず、珍しく手土産(手荷物にも見えるが)を持ってきた。
「約束通り、『鈴鳴庵』のかしわ餅だ」
いや、確かに約束はしたが、本当に『鈴鳴庵』の物を持ってくるとは思わないじゃないか。
私が覚えている、ここ最近のちょっとお高めのおやつと言えば……『鏡霞』のプリン(有栖川先輩の差し入れ)、『萬寿堂』のいちご大福(バレンタインとお礼)、『六扇庵』の桜餅(五十嵐君が来たとき)なのだが……そして、そこに『鈴鳴庵』のかしわ餅である。
……まさか、賄賂だったりしないよな? 後で「あのとき食べてたよな?」なんて聞かれないよな?
ーーまあ、勘繰るのはその辺にしておいて、雪原先生が鍵依姉に嫌われるような、そんなまどろっこしいことをするはずもないので、遠慮なく頂く。
「くそっ、美味しいじゃないか」
「桜庭。お前、一度ぐらい悪態をつかずに、そのまま素直に言えないのか」
私が素直に言うことが無いのを知ってるだろうが。この保険医は。
「さて、あいつらが未だに来る気配が無いから、今のうちに聞いておきたいんだが」
「何ですかー?」
変なことではないと思うので、聞いてみる。
只今、私以外の役員全員が第二生徒会室(一応、現在進行形で使ってます)に書類を取りに行っているため、生徒会室で雪原先生とは二人っきりではあるのだが、鍵依姉のことを好きであるこの人が、姉さんの妹である(さらに言えば義妹になる)私に変なことをしてくるとは思えないため、正面に向かい合う形でソファーに座っている。
もし仮に何かしてきたら、さっさと撃退して、姉さんにチクるだけだ。多分、それだけで効果抜群だろうが。
「夏休みの件、来たか?」
「試験官になってくれ、っていうのなら来ましたよ。日時は後日、ともありましたが」
何の、という主語を抜いたが、おそらく伝わっているはずだ。
もし、『鍵錠』に関する方についてなら、私には詳しいことを含めたとしても、今はそれぐらいしか分からないし、何も言えない。
つか、『異能バトル』に関しては、どうなっているのかは知らない。一応、保留にはしてもらってはいるが。
「そうか。例年通りなら、六月辺りにまた通達が来ると思うから」
「そうですか」
私には、そう返すことしか出来ない。
「……」
「……」
ずずっ、とお茶を飲む音だけが響く。
「ああ、そうだ。もう一つあった」
「何ですか?」
「鍵ーー」
「ただいま戻りましたー!」
雪原先生が口を開こうとしたのと同時に、双葉瀬先輩が生徒会室に入ってくる。
「……」
「……」
「あれ? もしかして、タイミング悪かった?」
思わず無言になった私たちに、双葉瀬先輩が聞いてきたので、
「……いえ」
「……いや」
と返しておく。
とりあえず、第二生徒会から持ってきた書類を一部受け取り、かしわ餅とお茶を角に寄せて長机に置くが、それ以外のそれぞれの机に置いた分に関しては簡単な仕分け作業に入る。
「それで、何話してたの?」
「先輩には関係ないことですよ」
実際、関係ないことだし。
「えー」
「あ、今日のお菓子は『かしわ餅』なんですね」
「『鈴鳴庵』の奴ね。雪原先生が持ってきてくれたんだよ。ゴールデン・ウィークの件もあったし」
微妙にーーある意味、ノリ的にも見えるーーどこか不満そうな双葉瀬先輩を無視して、五十嵐君にそう説明する。
「先に食べちゃうなら、お茶持ってくるけど……どうする?」
「あ、じゃあ、よろしくお願いします」
五十嵐君の返事を聞いた後、先輩たちにも、どうするのかを聞いてみる。
「先輩たちはどうします?」
「先に食べる」
「僕もー」
「お茶を淹れるなら、手伝う」
というわけで、休憩は延長である。
「美味しー」
お茶を持って行けば、先輩たちはもうすでに、かしわ餅に口を付けていた。
「良かったですねぇ、雪原先生。喜んでもらえて」
「ああ、そうだな」
文句を言いたげな目を向けられるが、知るか。
「桜ちゃんは良いの?」
「ええ、まあ……」
「もしかして、先に食べた?」
「先輩たちが戻ってくる前に、ですがね。だから、私の分については気にしなくて良いですよ」
そう言えば、ふーん、と返される。
「さて、と。用は済んだし、俺は保健室に戻るわ」
「あ、はい」
「かしわ餅、ありがとうございまーす!」
「美味しかったです」
生徒会室を出て行こうとした雪原先生に、各々がかしわ餅のお礼を言う。
「ああ、それじゃあな」
そう言って、完全に退室したのを見送れば、軽く息を吐いて、自分の席に座る。
「それにしても、結構残ってましたね。書類」
「これでも、かなり減った方だとは思うがな」
休憩中の先輩たちより先に書類を仕分けてみるが、何分種類が多い。
「足の踏み場があったから、まだ良い方だよね」
「まあ、第二生徒会室も足の踏み場が無くなったら、第三生徒会室として、またどこかの空き教室を借りなきゃ行けなくなりますしね」
「桜ちゃん、嫌なこと言わないで……」
そもそも、空き教室を第二生徒会室として、使わないと行けなくなった原因の一人が何を言うか。
「とりあえず、少しずつ片付けていきましょう! ね?」
空気が悪くなってきそうなのを察知したらしい五十嵐君が、私たちにそう言う。
「そうだね。そろそろ、林間・臨海学校や修学旅行もあることだし」
「中間試験が終わってからだっけ?」
「そうですね……あ、いや、その前にあります。夏季球技大会も同時進行でありますし、戻ってきたら戻ってきたで、選挙の前倒し分、中間・期末の両方があるはずですから」
年間予定表を見てみたら案の定で、修学旅行終了後に一週間猶予を置いて、中間試験である。
「確か、去年の今頃の中間は、見事にボロボロだったんだよなぁ。しかも、普段成績良い人も下がってたみたいだし」
「わー、わー!」
止めて、先輩の実体験なんか聞きたくない。
確実性が増すじゃないか!
「先輩たちには致命的ですよね」
「言うな。慣れたとはいえ、この時期に詰め込み過ぎなんだよな。行事を」
先輩たちと一緒に、私たち二年組も遠い目をする。
多分、一年で一番忙しい時期は、この時期だと思うんだよ。
「五十嵐、よく見ておけよ。この忙しい時期の様子を」
「は、はい……」
まあ、五十嵐君が後期生徒会役員選挙時に逃げ出したいなんて言わなきゃ良いけど。
「後期役員選挙の時になって、桜庭みたいに直前に逃げ出されそうになっても困るしな」
ぐっ……!
獅子堂君よ。私がさっきまで考えていたことを、分かったかのように言うのは止めてほしい。それがたとえ、事実であっても。
「まあ、五十嵐以前に、桜庭がまた逃げ出そうとしなきゃ良いけどな」
先輩!?
「その可能性は否定できませんが、先輩たちが抜けた穴を埋められるかどうか……」
「現状が厳しいのを知ってると、どうしてもそこに首は突っ込みたくないもんね」
「双葉瀬先輩。それは私に対しての嫌味か何かですか?」
私の場合、(岩垣先輩に頼まれたとはいえ)突っ込まざるを得なかったんですが。
「あ、いや……」
「でもまあ、桜庭が首を突っ込んだから、今も役員として居られるんだよな。もし、あのままだったなら、もっと酷くなってたかもしれないし」
言い淀む双葉瀬先輩を遮るかのように、一ノ瀬先輩がそう言ってくる。
「お前の方は、ただ頼まれたことをやっただけかもしれないが、あの時はありがとうな。桜庭」
思わず、驚いて先輩の顔を見てしまう。
「…………えっと、何か変なものでも飲み食いしました?」
「おい……人が素直に感謝してるというのに、何でそんな疑いを掛けられなきゃならない」
いや、それはそうなんですけど……
「それに、飲み食いって言ったって、みんな似たようなもの食べてたじゃん」
双葉瀬先輩、まともな返しは入りません。
「とりあえず、ありがとうございます……?」
こちらもお礼は言ってみたが、これで良いのか?
「何で、疑問系?」
何ででしょう?




