第九十三話:抱いている気持ちは
ゴールデン・ウィーク。
『GW』とも表記されることのある、五月上旬の大型連休である。
「せっかくのゴールデン・ウィークなのに、学校で書類整理とか、マジふざけんな」
「桜庭。気持ちは分かるが、落ち着け。予定が狂ったのは、何もお前だけじゃないんだから」
同じく学校に来ていた獅子堂君に宥められるが、私としては納得できない。
というのも、せっかくの休みだというのに、宿題が出されたから先に片付けようとすればーー
『俺たちは行けないが、書類整理を頼む』
の一文が、一ノ瀬先輩から送られてきた。
つか、『俺たち』の『たち』って、双葉瀬先輩が側に居るか、休み前から打ち合わせ済みだったってことだろう。ほー。
あと、そういうことは休みじゃなく、平日に言ってきてほしい。
「獅子堂君よ」
「何だ」
「その狂った予定というのは、今日中じゃないと駄目だったん?」
ふと気になったので、聞いてみる。
「いや、前もってって訳でもないし、せっかくだから今日やろう、みたいな感じなだけだ」
「ふーん」
「桜庭は?」
「宿題を片付けようとした矢先に、一ノ瀬先輩からメール来ましたが?」
あー、と獅子堂君が唸るように言って、空気が気まずくなる。
そのまま、二人だけで淡々と書類整理を続けていく。
「よー、生きているか? 二年組ー」
「あ、意外と暇そうな副顧問がご登場したところ申し訳ありませんが、顧問としての印、これ全てにください」
かなりの量があるんすよ。
副顧問も『顧問』って付いてるから、大丈夫だよね?
「なぁ、桜庭。お前、一応敬語もどきでも使ってるつもりだろうが、使えてないからな?」
「はっはっは、何を今更。私が雪原先生の扱いを変えたことなんて、一度たりとも無いじゃないですかぁ」
そりゃあ、尊敬とかしないわけではないけど、鍵依姉の件を忘れたわけじゃねぇぞ。
「つか、何で私たちが休日出校してまで、書類整理なんて物をやらなきゃなんないんですか」
「そりゃあ、三年組は受験だし、一年生である五十嵐は本来なら役員になれてないからなぁ」
「夏休みならまだしも、ゴールデン・ウィークに? 私たち、予定あったのに?」
夏休みなら、と妥協した部分もあっただろうが……三連休だぞ? なのに学校に来てしまえば、普段と変わらねぇよ!?
「桜庭、どうどう。どうせこの後、特に予定が無いのなら、二人でどこか行けばいいだろう?」
「先生の奢りっていうのは……」
「桜庭。八つ当たりはその辺にしておけ」
珍しく、獅子堂君に止められたし。
「じゃあ、『鈴鳴庵』のかしわ餅を持っていってやるから、それで機嫌直せ」
「先生。私に何か甘いもの食わせておけば、どうにかなると思ってません?」
「違うのか?」
うわ、殴りたい。この教師。
「違います」
それに、私が機嫌云々以外で、甘いもの出されても変わらなかった時があっただろうが。
「それに、『鈴鳴庵』は『萬寿堂』程ではないにせよ、結構高いじゃないですか」
「まあ、何とかするさ」
どうするんだ、と聞けば、こう返された。
これは……『鍵錠』として、稼いだ分から引っ張ってくるつもりだな? 何とか出来るレベルでないだろうに。
「まあ、別に『鈴鳴庵』じゃなくても良いですから、先生の手が届く範囲内で買ってきてください」
何となく驚かれてるような空気を感じるが、無視しておく。
「いらない的なことを言っておきながら、買ってきてもらうのを頼む辺り、ちゃっかりしてるよな。桜庭は」
「そうですか?」
目線を先生の方に向けてみれば、笑顔を浮かべていた。
……その笑みは私じゃなくて、鍵依姉に向けろ。
「……? 以前から気になってたんだが、桜庭って雪原先生に対しては、他の先生たちとは対応の仕方が違うよな?」
「そう?」
獅子堂君の疑問に、疑問で問い返してはみるが、どうやら誤魔化されてはくれないらしい。
「ああ。先輩たちも、時々思い出したかのように話すときもあったぐらいだ」
思い出したかのように、って……。
どうする? って、雪原先生から視線で問われるが、こっちとしてもどうすりゃ良いんだよ。
今まで隠してる意図もあって、敢えて話さないでいたのもあるが、内容が内容なだけに、下手に話すわけにも行かない。
「千錠に来る前から、個人的な付き合いがあって……?」
「何で疑問系?」
私のことなのか、雪原先生のことなのか。主語を抜いて説明してみたが、当の本人ーー雪原先生が苦笑いしていた。
いや、私たちの本来の関係をぶちまけると面倒なのはお互い様なのに、何を他人事のように笑ってるんだよ。
「何つーかな」
困ったように肩を竦め、生徒会室にあるソファーから保険医兼副顧問が立ち上がれば、
「休みまで学校に来るとか、お前らも随分と物好きだよな」
そう言いながら、生徒会室の扉を開ける。
「あっ」
「あー……ははっ」
「……はぁ」
「……」
「……」
「……」
扉の前に居たのは、(反応順に)五十嵐君、双葉瀬先輩、一ノ瀬先輩の三人。
で、そんな三人を、私たちは無言で見つめる。
「入ってくれば良かっただろうに、何で入ってこなかったんだよ」
「いや、何か重要な話をしていたみたいですし……空気を読んで?」
雪原先生の問いに、双葉瀬先輩が答える。
「普段、空気を読んでないような発言をしているくせに、こういう時だけ読まなくて良いんですよ?」
「桜ちゃん!?」
あー、一気に騒がしくなった。
「でも、個人的な付き合いがあったとしても、桜庭先輩は雪原先生のことが好きだって事は分かりましたよ」
思わず力を入れたせいか、シャーペンの芯が折れる。
「は?」
何言ってるの? この後輩。
そして、室内にあった視線全てがこちらに向いたせいで、一気に針の筵と化す生徒会室。
「どこをどう判断して、その結論に至った?」
答え次第では、戦闘へ移行させるぞ。
「ちょっ、落ち着け桜庭。お前の気で五十嵐がびびってるから! これじゃあ、説明させることも出来んって!」
……さすが、雪原先生。特に怯むことなく、冷静に止めに来たし。
「……ああ、ごめん。で?」
「あ、その、恋愛的な意味ではなく、友愛とか親愛的な意味で、ってことで……」
とりあえず、出ていた気を引っ込めて先を促せば、五十嵐君が説明してくれる。
まあ、分かってた、分かってたけど……本人の前で認められるか!
「桜庭先輩の事だから、嫌ってたり、親しくもない相手にそんな態度は取らないんじゃないかと」
ふーん……。
「その点に関しては、否定しないよ。……まあ、恋愛的な意味でって言われたら、反応に困ったけど」
私にも当然、嫌いな人は居る。
「でも、約数週間の付き合いで、よく気付いたね」
「あー……その、生徒会に来てから皆さんを見ていて、『そうじゃないかな?』って思ったっていうのもあるんですけど……どちらかといえば、人のそういう所には鋭い方でもあるんで」
なるほどね。
「じゃあ、会長たちは?」
「え……」
五十嵐君に聞いてみたら、戸惑うように「あー」とか「うー」とか唸られる。
途中、双葉瀬先輩に何かを確認するような視線を向けたようにも見えたけど、その意味はどうやら通じなかったらしい。
「で? で? 桜ちゃん。雪原先生のこと、本当はどう思ってるの?」
「はい?」
さっきまでの話を聞いてたのか? この人は。
「いや、そのままの意味なんだけど……怖いよ!?」
そもそも、本人の前で本心を言うとか、そんな強心臓の持ち主ではないんだけど。私は。
「どうもこうも、さっき五十嵐君が言った通りですけど?」
仮にも義兄(になる人)だぞ。
これから関係が変わったとしても、私たちのやり取りだけは、何一つ変わらないと思うんだが。
「えー」
「『えー』って、何を期待していたんですか」
私の抱えている機密レベルの情報を知っているであろうこの学校の教師たちを相手に、教師と生徒の禁断の恋なんてものが起こるはずがないし、起こす気も無い。特にーー鍵依姉の婚約者である雪原先生相手には。
つか、雪原先生に手を出してみろ。鍵依姉が怖いし、逆もまた然り。
そして、私に何かあれば、近くにいてサポーターも兼任している雪原先生がすっ飛んでくるのは目に見えている。
それに、本気で怒ったこの人は、正直怖い。何で、普段怒るように見えない人が怒ると怖いんだろう。
「とにもかくにも、私に恋愛感情はありませんよ」
先生への、という言葉を追加すれば、駄目押しにもなるだろうが、恋愛感情自体に関しては、無いというか、抱かないようにはしてる。
私の言葉に、事情を知ってるからか、雪原先生が困ったような笑みを浮かべているが、そんな顔をしないでほしい。
『あの件』は先生のせいでもないし、下手したら私たちの本来の関係がバレますよ?
「とりあえず、みんな集まったなら、書類整理の手を動かしましょうか」
最初から一緒に居た獅子堂君以外に声を掛ければーー……
「げっ」
と双葉瀬先輩が声を上げて逃げ出そうとし、
「仕方ないな」
と一ノ瀬先輩が逃げようとしていた双葉瀬先輩を瞬時に捕まえ、五十嵐君もその光景に苦笑いしながら自分の席に着く。
「雪原先生も、書類への確認・承認印よろしくお願いしますよ」
「ああ」
顧問印がいる追加の書類を渡せば、嫌な顔をせずに受け取ってくれる。
私が雪原先生に抱いているのは、恋愛感情じゃない。親愛である。
確かに、鍵依姉との件で認めたくない部分は多々あったが、今はそうでもない。
だって、私が一番好きなのはーー一緒に、隣同士に並んでいる二人なのだから。




