第百十二話:笑顔と『返したい』という思い
ある待ち合わせ場所で待ち人を待ちつつ、時折時間を確認する。
こちらが無理を言って誘ったのだから、別に五分くらい遅れられても構わないのだが、待ち人の性格上、おそらくそれは無いだろう。
「はぁっ、はぁっ。あのっ、お待たせして申し訳ありません。忌ーー鍵奈様」
何て言おうとしたのかは大体察しはつくけど、ずいぶんとまあ無理矢理な直し方である。
さて、待ち人というのが、錠前時の姫にして、『移姫』こと転移系の異能を持つ、『衣緋の姫』ーー『衣緋灯』。件の人である。
「別に気にしなくていいのに。もし、普段の呼び方をした時点で、ここにいる人たち、絶対分からないと思うよ?」
「それでも、です。どこに目と耳があるのか、分かりませんから」
まあ、この通り、しっかりしているお嬢さんである。
「さて、と。来てもらって早々で悪いけど、移動しようか」
「はいっ」
……何だろう。久々に会うからか、灯ちゃんのテンションが高い気がする。
下手したら、耳や尻尾まで見えるのではというぐらい、楽しそうである。
「で、さっそく用件だけど」
「はい」
「夏休みに、『大会』があるのは知ってるよね?」
「はい、確か正式には『学校対抗異能演武』って言うんですよね」
灯ちゃんがえっと、と思い出しながらなのか、そう返してくる。
「うん。それでさ、『鍵錠選抜試験』も夏休み中にあること、知ってるよね?」
「そう、ですね……あの、まさか?」
頷きながらも聞いてくる辺り、本当に察しが良い子である。
「貴女様の予想通り、両方に出ることになったので、お手を貸してください。『移姫』様」
「え……」
灯ちゃんが戸惑っているのが分かる。
ただ、たとえ相手が年下の子であろうと、こちらから何かを頼む以上は頭を下げることに関して、抵抗は無かったりする。
というか、こっちはどうしても彼女の手が必要だから、借りれないとなると困る。かなり困る。
矜持? プライド? それよりも移動手段である。遅刻することこそ、私の中のプライドとかが許さないし、そのために年下の彼女に頭を下げる必要があるというのであれば、いくらだって下げてやる。
「あ、頭を上げてください。貴女に頭を下げさせたなんて知られたら、それこそ私たちの首がいくつあっても足りなくなるので、その頭を上げてください」
「それに、その程度で良いのなら、いくらでもしますから!」と言われてしまえば、頭を上げざるを得ない。
「いいの……? 友達と遊べなくなるかもしれないのに」
「あのですね。私の異能は“転移”なんですよ? それを使えるときに使わず、一体いつ使えと言うんですか」
「……」
「だから、鍵奈様が気にすることは何一つ無いんですし、転移すること以外、特に何かしろと言ってこないってことは、私のことを考えてくれているってことですよね? 少なくとも、私はそう思いましたし、判断しました」
言葉が出なくなるっていうのは、こういうことを言うのかと思った。
「だからっ、その、私は少しでも貴女にお返しが出来るなら、それがどんなに小さなことでも返したいから……」
きっと、今の彼女の脳裏には、私たちが出会ったときの出来事があるはずだ。
というのも、錠前時のちょっとしたパーティーで、“転移”しか出来ないのだと、同年代の子たちから馬鹿にされていた彼女を見掛け、それが学校に行った後の自分と重なったこともあり、思わず声を掛けたことで彼女と知り合うこととなったのだが。
「ありがとう、灯ちゃん」
「っ、」
「貴女の思った通り、私は貴女の予定まで束縛するつもりはないし、こちらの予定が済めば、きちんと連絡はするから、『笑顔で』、ね」
どんなに嫌なことがあっても、笑っているようにと彼女に言ってしまったから。
彼女が見てないからと、実行しないわけにも行かないので、なるべく学校でも笑うようにはしていたのだが、まあそれも忙しさで打ち消されることになってしまったのだが。
でも、それは過去のことで。
「……は」
「ん?」
「鍵奈様は、心から笑えていらっしゃいますか?」
その問いに驚いてしまったのは、悪くないはずだ。
「貴女様に何があったのかは、細部までは知りません。でも、そういうことがあったということを、私は聞き及んでおります」
「……」
「だから、その細部を聞くことなく尋ねます。貴女様は今、心から笑うことが出来ていらっしゃいますか?」
……ああ、そういうことか。
逃げることも許さないと言いたげに、こっちをしっかりと見据えてくる彼女の目は、間違いなく『姫』としてのもので。
たとえ、今この時の回答をはぐらかしたとしても、次会ったときに聞かれるか、気まずい空気を放つことにしかならない。
であるのなら、私は答えるしかない。『今の私』の意見を。
「悪いけど、多分私は貴女の望む答えを言うことは出来ない」
「……」
「中学の時よりは笑えているし、肩の荷は下ろせている。朝日たちもいるし、新しく出来た繋がりだってある。少なくとも、前よりは助けてくれる人たちがたくさんいる」
「……」
「だからね、灯ちゃん。私は今の生活は楽しいよ」
どういう学校生活がこうあるべきというものなのか分からないが、少なくとも、今楽しく過ごせているのであれば、それが私に合っているということなのだろう。
「灯ちゃんにもさ、中学なのか高校なのか、それとも大学なのかは分からないけどーーきっと、そういう時が来るだろうから」
そんな未来のことなんて分からないし、無責任だと言われても仕方がないかもしれないけど。
「頑張れ。他人事のようにも聞こえるだろうけど、きっと、貴女の理解者は絶対に現れてくれるから。表立って手を貸せなくても、裏から手を回して、助けてくれる人もいるかもしれないから」
私がずっと、みんなにしてもらっていたこと。
今度はそれを、この子やみんなに返さなければならない。
「……鍵奈様には、いらっしゃるのですか?」
「んー、まあ……気づいた、と言った方が正確かな」
さて、どう説明したものか。
上手い言い回しが思い浮かばない。
「えっと、私の場合、能力だけじゃなく、立場とかいろいろと特殊だからさ。それが当たり前だと思ってる部分もあったんだけど」
「けど……?」
「それでも、やっぱり出来ないことって言うのはあってさ。その時の無力感て凄いんだよね。でも、実は私が知らない間にみんなが可能な範囲で手を回して、力までも尽くしてくれてて。だからこそ、私はここにいるし、灯ちゃんともこうして話すことが出来てる訳なんだけど……分かりにくいか」
特に誰と名前は挙げなかったし、何となくでも通じてくれるとありがたいんだが、これで伝わらなかったら、どうするべきか。
「……」
いや、考えるまでもない、か。
そう灯ちゃんの顔を見て、理解する。
「……私は、鍵奈様みたいに気づけるでしょうか」
「どうだろうね。そういう時が来て、人はようやく気づくから」
「私にも居るでしょうか? 鍵奈様みたいに尽くしてくれる人が」
「いるよ? 少なくとも、ここに一人ね」
私は、たとえ最後の一人となろうとも、彼女の味方で居るつもりだ。
彼女の異能が有益だからとかじゃない。彼女がーー衣緋灯という少女が人として好きだからだ。
「鍵奈さん、人たらしとか言われません?」
様付けじゃなくなったかと思えば、何かそんなことを言われた。
「あったような、無かったような」
そう答えれば、ふふっ、と灯ちゃんが噴き出すと、くるりと一回転する。
「ここまで送っていただき、ありがとうございました」
「ん、気をつけて帰りなよ」
「はい。それでは、また夏休みに」
それじゃあね、と彼女の頭を軽く撫でて、帰りの途につき始めた灯ちゃんを見送る。
とりあえず、バレないようにこっそり防御系の能力を付与しておいたけど、さてはて、何事もなく無事に家に着いてくれるとありがたい。
「……たとえ、また笑えなくなっても、きっとーー」
再び笑えるようになるだろうから。
大会に関しては、聖鍵出場という不安要素はあれど、それ以外はいつも通りで大丈夫だろう。
「……やらなきゃいけないことが、いっぱいだなぁ」
当分の間、休みはお預けだ。