第百十話:覚悟を決めて
いつも通り、というか、帰りのSHRが終わって、生徒会室に来てみれば、まだ誰も来ていなかった。
「一番乗りか」
私が来たときには、大体誰か一人は居るのだが、こういうこともあるのだろう。
誰かが来るのを待っていても仕方がないので、とりあえず業務を開始する。
「……遅いな」
あれから何分経ったのだろうか。
時間からして、どの教室もSHRは終わってるはずの時間ではあるし、売店とかに立ち寄っていると考えても、やっぱりもう来ていてもおかしくはないと思うんだけど。
「試験の準備……じゃないよなぁ」
受験生である先輩たちならともかく、獅子堂君や五十嵐君まで遅いのはどういうことだろうか。
というか、誰か一人でも来てもらわないと、確認書類とか増えて困るのだが。
もし、昨日のことを気にしているのだとしても、みんななら気まずそうにしながらも来るとは思っていたのだが。
「ーーあ……」
がらりと生徒会室の扉が開いたかと思えば、こちらに気づいて硬直するという、そんな反応をされる。
「……」
「……」
そっと目を逸らされる。
「双葉瀬先輩、私なら昨日のことならもう気にしてないので、気にしなくていいですよ?」
「え、あ、うん……」
おい、何だ。まさか、私の正体が分かっての反応ならともかく、それ以外ならイラッとするのだが。
「何か言いたいことがあるのなら、正々堂々と言ってください。そうやって、余所余所しくされても困るので」
「あ、うん……」
いつも通りなら、しつこいぐらいに「本当に!?」と聞いてきそうなのに、それも無い。
「……双葉瀬先輩」
「何、かな?」
「いつも通りじゃないとこっちが困るので、早急にいつもの先輩に戻ってもらえると有り難いんですが」
こう言って、すぐに戻るとは思えないけど、直接言わないよりはマシだろう。
「ーーいつもの、僕? 『いつもの』って、何?」
「はい?」
「だって、『いつもの僕』に戻ってほしいんでしょ?」
なるほど、そう来たか。
「いつもの双葉瀬先輩、ですか……」
意外とこういうことの説明って、難しいんだよな。
「改めて面と向かって言うとなると、やっぱり恥ずかしいですし、私の主観になりますが、それで良いですか?」
「え……あ、うん」
この様子だと、まさか返されるとは思ってなかったな?
いや、私がこの立場でもそう思っただろうけど。
「これは、先輩だけではないのですが、みんな基本的に優しいです」
「……」
相槌を挟んでこない。
どうやら、最後まで黙って聞くことにしたらしい。
「で、先輩個人のことを言うと、何かおかしなことを言っては、空気が変わったり、おかしなことになったりもしますが、それが逆に有り難かったりする時があります」
特に、誰かが触れてほしくない問題の時とか。
「正直、先輩の明るさには私も助かってる部分もありますからね。一概にあのテンションや言い方が悪いとは言えませんよ」
「……っ、」
「何ですか。言いたいことがあるのなら、聞きますよ?」
文句があるなら言ってみろ。
「いや、うん、本当に優しいね。桜ちゃんは」
「私は優しくないですよ。あと、苦しいです」
何であの流れで抱き締められているのかは分からないけど、とりあえず苦しかったのは事実なので、そう訴える。
「……」
あ、無視された。
だが、どうするんだ。この状況。
もし、このタイミングで誰かが来たら、確実に誤解されかねないーー
「誤解」
今、一瞬誰を思った?
そして、誰が浮かんだ?
そんなことを考えていたためか、私から双葉瀬先輩が引き剥がされたことに、少しばかり遅れて気づいた。
「何をやってるんだ、お前らは」
てっきり、一ノ瀬先輩たちかと思ったけど、正直今はこの人で良かったと思ってる自分がいる。
「つか、桜庭。お前もちょっとは抵抗しろ。こういうことは本来の実力云々と関係ないんだぞ」
「……ごめんなさい」
素直に謝れば、溜め息を吐かれた。
そのまま気絶させた双葉瀬先輩をソファーの方に寝かせつつ、引き剥がしてくれた人ーー雪原先生が聞いてくる。
「それで、他の奴らは」
「まだですね。おかげで一人で作業してる状態ですが」
「そうか。で、こいつはどうしておく?」
「何やらいつもと様子がおかしいので、とりあえず今は寝かせて、放置しておいてください」
分かった、と返されれば、業務再開である。
双葉瀬先輩については、いざとなれば一ノ瀬先輩に任せればいいだろうし。
それに、私としても雪原先生に詳細を聞かれたところで、抱き締められるまでの出来事しか答えられないので、正直困る。
「……桜庭」
「はい」
「無理だけはするなよ」
「分かってます」
何だか、疑いの眼差しを向けられてるような気がするが、本当に私はそういう方面での信頼が無いらしい。
「大会当日は水崎先生と一緒に付くことになってはいるから、我慢できなくなったり、限界が来たら、ちゃんと言えよ?」
「だから、大丈夫ですって。朝日たちも居ますし、もし向こうが何かしてくるのなら、もうーー隠しだてはせずに、告げるまでですから」
「いいのか」
「元より、そういう決まりですし、それが少しばかり早まるだけです」
元々は権力に擦り寄ってくる奴らではなく、ちゃんと内面等を見て接してくる人を見極めたりするのが目的だ。
そうでなければ、地位に胡座を掻いて傲慢になったり、野心家や頭が回る者たちに利用されかねないから、それを見極める意味も込められている。
そして、私はそれに従っただけのこと。
そのせいで辛い目に遭い、みんなが相手を牽制してくれたとしても、私はその方針を変えろとは言わないし、言おうとも思わなかった。
だって、そうでなければ、『本当の味方』は得られないと思っていたし、何より言わなくとも、岩垣先輩のように、少なくともちゃんと見てくれていた人は居ただろうから。
「正直に言ったとして、そいつらが信じると思うのか?」
「おそらく、言っても信じないでしょうね。でも、それはもう予想済みなので、お祖父様も同行させます。それでも無理なら、もう誰かーー彼女も知る『姫』を同行させます。それでも駄目なら、また考えなくては駄目だろうけど」
「……そうか。桜庭がそこまで決めたのなら、俺はもう文句は言わない。ただ、鍵依には話を通すからな」
うん、と小さく返す。
どうせ隠したところで、鍵依姉にはバレるだろうし、バレていることだろう。
でも、もうこれ以上、この問題を引き伸ばす気はないから。
「う~ん……」
「俺、そんなに強く気絶させたつもり無いのに、いつまで寝てんだ。こいつは……」
少しばかり声を洩らした双葉瀬先輩に、雪原先生が呆れた目を向ける。
「けどまあ、そろそろ起こさないと、最終下校時刻になりかねないから、起こしますか」
「なら、俺がやる。お前は大人しく座って、仕事でもしてろ」
させなかった張本人が何を言っているのやら。
「本当、お前に何か遭ってみろ。文句言われるの、一番近くにいる俺なんだからな?」
「それは分かってますし、以前にも似たようなこと、聞きましたー」
そんなに私は言うことを聞いていないのだろうか。
「分かってるだろうつもりで言っておくが、トラブルメーカーとしてのお前は信用されてないからな?」
「何と」
いや、トラブルメーカーを信用しろって言う方が無理か。
「まあ、普段のお前なら信頼度はそこそこあるから大丈夫だろ」
「いや、そこそこって」
「事実だから、仕方ないだろうが。まあ、何だかんだでお前のことが好きな連中はたくさん居るから、ちゃんと心配もしてくれるし、安心しとけってことだよ」
「……うん?」
結局、どういう意味なんだ?
「まあ、そん中に恋愛的好意がある奴もいなくはないが……お前、本当に気づいてないのか?」
何にだろうか?
というか、呟き同然だったせいか、前半ほとんど聞き取れなかったんだが。
でも、そんなこちらの疑問など知らないとでも言いたげに、雪原先生は双葉瀬先輩に声を掛ける。
「おいこら、起きろ。双葉瀬」
「う~ん……?」
若干怪しい返事をしながらも、意識が浮上したらしい。
けれど、目の前にいる男は、自分がやったことを棚上げして告げる。
「おはよう、双葉瀬。後輩に仕事を押し付け、自分は居眠りとか、いい度胸だなぁ」
「あ、いや、これは……」
どうやら、一気に覚醒したらしい。
きっと、雪原先生は良い笑みを浮かべていることだろう。
「さ、桜ちゃん……!」
何やら助けてオーラを感じるが、無視である。
正直、抱き締められた感覚がまだ残っているから、今はまだ距離は取っておきたい。
「残念だったな」
「ひぃっ!」
「……雪原先生、双葉瀬先輩。何か飲みたいものがあるなら淹れますが、どうしますか?」
さすがにこれ以上は無視できないし、何か飲みたかったので、ついでとばかりに二人に聞いてみれば、「何で邪魔するんだ(もしくは、何でこのタイミングなんだ)」という視線と「助かった」と言いたげな視線を向けられる。
「……コーヒーで」
「あ、僕も」
とりあえず、キッチンスペースに移動して、三人分のカップを食器棚から取り出す。
「……」
私に恋愛的好意を持ってる人に心当たりが無いわけじゃない。
でも、こちらにはその気はないし、現状私が抱えている問題がやはり大きすぎるわけで。
そして、その事についてほとんど諦め、期待していない私に、今でも想いが通じることを期待されても困る。
「お待たせしました」
「ああ、ありがとう」
「ありがとう」
コーヒーを二人に渡し、私も自分の席でそれに口を付ける。
「それで、これは最初に聞くべきだったわけですが、一ノ瀬先輩はどうしたんですか?」
「急用だね。他の二人も同じように急用」
「……そうですか」
そんな同時に急用になることなんて、あり得るのか? しかも、獅子堂君に関しては同学年なんだから、私に今日は来られなくなることぐらい伝えに来られそうなのだが、でも実際の伝言役は、双葉瀬先輩で。
雪原先生も納得できていなさそうだし、これは本格的に私のことについて、探りを入れ始めたってことなのか?
「追求しないの?」
「しなければ、いけないのなら。でも、たとえこの場で追求したとしても、先輩に答えてもらえるとは思えませんし、話してもいい内容であるのなら、すでにそう説明しているはず。それが無いってことは、口止めされてるか、知らされていないのかのどちらか」
「……」
「でも、一ノ瀬先輩のことに関しては、双葉瀬先輩が知らないとは思えないので、新しい三択目の『先輩があえて黙っている』可能性。で、まあ、先輩が黙ってると決めたなら、私も特に口を挟むつもりはありませんし、もし追求して、さらに問題が増えたりすれば、それこそ先輩たちの負担にしかなりませんし、第一、プライベートな時間にまで関わりたくない。これが本音です」
なるほどね、と双葉瀬先輩は返してくるが、雰囲気から察するに、きっと当たってはいると思う。
「ついでです。私からの伝言も頼まれてください」
「自分で言ったら?」
「それでも、構わないんですが、そうすると内容まで先輩が話したと思われますよ?」
「そうかなぁ」
「全員は思わなくても、誰か一人は思うでしょうね」
黙っている理由があるからこそ黙っていたというのに、まさか伝言を頼んだ人物から、その内容が洩れる。
そうなれば、どうなるのか。
信頼されなくなるに決まってる。
「なので、先輩が伝えてください。私とて、生徒会室の空気が悪くなるのだけは嫌なので」
「……分かったよ。それで、何て伝えればいいの?」
どうやら伝えてくれるみたいなので、口を開く。
「『昨日のことなら、もう気にするな』と。悩んでも仕方がないので、もう会ってからどうするのか、決めることにしました」
「そっか」
まあ、ぶっちゃけ会うとトラウマを刺激されかねないから、ある程度の対策は立てておきたいが、先輩たちにそのことを話すと、中学時代のことをある程度の話さないといけなくなりそうなので、却下である。
雪原先生の視線については、完全無視である。
「それで、先輩は仕事をしていくんですか?」
「あー、どうしようかなぁ……」
時間を確認すれば、もうそろそろ帰り支度をしなければならない。
「迷ってるぐらいなら、もう帰れ」
「先生、面倒くさくなってきましたね?」
「悪いか。それに施錠もしなきゃならん。鍵は返しておいてやるから、帰るならさっさと帰れ」
職務怠慢だとか色々と文句は言いたいが、シッシッと手で追い払われるようなジェスチャーにイラッときたので、少しばかり意趣返しをすることにした。
「では、先生。最終下校時刻ギリギリまで業務しますので、お手伝いの方、よろしくお願いしますね?」
にっこりと笑みを浮かべて告げれば、顔を引きつらせながらも「この野郎……」とでも言いたげな顔をする雪原先生。
双葉瀬先輩に関しては、「あはは……」と笑っていながらも、逃げれないことを悟ったらしい。
「だって、人手が足りないんですもん。使えるものは教師や養護教諭、顧問だって使いますよ。私は」
使えるものは何でも使う。
そのこと、知ってるはずなんだけどなぁ。
「それじゃ、残り時間も頑張って行きましょう」
「おー……」
「おー……」
その後、最終下校時刻まで、私たちは生徒会業務をしたのであった。




