第百九話:過去を乗り越えるための第一歩を踏み出すために
「聖鍵学園と、ですか?」
「ああ、そうだ」
何となく、役員のみんなが気にし始めてたことは察していたが、まさか『聖鍵』の名前が出たその日に聞かれるとは思わなかった。
「五十嵐は、お前が以前通ってたんじゃないのかとか予想の範疇で言ってたが、どうなんだ?」
「どうなんだと言われましてもね」
何と答えるべきだろうか。
今となっては素直に答えたところで、こちらの心的ダメージは軽微といえば軽微ではあるが、そのままみんなに気を使わせるのも嫌ではある。
背を向け、書類に目を向ける。
「ねぇ、桜ちゃん。やっぱり、話してもらえない?」
「……」
「桜庭先輩!」
「……」
「桜庭」
双葉瀬先輩や五十嵐君が声を掛けてくる。
ついには、キッチンスペースから戻ってきたらしい獅子堂君までがコーヒーを私の机に置きながら、話すように促してくる。
「……そんなに知りたいんですか?」
あんまり良い話でもないのに。
「そりゃ、知りたいよ。後輩が落ち込んでるのを知ってて、無視するなんてことは出来ないし」
「何だか、双葉瀬先輩がそう言うと、完全に興味本位に聞こえますね」
「奈月……」
「ちょっ、違うから! 真面目に聞いてるからね!?」
もちろん、そのつもりで言ったなんて思ってはいないけど、普段が普段だから、そう聞こえてしまうのだ。
実際、一ノ瀬先輩まで責めるような目を向けたせいで、慌てる双葉瀬先輩に肩を竦める。
「ーーええ、通ってましたよ。中等部までは」
「……ぇ、」
いきなり私が話し始めたことで、それぞれの動きややり取りが止まる。
「岩垣先輩とは先輩後輩関係で、同時に生徒会所属でもあったので、当時はいろいろとお世話になってました」
「そうか」
誰が何を言うまでもなく、黙り込む。
「それ、だけ……?」
「それだけですよ?」
「まだ他に言ってないこと、無い?」
「他に……」
言ってないことなんて、山ほどある。
でも、それは朝日たちの方とも(少しは)共通しているし、何よりーー
「いえ、やっぱり無いですね」
『彼ら』にも、まだ話せていないから。
思い出したくない、嫌な記憶は、無理に蓋を開ける必要はない。
誰かに、一緒に抱えさせるなんてこと、させなくていい。
こんな思いをするのは、私たちだけでいい。
故に、『あの場所』で得た演技力で通す。通してみせる。
『聖鍵学園』で何も無かったのだと、普通の学校生活を送れていたのだと、彼らに思わせるために。
「心残りは、旧友たちと離れたことだけですが、今も連絡を取れる子とは取ってますし」
だから、と言う。
「たとえ、あの時あの場所で何があったとしても、私一人の問題ですし、変に巻き込むつもりはないのでご安心を」
まあ、それでも、彼らが今の私の弱点だと思われても困るし、仕方ないのだが。
「それでももし、気になると言うのであれば、私のことをちょっとだけ深く探ってみれば、この事とは関係ないながらも、面白い情報が手に入ると思いますよ?」
『聖鍵』との関係に対する質問の対価というわけではないが、少しばかり『錠前時関係』の情報を提示してあげよう。
もし、これで彼らの反応が変わるのなら、それはその時だ。
ーー権力か、今までの付き合いか。
一体、彼らはどう判断するのだろうか?
☆★☆
今日の業務も一通り終えて、帰り支度もして、昇降口に向かえば。
「京……?」
「私も居るよ」
「朝日まで……どうしたの?」
普通ならもう帰っていてもおかしくないはずなのに、二人はまだそこに居た。
「きーちゃんの様子がおかしかったので、少しお話ししようかと思いまして」
人差し指を立てながら、「先に帰ろうかと思ったんだけど、何やら落ち込んだ様子のきーちゃんを途中で見掛けたからさ」と朝日が言う。
「ようやく久々に話せるかと思ったら、お悩み相談でもすると?」
「それは仕方ないでしょ。でも、きーちゃんさ。京くん以上に抱え込もうとするから、私たちが気づけたうちに話を聞いておかないとと思ってね」
やっぱり、この二人にはバレるんだなぁ。
「それで、何があった? キリキリと吐け」
「順番に話していくけどさ。今度の『大会』、聖鍵も出るんだって」
分かっていたことだけど、二人の表情が驚きに染まる。
だって、話を聞いたときは私も驚いたし。
「それで、どうしたの?」
「いや、うっかり反応しちゃったから、役員のみんなに聖鍵と何か関係があるのか聞かれてね」
ちょっとだけ話しました、と素直に告げる。
「でも、それってどこまで?」
「通ってた、ってことだけ。それ以外にも何かあることは察してるんだろうけど、その点については何とか黙秘を貫いてきた」
「そっか。詳しくは話してないなら良いよ」
「うん……話せるわけないじゃん、あんなの」
あんなの、あんなこと……もし話したら、先入観で絶対に敵対関係になる。
もし、そうなるのなら、そんなのは私一人で十分だ。
「出場、取り止められないのか?」
「考えなかった訳じゃないけど、無理だね。出場を取り止めるほどの何かがあるって思われる」
せっかくあやふやにしてきたのに、また探りを入れられかねない。
「じゃあ……出るしかないか」
「けど、大丈夫? こっちの知り合いが出ない保証なんて無いよね?」
「正直、一年生で固められていたり、私たちの事を知らない人たちでの構成なら望みはあるんだけど、そもそもその可能性すら低いし、出場選手なんて大会当日まで分からないからね」
ただ、手が無いわけではないのだ。
聖鍵メンバーに対しては、私の知り合いで固められているのなら、向こうの情報を持つ私がいる限り、対策は容易なのだから。
まあ、それは逆もまた然りなんだけど、彼女がもし私のことを調べているのなら、攻略難易度は上がる。でも、もし調べてないのならーーきっと、以前のように問答無用でこっちを倒しに来ることだろう。
「もうこうなったら、あの女が出てこないことを願うしかないな。出場されたら厄介だぞ」
「それは分かってる。それに、こっちの精神衛生上、あまり顔を会わせたくないし」
多分、会ってしまえば、私の意志とは関係なく、記憶は掘り起こされるだろうから。
それにしても、『あの女』、か。仕方がないといえば仕方がないけど、彼女も彼女で随分京に嫌われたものである。
「ねぇ、きーちゃん」
朝日に目を向ければ、両手で顔を固定される。
「もし、きーちゃんが何も出来なくなるぐらいに追いつめられるようなことがあれば、試合中じゃない限りは助けてあげるから」
「朝日……?」
困惑の表情を向ければ、朝日の両手が離れていく。
「私と京くんは、きーちゃんにとって何なの? ただの幼馴染? ううん、違うよね。それだけの関係じゃない。使えるものはたとえ身内や知り合いであろうと使うのが、桜庭鍵奈でしょ? だったら、いざというときは任せなさい」
「何、俺たちは部外者じゃないんだ。寧ろ、当事者と言ってもいい。そして、『あの件』はお前だけのせいじゃないんだよ。それを忘れんな」
……あーあ。
「そうだね。自分で思ってた以上にダメージ受けてたことに、びっくりしてるんだけど」
「うん」
「やっぱり、同じことを見聞きしてると、何かいろいろと違うね」
何故か、涙が出てくる。
「何だよ、『いろいろ』って」
「というか、もー。泣かないでよー。私も泣けてくるじゃーん」
「やめろ、朝日。二人を俺が泣かせたみたいになるだろうが!」
「大丈夫だよ。私たちがちゃんと誤解を解くから」
信じられん、と言いたげな目を向けられるが、今出来ることと言えば、誤解を解くことぐらいだろうから、それ以外のことを期待されても困るのだが。
でもまあーー
「二人とも、ありがとうね」
そう告げれば、「どういたしまして」と二人から返ってくる。
「ほら、帰るよ!」
朝日を真ん中に、京とともに腕を引かれる。
そのことに思わず顔を見合わせれば、何がおかしかったのか噴き出してしまう。
「そうそう。そうやって、きーちゃんも笑ってないとね」
「何それ」
ーー大丈夫。
この二人と一緒なら、『あの時』のことだって、きっと乗り越えられるし、これから何があったとしても、『私は大丈夫』だって思えるだろうから。
「おい、朝日。あんまり引っ張られると転びそうにーー」
……とりあえず、今は転ばないように気をつけよう。




