第三話 菊理光臨
あの世とこの世の狭間に落ちてしまった鹿威と春菊は、崖の小さな隙間に隠れていた。
ちょうど入口のところには雑草が生い茂っていたため、いくら目が良い妖や陰獣でも目を凝らさない限り見つかる確率は低かった。
さっきから陰獣達がそこをうろうろしていて彼らを探していた。陰獣達の数は先ほどよりも多くなっていた。そう、ここは彼らの住処の一部なのだ。
鹿威達の前を髏鬼が通り過ぎた。
(良かった。落ちてしまったところに偶然、鼻が曲がりそうなくらいの草が穿いていて……クッ、鼻が曲がりそうだぜ)
鼻が曲がりそうな草は粘着質があるので鹿威と春菊はそれを体中に着けていた。
鹿威は隣で何故か大人しくしている春菊に目を向けた。
(コイツやけに大人しいな……何か企んでいるのか?)
鹿威は、崖の上を見た。
(うーん、あの高さならオレ一人なら何とかこいつらより先に上に着くかもしれないが……)
彼は春菊を見た。
(コイツを背負いながらあいつらより速く逃げきれるのか?)
多分それは無理だろうと思った彼は深い溜め息をした。
(霪馬が助けに来るのを待つか。いや、あいつ助けに来てくれるのか?)
彼はそんなことを思いながら足を少し動かした。先ほど落ちた時、足を挫いてしまった鹿威は、少し足首がズキリと痛み顔をしかめた。
(はあ、神ながら情けないな…足を挫いてしまうなんて、これを見た霪馬の奴絶対笑うだろう)
彼は春菊にちょっと話してみることにしてみた。余り大きな声は出せない為、コソコソと春菊の耳に語りかけた。
しかし春菊からの返答は無かった。
「オーイィ、聞いているのか?おチビさん~」
無言の春菊。
「オイーチビーチビ聞いてんのか?」
「……」
「おい!聞いているのかよって言ってんだよ!チビ!」
バシッ
春菊の小さな手が鹿威の目に当たった。
「ギャァァア!イタいぃい目がァァァア!!目がァァァア」
「少しは、黙ることが出来ないのか?鹿神よ」
その声は、あの春菊の声とはまったく違いすぎる大人の女性の声だった。
「ん?……あんた誰?」
「私は、菊理媛神またの名を白山姫神といいます」
「菊理媛神だって?ってあの跏琉嘛に殺された神のー柱か?」
っと言いながら鹿威は、目がまだズキズキしているので目を瞑っていた。
「そう」
「えっ!と言うことはまさかお前……コイツに乗り移った幽霊なのか?」
「あなた……おバカさんなの?」
彼女は少しバカの部分を強調していた。
「あれ?違うのか」
「違います。だいたいこの子は、私の生まれ変わりです。まだ、色々と目が覚めていないだけですから」
「じゃあ、今オレの目の前で話しているお前はもう一人の春菊なのか?」
「んー、あまり難しく考えない方が良いわよ?私も説明するのに面倒ですから」
「ああ、そうですか」
「でもこの子が7の年に成った時、私たちの魂は1つに成るわよ」
「ふーん」
(じゃあ、こいつ今幾つだ?)
っと鹿威は首を傾げた。
「1つの器に2つの魂があると色々と不便だから7の年を境に私達は結合する。でもこの子の人格とか性格は変わらない。ただ、私の記憶がこの子の記憶に上書きされるだけだから」
「……」
「まあ、その時は少し頭の中が混乱するかもしれないけど」
「へ、ヘエー、そう」
実はのところ彼は『私達は結合するから』の途中から彼女の話しについていけなかったのだ。
「なあ、それよりここから脱出する方とか無いのか?」
「……」
「おいー聞いてんのか?菊理さん」
「妾は……春菊…だが」
いつの間にか人が変わっていた。
「ああ、そう」
(チッ、あいつ逃げやがったな)
外は、もうすでに夜になっていた。
陰獣達が騒がしくなってきた。彼らは、主に夜が活動なのでこの深い谷から出て餌を探しに行くのだ。
(今が脱出の時か……いや、もう少し様子を見よう)
次第に陰獣達がの数が少なくなってきた。
そして、ついに陰獣達が見えなくなった。
(今か────)
しかし、運が悪いことに彼は足下に落ちていた枝を踏んでしまった。
バキッ
(やべ!)
何故か、一匹の陰獣が待ち構えていたように崖の上にいた。髏鬼だ。
「うまぁあそうなぁあやぁつイだアー」
っと言い、涎を垂らしながら彼らの方へと突進してきた。
「チッ、春菊オレの背中から落ちるなよ!」
春菊は、コクッっと頷いて力を込めて鹿威の首を握った。
「う゛ぅー、違う、苦しい!違う!そっちの力をあまりこめないでー、息が出来ない!」
「ご、ごめんなさい!力の加減が……ってギャァァァア!来たよ来たよ!」
一層手の力を強めた。
「ぶぅー、う゛ぅー、く、苦しいから苦しいから息出来ないから!力緩めてェェエー」
陰獣が大きな口を開けて彼らに襲いかかった。間一髪のところでよけた鹿威は、次に陰獣がどのように襲ってくるか注意をはらいながら春菊をどうするか考えていた。
(さあ、どうする……)
陰獣は彼らの周りを回りながらじわりじわりと近づいてきた。
「うまぞぉおうな奴くぅれぇ」
(は?うまそうな奴?)
「うまぞぉおうな奴うまぞぉおうな奴。まずそうぃつから喰ってやぇるお前後回し、後ろの奴うまぞぉおうな奴ぐれぇー」
ブツブツと呪文みたいに繰り返し言っている陰獣に鹿威は少し違和感を感じた。
(陰獣の様子がおかしい…変だ)
「うまぞぉおうな奴うまぞぉおうな奴。まずそうぃつから喰ってやるお前後回し、後ろの奴うまぞぉおうな奴」
(やはり変だ。そもそもコイツら陰獣は一々
今から喰うやつを選ぶのか?いや、あいつらは選ばない。神だろうが妖だろうが見つけた奴は、片っ端から食い尽くすはずだ。)
「ちょっと鹿しゃんどうしたんですか?鹿しゃん鹿しゃん?」
ちょっと言葉が鈍っているが春菊が鹿威に話しかけている。しかし、鹿威には聞こえなかった。彼は今意識を陰獣のちょっと変な行動に集中しているからだ。
(だかな何故選ぶ?今オレは春菊を背負っている状態。だから春菊よりオレの方が少しアイツに近いはずだ…いや、距離的には同じだが……)
陰獣がまた距離を縮めた。彼らの距離は約畳二畳分になってしまった。
ゆっくりゆっくりと間を縮める髏鬼。
「おい、春菊。来るぞ!オレの背中から落ちるなよ!」
「は、はぃ」
春菊の返事が終わる前に陰獣、髏鬼が襲いかっかって来た。
「うまぞぉおうな奴よこせぇぇ!」
鹿威は、間一髪でよけた。
「チッ、コイツ……ん?」
鹿威が陰獣の後ろに視線を向けた。そして、なにやら不適な笑みを浮かべると春菊に視線を向けた。
「おい、春菊。良い案を思い付いたんだ。オレを信じるか?」
「へ?」
「だから、オレを信じるかって言ってんだよ!」
「え?なっなにを……」
「よし!春菊。絶対泣くなよーっと!」
彼が言い終わるうちに春菊は宙に浮いていた。
「え?えっえぇぇぇ!」
案の定、陰獣は鹿威を襲わず、わざわざ宙に浮かんでいる春菊を喰らおうとしていた。
春菊は宙を浮いている恐怖と、今から陰獣に食べられてしまう恐怖心と、自分を宙に飛ばしたクソ鹿威への怒りがまじった悲鳴をあげていた。
「ギャァァァアァァァァァア!」
っとその時、岩影の上から人影が飛んできて春菊を掴み、そして下からジャンプした陰獣の後ろ首をボッキリと折った。
「っとおぉぉ!」
陰獣は地面に叩きつけられた。少し痙攣したあと、それ以外動く気配はまったくしなくなった。
春菊はその人影によって救い出され────
「よし!良くやったぞ!いん……」
「この野郎ォォオ!」
霪馬が鹿威の頭を叩いた。
「いっ、痛ァー!何すんだよ霪馬!」
「あぁ?なにが『何すんだよ霪馬』って?ふざけんなよ!こっちとら一生懸命お前らを探して『あ!やっと見つかった』っと思ったら何お前ら彼奴らの住処に落ちてんの?なに勝手にこっちの了解を得ないで彼女を飛ばしてんの?そのせいで俺、凄く焦ったんだよ。手汗凄くかいたんだけど。どうしてくれるの?」
「え、いや……」
「あと、何でお前が髏鬼を倒さなかったの?お前手ぶらだったよね?あの時俺ちょっとビックリしたんだけど。焦って春菊落としそうになったんだけど。お前、もし俺がそのまま春菊を落としてたらどうしてくれるの?責任とってくれるの?」
ネチネチと鹿威を攻撃する霪馬だった。しかし、鹿威は────
「え、えーと、まあ……うん。細かいことは気にすんな!テヘッ」
「気にするわーボケェクソがァァア!」
っと言い終わるうちに鹿威は、素早く逃げていた。
「アハハハハ、あんまり怒んなよぉっと!」
霪馬の蹴りが鹿威の横を通り過ぎた。
「クソッ、ちょこまかと動きやがって!少しはジッとしてろォ!」
「やっだなぁー、だってそれに当たったら何か死にそうで怖いじゃないかー」
「うん、大丈夫!一撃でお前の全てを終わらせるから」
「それ、絶対オレを殺すき満々だろ!」
っと言いながらもスラリと霪馬の蹴りを避ける。そこに、控え目な声が入ってきた。
「あの…ちょっといいですか?」
何も聞こえないのか、鹿威達はまだ喧嘩をしていた。
「あの、ちょっといいですか?」
少し声を大きくしたが、全くもって喧嘩している彼らの耳には届いてはいない様子だった。そして、春菊は思いっきり大きな声を出して─────
「いい加減にしてください!」
彼らは大きな声に驚いて、下らない喧嘩を一時停止した。
「なあ、いま大きな声が聞こえなかったか?ババさんよ」
「うん、なんとなく聞こえたね?蚊さん」
「あれ?その“か”何か違くない?オレ、シカの“鹿”の方なんなんだけど。虫の“蚊”の方じゃないんだけど……」
「あれ?そうだっけ?」
そこにまた、春菊の声が聞こえた。
「あの、いい加減にしてくれぇませんか?下らない事で喧嘩するの」
「え?」
ちょっと驚いた霪馬と鹿威だった。そして霪馬が鹿威に耳打ちした。
「おい鹿威。アイツ、何故あんなにスラスラと言葉が話せる?まだ4歳児だぜ。4歳児といえばまだ、滑舌が悪いし『ギャハハハ』とか色んな物を触ったり壊したりする時期じゃないか?なのにコイツ妙に大人っぽいぞ」
「あー多分。この短時間で急成長したんじゃないかな?」
小声でいろいろと話し合っているが、その話題の対象となっている彼女には、まる聞こえだった。
「あの、失礼なこと言わないでもらえますか?さっきからまる聞こえなんですけど!」
二人同時に言った。
「「えぇ、そうだったの!」」
「『えぇ!そうだったの!』じゃ、ありません。だいたい鹿さん。アナタは先程私に会ったばかりでしょう?何惚けているんですか?」
鹿威の顔色が変わった。
「お、お前は!」
「ようやく起きず気になられましたか?」
「誰?」
「そっちぃー!」
「え?いや」
「おい、霪馬ーー春菊が何か変風になっちゃったよ……どうする?」
「うーん、適当に合わせておけばいいんじゃないかな?」
「えー!イヤだよ。何かアイツ企んでそうな顔つきだよ。しかも、適当なこと言っていたら絶対ツッコミ入れて来るよ。下手なツッコミ入れて来るよ?」
「では、一体どうすればいいんだ?」
「それを今、お前に聞いてんの!」
「それは、私だって同じです。鹿さん」
途中から冷たい目を鹿威に向けている春菊が割って入って来た。
「え?」
「だいたいアナタは、何をしているんです?私のこと覚えていないんですか?さっき会ったばかりですよ?頭の中大丈夫ですか?」
春菊の容赦ない言葉の攻撃が始まった。
鹿威は、春菊が言った言葉『さっき会ったばかりですよ』を何度も頭の中で繰り返していた。そしてある答えが思いつくと─────
「えーと、あ、思い出した!お前は……死んだはずの髏鬼だな!」
「はあぁぁぁ?!」
まず、鹿威の考えに否定反応を起こしたのは霪馬だった。
「ふざけんなよ鹿威。俺はちゃんとアイツを倒したぞ」
「いや、その死んだ髏鬼の霊が春菊に取り憑いたとか……?」
「お……確かに」
この二人の考えを全否定したのが春菊だった。
「ふざけないでくださる?私は、そんなちんけな妖どころか、陰獣でもありません!」
「じゃあ、誰?」
「ムッ、本当に私を覚えていないんですか?」
鹿威はちょっと迷った。実はさっきから記憶の中では、チラつかせていたのだった。
「え、えーと、まあうん、そうだな?」
「はぁーー全く持って仕方がありませんね……私は、菊理媛神またの名を白山媛神と申します。先ほど同じ自己紹介をしました」
その時、鹿威の頭の中では今まで足りなかった記憶のパーツが全て繋がり完全に思い出したのであった。
「あーー思い出した!お前はあの時の菊理だな!」
「違います。菊理です!」
「どっちかっつうと訓読じゃ『きくり』じゃないかな?」
「霪馬さん……」
二人の馬鹿さに呆れ顔になっていった春菊(菊理媛神)だった。
「あれ?何かオレ、気に障ること言った?」
「いえ……下らない話しはここで置いといて問題はあの陰獣の異様な行動についてです」
「あ、そうか……確かにさっきの髏鬼は普段の髏鬼とは違ったな」
「えぇ、そうだったのか!」
全く髏鬼の普段と違った異様な行動に気づかなかった霪馬。
「まあ、あの髏鬼はこの子を襲ったんでしょう」
「なぜ?」
霪馬は眉をひそめた。
「何故って言われてもですね、この子は最後の御代ノ一族にして神擬。跏琉嘛を唯一封印できる……いえ、前回より弱りきった跏琉嘛の肉体だけでも亡ぼすことが出来る重要な子なのよ」
「ああ、そうだっ」
「そして今はまだ力の目覚めていないひ弱な子供だから殺すのに絶好の機会。それを、跏琉嘛一行派の奴らが見逃すはずがありませんわ」
「確かにな……ん?まてよ、オイ!鹿威、俺達まさか重要な任務ぽいものを持たせられたんじゃないか!?」
「天照大神さんからは何も聞かされていなかったけど、聞いたような感じもする」
「どっちだよ」
「まあ、そういうことだから私をしっかりと例の夫妻の所に送って下さいね?」
「お前は、自分にも関わる重大なことなのに結構無責任だなぁ!」
鹿威が春菊にツッコんだ。
「ふふっ、私はここで。次は、この子が無事7の歳になって会えるのなら会いましょう」
「あ、おい!ちょっ」
鹿威が慌てて話しかけたものも、時すでに遅く、彼女は消えて元の春菊に戻っていた。
「な、なんでぇすか?」
「チッ、あいつめ……」
「ところで鹿威……早くここから出ないか?気味が悪くて仕方ないんだが」
「ああ、確かに早くここから出よう。ついでに春菊はお前が持ってくれ」
「あん?何でだよ。じゃんけんに負けたのはお前だろ?お前が持てよ」
「えっと、オレ今、足を挫いたんだけど。まあ、足を滑ってまた春菊を落としても知らないけど」
「わかったわかったよ!たく、仕方ないな……いいか今回だけだからな!あと足を挫くアホな鹿威さん」
最後は、笑いを含んだ言い方だった。
(チッ、やっぱり言いやがったよ)
「おい春菊。いいか?俺のクビを強く持つなよ。あと暴れるなよ!わかったな?」
「う、うん」
「よし!俺の背中に 乗れ」
霪馬はしゃがみこんで春菊を背に乗せた。
「ハアー、これが若いピチピチの尻と胸の大きな女性だったらうれしんだよな~」
「おいおい、何お前は世迷い言、言っているんだよ。現実見ろよ現実」
「知っているよ!」
「っとまあ、確かにコイツ余り可愛いってもんじゃないなあ」
鹿威は目を細めた。霪馬はそれに同意した。
「だよな、もう少し愛らしい顔立ちだったら良いのに……コイツ無表情でこわいよ」
「まあ、ガキん頃の時の顔はどうでも良いんじゃないの?コイツがあと11~12年も絶てば胸とかお尻が大きくなっていて少しは、顔立ちも良くなるだろう」
「そうか?俺の予想じゃ顔は変わらず胸とかお尻だけ大きくなったりしてとか思うんだが」
「うーん、そうか?オレの予想だと顔は意外に美人だったりして胸とかは、あんまり大きく成らず、実はそれで悩んでいたりして、の未来予想図があるんだが……」
「どうだろう?やっぱり何も変化無しってんのも意外に面白いよな!」
「確かに。それも面白いな!じゃあ、コイツの未来姿について賭けるか?」
「良し、その賭けのったぁ!」
「じゃあ、オレは美人だけど胸が小さいおねえさんで!霪馬は?」
「うーん、俺は顔は変わらず胸が大きいおねえさんでお願いしまーす!」
ギャハハハ
すでに妄想を膨らませている鹿威達だった。
彼らが何を言って何に笑っているのか、霪馬の背で一生懸命考える春菊だが、まさか自分の未来姿について笑われているとは知る由もなかった。
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