悪役令嬢に転生したけど、破滅フラグを折るために筋トレばかりしていたら、物理が強すぎて王子から「君こそ我が騎士だ」と求婚された
乙女ゲーム『星降る王国の輝石』の悪役令嬢、ヴィクトリア・フォン・アークライトに転生したと気づいたのは、五歳の時だった。
このままシナリオ通りに進めば、待っているのはヒロインへの嫌がらせを咎められての「国外追放」か、最悪の場合は「処刑」だ。
魔法の才能はヒロインに遠く及ばず、政治的な駆け引きでは腹黒い王子に勝てる気がしない。ならば、どうやって自分の身を守るか。
「物理だ。圧倒的な物理こそが、すべての理不尽を粉砕する」
その日から、私の隠密特訓が始まった。
ひらひらのドレスを脱ぎ捨てて動きやすい服に着替え、毎朝のランニング、スクワット、腕立て伏せ。優雅なお茶会の代わりに特製のプロテインを飲み、マナー講師の目を盗んでは、凄腕の傭兵を裏で雇って近接格闘術を徹底的に叩き込んだ。
結果として、十七歳で王立学園に入学する頃には、私の肉体は(見た目こそ華奢で美しい令嬢のままだが)素手で巨大な岩を粉砕し、ワイバーンを絞め落とせるレベルに仕上がっていたのである。
そして、運命のイベントが訪れた。
学園の裏庭。本来のシナリオであれば、私がヒロインをいじめているところに第一王子であるレオンハルトが現れ、私を断罪するはずの場面だ。
しかし現在、ヒロインを壁際に追い詰めているのは私ではない。学園の結界を破って侵入してきた、巨大なはぐれオーク三体だった。
「キャアアアッ!」
「させないッ!」
ヒロインの悲鳴を聞きつけ、私は迷うことなく茂みから飛び出した。
魔法の詠唱などという悠長なことはしない。私は完璧なフォームで地面を蹴り、先頭のオークの顔面に強烈な右ストレートを叩き込んだ。
「ブギュッ!?」
重さ数百キロはあるはずのオークが、コマのように回転しながら宙を舞い、校舎の壁に激突して気絶する。
残り二体が怒り狂って太い棍棒を振り下ろしてくるが、遅すぎる。私は軽やかに攻撃を躱すと、一体の腕を掴んで鮮やかな一本背負いを決め、最後の一体には助走をつけたドロップキックを顔面に見舞った。
「ふぅ……。プロテインの消化にはちょうどいい運動ね」
ドレスの土埃を払って立ち上がった私の背後で、「何事だ!」と剣を抜いたレオンハルト王子が駆けつけてきた。
彼は気絶した三体のオークと、ヒロインを背中で庇うように立つ私の姿を交互に見て、目を丸くしている。
しまった。悪役令嬢としての断罪イベントを待たずに、目立ちすぎてしまった。王族の出番を奪ったとして不敬罪に問われるかもしれない。
私が咄嗟に言い訳を考えようとした、その時だった。
「……美しい」
「え?」
「なんという洗練された打撃。一切の無駄がない完璧な体幹。そして、弱きを助けるその圧倒的な勇姿……ッ!」
レオンハルト王子は構えていた剣を放り捨て、私の前にツカツカと歩み寄ると、そのまま恭しく片膝をついて私の手を取った。
「ヴィクトリア嬢。いや、ヴィクトリア。どうか私と結婚してほしい」
「は?」
「これからの王国には、君のような圧倒的な『力』が必要だ。君こそが、私の背中を預けるに相応しい我が騎士だ!」
王子の瞳はかつてないほどキラキラと輝き、完全に私(の筋肉と格闘術)に魅了されていた。
後ろでヒロインがポカンとしているし、私の破滅フラグはへし折れたようだが、シナリオの方向性が物理的に明後日の方向へと飛んでいってしまったらしい。
「あの、殿下。私は一応、公爵家の令嬢なのですが……」
「構わない! 明日の朝、君の屋敷へ結納の品として最新式の高負荷ダンベルと、最高級のプロテインを贈ろう!」
「(……ちょっと嬉しいかも)」
かくして、破滅フラグを圧砕した筋肉令嬢は、王子と共に「物理」で国を治めるという、前代未聞の脳筋ルートを爆走することになったのである。
◆ ◆ ◆
王立学園の裏庭でオーク三体を素手で粉砕し、レオンハルト王子からまさかのプロポーズ(?)を受けてから数週間。
私、ヴィクトリアの生活は激変していた。
「……お父様、お母様。これは決して私が無理を言って強要したわけでは……」
「ヒッ……! ヴィ、ヴィクトリア、お前は一体、第一王子殿下にどんな呪術をかけたんだ……!?」
アークライト公爵邸の広大な玄関ホールには、王家の紋章が刻まれた木箱が山のように積み上げられていた。中に入っているのは、ドレスでも宝石でもない。王宮お抱えの錬金術師が抽出した最高純度のプロテイン樽と、ドワーフ族の業物である可変式ダンベルやバーベル一式である。
それらを見て、父は顔面を蒼白にして後ずさり、母は扇で顔を覆って気絶寸前だった。まあ無理もない。悪役令嬢としての政治的な暗躍や、他国との政略結婚を期待していた愛娘が、いきなり王家公認の「武闘派ゴリラ枠」としてスカウトされたのだから。
だが、前世から含めてもこれほど実用的で、私の大胸筋と広背筋の需要を理解し尽くしたプレゼントは初めてだ。私は歓喜に打ち震えながら、すぐさま庭に出ると、百キロのバーベルを担いでスクワットを始めた。
「フッ! ハッ! ……素晴らしい。ドワーフ特製のシャフトは、どれだけ高負荷をかけてもしなりが完璧だわ!」
私の肉体は、見た目こそ華奢で美しい金髪の公爵令嬢のままだが、その内側には高密度に圧縮された鋼の筋肉が蟠踞している。悪役令嬢の破滅フラグを物理で叩き折るために続けてきたこの鍛錬が、まさか王族からの支援対象になるとは。
そんな筋肉謳歌の日々を送っていたある日、学園の廊下で本来の乙女ゲームのヒロインであるリリアナ男爵令嬢に呼び止められた。
「ヴィ、ヴィクトリア様……っ!」
「あら、リリアナさん。ごきげんよう」
リリアナは潤んだ瞳で私を睨みつけ、唇を震わせていた。本来のシナリオであれば、私が彼女の教科書を破り捨てたり、取り巻きに命じて嫌がらせをしている時期だ。
だが、私は筋トレとプロテインの摂取タイミングの計算に忙しく、彼女をいじめる暇など一秒たりともなかった。
「どうして……どうしてレオンハルト殿下は、最近ずっとヴィクトリア様ばかり見ているのですか!? あんなに、私に優しくしてくださっていたのに……っ!」
「(……なるほど)」
私はリリアナの華奢な体つきを、上から下まで舐め回すように観察した。
細すぎる首、全く筋肉のついていない薄い胸板、体幹の弱さを証明するようなフラフラとした立ち姿。これでは、オークの軽いビンタ一発で首の骨が折れてしまう。
「リリアナさん。殿下がなぜ私を見るのか……それは、あなたの『土台』が決定的に不足しているからですわ」
「えっ……ど、土台?」
「ええ。美しさも、殿下を支える力も、すべては強靭な『体幹』から生まれるもの。……ついてきなさい。あなたに足りないものを、私が直々に叩き込んで差し上げますわ」
私は彼女の腕を掴み、学園の裏庭にある人気のない修練場へと引きずり込んだ。
そして、泣き叫ぶヒロインに無理やりスクワットと腕立て伏せを強要し、筋肉が痙攣するまで徹底的に追い込んだ。
「ひぃぃっ! もう無理です、足が、足が産まれたての子鹿みたいに……!」
「甘いわリリアナ! その痛みは筋肉が喜んでいる証拠よ! あと三セット、歯を食いしばりなさい!」
――こうして、ヒロインによる私への嫉妬イベントは、「悪役令嬢による地獄のパーソナルトレーニング」へとすり替わり、彼女は私の顔を見るだけで太ももを押さえて逃げ出すようになったのである。
◆ ◆ ◆
そして数週間後。王立学園の一大イベント『星徒武術大会』の日がやってきた。
本来の乙女ゲームのシナリオであれば、ここは攻略対象である騎士団長の息子や、天才魔導士の令息たちがその腕を競い合い、ヒロインのリリアナが彼らに黄色い声援を送るという、胸キュンイベントの最高潮だ。
悪役令嬢の私は、日陰でギリィッとハンカチを噛みちぎりながら、ヒロインに陰湿な罠を仕掛けるはずの場面である。
だが、現実は全く違う方向に爆走していた。
「ヴィクトリア! 右翼の魔法攻撃は任せたぞ!」
「承知いたしました、レオンハルト殿下! ……ふんッ!」
闘技場の中央。私は優雅なドレスの裾を極限まで引き裂いた、特製の戦闘用タイトドレス(可動域重視のスリット深め)に身を包み、迫り来る上級生たちを次々と素手でなぎ倒していた。
「素晴らしい! 相手の魔力を力技でねじ伏せるその大外刈り、まさに芸術だ!」
レオンハルト殿下は、自身の剣を振るうのもそこそこに、私の戦いぶりを見て拍手喝采を送っている。
彼は第一王子としての絶大な権力を職権乱用し、「今年の武術大会は特別に男女ペアのタッグマッチとする!」とルールを力技で捻じ曲げ、私を強引にパートナーとしてエントリーさせたのだ。
「くそっ、なんだあの公爵令嬢は!? 俺の『火炎球』が、あいつの腕に当たった瞬間に弾け飛んだぞ!?」
対戦相手である魔導士科トップの男子生徒が、信じられないものを見る目で狼狽する。
「失礼ね。魔法の障壁などという脆いものに頼らなくても、上腕二頭筋を極限までパンプアップさせて表面張力を高めれば、下級魔法などただの温かい風よ」
「筋肉で魔法を弾いただと!? 化け物か!」
続いて、騎士科のホープである大柄な男子生徒が、闘気を纏わせた大剣を振り下ろしてきた。
私は一歩も退かず、迫り来る刃を両手で挟み込む――いわゆる『真剣白刃取り』で完全に停止させた。
「なっ……馬鹿な! 俺の渾身の一撃が……っ!」
「フォームが甘いわ。広背筋の使い方が全くなっていない。……お返しよ」
私は大剣の刃を掴んだまま、優雅に微笑みながら深く踏み込んだ。その瞬間、闘技場の頑丈な石畳が、隕石でも落ちたかのように爆発して陥没する。
「必殺、アークライト流・淑女の鉄山靠!」
ズドォォォォンッ!!
空気を裂くような轟音と共に、哀れな騎士科のホープは闘技場の分厚い防護壁に深くめり込み、白目を剥いて完全に沈黙した。
「しょ、勝者、レオンハルト殿下&ヴィクトリア嬢ペアァァッ!!」
審判の震える声が響き渡り、私と殿下の圧倒的な優勝が決定する。
観客席からは水を打ったような静寂の後、どよめきと、一部の武闘派教師たちからの熱狂的な歓声が地鳴りのように湧き上がった。本来ヒロインに向けられるはずだった熱狂が、すべて私の鍛え抜かれた肉体に注がれている。
「やったな、ヴィクトリア! 君の筋肉は今日も最高に輝いていたぞ!」
レオンハルト殿下が興奮冷めやらぬ様子で駆け寄り、汗ばむ私の肩をガシッと抱き寄せる。
「ありがとうございます、殿下。日々の特訓と、殿下からいただいたプロテインのおかげで、仕上がりが完璧でしたわ」
乙女ゲームの甘いロマンスの面影など微塵もない、汗と破壊にまみれた闘技場。
しかし、不思議と私の心は最高に晴れやかだった。断罪イベントの恐怖は完全に消え去り、隣には私の物理攻撃を心から愛し、惜しみない投資をしてくれる第一王子がいる。
「ヴィクトリア。この大会の優勝賞品は、王室が特別に発注した『ミスリル製の特大プロテインシェイカー』だ。これで君のトレーニングはさらに捗るはずだ!」
「まぁ……っ! ミスリル製なら、私が全力でシェイクしても決して割れませんわね! 殿下、一生ついていきますわ!」
破滅フラグをへし折るための筋トレは、どうやら私に、最強のハッピーエンド(生存ルート)をもたらしてくれたようだ。
だが、この筋肉至上主義の王国の噂を聞きつけ、隣国から「物理が通じない最強の暗殺者」が送り込まれてこようとは、プロテインを飲み干すこの時の私には知る由もなかったのである。
◆ ◆ ◆
武術大会での圧倒的な優勝から数日後。
私、ヴィクトリアは、王立学園の裏手にある夜の修練場に一人で残っていた。
「ふっ……! はっ……! 素晴らしいわ、この重量感。そしてどれだけ激しく振っても全く液漏れしない密閉性。さすがは王室秘蔵のドワーフ製ミスリル・シェイカーね!」
月明かりの下、私はレオンハルト殿下から賜った巨大な銀色のシェイカーに、特濃のプロテインと山羊のミルクを注ぎ込み、全力で攪拌していた。
両腕の上腕二頭筋と腕橈骨筋を限界まで収縮させ、目にも止まらぬ速度でシェイクする。シュババババッ! という風を切る音が夜の修練場に響き渡り、ミスリルの表面には摩擦熱でうっすらと水蒸気が立ち上っていた。
「よし、ダマひとつない完璧な仕上がり。……いただき――」
私がキャップを開け、至高の一杯を喉に流し込もうとした、まさにその刹那だった。
「――死ね、筋肉令嬢」
背後の暗がりから、音もなく黒い影が飛び出してきた。
刃の光はない。ただ、圧倒的な殺気を纏った何かが、私の首筋にドロリと巻き付いてきたのだ。
「……何者かしら?」
私はプロテインシェイカーを左手に持ったまま、右手で首に巻き付いた「それ」を引き剥がそうとした。
しかし、指先が触れた瞬間、私の顔から余裕が消えた。掴むべき実体がなく、ヌルリとした不気味な粘液が指の間をすり抜けていくのだ。
「ククク……無駄だ。我は隣国から遣わされた刺客。そしてこの体は、あらゆる物理攻撃を無効化する『変幻スライム』の特身体よ」
「スライム……?」
「いかにも! 貴様の異常な腕力や打撃の噂は聞いている。だが、刃も打撃も通じない流体である我には、その筋肉も全くの無意味! このまま貴様の気道を塞いで、窒息死させてくれるわ!」
声なき声が私の脳内に直接響く。
首から顔面へと、冷たく酸っぱい匂いのする粘液が這い上がってくる。気道を確保しようと首の筋肉を膨張させるが、相手は液体だ。筋肉の隙間を縫って、ジワジワと私の呼吸を奪いにきている。
(……なるほど。乙女ゲームのシナリオには存在しなかった、完全なイレギュラーの暗殺者ね)
私が武術大会で目立ちすぎたせいで、隣国がレオンハルト殿下の戦力強化を危惧して送り込んできたのだろう。そしてご丁寧に、「打撃特化」の私に対する完全なメタ(弱点)となる、物理無効の暗殺者を用意したというわけだ。
「さあ、苦しかろう! もがけ! 己の筋肉が何の役にも立たない絶望の中で死んでいくがいい!」
◆ ◆ ◆
暗殺者の嘲笑が響く中、私は一つだけ、大きな溜め息をついた。
「……あのね。私が毎日、どれだけプロテインをダマにならないように混ぜていると思っているの?」
「は……?」
「物理攻撃が通じない? 流体だから打撃が無意味? ……甘いわ。筋肉を舐めないでちょうだい」
私はゆっくりと両足を肩幅に開き、腰を落とした。
大地の力を足の裏から吸収し、大腿四頭筋から腹筋、そして背筋へと連動させる。
「液体に打撃が通じないなら、液体そのものの分子構造を、物理的な『振動』で破壊するまでよ!」
「なっ……何を言って――」
次の瞬間、私は顔面にまとわりつくスライムの粘液ごと、自分の首周りの空気を両手で凄まじい速度で叩き始めた。
バババババババババッ!!
音速を超えた平手打ちが、空気を圧縮して衝撃波を生み出す。私の腕は残像すら見えないほどの『超高速振動』状態に入っていた。
「グギャアアアアッ!? な、なんだこの異常な周波数は……ッ! 我の流体ボディが、細かく千切れて、分離していくぅぅっ!?」
音波と空気の振動による、物理学の壁を超えた超音波粉砕。
ただの腕力ではない。極限まで鍛え抜かれた筋肉だけが到達できる、超高速の連打がスライムの体をドロドロの液状から、さらに細かい飛沫へと変えていく。
「これで……トドメよ!」
私はスライムの核らしき部分が空中に浮いた瞬間、左手に持っていた『ミスリル製プロテインシェイカー』の蓋を開け、猛烈な勢いで暗殺者を内部へと掬い取った。
「ヒッ……!? や、やめろ……出せ! 我を出せぇぇっ!」
「特濃プロテインの海で、己の罪を悔い改めなさい! アークライト流・超高速シェイク!!」
私はキャップをガッチリと閉め、全筋肉の力を両腕に集中させた。
ガシャシャシャシャシャシャシャシャシャッ!!!
ミスリルの硬い内壁にスライムの核が激突し、特濃のプロテインと混ざり合っていく。数秒間で数千回という驚異的なシェイクにより、暗殺者の意識は完全に攪拌され、溶け去っていった。
「ふぅ……。少し混ざりにくい相手だったわね」
私がシェイクを終え、キャップを開けると、そこにはドロドロの暗殺者の姿はなく、完璧に混ざり合った栄養満点のプロテイン・スムージーだけが残っていた。
「……ヴィクトリア。君は今、とんでもないものを倒していなかったか?」
ふと声がして振り返ると、そこには護衛の騎士たちを引き連れたレオンハルト殿下が、口をポカンと開けて立ち尽くしていた。どうやら暗殺者の気配を察知して、駆けつけてきてくれたらしい。
「殿下! ちょうどプロテインが完璧に混ざったところですわ。……少々『異物』が混入してしまいましたが、タンパク質の含有量は増えているはずです」
「そ、そうか……。いや、君が無事ならそれでいい。君の筋肉は、今日もこの王国を救ってくれたようだな」
レオンハルト殿下はひきつった笑みを浮かべながらも、私の頭を優しく撫でてくれた。
物理攻撃無効の暗殺者すらも筋肉で粉砕した私は、もはや悪役令嬢としての破滅フラグなど完全にチリとなって消え去ったことを確信していた。
◆ ◆ ◆
隣国から放たれた刺客を、特濃プロテインと共に物理的に粉砕してから数ヶ月後。
王都は、かつてないほどの熱気と喧騒に包まれていた。第一王子レオンハルトと、アークライト公爵家の令嬢ヴィクトリアの結婚の儀が執り行われるからだ。
王城の大聖堂。絢爛豪華なステンドグラスから降り注ぐ光の下、私は純白のウェディングドレスに身を包んでいた。
ただし、それは一般的な窮屈なコルセットで締め上げるドレスではない。王室専属の職人が、私の広背筋と大胸筋の膨張率を計算し尽くして仕立て上げた、極限まで伸縮性の高い特注の「マッスル・フィット・ドレス」である。
「ヴィクトリア。今日の君は、最高に美しく……そして、仕上がっているな」
祭壇の前で私を迎えたレオンハルト殿下は、私の僧帽筋の盛り上がりを見て、感極まったように声を震わせた。
「ありがとうございます、レオンハルト殿下。本日の良き日のために、昨夜からカーボローディング(炭水化物の蓄積)を徹底し、筋肉の張りを最高潮に持ってまいりましたわ」
「ああ、素晴らしい。君のその強靭な体幹があれば、この王国の未来は盤石だ」
厳かな賛美歌が響く中、私たちは神父の前で永遠の愛と、そして「共に筋肉を鍛え抜くこと」を誓い合った。
悪役令嬢として断罪されるはずだったシナリオは、完全に瓦解し、物理の力によって塗り替えられたのである。
◆ ◆ ◆
場所は変わり、王城の広大な庭園で開かれた披露宴。
集まった貴族たちや他国の賓客が注目する中、新郎新婦の最初の共同作業が行われようとしていた。
一般的なケーキカットではない。私たちの前に用意されたのは、身の丈ほどもある巨大な「特注ミスリル製プロテイン・サーバー」だった。
「さあ、ヴィクトリア! 我らの筋肉の門出を祝して!」
「はいっ、殿下!」
私たちは巨大なサーバーのレバーを同時に引き、黄金色に輝く最高級のプロテインを、それぞれのミスリル製シェイカーへと注ぎ込んだ。
「それでは皆様、我ら二人の健康と、王国の繁栄、そして……筋肉に!」
「「「筋肉に!!」」」
招待客たちが一斉にシェイカーを掲げ、祝杯をあげる。
ふと視線を向けると、そこにはかつての乙女ゲームのヒロイン、リリアナ男爵令嬢の姿があった。彼女は私が課した地獄のスクワットを乗り越えた結果、見違えるほど姿勢が良くなり、見事な腹直筋を手に入れていた。
「お師匠様……ッ! ご結婚、本当におめでとうございます! 私もいつか、お師匠様のような見事な上腕三頭筋を手に入れてみせます!」
リリアナが涙ながらにプロテインを飲み干す姿を見て、私は満足げに頷いた。
ヒロインを虐める悪役令嬢という役割は消え去り、私は彼女にとっての「筋肉の師匠」という確固たる地位を築き上げていた。
「ヴィクトリア。君に出会えて、私は本当に幸せだ。君のその圧倒的な物理の力に、私は永遠に魅了され続けるだろう」
レオンハルト殿下が私を引き寄せ、熱烈な口づけを交わす。
その瞬間、招待客たちから割れんばかりの拍手と喝采が巻き起こった。
破滅フラグを叩き折るために始めた筋トレは、私に最高の伴侶と、筋肉を愛する素晴らしい国民たちをもたらしてくれた。
これにて、筋肉至上主義の悪役令嬢が物理で幸せを掴み取る物語は、完全なるハッピーエンドを迎えたのである。




