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婚約者(男)が魔王にさらわれました。帰って来なくていいです。

作者: 星森 永羽
掲載日:2026/03/22




 貴族のデートで"待ち合わせ"というのは滅多にない。


 男性が女性を迎えに来るのが当然──それが、この国の常識だ。


 けれど私は、古いドレスの裾を手で押さえながら、劇場前の石畳を歩いていた。

 歩いて来たせいで少し息が上がっているのに、姿勢だけは崩さない。


 黒×金の派手な服を着たオルフェン・グランヴィル公爵令息が、腕を組んで仁王立ちしていた。


 ダークブラウンの髪を後ろへ流した“俺様セット”は今日も完璧で、金茶の瞳には不機嫌さが滲んでいる。


「遅い、グズ! もうすぐ開演だろう」


 開口一番、怒鳴られた。

 香水が強すぎて鼻が痛い。


「仕方ないではありませんか。

 うちは馬車が1つしかないので、歩いて来たのです」


「なんだと? 辻馬車くらい呼べよ」


「手の空いている使用人がいないのです」


 うちには使用人が、3人しかいない。


 私が贅沢を言える立場ではない。


 そこへ、胸元の開いた赤いドレスを着た娼婦、サビーナが割り込んできた。

 いつも厚化粧で、瞳がギラついている。


「ねえねえ。いいじゃない、そんなこと。もう劇が始まるわ」


「優しいな、サビーナは。

 こんな奴のこと庇ってやって。

 ──おい、サビーナに感謝しろよ」


 オルフェンは、そう言いながら当然のように、サビーナと腕を組んで歩き出した。


 私は置いていかれる形で後ろをついていく。


 これは婚約者同士のデートではない。


 サビーナの“営業”に、私が付き合わされているだけだ。




 劇場に入ると、重厚な赤いカーテンと金の装飾が視界に広がった。


 天井のシャンデリアが光を散らし、観客たちの宝石がきらめく。


 オルフェンとサビーナは当然のようにソファーに座り、私はその後ろに立たされた。


 オルフェンが、私のために席を取ることはない。

 いつも私は“使用人枠”で入っているのだから。


 サビーナが一瞬だけ、こっちを振り返った。

 その目には優越感があった。



 もちろん、こういう扱いをされて今まで黙っていたわけではない。


 私は父に相談し、グランヴィル公爵へ抗議文を出して貰ったこともある。


 だが、その結果どうなったか。


 金茶の瞳を血走らせたオルフェンが、屋敷へ怒鳴り込んできたのだ。


「親に怒られた! どうしてくれるんだ、グズ!」


 そう叫ぶなり、私は殴られた。


 頬に走った痛みよりも、彼の瞳に宿る幼児じみた逆恨みの色の方が、よほど胸に刺さった。


 私は傷害罪として、すぐに騎士団へ通報した。

 けれど、返ってきたのは冷たい現実だけだった。


 婚約者であること、そして身分差。


 それらを考慮すれば「躾の一環、もしくは無礼打ち」とオルフェンに主張されれば、罰することはできない。


 ──そう言われた。


 私はその場で静かに頭を下げたが、胸の奥は氷のように冷えていた。


 この国の法は、私のような弱い貴族令嬢を守る気などないのだ。




 観劇が終わると、オルフェンは当然のようにサビーナを連れて最高級宝石店──ブリュッセル宝石店へ向かった。


 外観は白い大理石と金の装飾が眩しいほど美しい。


 夜の街灯を受けて、まるで宝石そのものが建物になったように輝いていた。


「わあ、ここ来てみたかったの」


 サビーナが、ウィッグの巻き髪を揺らして喜ぶ。


「好きなの選んでいいよ」


「うーん、これかなあ」


「いいね。センスがいいよ」


「本当? やったぁ♪」


 2人は恋人同士のように楽しげに笑い合う。


 私はただ、その様子を見ていた。


「おい、ローザ。

 1度これをパーティーで着けたら、サビーナに返すんだぞ?

 これはサビーナのものだからな」


 オルフェンが、購入したばかりの宝石の入った袋を掲げて、言い放つ。


 ──婚約者予算で買うには、私が着けているところを多くの人に目撃させなければいけない。

 だから、私にパーティーで着けさせた後、サビーナへプレゼントするということだ。


「そうしないと公金横領になるからな」


 オルフェンは得意げに言った。

 1度着けたところで横領には違いないのに、何故か彼はそれで“セーフ”だと思っている。


 オルフェンが私の肩を揺さぶる。


「おい、返事はどうした? 聞いてるのか?」


「申し訳ありません、グランヴィル公爵令息」


 店員は金の瞳を伏せ、丁寧に頭を下げた。

 落ち着いた紺のスーツが、よく似合う。

 その姿勢は、まさに王都1の宝石店の誇りそのものだった。


「なぜ、あなたが謝るんだ?」


 オルフェンは眉間にしわ寄せた。


「やはり、その宝石はお売りできません」


「は? 予約の入っているものを売ってしまったということか?

 それでは違うものと交換してあげてもいい。

 その分おまけしてくれ」


 店員は一瞬だけ目を閉じ、ため息を堪えた。


「我がブリュッセル宝石店は、王都1の高級店を自負させて頂いております」


「だから、こうして公爵令息である俺が買いに来てあげてるんでしょう」


 オルフェンは胸を張り、サビーナの腰を抱き寄せた。


 店員のこめかみに青筋が浮かんだ。


「当店ではブランドイメージを損なう方への販売は、お断りしております」


 店内の空気が一瞬で凍りついた。

 私は思わず息を呑む。


「は? まさか俺がブランドイメージを損ねるとでも? 公爵令息だと知っていて?

 それともサビーナが娼婦だから、職業差別するのか」


 オルフェンの声は怒りで震えていた。


 サビーナは「ひど〜い」と、わざとらしく胸元を押さえる。


 店員は静かに、しかしはっきりと言った。


「まず、グランヴィル公爵令息は、婚約者であるハートリー男爵令嬢を公衆の面前で虐待なさいました。

 そして“1度婚約者につけさせれば公金横領ではない”という理屈で犯罪を仄めかしました。

 よって、当店はグランヴィル公爵令息とのお取り引きを中断いたします」


 私は胸が熱くなるのを感じた。


 誰かが、はっきりと“間違い”を指摘してくれたのは初めてだった。


「そんな……公爵家を敵に回すのか」


 オルフェンは顔を真っ赤にし、金茶の瞳を見開いた。


「当店は王室御用達でございます」


「──ふん!」


 乱暴に宝石をカウンターへ放り投げると、音がしそうな勢いでオルフェンは店を出ていった。


 サビーナは慌てて後を追いかける。


 店内に静寂が戻る。

 私は深く息を吸い、店員へ向き直った。


「……ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません」


 頭を下げると、店員は驚いたように目を瞬かせ、すぐに柔らかく微笑んだ。


「いいえ、ハートリー男爵令嬢は被害者です。

 よろしければ馬車を出します」


 その言葉に心が温かくなる。


 婚約者を諌められなかったのに、気遣わせてしまって申し訳ない。


 だが、貴族令嬢が1人で歩いて帰ると言えば、私まで“おかしい目”で見られるのは分かっている。


 私は素直に頷いた。




 店前に馬車が止まると、扉が開き、中から1人の男性が降りてきた。


 柔らかな栗色の髪。

 深い青の瞳。

 紺のスーツに銀のブローチが光り、細身ながら無駄のない体つき。


 ──まるで絵画から抜け出したような、スタイリッシュな美青年だった。


 彼は私の前に立ち、優雅に手を差し出す。


「お手を、どうぞ」


 その所作は完璧で、小さな男爵家の娘に向けられるものとは思えなかった。


 私は戸惑いながらも手を預け、馬車へ乗り込む。


 彼も続いて乗り、御者に軽く合図を送った。


 馬車が静かに動き出す。


 婚約者がいるのに、男性と2人きりになっていいのか──一瞬そう思った。


 だが、この店に限っておかしなことはしない。

 そう思い直した。


「私はフェリックス・オルドリッジです。男爵位を頂いています」


 落ち着いた声が馬車内に響く。

 私は一瞬だけ思考が止まった。


 この国の男爵は500人もいる。

 名前を言われても、正直どこの家か分からない。


「ハートリー男爵の長女、ローザです。オルドリッジ男爵」


 名乗ると、彼は微笑んだ。

 その笑みは、宝石のように柔らかく光を帯びていた。


「私はブリュッセル宝石店のオーナーをしております」


「えっ?!」


 思わず声が裏返った。

 経営者自ら送ってくれるなんて、聞いたことがない。


 しかも、王都1の宝石店のオーナー。

 そんな人に恩を売られても、うちには宝石を買う資金などない。


 どうしよう……。


 胸がざわつき、私はそっと視線を落とした。


 フェリックスは私を見つめ、穏やかに微笑んだ。


「構えないでください。

 私は、まだ男爵になったばかりです。

 準男爵の次男だったのですが、騎士になるより絵を描く方が好きだったため、デザインを学んでいた時に前のオーナーにスカウトされました。

 彼が亡くなった後を引き継いだ時に、王室から男爵位を頂いたのです。

 ですから元は平民みたいなものです」


 私は思わず苦笑した。


「まあ、そのように卑下なさらないでください。

 平民と言えば、うちの方がよっぽど……」


 貧乏生活だよ!


 フェリックスは首を横に振った。


「いいえ、ハートリー男爵と言えば難しい土地を経営なさっていて尊敬します」


 ──うちの祖先は王子だった。


 公爵令嬢の婚約者がいるのに、男爵令嬢と恋仲になり婚約破棄した結果、廃嫡されて辺境の領主に封じられた。


 その“罰”は150年も続き、今も痩せた土地を必死に守っている。


 けれど、私達は恋仲になった男爵令嬢の子孫ではない。


 祖先の王子と恋仲だった男爵令嬢は、彼を置いて逃げた。


 そして王子はあろうことか、元婚約者に「よりを戻してくれ」と頼み、なぜか公爵令嬢はそれを受けて嫁入りしたのである。


 つまり──


 祖先は王子と公爵令嬢なのだ。



 フェリックスの言葉は、静かに胸へ染み込んだ。


「……尊敬だなんて、そんな。

 うちは……その、色々ありまして」


 私が視線を落とすと、フェリックスは柔らかく微笑んだ。


「歴史に何があったとしても今、領地を守っているのはあなた方です。

 それは立派なことですよ」


 ──そんなふうに言われたのは、初めてだった。


 馬車は静かに進み、私はその温かさを抱えたまま、夜の街並みを眺めた。






 1ヶ月後。

 王城で開かれるデビュタントの日が来た。


 私は白いドレスに身を包み、父と共に会場へ向かった。


 大理石の床、金の装飾、巨大なシャンデリア──どれも眩しいほど華やかだ。



 オルフェンは、サビーナとお揃いの衣装で現れた。


 デビュタントに娼婦を連れてくる貴族はいない。


 パートナーが招待されていれば平民でも入れるが、普通の娼婦は論外だ。


 没落貴族出身の“高級娼婦”は別枠だが、サビーナは高級娼婦ではない。



 私とオルフェンは一言も言葉を交わさないまま、ダンスタイムとなった。


 私は父と、オルフェンはサビーナと、それぞれファーストダンスを終えた。


 オルフェン達は、周囲の冷たい目を気にすることなく3曲続けて踊った 。


 そして音楽が止まると──


「ローザ・ハートリー、出てこい」


 オルフェンが突然、会場の中央で怒鳴った。


 言われた通りに前へ出ると、彼は勝ち誇ったように顎を上げた。


「お前は高級店で、このサビーナに『お前のような下賤な身分のものに、この店の宝石は似合わない! 生意気だ』と大騒ぎし、そのせいで俺は責任を問われ店を出禁になった。

 全ては、お前のせいだ。

 よって、ここに婚約を破棄する」


 会場がざわめく。

 私は静かに問い返した。


「それはブリュッセル宝石店の話ですか?」


「他に、どこがある?」


 オルフェンが鼻で笑った、その瞬間。


「それは、おかしいな」


 低く落ち着いた声が響いた。

 人々が道を開けるように振り返る。


 紺のスーツに銀のブローチ。

 柔らかな栗色の髪。

 深い青の瞳。


 フェリックス・オルドリッジが、静かに歩み出てきた。


「誰だよ、お前?

 いきなり入ってきて失礼だぞ!」


 オルフェンが怒鳴る。


 だが、フェリックスは怯んでいなかった。

 深い青の瞳は、まっすぐオルフェンを見据えていた。


「私は、ただ間違いを訂正しようとしただけです。

 私はブリュッセル宝石店のオーナー、フェリックス・オルドリッジです」


 その名が告げられた瞬間、会場がざわめいた。


 王都1の宝石店のオーナー──その肩書きは、貴族たちにとっても無視できない重みを持つ。


 オルフェンは驚いて後退り、金茶の瞳を大きく見開いた。


「な、なんだと……?」


 フェリックスは、姿勢を崩さず続けた。


「私もあの時ちょうど店の裏にいて、あなたが騒いでいるのを聞いたのです。

 あれはグランヴィル公爵令息が公金横領に、そちらのハートリー男爵令嬢を利用しようとしていた時でした。

 我が社のデザイナーがそれを咎め、取引を中止させていただきました」


 会場の空気が一気に冷えた。

 オルフェンは顔を真っ赤にし、怒鳴り返す。


「その話は嘘だ! 取引中止を申し出てきたのは、ただの店員であった!

 後から聞いた話を、その場にいたように証言しているのだろう!

 お前の品位は最悪だな!」


 フェリックスは首を横に振った。

 その動きは優雅で、どこか哀れみすら含んでいた。


「違います。我が社のデザイナーは、お客様の反応を間近で見るため、店員の格好をして店に出ているのです」


 オルフェンは口を開いたまま黙り込んだ。

 反論の言葉が見つからないのだ。


 その沈黙を破ったのは、会場の貴族だった。


「私は何度も劇場で、ハートリー男爵令嬢があの不貞カップルの後ろに立たされているところを見ました」


 別の貴族が続く。


「街中でも見かけましたよ。

 ローザ嬢が荷物を持たされ、お2人は腕を組んで歩いていました」


 さらに別の者達が声を上げる。


「婚約者をあのように扱うなど、聞いたことがない」

「娼婦を連れてデビュタントに来るなど前代未聞だ」

「あれでは公爵家の品位が疑われる」


 証言が次々と飛び出す。

 まるで堰を切ったように、“みんなが知っていた事実”が一斉に表へ出てきた。


 オルフェンは青ざめた顔で、震える手を私へ伸ばした。


「ろ、ローザ……助け──」


「グランヴィル公爵令息。あなたとの婚約を破──」


 私が婚約破棄を告げようとした、その瞬間だった。


「フハハハハハハハ!!」


 会場の天井が震えるほどの大声が響き渡った。


 シャンデリアが揺れ、貴族たちが一斉に顔を上げる。


「150年ぶりに甦った! 我こそは魔王!!」


 黒い霧が渦巻き、漆黒の長髪が風もないのに揺れた。

 死人のように白い肌、赤黒い深紅の瞳、人間離れした美しい顔。

 黒いマントが大広間の空気を切り裂くように翻る。


 魔王が、堂々と両腕を広げて立っていた。


 会場中が凍りつく。


「ま、ままま魔王ぉぉぉぉ!!?」


 オルフェンが情けない悲鳴を上げた。

 慌ててサビーナの後ろに隠れようとしている。


 魔王は、まるで“自分の登場を待っていたかのように”笑い続けた。


「さあ! 我が花嫁を迎えに来たぞ!!」


 魔王は深紅の瞳をギラリと光らせ、指を突きつけた。


「我が花嫁は、お前だ!!」


 その指先は──オルフェンを指していた。


「俺は男だ!!」


 オルフェンが絶叫する。


「我は男色だ」


 魔王は誇らしげに胸を張った。


 次の瞬間、魔王の姿がふっと消えた。

 気づけば、オルフェンの目の前に立っている。


「ひいいいいいいいい!!」


 オルフェンが悲鳴を上げる間もなく、魔王はマントを広げ、彼を包み込んだ。


 そして──


 バリンッ!!


 大広間の窓を突き破り、夜空へ飛び去った。


 風だけが残り、会場は静まり返る。


 砕けたガラスが床に散り、シャンデリアの光を受けてきらきらと輝いていた。


 誰もが言葉を失い、ただ呆然と空を見上げていた。


 ……婚約破棄の手間が省けたわね。


 私は静かに、心の中でそう呟いた。




 魔王がオルフェンを連れ去った直後。

 会場は混乱し、悲鳴とざわめきが渦巻いていた。


 そんな中、王が立ち上がり、私を見つめた。


「勇者よ、オルフェンを助けに行ってくれ」


 ……勇者?


「私は勇者ではありません。お断りします」


 きっぱりと言い切った。


 しかし王は、なぜか自信満々に頷いた。


「いいや、勇者なのだ。

 実は君の祖先の王子は、勇者だったのだ。

 魔王を倒す極秘任務のため、当時の婚約者に婚約破棄したのだ。

 生きて帰れる保証がなかったからな」


 そんな理由が?!


 会場がざわつく。


「そしてハートリー領が貧しいのは、あの土地に封印された魔王の魔力が溢れた結果なのだ」


 そうだったの?

 知らなかった……。


 王が下手に合図をした。


 屈強な男たち5人が、岩を運んできた。

 岩には、1本の剣が深く突き刺さっている。


 会場がざわつく。


「まさか……」

「伝説の……?」

「封印の剣……?」


 王は厳かに言った。


「さあ、抜くがいい。君にしか抜けない」


 私はゆっくりと岩へ歩み寄った。


 剣に触れた瞬間──


 淡い光が広がった。


 そして、まるで紙を抜くように簡単に剣が抜けた。


「おおおおおおおお!!!」

「抜けた……!」

「本当に勇者の血筋……!」

「ハートリー家が……勇者の家系……!」


 封印の剣を抜いた直後、会場は熱気に包まれていた。


 王はその勢いのまま、私へ向き直る。


「では、魔王討伐に必要なパーティーメンバーを3人選んでくれ」


 ……この流れで、当然のように魔王討伐を頼むのね。


 私は王を見つめ、言った。


「その前に、なぜグランヴィル公爵令息を助けなければならないんでしょうか?

 彼は戻ってきたところで針の筵ではないですか」


 会場が一斉に頷いた。


「確かに」

「むしろ魔王城の方が安全では」

「戻ってきたら処分は免れないだろう」


 私は淡々と続けた。


「それに、勇者だからといって“嫌いな相手”を助けに行く義務はありません」


 その言葉に、会場がどよめく。


「その通り」

「ローザ嬢の判断は正しい」

「むしろ助けに行く方が危険だ」

「勇者に頼る前に、公爵家が責任を取るべきだ」


 王はたじろぎ、視線を泳がせた。


「しかし……」


 そこへ、グランヴィル公爵が膝をつき、頭を下げた。

 黒髪に白髪が混じり、鋭いダークグレーの瞳は必死に揺れている。


「お願いです……助けてください。

 あんなバカですが、1人息子なのです。

 跡継ぎが産まれたら、八つ裂きにして構いませんから。

 どうか、どうか……」


 会場がざわつく。

 公爵がここまで取り乱す姿は、誰も見たことがない。


 私は王に問いかけた。


「質問なのですが、パーティーメンバーに指名した相手が断ったら、どうするのですか?」


 王は苦しげに答えた。


「これは王命だ。

 勇者に指名されたメンバーは、必ず同行する」


 ……つまり、私が選べば誰でも強制参加ということ。


 私は白いドレスの裾を整え、はっきりと言った。


「もう1つ大事なのは、婚約破棄を受け入れるので、その手続きを早急にしてほしいのですが」


 会場が一気に沸いた。


「公爵令息の不祥事は公爵家の責任だ」

「ローザ嬢を巻き込むな」

「婚約破棄は当然だ」

「むしろ遅すぎるくらいだ」


 公爵は青ざめ、王は頭を抱え、会場はローザ・ハートリーの味方一色。


 グランヴィル公爵は、胃痛持ちの顔をさらに歪めながら深く頭を下げた。


「分かりました……今すぐ婚約破棄届けにサインします」


 その声は震えていた。

 会場に安堵と、当然という空気が流れる。


 王も渋々頷いた。


「いいだろう。必ず受理する」


 私は静かに一礼し、会場を見渡した。


「では、パーティーメンバーを発表します」


 会場が一瞬で緊張に包まれる。

 息を呑む音が、あちこちから聞こえた。


 その時──


「はい! 立候補します!

 か弱い女性を、1人で行かせるわけにはいきません」


 フェリックスが手を挙げた。

 

 私は胸が熱くなった。


 だけど──


「っ、し、しかし、あなたは剣より絵が好きと……」


 フェリックスは微笑んだ。

 その笑みは、宝石よりも美しい。


「一応、騎士の家系なので、幼少期から訓練はしています。

 どうか、お供させてください」


 その言葉に心が、じんわりと満たされる。


「……ありがとうございます。

 ではオルドリッジ男爵を参謀にし、小間使いとして王とグランヴィル公爵を指名します」


 会場が──止まった。


 空気が凍りつき、次の瞬間。


「……小間使い……?」

「王と公爵が……?」

「雑用係……」

「いや、でも……妥当では?」


 ざわめきが広がり、やがて賛同の声が増えていく。


 王は顔を真っ赤にして叫んだ。


「ま、待ちなさい、ローザ嬢!

 余は王だぞ!」


 私は、にっこり微笑んだ。


「存じております。

 ですが、王命で“同行は強制”なのですよね?」


「ぐっ……!」


 王は言葉を失った。


 公爵も必死に口を開く。


「わ、私は……! 私は……!」


 私は淡々と告げた。


「あなたは“息子を助けてほしい”と嘆願しましたよね。

 ならば、あなた自身が行くべきです」


「うぐっ……!」


 公爵は崩れ落ちそうになった。


 会場は拍手と喝采に包まれる。


「ブラボー!」

「ローザ嬢こそ真の勇者!」

「いや、勇者より強い」

「王と公爵が小間使い……歴史に残るぞ」


 私は息を吐き、剣を握り直した。


 ……しっくりくる。






 草むらがざわりと揺れ、ぷるん、と半透明の塊が飛び出した。


 丸くて、青くて、つぶらな瞳。

 スライムが、こちらを見上げていた。


「ピギュッ!」


 可愛い声だが──戦闘の気配はまるでない。


「無視しましょう」


 私は淡々と告げる。


「そうですね」


 フェリックスが穏やかに頷いた。

 栗色の髪が風に揺れ、深い青の瞳が柔らかく笑う。


「えっ、戦わないのかね?」


 王──グスタフ7世が、情けない声を上げる。


「スライムくらいなら私が──」


 拐われたオルフェンの父、バルタザール・グランヴィル公爵が剣に手をかける。


「いえ、無視で」


 私が言い切ると、2人は固まった。


 スライムはぷるぷる震えながら、こちらを見つめている。


「…………(む、無視……?

 ぼ、僕……今まで1度も無視されたこと……)

 ピ……ギュ……(MP0)」


 ポチャッ


 その場で溶けて消えた。


「「死んだぁぁぁぁぁ!?」」


 王と公爵が同時に叫ぶ。


 ──この世界の魔物は、“魔法”ではなく“メンタル”で戦う。

 精神的苦痛を受けると、MPが0になり消滅する。


 フェリックスは、苦笑しながら私を見る。


「ローザ嬢……強いですね」


「ただ無視しただけですわ」


 私は歩き出した。


 王と公爵は、さっきのスライムの死に様を思い出して震えていた。


「ゆ、勇者の世界……恐ろしい……」

「無視で死ぬなど聞いていない……!」


 私はため息をつきながら、剣を軽く持ち直した。




 草原の奥から、バサッと音がした。


 次の瞬間、緑色の影が飛び出してくる。


「ギャギャギャ!」


 牙をむき、粗末な棍棒を振り上げたゴブリンが、こちらへ突進してきた。


 私は一瞥する。


「無視で」


「了解です」


 フェリックスが即答した。

 深い青の瞳は、微塵も動揺していない。


 ゴブリンは勢いよく走り寄りながら、こちらの反応を待っていた。


「ギャ……?」


 私達は完全に無視して歩き続ける。


「ギャギャ……?

 (え、え、無視……?

 俺、今まで村を襲えば悲鳴を上げられ、 冒険者には全力で殴られ……。

 “無視”なんて……されたこと……)」


 ゴブリンの顔が、みるみる青ざめていく。


「ギャ……(MP0)」


 パタリ。


 その場に倒れ、光の粒になって消えた。


「また死んだぁぁぁぁぁ!!」


 王が頭を抱えて叫ぶ。


「こ、これが……勇者の力……?」


 公爵は震えながら私を見る。


 私は剣を軽く持ち直し、歩き出す。


 フェリックスは苦笑しながら、私の隣に並んだ。


「ローザ嬢……本当に強いですね」


「ただ無視しただけですわ」





 こうして、私達はあっさりと魔王城に辿り着いた。


 黒い尖塔が空を突き、赤い雲が渦巻く──はずなのに、実際はただの古い石造りの城で、門番すらいない。


 公爵が腹を押さえながら叫ぶ。


 下痢かな?


「おい、息子! 助けに来たぞ!」


 王も震え声で続く。


「余は王ぞ……ここを開けよ……」


 ギギギギギ……。


 重厚な扉が、まさかの自動で開いた。


「本当に開いた……怖い……」


 王は腰を抜かしそうになっている。


「行くわよ」


 私は淡々と告げ、最上階へ向かった。




 階段を上がるたび、黒いマントのような影が揺れる。


 だが魔物は1匹も出てこない。

 ただ普通に歩いてきただけだった。




 最上階の玉座の間。


 漆黒の長髪、赤黒い深紅の瞳──魔王が座っていた。


「ふふふ……よくここまで来られたな」


 普通に歩いてきただけだけど?


「むむ、息子を返せ!」


 公爵が叫ぶ。


 その時、フェリックスが眉をひそめた。


「待ってくれ。

 この魔王……グランヴィル令息に似てる……?」


 魔王は誇らしげに胸を張った。


「よく気付いたな。我らは合体したのだ」


 公爵は、その場に崩れ落ちた。


「だから『分家から養子を貰え』って言ったじゃないの」


 私は呆れながら言う。


「今は何も言わないでくれ……」


 公爵は涙目で震えている。


 グスタフ7世も頭を抱えた。


「これは……どうすれば……?」


 フェリックスは深い青の瞳で魔王を見つめ、静かに言った。


「ローザ嬢。これは……どう見ても“自業自得の合体事故”だね」


「ええ。助ける理由がなくなりましたわ」


 私はくるりと踵を返した。


「撤収」


 帰ろうとした、その瞬間──


「待て! 婚約者を助けないで帰るなんて、酷いじゃないか!」


 魔王の中のオルフェンが叫んだ。


 フェリックスが淡々と返す。


「婚約破棄の手続きは終わりましたよ」


「なぜっ!」


 魔王オルフェンが絶叫する。


 いや、お前が“婚約破棄”って叫んだんだよ。


 私は心の中で冷静に突っ込んだ。


「ともかく、これでグランヴィル家の後継問題は決着しました。帰りますよ」


 私はくるりと踵を返す。


「待て待て! 我を倒さずして良いのか!」


 魔王が慌てて叫ぶ。


 よっぽど、暇なのかしら?


「魔王を野放しにしても、花婿をさらう以外の被害はないので。

 今回は被害で"すら"ないし」


 オルフェンが死ぬまでは、次の被害ないんじゃないのかな?


 合体したから寿命延びたのかな?


 まあ、いいや。


「待て待て! 戦っていけ!」


「わざわざ時間を使って戦うほど、興味が持てないです。

 すみません。帰ります」


 その瞬間、魔王の体の一部がザラザラと砂になって崩れ落ちた。


「ぐっ……!?」


 私は本音を言っただけなのに、攻撃になっていたみたい。


 それから大事な用件を思い出した。


「あ、そうだ。これ」


 懐から手紙を取り出し、淡々と読み上げる。


「『オルフェインへ。

 私は、あなたの恋人じゃないわ。

 仕事の接待で、あなたと出掛けたりしていただけ。

 それなのに“貴族の婚約を壊した”として投獄されています。

 こんなことになるなら、一緒に出掛けなければ良かった。


 あなたは私の常連客の中でも1番金払いが悪くて、正直"微妙だな"と思ってたんだけど、爵位が高いからなかなか断れずに付き合ってしまいました。

 後悔しています。


 もし生きて帰って来られても、もう私には関わらないでください。

 サビーナ』」


 読み終えた瞬間──


 魔王オルフェンは完全に固まった。


「……………………」


 深紅の瞳が虚空を見つめ、黒いマントが震える。


 そして──


 ザラ……ザラザラ……。


 体が、さらに崩れ落ちていく。


「お、オルフェン……」


 グランヴィル公爵が震える声で呟く。


「……これは慰めようがない……」


 グスタフ7世は目をそらした。


 そして、ついにオルフェンは叫んだ。


「サビーナぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

 俺の……俺の恋人がぁぁぁぁぁ!!」


 叫びと共に、魔王の体は砂化していく。


 ……恋人じゃないって、言われてたのに。


 私は追撃を放った。


「彼女の身元引受人として、孫が来ていたわ」


 魔王の嘆きが止まる。


「は? 誰の孫?」


 私は明るく告げた。


「だから、サビーナ。

 あなたには26歳と言ってたようだけど、本当は50歳だったわ。

 気づかなかったの?

 化粧、すごく濃かったわよ」


 魔王オルフェンは深紅の瞳を見開き、震えた。


「追い打ちやめてぇぇぇぇぇ!!」


 その叫びと同時に──


 魔王の体はザラザラと音を立てて崩れ落ち、ついに完全に消えた。


 黒いマントの切れ端すら残らない。


 玉座の間には、静寂だけが落ちた。


「…………」


 沈黙が40秒続いた後、私は言った。


「では、帰りましょう」


 フェリックスは微笑み、優雅に一礼した。


「はい。ローザ嬢」


 後ろでは、王と公爵が砂の山を見つめて固まっていた。


 魔王討伐、完了!






 魔王城から帰還すると、王城はお祭り騒ぎだった。


「勇者万歳!」

「ハートリー家こそ真の英雄!」


 私はブルーのドレスの裾を揺らしながら、声援に答える。


 グスタフ7世は、疲れ切った顔で玉座に座り込んでいる。


「魔王討伐、見事であった……褒美を取らす。

 勇者から順に望みのものを言え……」


 声に覇気がない。

 完全に“疲れた中間管理職”の顔だ。


「私は最後にしてください」


 何故かと言うと、欲しいものが特にないのだ。


 領地は魔力の影響がなくなって回復するだろうし、当座の生活は婚約破棄の慰謝料がある。


 だから、フェリックスの願いに加勢するつもりだ。



 誰よりも早く公爵バルタザールが、手を挙げた。


「では、私は領地を追加していただきたい」


 会場がざわつく。

 王は眉間を押さえた。


「ほとんどローザ嬢が戦ったのであって、我々は何もしてないのに。

 結構、厚かましい願いだな。

 しかし『言え』と言ってしまった手前、ノーとは言えないから仕方ない……ちょっとだけ増やしてやる」


「ありがたき幸せ!」


 公爵は深々と頭を下げた。


 息子のことは忘れたんだろうか?


 私は言った。


「1人息子は死んだのに、領地を増やす意味ないんじゃない?

 誰のために領地を増やすの?」


 その瞬間──


 公爵は胸を押さえ「ぐふっ……!」 と倒れ、そのまま心不全で死んでしまった。


 会場が静まり返る。


 王は顔を引きつらせながら、フェリックスへ視線を向けた。


「うん、いや……仲間死んだけど、いいのか……。

 まあいいや、願いを申してみよ」


 医者を呼ぶとか死を悼むより、褒美を取らせる方が優先らしい。


 ──人命とは?


 王と公爵は、友達だと思ってたけど違ったようだ。


 フェリックスは1歩前へ進み、深い青の瞳で王を見つめた。


「先代勇者は、第1王子ですよね?」


 グスタフ7世は胸を張った。


「そうだ。勇者として旅立つため、王位を弟に譲ったのだ」


「そして、人知れず魔王を封印した土地を守り続けた……」


 フェリックスが続ける。


「いかにも。あれは誇るべき我が一族の──」


「ならば、王位をローザ嬢に返すべきでは?」


「ファッ?!」


 王の顔が、見事なまでに崩れた。


 会場がざわつく。


「確かに筋は通っている」

「勇者の血筋が本来の王家……?」

「ローザ嬢が女王に?」


 グスタフ7世は震える声で言った。


「ま、待ちなさい……! 余は王だぞ……?」


 フェリックスは微笑んだ。

 その笑みは、宝石店のオーナーではなく──

 私の“参謀”そのものだった。


「ええ。ですが、歴史的事実としては……ローザ嬢こそ正統な王家の継承者です」


 その論理はあまりにも完璧で、反論の余地がなかった。


 会場がざわめき、やがて歓声に変わる。


「おおおおおお……!」

「確かに!」

「ローザ陛下!」


 グスタフ7世は、椅子から転げ落ちそうになった。


「ま、待て待て待て待て!

 余は王ぞ!?

 今さら返せと言われても……!」


 私は、はっきりと言った。


「別に王位は欲しくありませんよ」


 フェリックスは淡く微笑み、続ける。


「ローザ嬢が望まないのは、承知しています。

 ですが“返すべきものは返す”という話です」


 王は震えながら、自分の胸を押さえた。


 私は落ち着いた声で言った。


「陛下、落ち着いてください。

 フェリックス様は“論理的に正しいこと”を言っているだけですわ」


「それが1番怖いのだが……!」


 王は涙目になっている。


 会場はすでに“ローザ王朝”の未来を語り始めていた。


「ローザ陛下」

「ローザ女王」

「ローザ王朝の始まり……?」

「歴史が動く瞬間だ!」


 フェリックスは私の前に進み出て、深い青の瞳でまっすぐ見つめた。


「……ローザ嬢が望むなら、私はどの立場でもお支えしますよ」


 その言葉は、何よりも温かく胸に響いた。


「……フェリックス様……」


 思わず声が震える。


「ちょっと待て、2人の世界に入るな!!

 余の王位が危ないのだぞ!!」


 王が必死に叫んだ。


 だが、誰もグスタフ7世を見ていなかった。


 そこへ、王妃が血相を変えて飛び込んできた。


「待ってちょうだい! 国宝をあげるから王位は諦めて?」


 会場がざわつく。


 フェリックスは淡々と返した。


「王になれば国宝など、すべて手に入るではありませんか」


「そ、それは、そうだけど……!

 そうだわ、実家の領地を分けてあげる! それで、どうかしら!?」


 王妃は必死だ。

 王族でいたいのだろう。


 私は首を振った。


「飛び地になるので要らないです。

 ……そういえば陛下、サキュバスと不倫してましたよね」


 会場が凍りつく。


「あ、そうそう」

 フェリックスが軽く手を挙げた。

「それで──どこかに連れていかれそうになったから、慌てて冷たい水かけて殴りました」


「何ですってぇぇぇぇ!!」


 王妃が絶叫した。


「お、落ち着け王妃! 余は──」


 その瞬間、王妃は──


 護身用の剣で、グスタフ7世を刺し殺した。


 会場が静まり返る。


 次の瞬間。


「これで王はローザ様だ!!」

「ローザ陛下万歳!!」

「ローザ王朝の始まりだ!!」


 大広間は歓声の渦に包まれた。


 私は、ため息をついた。


「……なんか断りにくくなってしまったので仕方ないですね。王になります」


 会場が爆発した。


「うおおおおおおおお!!!」

「ローザ陛下万歳!!」

「ローザ王朝の始まりだ!!」


 フェリックスは微笑んだ。


「安心しました。

 あなたが王なら、いい国になるでしょう」


 私は彼を見つめ、少し照れながら言った。


「良ければ、フェリックス様……王配になって貰えませんか」


 会場が再び爆発する。


「きたああああああああ!!」

「フェリックス王配!!」

「最高のカップル!!」


 しかしフェリックスは、申し訳なさそうに微笑んだ。


「すみません。私は既婚者です」


 会場が沈黙した。


 私は瞳を瞬かせた。


 ……先に言わんかい!!




 こうして──


 私は新たな王となり、フェリックスは宰相として仕えることになった。


 魔王も王も公爵も消え去り、国は新たな時代へと進んでいく。





✦ 完結 ✦





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王国はそもそも末期だったのね(勇者な王族の家系が男爵家な理由が不明だけど)
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