【短編小説】禁煙セミナー
開始予定時間を五分ほど過ぎたのを確認すると、”予定通り”にホールの照明が落とされた。
一瞬にしてざわめきが止む。
美しい瞬間のひとつだ。
舞台袖に向かって伸びるスポットライトに向かって歩く。
革張りの靴底がコツコツと響く。
一歩ごとに自分の精神が高揚していくのが分かる。
客席からの視線は圧倒的で、何も無い壁側の虚無感がまたアンバランスに緊張感をくすぐった。
ステージの真ん中にある演説台について正面を向くと、強烈なスポットライトの光が目を焼いた。
そしてそこには、数多の禁煙希望者たちがいる。禁煙外来には行きたく無い、それでも禁煙したい甘ったれたち。
わたしの養分。
大きく息を吸って、短く吐き出す。
「どうも皆さん、こんにちは。
禁煙のプロ、紫煙堂フィル太郎です」
客席の空気が前のめりになったのを感じる。
それでいい。
「寄席ではないのでさっさと本題に入りましょう。
皆さんは煙草をやめたくてここに来ました。そうですね?
禁煙をした事がある。そうですね?
そして禁煙に失敗してしまった、しかしまた辞めたい。そうですね?」
暗闇の中で頷いているのが分かる。
当たり前だ。だからここに来ている。
「煙草をやめたくないのに高い金を払ってセミナーに来る人は、よほどの物好きでしょう」
わたしが少し笑うと、禁煙に向けて高まった客席の緊張が少し解れたのを感じた。
「煙草、やめたいですね。
それなら、やめましょう!
……私はこれまでに18回の禁煙に成功しています」
そこで”予定通り”に客席から笑い声が起こった。つられて笑う声も聞こえる。
それでいい。
「あ、いま誰か笑いましたね。
ハハハ。
いや、そうなんですよ。もう18回も禁煙に成功してる。
……おかしいですね。それは17回も禁煙に失敗しているじゃないか!何がプロだ!
そう思いますか?
頷かれている方、笑っている方……神妙な顔で頷いている方もいますね」
そうだ、それでいい。
わたしには分かる。全てが手に取るように!
「そうです、私は18回の禁煙に成功している。
……そしてそれは最初の禁煙以降、失敗した事が無い」
ここで息を止める。
矛盾。力強い断言。
演説台に両手を置いて、大きく息を吸い込む。
客席の空気が再び前傾姿勢になった。
「私は自分の意思で禁煙を止め、煙草を吸い、そして禁煙をしました。
全て自分の意志に基づいてやった事です。
コントロールしている。
なし崩しで吸う、惰性で吸う。
それは禁煙の失敗です。
しかし私のは違う。
私は煙草の辞め方をしっている。
禁煙の方法を知っている。
だから煙草を吸ってもすぐに辞められる。
だから断じて禁煙の失敗では無い」
客席の熱気を感じる。そこに熱狂がある。
「いいですか?禁煙に失敗はありません。
私はもちろん、あなた達もです。
いいですか?煙草をやめた。
それはやめようと思ったからです。
煙草を吸った。
それは吸いたいと思ったからです。
いいですか?禁煙とは煙草を吸わない行為そのものをさします。
煙草を吸いたくなくなる状態を表したものではありません。
煙草を吸っていない状態、それを禁煙と呼びます」
そう、今だって禁煙してるさ。
わたしも、あなたたちも。でもここでそれに気付いて帰れる奴はいない。
熱気が渦巻いて大きく頷く。
「……ダイエットに置き換えましょう。
それまでより食べなくなる日常、それがダイエットですよね?
お酒、唐揚げ、スナック、ジュース。
お米、ラーメン、ハンバーガー。
際限なく食べていたそれを控える、ダイエットでしょう。
それらを食べたくなくなる事ではありません。食べたいのを我慢する、それがダイエットです」
客席の熱気。わたしの高揚。
愛おしい瞬間。
「煙草だって同じです。吸わない日々、それが禁煙です。
いいですか。
まず吸いたいと思う自分を許してあげてください。
吸いたいんです。
やめようと思った、それでも吸いたい。
吸っちゃダメなんて事はありません。
吸いたいんです。
今だって吸いたい。
でも吸わない。
そう決めたからです」
“予定通り”に客席から「そうだ!」という声や拍手が聞こえた。
掛け声や拍手は次第に大きくなり、巨大なうねりとなった。
素晴らしい快感が背筋を貫いて、うっとりと目を閉じた。
拍手が自然と止むのを待った。
余韻が尾骶骨のあたりを撫でている。
「ひとは禁止されると余計に魅力を感じてしまうものです。
幼い頃に見たビデオ屋にあったピンクの暖簾。
公園にあった爆竹禁止の立て札。
昔話で言うと、恩返しにきた鶴。
そうです。
自身に禁止をするから余計にやりたくなる。
煙草を禁止するから吸いたくなる。
もうね、吸いたい時は素直に吸いたいと思いましょう。
吸いたい時は素直に吸いたいと言いましょう」
喫煙の許しを得た客席がはち切れんばかりの喜びを感じる。
ここだ。
「さぁ、みんなで!
……吸いたい!」
恐る恐ると言った感じのレスポンス。
「ほら、みんなで!
……吸いたい!」
まだだ、まだ足りない。
「もっと大きな声で!
……吸いたい!」
ちらほらと聞こえていた声が揃い始める。
「吸いたい!」
「「「吸いたい!」」」
「吸いたい!」
「「「「「吸いたい!!」」」」」
「吸いたい!」
「「「「「「「吸いたい!!!」」」」」」」
再び大きく息を吸う。
「……どうですか?少しスッキリしませんか?
吸っちゃダメだと思ってた時より、幾分マシな心境じゃないですか?
これで足りなければ、指にエア煙草を挟んで吸ってから、吸いたいと叫びましょう。
大丈夫、あなたはあなたをコントロールできます。
あなたはあなたの脳を洗脳できます」
客席が抱いた希望が光って見えるようだった。
「試しに一週間、これを実践してみて下さい。以前より遥かにラクに禁煙状態が続くはずです。
喉の具合も良くなります。
ご飯の味も良くなります。
お金だって減らない。
もしどうしても煙草を吸いたくなった、そして吸ってしまった時は、禁煙の失敗と自分を責めるのをやめましょう。
単なる禁煙の一時停止、休憩です」
そんな訳が無いだろう。
しかし、客席はすっかり熱狂している。
「あなたは自分の意思で吸いたいと思い、煙草を買い、火をつけて吸った。
それでいいんです。
そうして飽きたら、また禁煙を再開しましょう。
素晴らしい禁煙生活に幸あれ!!」
わたしの叫びに呼応して起こった拍手は、実に自然なものだった。
手を振りながら演説台を離れ、舞台袖に控えていた営業代表に交代して楽屋に戻った。
控え室に戻って席に座ったと同時に、付き人たちが煙草とアイスコーヒーを差し出した。
「お疲れ様です」
「あぁ」
付き人の差し出すライターで煙草に火をたける。紫色の煙が舞う。
ドアがノックされて、濃紺のスーツを着た政府の役人たちが入ってきた。
「ありがとうございます。これで昨今の禁煙ブームによる税収の下落を緩和することができます……」




