表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

【短編小説】禁煙セミナー

掲載日:2025/12/30

 開始予定時間を五分ほど過ぎたのを確認すると、”予定通り”にホールの照明が落とされた。

 一瞬にしてざわめきが止む。

 美しい瞬間のひとつだ。

 舞台袖に向かって伸びるスポットライトに向かって歩く。

 革張りの靴底がコツコツと響く。

 一歩ごとに自分の精神が高揚していくのが分かる。

 客席からの視線は圧倒的で、何も無い壁側の虚無感がまたアンバランスに緊張感をくすぐった。

 


 ステージの真ん中にある演説台について正面を向くと、強烈なスポットライトの光が目を焼いた。

 そしてそこには、数多の禁煙希望者たちがいる。禁煙外来には行きたく無い、それでも禁煙したい甘ったれたち。

 わたしの養分。


 大きく息を吸って、短く吐き出す。

「どうも皆さん、こんにちは。

禁煙のプロ、紫煙堂フィル太郎です」

 客席の空気が前のめりになったのを感じる。

 それでいい。

「寄席ではないのでさっさと本題に入りましょう。

 皆さんは煙草をやめたくてここに来ました。そうですね?

 禁煙をした事がある。そうですね?

 そして禁煙に失敗してしまった、しかしまた辞めたい。そうですね?」


 暗闇の中で頷いているのが分かる。

 当たり前だ。だからここに来ている。

「煙草をやめたくないのに高い金を払ってセミナーに来る人は、よほどの物好きでしょう」

 わたしが少し笑うと、禁煙に向けて高まった客席の緊張が少し解れたのを感じた。

「煙草、やめたいですね。

それなら、やめましょう!

……私はこれまでに18回の禁煙に成功しています」

 そこで”予定通り”に客席から笑い声が起こった。つられて笑う声も聞こえる。

 それでいい。


「あ、いま誰か笑いましたね。

ハハハ。

 いや、そうなんですよ。もう18回も禁煙に成功してる。

 ……おかしいですね。それは17回も禁煙に失敗しているじゃないか!何がプロだ!

 そう思いますか?

 頷かれている方、笑っている方……神妙な顔で頷いている方もいますね」

 そうだ、それでいい。

 わたしには分かる。全てが手に取るように!


「そうです、私は18回の禁煙に成功している。

 ……そしてそれは最初の禁煙以降、失敗した事が無い」

 ここで息を止める。

 矛盾。力強い断言。

 演説台に両手を置いて、大きく息を吸い込む。

 客席の空気が再び前傾姿勢になった。

「私は自分の意思で禁煙を止め、煙草を吸い、そして禁煙をしました。

 全て自分の意志に基づいてやった事です。  

 コントロールしている。

 なし崩しで吸う、惰性で吸う。

 それは禁煙の失敗です。

 しかし私のは違う。

 私は煙草の辞め方をしっている。

 禁煙の方法を知っている。

 だから煙草を吸ってもすぐに辞められる。

 だから断じて禁煙の失敗では無い」


 客席の熱気を感じる。そこに熱狂がある。

「いいですか?禁煙に失敗はありません。

 私はもちろん、あなた達もです。

 いいですか?煙草をやめた。

 それはやめようと思ったからです。

 煙草を吸った。

 それは吸いたいと思ったからです。

 いいですか?禁煙とは煙草を吸わない行為そのものをさします。

 煙草を吸いたくなくなる状態を表したものではありません。

 煙草を吸っていない状態、それを禁煙と呼びます」

 そう、今だって禁煙してるさ。

 わたしも、あなたたちも。でもここでそれに気付いて帰れる奴はいない。


 熱気が渦巻いて大きく頷く。

「……ダイエットに置き換えましょう。

それまでより食べなくなる日常、それがダイエットですよね?

 お酒、唐揚げ、スナック、ジュース。

 お米、ラーメン、ハンバーガー。

 際限なく食べていたそれを控える、ダイエットでしょう。

 それらを食べたくなくなる事ではありません。食べたいのを我慢する、それがダイエットです」


 客席の熱気。わたしの高揚。

 愛おしい瞬間。

「煙草だって同じです。吸わない日々、それが禁煙です。

 いいですか。

 まず吸いたいと思う自分を許してあげてください。

 吸いたいんです。

 やめようと思った、それでも吸いたい。

 吸っちゃダメなんて事はありません。

 吸いたいんです。

 今だって吸いたい。

 でも吸わない。

 そう決めたからです」

 “予定通り”に客席から「そうだ!」という声や拍手が聞こえた。

 掛け声や拍手は次第に大きくなり、巨大なうねりとなった。

 素晴らしい快感が背筋を貫いて、うっとりと目を閉じた。


 拍手が自然と止むのを待った。

 余韻が尾骶骨のあたりを撫でている。

「ひとは禁止されると余計に魅力を感じてしまうものです。

 幼い頃に見たビデオ屋にあったピンクの暖簾。

 公園にあった爆竹禁止の立て札。

 昔話で言うと、恩返しにきた鶴。

 そうです。

 自身に禁止をするから余計にやりたくなる。

 煙草を禁止するから吸いたくなる。

 もうね、吸いたい時は素直に吸いたいと思いましょう。

 吸いたい時は素直に吸いたいと言いましょう」

 喫煙の許しを得た客席がはち切れんばかりの喜びを感じる。

 ここだ。


「さぁ、みんなで!

 ……吸いたい!」

 恐る恐ると言った感じのレスポンス。

「ほら、みんなで!

 ……吸いたい!」

 まだだ、まだ足りない。


「もっと大きな声で!

……吸いたい!」

 ちらほらと聞こえていた声が揃い始める。

「吸いたい!」

「「「吸いたい!」」」

「吸いたい!」

「「「「「吸いたい!!」」」」」

「吸いたい!」

「「「「「「「吸いたい!!!」」」」」」」


 再び大きく息を吸う。

「……どうですか?少しスッキリしませんか?

 吸っちゃダメだと思ってた時より、幾分マシな心境じゃないですか?

 これで足りなければ、指にエア煙草を挟んで吸ってから、吸いたいと叫びましょう。

 大丈夫、あなたはあなたをコントロールできます。

 あなたはあなたの脳を洗脳できます」


 客席が抱いた希望が光って見えるようだった。

「試しに一週間、これを実践してみて下さい。以前より遥かにラクに禁煙状態が続くはずです。

 喉の具合も良くなります。

 ご飯の味も良くなります。

 お金だって減らない。

 もしどうしても煙草を吸いたくなった、そして吸ってしまった時は、禁煙の失敗と自分を責めるのをやめましょう。

 単なる禁煙の一時停止、休憩です」


 そんな訳が無いだろう。

 しかし、客席はすっかり熱狂している。

「あなたは自分の意思で吸いたいと思い、煙草を買い、火をつけて吸った。

 それでいいんです。

 そうして飽きたら、また禁煙を再開しましょう。

 素晴らしい禁煙生活に幸あれ!!」

 わたしの叫びに呼応して起こった拍手は、実に自然なものだった。

 手を振りながら演説台を離れ、舞台袖に控えていた営業代表に交代して楽屋に戻った。


 控え室に戻って席に座ったと同時に、付き人たちが煙草とアイスコーヒーを差し出した。

「お疲れ様です」

「あぁ」

 付き人の差し出すライターで煙草に火をたける。紫色の煙が舞う。

 ドアがノックされて、濃紺のスーツを着た政府の役人たちが入ってきた。


「ありがとうございます。これで昨今の禁煙ブームによる税収の下落を緩和することができます……」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ