【幕間】庭師の憂鬱と、赤色の献身
今回は視点を変えて、ロミオ様の内面をお届けします。 彼の目に、世界はどう映っているのか。 なぜ笑顔で婚約者を殺せたのか。 その歪みきった「愛の論理」を覗いてみましょう。
世界は、耳障りな騒音と、吐き気を催すような汚物で満ちている。
僕は物心ついた頃から、そう確信していた。
夜会で交わされる貴族たちの虚飾に満ちた会話、領民たちの卑しい欲望が渦巻く視線、父上が厳かに説く「家の名誉」という名の錆びついた呪縛。
どれもこれもが、僕の神経を逆撫でする不快なノイズだ。
色彩のない、色あせたモノクロームの映画を延々と強制的に見せられているような、退屈で、息が詰まる日々。
けれど、あの日。
空というキャンバスを引き裂いて、彼女が降ってきた瞬間。
僕の世界は、暴力的なまでの鮮烈な「色」を取り戻した。
「――なんて、綺麗なんだろう」
彼女の名前は澪。
圧倒的な力で盗賊たちを彼方へ吹き飛ばしたその姿は、破壊的でありながら、産声を上げたばかりの赤子のように無垢で、神々しかった。
脳髄が痺れ、魂が打ち震える音が聞こえた。
ああ、やっと見つけた。
この腐りきった世界の大地に咲いた、たった一輪の、奇跡のような穢れなき花。
彼女だけが「真実」だ。
彼女以外の全ての人間も、風景も、彼女の美しさを際立たせるための背景美術に過ぎない。
だというのに。
美しい花には、どうしてこうも醜悪な害虫が寄ってくるのだろうか。
◇
「ロミオ様! 説明なさい! あの泥棒猫はなんですの!?」
バン、と執務室の扉を開け放ち、怒鳴り込んできたのはエリザ・フォン・ドラグーン。
僕の婚約者だった女だ。
かつては、家柄も容姿も釣り合う「まあまあのパートナー」だと思っていた。
だが、本物の宝石である澪を知ってしまった今となっては、彼女の厚化粧も、頭蓋骨にキンキンと響く金切り声も、耐え難い騒音でしかない。
「……エリザ様。少し静かにしていただけないか。僕の澪が怯えてしまう」
「怯える? あんな化け物が? 貴方は騙されているのよ! あの女は平民のくせに魔術を使って……」
彼女は高価な扇子を振り回し、僕の愛しい女神をあろうことか「化け物」と呼んだ。
さらに、彼女は続けた。
自分の運命が終わることも知らずに。
「お父様に言いつけて、あの女を処刑してやりますわ! 八つ裂きにして、その首を城門に晒して……」
プツン。
僕の頭の奥で、細い糸が切れる音がした。
それは激情ではない。
僕はひどく冷静に、冷徹に、そしてある種の義務感に駆られて椅子から立ち上がった。
(ああ、そうだ。庭の手入れをしなければ)
手塩にかけた美しい花壇に、見苦しい雑草が生えていたら、抜くのは当然だ。
蕾を食い荒らそうとする毛虫が薔薇の葉についていたら、指で潰すのは当たり前のことだ。
これは「殺人」ではない。「環境整備」だ。
澪という至高の存在が、誰にも邪魔されず、快適に、美しく咲き誇るための聖なる作業。
「……エリザ様」
「な、なんですの、その冷たい目は……?」
僕は机の引き出しから、手紙を開封するためのペーパーナイフを取り出した。
ミスリル銀で作られた、鏡のように美しい鋭利な刃。
僕は微笑みながら、彼女との距離を優雅に詰める。
「君は、僕たちの愛の巣には不要なパーツだったようだ」
「は……? 何を言って……いや、来ないで、ロミオ様!?」
彼女が悲鳴を上げ、その不快な音波を撒き散らす前に、僕はその口を片手で強く塞いだ。
腕の中で暴れる体。恐怖に見開かれる瞳。
可哀想に。彼女もまた、この狂った世界の被害者なのだ。
僕と澪という「絶対的な運命」に出会ってしまったがゆえに、舞台からの退場を余儀なくされた哀れな端役。
僕は彼女の白く無防備な首筋に、静かに、優しく刃を滑らせた。
躊躇いはなかった。
枯れた枝をパチンと切り落とす庭師のように、僕は正確に、彼女の命を摘み取った。
ドサリ、と肉塊が床に崩れ落ちる。
赤い血がペルシャ絨毯に広がり、鉄の匂いが部屋に充満する。
汚い。早く掃除をさせなければ。
アステルに言えば、死体ごとうまく処理して、「不運な盗賊の仕業」に書き換えてくれるだろう。
彼は優秀で、忠実な裏方だ。
僕はシルクのハンカチで指についた温かい血を拭う。
ふと、窓の外を見た。
中庭では、逃げようとして失敗した澪が、アステルの部下たちに囲まれて震えているのが見えた。
「……ああ、可愛い澪」
あんなに怯えて。小鹿のように震えて。
きっと、外の世界が怖いんだね。
大丈夫だよ。僕が守ってあげる。
君を脅かす害虫は、たった今、一匹残らずこの手で駆除したからね。
僕は鏡を見て、笑顔を確認した。
いつもの、優しく、甘い、完璧な「ロミオ様」の笑顔。
これを見せれば、彼女はきっと安心して、僕の腕の中に飛び込んでくるはずだ。
「待っていてくれ、僕の女神。……今、最高に愛していると伝えに行くからね」
僕は血の付いたハンカチを暖炉の火に放り込むと、鼻歌交じりの軽い足取りで部屋を出た。
胸いっぱいの純粋な愛と、少しばかりの甘い狂気を抱えて。
「これは殺人ではない。環境整備だ」
怖すぎます。完全にサイコパスの思考回路です。 彼にとって澪以外は「背景」か「害虫」でしかないことが、これ以上なく明確になりました。 本人は至って冷静に、善行のつもりでやっているのが一番のホラーですね。
このロミオ様の、純粋すぎてドス黒い愛に戦慄した方は、 ぜひ下にある【☆☆☆☆☆】から評価、ブックマーク登録をお願いします! (あなたの評価が、澪の生存本能を高めます……)




