【第2章】最初の発動と、最初の歪み
転生して5分で巨大狼に遭遇。 いきなりのハードモードですが、神様からもらった「身体能力MAX」が火を吹きます。 そして、運命の(あるいは致命的な)出会いが……。 第2章、呪いの発動です。
「ガルルルル……ッ!」
転生して、わずか五分。
私の第二の人生は、早くも幕引きを迎えようとしていた。
目の前に立ちはだかるのは、涎を垂らした巨大な狼の群れ。
その巨体は軽トラックほどもあり、鋼のような筋肉が毛皮の下で波打っている。
地球の生態系から明らかに逸脱した、死の捕食者たち。
鼻をつく獣臭と、腐肉の匂い。
「う、嘘でしょ……いきなりハードモードすぎる!」
恐怖で引き攣る足を叱咤し、私は踵を返して走り出した。
かつての体なら、三歩で追いつかれていただろう。
だが、今の足は風を纏ったように軽い。
それでも、背後から迫る荒い鼻息と、地面を抉る爪の音は、絶望的な距離で私を追い立てる。
食べられる。咀嚼される。
せっかく生き返ったというのに、また痛みを味わって死ぬのか。
思考が白く染まる。
パニックに陥った私は、生存本能の命ずるまま、無我夢中で腕を振った。
視界の端、先回りをしていた一匹が、顎を限界まで開いて飛びかかってくるのが見えた。
喉の奥の闇まで見えるほどの至近距離。
「き、来ないでぇぇぇッ!!」
悲鳴は喉を引き裂き、私は拒絶の意思を込めて、裏拳気味に腕を突き出した。
ドゴォォォォンッ!!
肉を打つ音ではない。
ダンプカー同士が正面衝突したような、重く鈍い破壊音が鼓膜を揺らした。
……え?
恐る恐る、固く閉ざしていた瞼を持ち上げる。
そこにあるはずの、巨大な狼の姿がない。
代わりに、遥か上空、雲の切れ間へと向かって、キラーンと瞬く星のように遠ざかる黒い点が見えた。
「……は?」
思考が停止する。
周囲を取り囲んでいた他の狼たちが、目に見えて動揺し、後退りしたのがわかった。
今の、私がやったの?
ただ、虫を払うように腕を振っただけで?
神様の軽薄な声が脳裏でリフレインする。
『身体能力・限界突破(MAX)』。
「もしかして、私……めちゃくちゃ強い?」
確認するように、地面を軽く爪先で蹴ってみる。
ヒュンッ!
世界が置き去りになった。
景色が線となって後方へ流れる。
いや、私が音速の領域へ踏み込んだのだ。
突風が木々を薙ぎ倒し、自身の制御不能なスピードに、私の叫び声さえも遅れて聞こえる。
「速すぎぃぃぃぃぃッ! 止まり方なんて聞いてないぃぃぃッ!」
迫り来る森の切れ目。
緑の絨毯のような草むらが見える。
あそこに飛び込めば、摩擦で止まれるかもしれない。
私は祈るような気持ちで、勢いよく跳躍した。
しかし、その判断は致命的なミスだった。
草むらの先。そこには、地面が存在しなかったのだ。
「――っ、崖ぇぇぇぇぇぇ!?」
浮遊感は一瞬。
すぐに強烈な重力が私を捕らえ、数十メートル下の街道へと真っ逆さまに引きずり込んだ。
◇
眼下の街道では、鉄と鉄がぶつかり合う音が響いていた。
豪奢な衣装を泥に汚した貴族の青年と、彼を庇うように立つ銀鎧の騎士。
二人を取り囲むのは、薄汚い凶器を手にした盗賊の一団だ。
「ちっ、数が多いな……! ロミオ様、下がってください!」
「すまない、アステル。僕が足を引っ張って……」
張り詰めた空気、命のやり取りが行われる戦場。
そんなシリアスな舞台へ、空から少女という名の爆弾が投下される。
「どいてええええええええ!!」
「「え?」」
ズドォォォォォォォン!!
大地を揺るがす着地音と共に、土煙が高く舞い上がった。
足裏に伝わる、奇妙に柔らかい感触。
私はどうやら運良く(?)、盗賊の一人をクッションにして着地したらしい。
哀れな盗賊Aは、白目を剥いて沈黙している。
「い、痛ったぁ……。な、なんとか生きてる……?」
瓦礫の山から這い出るように顔を上げると、そこには凍りついた時間があった。
貴族の青年も、騎士も、残りの盗賊たちも、武器を構えたまま彫像のように私を凝視している。
「て、手前ェ! よくも兄貴をやりやがったな!!」
静寂を破ったのは、復讐に燃える盗賊の一人だった。
血走った目でナイフを構え、襲いかかってくる。
殺気。肌を刺すような、明確な害意。
さっきの狼とは違う、人間のドス黒い悪意が私に向けられている。
心臓が早鐘を打ち、呼吸が浅くなる。
怖い、嫌だ、助けて。
防衛本能が過剰に反応し、体の中の安全装置が、カチリと音を立てて外れた。
「や、やめてくださいッ!!」
悲鳴と共に、私は両手を突き出した。
その瞬間。
世界そのものが、歪んだような錯覚を覚えた。
ゴォォォォォォォッ!!
私の華奢な掌から放たれたのは、魔法などという生易しいものではない。
空間そのものを圧殺する、純粋な「衝撃波」の暴力。
切っ先を向けていた盗賊だけでなく、後方にいた残党までもが、枯葉のように宙を舞い、岩壁に叩きつけられて沈黙した。
一瞬だった。
戦闘というプロセスを飛び越え、結果だけがそこに転がっていた。
「……あ」
やってしまった。
手のひらが熱い。血管の中を、得体の知れないエネルギーが奔流している。
恐る恐る、助けた(ことになってしまった)二人組の方を振り返る。
「あ、あの……大丈夫ですか? 怪我は……」
言葉は、途中で霧散した。
何かが、おかしい。
貴族の青年――ロミオと、騎士のアステル。
二人は、倒れた盗賊たちの生死など確認しようともせず、瞬きさえ忘れて、私を凝視していた。
その瞳の奥にある理性の光が、急速に塗りつぶされていく。
透明な水に、漆黒のインクを一滴落としたように。濁った色が広がっていく。
「……ああ」
ロミオが、夢遊病者のような足取りでふらりと歩み寄ってくる。
整った顔立ち、育ちの良さを感じさせる優雅な所作。
けれど、その瞳孔は限界まで開ききっていた。
「見つけた。……僕の、運命」
彼は私の手を取り、土や血で汚れていることも厭わずに、愛おしげに頬ずりをした。
距離が、近すぎる。
初対面の人間に対する礼節の範囲を、遥かに超えている。
「え、あ、あの?」
「すごい……なんて美しい力だ。君が僕を助けてくれたんだね? 僕のためだけに、その力を使ってくれたんだね?」
ロミオの言葉には、どこか陶酔した、熱っぽい響きがあった。
自分の世界だけで完結しているような、一方的な解釈。
背後では、騎士のアステルが地面に膝をつき、まるで聖女を崇める信徒のように私を見上げている。
「……この力、この輝き。俺が守るべき主は、王家などではなかった」
アステルの呟きが、冷たい風に乗って耳に届く。
彼は抜身の剣を鞘に納めることなく、血濡れた刀身を強く握りしめた。
自らの掌から赤い血が滴り落ちる痛みさえ愉悦に変えるように、恍惚とした表情を浮かべている。
「貴女だ。貴女だけが、俺の命を捧げるに値する」
ゾクリ、と背筋に冷たいものが走った。
感謝されているはずなのに。褒められているはずなのに。
どうしてこんなに、怖いんだろう。
二人の視線が、物理的な重みを持って私の肌にまとわりつく。
それは、逃げ道を塞ぐ鎖のように、重く、冷たく、決して解けることはない予感を孕んでいた。
◇
それから私は、「命の恩人」として彼らの屋敷へ招かれることになった。
丁重に辞退しようとした私の言葉を、ロミオは「恩人を野宿させるわけにはいかない」という完璧な笑顔で封じ込めた。
その笑顔の裏には、有無を言わせない圧迫感と、逃がさないという暗い情熱が見え隠れしていた。
通されたのは、屋敷で最も上等な客室。
体を包み込むふかふかのベッド。
舌がとろけるような美味しい食事。
けれど、私は一睡もできずに、暗闇の中で膝を抱えていた。
部屋の外。分厚い扉の向こうの廊下。
気配がするのだ。
コツ、コツ、という足音ではない。
じっ、とそこに佇んで、息を殺し、扉一枚隔てたこちらの様子を窺っている気配。
鍵穴から、扉の隙間から、ドロリとした重苦しい執着が漏れ出してきそうなほどの、濃密な気配。
(……気のせいだよね。疲れてるだけだよね)
私は布団を頭から被り、震える体を自らの腕で抱きしめる。
でも、本能がけたたましく警鐘を鳴らしていた。
あの時、あの場所で、不用意に力を使ってしまった瞬間から。
何かが決定的に、取り返しのつかないほどに、狂ってしまったのだと。
暗闇の中で、無数の視線を感じる。
壁の向こうから。天井裏から。床下から。
――見られている。
ずっと、彼らの「愛」という名の監視下に、私はもう囚われているのだ。
普通なら「助けてくれてありがとう」で終わるはずなんです。 でも、彼らの目は違いました。
瞳孔が開く音、理性が切れる音。 まさに「吊り橋効果」ならぬ「呪い効果」で、一瞬にして重すぎる愛に目覚めてしまったロミオとアステル。
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