【第1章】神の手違いと、最悪の祝福
プロローグの監禁生活から、少し時間を巻き戻します。
現代日本で事故死した澪。 彼女がなぜ、あんな「愛の地獄」に堕ちてしまったのか。 すべての始まりは、ある「軽薄な神様」との出会いからでした。
時間を、少しだけ巻き戻そう。
私の魂がまだ重力を持ち、ありふれた日常という名の「自由」を謳歌していた、あの頃へ。
「――えー、誠に申し上げにくいのですが。如月澪様。貴女の死は、完全に私の手違いでした!」
視界のすべてが白で塗りつぶされた空間。
そこで、軽薄そうな青年――自称『神』は、悪戯が見つかった子供のようにテヘッと舌を出した。
言葉の意味が、脳に浸透しない。
「……は?」
乾いた声が漏れる。
私は呆然と立ち尽くしていた。
記憶のフィルムが急速に回転する。
深夜のコンビニから漏れる蛍光灯の白さ、指に食い込むビニール袋の重み。点滅を始めた青信号。
そして、鼓膜をつんざくスキール音と、視界を埋め尽くすトラックのヘッドライト。衝撃――。
享年十八歳。
合格通知を受け取り、新しい春を待ちわびていた私の人生は、そこでプツリと断絶していた。
「いやー、本当は隣を歩いていたヨボヨボのお爺ちゃんを呼ぶ予定だったんですけどね? うっかりリストの行を見間違えちゃって。ドンマイ!」
「ドンマイ、じゃなーい!!」
腹の底から怒号が迸った。
冗談じゃない。リストの読み間違いで、私の十八年間は無に帰したというのか。
「生き返らせて! 今すぐ! 私にはまだ、やりたいことが山ほどあるの!」
「あ、それは無理です。物理的に不可能なんですよ。貴女の肉体、もうとっくに火葬して灰になっちゃったんで」
「……仕事が早すぎるよ!?」
自分の体が既にこの世に存在しないという事実に、目眩がした。
私の指も、髪も、心臓も、すべて燃え尽きたのだ。
「ルール上、元の世界への復帰は不可能です。その代わりと言ってはなんですが……異世界転生、興味ありません?」
神様は悪びれる様子もなく、空中に指を走らせた。
まるで旅行代理店が格安ツアーを勧めるように、極彩色の映像が浮かび上がる。
剣と魔法。石造りの街並み。物語の中でしか見たことのない、幻想的な風景。
「この世界『アルカディア』で、第二の人生をプレゼントします! もちろん、私の初歩的なミスなんで、特別なお詫び(チート)もつけますよ!」
彼が指をパチンと鳴らした瞬間、私の輪郭が淡い光に包まれた。
「えーと、大サービスしときますね。
【身体能力・限界突破(MAX)】!
【魔力・測定不能(MAX)】!
さらにおまけで、この世界のあらゆる叡智にアクセスできる【賢者スキル】もセットで!」
光の粒子が皮膚を通り抜け、内側へと染み込んでくる。
血管を流れる血液が、マグマに変わったかのような熱さ。
身体の奥底から、自分の器には収まりきらないほどの莫大な力が、奔流となって湧き上がってきた。
「ちょっと、そんな極端な能力いりません! 私はただ、普通に暮らせれば……」
「いいえいいえ、か弱い女の子の一人旅ですからね。最強くらいがちょうどいいんです! あ、そろそろ転送のお時間だ」
私の足元から、世界が透け始めた。
存在が希薄になり、次元の狭間へと溶けていく感覚。
「待って! その力、何か副作用とかないの!? うまい話には裏があるって相場が決まってるでしょ!?」
「あー……まあ、強力すぎる力には、それ相応の代償がつきものと言いますか……」
神様の視線が、ふいと泳いだ。
その瞳の奥に、微かな後ろめたさと、嗜虐的な色が混ざった気がした。
私の姿が完全に消失する直前、彼は何かをごまかすように、早口で告げた。
「ま、モテるようになるから大丈夫大丈夫! それじゃ澪ちゃん、良い来世を~!」
「ちょっと待てコラ神ぃぃぃぃぃ――!!」
私の絶叫は、誰の耳にも届くことなく、次元の彼方へと吸い込まれていった。
◇
瞼を押し上げる光に誘われて目を開けると、そこは緑の匂いが充満する、鬱蒼とした森の中だった。
木漏れ日がレースのように地面を彩り、吸い込んだ空気は甘く澄んでいる。
恐る恐る体を動かしてみる。
軽い。重力という概念から解き放たれたかのように、羽が生えたような軽やかさだ。
試しに、近くの大木を指先で軽くつついてみた。
ズボッ、と湿った音がして、硬い樹皮が豆腐のように穿たれた。
「……本当に、チートだ」
私は、木屑のついた自分の人差し指を見つめる。
これだけの力があれば、何があっても生きていける。
凶悪なモンスターが来ても、悪意を持った人間が来ても、自分の身は自分で守れるはずだ。
そう、この時の私は、まだ楽観していたのだ。
神様が別れ際に放った「モテるようになる」という言葉の真意を。
そして、この規格外の力が引き起こす『代償』の恐ろしさを、何一つ理解していなかった。
ガサガサッ――。
背後の茂みが揺れ、静寂が破られた。
振り返った私の網膜に焼き付いたのは、殺気を孕んだ金色の瞳。
凶暴な牙を剥き出しにした、巨大な狼の群れが、そこにいた。
「これだけの力があれば、何があっても生きていける」
……フラグです。残念ながら、その力が原因で生きていけなくなります。 神様の言った「モテる」の定義が、人間の常識とかけ離れていることに澪はまだ気づいていません。
次回、森の中で最初の「被害者」と遭遇します。 物理で殴るか、魅力で狂わせるか。 続きが気になる方は、ぜひブックマーク登録をしてお待ちください!




