【第12章】希望を守るという罪
決闘に勝利し、平和な朝……とはいきませんでした。 目覚めれば、枕元には三人の男たち。 新加入のエリオット様が、財力と権力という新たな「武器」を引っ提げて参戦です。 逃げ場のない第12章、始まります。
決闘で使い果たした魂の疲労から、私は泥の沼に沈むように、深く重い眠りについていた。
その光の届かない闇の底で、またあの男が現れた。
「……やってくれたね」
視界いっぱいに広がるのは、動脈血のような鮮烈な赤。
不機嫌そうに頬を膨らませた黒い翼の少年――悪魔が、私の顔を覗き込んでいた。
その瞳は、玩具を壊された子供のように冷え切っている。
「【世界改変】なんてバグ技、よく見つけたものだ。あれは管理者が使うデバッグ用コマンドだから、本来はユーザーなんかが触っちゃいけない領域なんだよ?」
「……知るもんか。私は勝ったわ。私の意志で」
「勝った? 本当に?」
悪魔は唇の端を吊り上げ、空中に赤黒いノイズ混じりのウィンドウを展開した。
そこには、決闘直後の映像――。
かつての敵、エリオット様が、恍惚とした表情で私にひれ伏し、靴に頬擦りする姿が映し出されていた。
「君は『殺さない』ために魔法を使った。でも、魔法が切れた瞬間の反動で、普段の十倍濃縮の『呪い』を彼に浴びせてしまった。結果、彼は君の忠実で狂信的な下僕になったわけだ」
「っ……!」
「君が足掻けば足掻くほど、蜘蛛の巣は複雑に絡まる。……今回は見逃してあげるけど、次にまたシステムに干渉したら、ペナルティを与えるからね」
悪魔の目が、爬虫類のそれのように細められ、縦に割れた。
「次は、女にも呪いが効くように設定変更を当てる。君の頼みの綱である皇女様も、あの女教官も、全員君を襲うゾンビにしちゃうよ? 想像してごらん。世界中の人間が、君を犯そうと迫ってくる地獄を」
「そ、そんなこと……!」
「嫌なら大人しく愛されてなよ。……鳥かごの鍵は、もう捨てちゃったからさ」
◇
ガバッ!
ハッとして、空気を求めて跳ね起きた。
心臓が早鐘を打っている。そこはいつもの客室だった。
けれど、風景は劇的に、そして絶望的に変わっていた。
「おはよう、僕の女神」
「お目覚めですか、澪様」
「……ああ、寝顔すら神々しい……生きていてよかった……」
ベッドの周りを、三人の男が壁のように囲んでいた。
右に、甘い微笑みのロミオ様。
左に、絶対的な忠誠を湛えたアステル。
そして足元には、昨日私と命のやり取りをしたはずのエリオット様が、当然の権利のように正座し、私の布団の端を握りしめていた。
「……どうして、エリオット様がここに?」
私の乾いた問いに、エリオット様は春の陽だまりのような笑顔で、とんでもないことを口にした。
「私がこの屋敷を買い取りましたから」
「……はい?」
「公爵家の資産を切り崩し、この周辺の土地ごと買い上げました。これでロミオ殿に気兼ねなく、二十四時間、貴女のお側に侍ることができます」
「妹さんの……エリザ様の復讐は?」
私が恐る恐る尋ねると、彼はキョトンとして、それから記憶の彼方にある塵でも思い出すように、うっとりと微笑んだ。
「エリザ? ああ、あの愚かな妹のことですか。……感謝していますよ。彼女の死のおかげで、私は貴女という真実の愛、世界の真理に出会えたのですから」
ゾッとした。
背筋を氷の指でなぞられたような悪寒。
肉親の死さえ、彼にとっては「澪に出会うための舞台装置」に書き換えられている。
かつての誇り高き貴族の姿はどこにもない。ここにあるのは、私という麻薬に脳髄まで浸された、末期の中毒者だけだ。
「さあ、澪。着替えようか。今日は僕が手伝うよ」
「いいえ、私が。騎士としてお守りしながら、肌に傷一つないか確認を……」
「退け雑種ども。女神の聖なる肌に触れていいのは、公爵家の血筋だけだ」
三人の男たちが、笑顔を崩さぬまま、視線だけで火花を散らす。
ロミオ様の「資産と歪んだ優しさ」。
アステルの「武力と盲目的な忠誠」。
エリオット様の「権力と狂信」。
三方向からの重すぎる愛が、部屋の空気を真空のように吸い尽くしていた。
呼吸ができない。
逃げ場がない。
物理的にも、社会的にも、私は完全に「詰んで」いた。
◇
その日の午後、キャス様とノース皇女が様子を見に来てくれた。
応接間に通されたけれど、同席した三人の男たちの視線が、絶対零度まで冷え切っている。
「……体調はいかがですか、澪様」
キャス様が、白杖を手に心配そうに声をかけてくれる。
その純粋で優しい声を聞いた瞬間、私は張り詰めていた糸が切れ、泣き出しそうになるのを必死に堪えた。
助けて。ここから連れ出して。
喉元まで出かかった言葉を、私は飲み込んだ。
気づいてしまったからだ。
ロミオ様たちが、キャス様を見る目つきに。
それは、恋敵を見る目ですらない。「自分たちの所有物に近づく不快な害虫」を見る、無機質な殺意の目だ。
もし私がここで、キャス様に助けを求めれば?
もし私が、彼にほんの少しでも好意を見せれば?
彼らは迷わず、キャス様を殺すだろう。あのセイルさんの時のように、ゴミを掃除する感覚で。
(……隠さなきゃ)
私はドレスの裾を拳で握りしめ、心臓を引き裂く思いで、わざと冷たい声を張り上げた。
「……大丈夫です。わざわざ来てもらわなくても」
「え?」
「昨日の怪我も治りましたし、今は少し、疲れているので……帰っていただけますか?」
キャス様が、驚いたように少しだけ顔を上げた。
その表情に走る動揺が、私の胸を刺す。
ごめんなさい。ごめんなさい。
私は心の中で、血を流しながら謝り続ける。あなたを守るには、突き放すしかないの。嫌われるしかないの。
キャス様は一瞬、寂しげな陰りを瞳に浮かべたが、すぐに穏やかな微笑みを取り戻した。
「……そうですか。無理をなさらないでくださいね」
「おい神官、聞こえなかったか? 澪がお前を不快だと言っているんだ。さっさと失せろ」
エリオット様が威圧的に言い放つ。
キャス様は静かに一礼し、皇女と共に部屋を出て行った。
パタン、と扉が閉まる。
これでいい。これで、彼はターゲットから外れるはず。
私は誰にも気づかれないよう、安堵の息を吐いた。
しかし。
顔を上げると、三人の男たちが、微動だにせず、無言で私を見つめていた。
「……澪」
ロミオ様が、探るように、冷たい指先で私の頬に触れた。
「どうして、泣きそうな顔をしているんだい?」
「え……」
「あの盲目の男を追い返すとき、貴女の心臓の音が、通常の倍の速さで脈打っていました」
アステルが低い声で、事実だけを淡々と告げる。
「まさか、あの男に『特別な感情』を抱いているわけではありませんよね?」
心臓が、凍りついたように止まった。
バレている。
私の拙い演技など、私という存在を細胞レベルで観察している彼らには、ガラス張りのように筒抜けだったのだ。
「ち、違います! ただ、追い返すのが申し訳なくて……」
「そうですか。ならいいのです」
エリオット様が口元だけで笑った。
けれど、その目は深淵のように暗く、光を吸い込んでいた。
「ですが、念のため……『掃除』しておいた方がいいかもしれませんね。貴女の清らかな心を乱す不純物は、一つたりともこの世に残しておくべきではない」
三人の視線が交錯する。
彼らは互いに憎み合っている。
けれど、「澪の関心を奪う男の排除」という一点においてのみ、彼らの意思は完全に、恐ろしいほどに統一されていた。
私は血の気が引いていくのを感じた。
逆効果だった。
守ろうとした行動が、彼を明確な「共通の敵」に仕立て上げてしまったのだ。
もはや、一刻の猶予もない。
私が愛する「希望」が殺される前に、私が動かなければ。
「心臓の音が、通常の倍の速さでした」
怖すぎます。アステルさん、人間嘘発見器ですか。 嫌われたフリをして遠ざけようとする「善意の嘘」が、彼らには通じないどころか、「害虫駆除」の決定打になってしまいました。
このヤンデレたちの高性能っぷり(?)にゾクッとした方は、 ぜひ下にある【☆☆☆☆☆】から評価、ブックマーク登録をお願いします! 澪の明日はどっちだ……!




