【第10章】禁じ手への賭け
ついに決闘の日。 相手は公爵家の精鋭騎士10人。対する澪は、武器を持たず、裸足のドレス姿。 「殺さず、壊さず」 圧倒的な不利な条件で、澪がマストル教官に乞うた「戦い方」とは。
決闘当日の朝。
空は、私の心の内を知ってか知らずか、残酷なほど突き抜けるような蒼穹だった。
私はアステルの粘着質な監視を、「最後に一人で精神統一をしたいから」というもっともらしい理由で振り切り、ギルドの訓練場へと駆け込んだ。
肺が焼けるような思いで辿り着いた先、腕を組んで待っていたのは、教官のマストルさんだ。
「おいおい、これから死合いだってのに、稽古をつけてくれだぁ? 正気か?」
マストルさんは呆れたようにため息をつき、巨大な木剣を軽々と肩に担いだ。
「正気です。お願い、マストルさん。教えてください」
私は深く、地面に額がつくほど頭を下げた。
「一分間で、十人の完全武装した騎士を、『殺さずに』無力化する方法を」
マストルさんの目が点になり、時が止まる。
それから、心底馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「ハッ! 舐めるなよ嬢ちゃん。相手は公爵家の精鋭だぞ? 殺す気でやって、内臓の一つや二つ持ってかれて、ようやく相打ちってところだ。殺さず? 寝言は棺桶の中で言え」
「寝言じゃありません! 私は……もう誰も殺したくないし、壊したくないんです!」
喉が裂けんばかりの私の悲痛な叫びに、マストルさんの表情から嘲笑が消えた。
彼女は鋭い眼光で、私の瞳の奥底を覗き込む。
そこにあるのが力の驕りではなく、切羽詰まった恐怖と、血を吐くような決意であることを見抜いたようだ。
「……チッ。変な嬢ちゃんだね」
彼女は木剣を無造作に放り投げ、素手で構えた。
その背中から、歴戦の覇気が立ち上る。
「いいか。力に頼るな。あんたの馬鹿力なら、指一本で人間の頭蓋骨なんて熟れた果実みたいに砕けるだろうが、それじゃ意味がない。狙うのはここだ」
彼女は自分の顎の先端、鳩尾、関節の継ぎ目を指差した。
「人間の体には『スイッチ』がある。そこを正確に、針を通すように、最小限の力で突け。意識の回路を断ち切れ。骨の噛み合わせを外せ。……あんたの速度があれば、相手が剣を抜くコンマ数秒前に、すべてを終わらせられるはずだ」
訓練が始まった。
それは、戦いの練習というよりは、己の暴走する魂を鎖で縛り付けるような苦行だった。
【身体能力MAX】という奔流のような出力を、蛇口を閉めるように極限まで絞り込む。
【賢者スキル】で相手の骨格構造、筋肉の動きを透視するように解析する。
全力で殴るのは簡単だ。呼吸をするより容易い。
けれど、薄氷の上で踊るように、卵を割らないように岩を砕くような精密動作は、精神をやすりで削るような疲弊をもたらす。
何度もマストルさんに投げ飛ばされ、土にまみれながら、私は必死に「加減」という技術を細胞の一つ一つに叩き込んだ。
無情にも時は過ぎる。
タイムリミットまで、あと数時間。
◇
「――甘いな」
訓練の休憩中、頭上から冷ややかな声が降ってきた。
荒い息を整えながら見上げると、観覧席にノース皇女が立っていた。
彼女は腕を組み、研ぎ澄まされた刃のような瞳で私を見下ろしている。
「殺さず、だと? 戦場を子供の遊び場と勘違いしているのか」
「遊びじゃありません」
「なら、なぜ全力を出さない。相手はお前を殺しに来る。嬲り者にして、肉片に変えるつもりだ。それに対して『手加減』など、戦士への最大の侮辱であり、何より愚かな自殺行為だぞ」
皇女様の言葉は、氷のように冷たく、そして正しい。
戦いの常識で言えば、私は救いようのない愚か者だ。
でも。
「……それでも、殺したくないんです」
私は土で汚れた、自分の震える両手を見つめた。
「私が力を使えば、彼らは狂ってしまう。私が誰かを傷つければ、血の匂いに誘われて、もっと多くの狂気が集まってくる……」
ロミオ様たちがエリザ様を排除したように。セイルさんをゴミのように消したように。
私の暴力は、より大きな狂気を呼び寄せる極上の餌にしかならない。
「私は、人間として勝ちたいんです。圧倒的な化け物として君臨するんじゃなくて……ただの女の子として、あの人たちの押し付ける『呪い』を否定したい」
それが、キャス様が信じてくれた「私」だから。
皇女様はしばらく沈黙し、やがてふっと、諦めたように息を吐いた。
「……どうやら、ただの世間知らずではないようだな」
彼女はカツカツと階段を降り、私の前に立った。
そして、ぶっきらぼうに、けれど確かな重みを持って私の肩をポンと叩いた。
「いいだろう。その『甘さ』が、この残酷な世界でどこまで通じるか見せてもらう。……死ぬなよ、如月澪」
それは、皇女としての命令ではなく、彼女なりの不器用なエールだった。
◇
そして、正午。
太陽が天頂に達し、影が消える刻。
街の中央にある円形闘技場は、異様な熱気と殺気に包まれていた。
すり鉢状の観客席には、怖いもの見たさの市民たちと、ロミオ様が手配したサクラの貴族たちが隙間なくひしめいている。
欲望と好奇心の視線が、物理的な圧力となって私に降り注ぐ。
「さあ! 神明裁判の始まりだ!」
対面に並ぶのは、陽光を鈍く弾く、全身黒い魔鉄鋼の鎧で固めた十人の騎士たち。
それはまるで、鋼鉄の壁だった。
その中央には、復讐の鬼と化したエリオット様がいる。
「覚悟はいいか、魔女め! その四肢を一本ずつ切り落とし、妹の墓前で詫びさせてやる!」
剥き出しの殺気が肌を刺す。
私は真紅のドレスの裾をたくし上げ、熱を帯びた白い砂の上に裸足で立った。
武器は持たない。私の体そのものが、世界を壊しかねない凶器だから。
貴賓席を見上げれば、ロミオ様がワイングラスを片手に、オペラでも鑑賞するかのように優雅に微笑み、アステルが私の勝利を微塵も疑わずに腕を組んでいる。
その狂気の宴の片隅で、キャス様だけが、白い杖を握りしめ、祈るように両手を組んでいるのが見えた。
彼だけが、私のための祈りを捧げている。
(大丈夫。やれる)
私は深く、肺の底まで息を吸い込む。熱気と砂の匂い。
体内の、マグマのように暴れまわる魔力を練り上げる。
イメージするのは、世界の理を騙し、因果を書き換える60秒間の奇跡。
ゴォォォォォォォォン……。
銅鑼の音が、処刑の合図のように高らかに鳴り響いた。
エリオット様が剣を振り上げる。
(――今だ!)
『禁呪起動。【世界改変】!!』
私の唇から紡がれた音のない叫びと共に、世界が一瞬、ぐにゃりと歪んだ。
『禁呪起動。【世界改変】!!』
物理で殴るのを封印し、澪が選んだのは「世界の理を書き換える」ことでした。 制限時間は60秒。 果たして、この大博打は吉と出るか、凶と出るか。
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