【第7章】逃げ場のない選択
朝起きると、屋敷が軍隊に包囲されていました。 エリザ様の兄・エリオットによる復讐の軍勢です。 「街を焼く」と脅す彼に対し、ロミオ様は「焼かせればいい」と即答。 まともな人間がいない中、ついに「調停役」が現れます。
地響きのような不協和音が、朝靄のかかる静寂なコンテントの街を根底から震わせていた。
私は窓の外を見て、肺の中の空気をすべて吐き出し、息を止めた。
黒い鎧に身を包んだ兵士たちが、地平線を埋め尽くす黒い染みのように広がっている。
その数、数百。いや、千に近いかもしれない。
冷たい金属の煌めきが、朝日の下で波のようにうねっている。
伯爵家の屋敷を取り囲むように展開した軍勢の先頭、ひときわ威圧感を放つ騎乗の男が立っていた。
『――出てこい、魔女め!!』
拡声魔法によって増幅された怒号が、物理的な衝撃波となって窓ガラスをビリビリと震わせる。
エリオット・フォン・ドラグーン。
公爵家の嫡男であり、先日「賊に襲われて」理不尽に命を散らしたエリザ様の兄だ。
彼は血走った目で屋敷を睨みつけている。
その憎悪の炎は、物理的な距離を超えて私の肌を焼くようだ。
『妹を殺した「魔女」を引き渡せ! さもなくば、この街ごと灰にしてやる!』
彼の要求は明確で、絶対的だった。私の身柄だ。
愛する妹を惨殺された復讐。
捕まれば、ただの死刑では済まない。
想像を絶する拷問と陵辱が、私の肉体を待っているだろう。
「……あ、あぁ……」
歯が鳴る。私のせいで、戦争が起きる。
罪のない街の人々が巻き込まれて、焼かれ、死んでいく。
震える私の肩に、ふわりと温かい上着がかけられた。
「肌寒いね、澪。窓際は危ないよ」
ロミオ様だ。
外であれだけの軍勢が殺気を放っているというのに、彼は優雅に、まるでピクニックに来たかのように紅茶の香りを楽しんでいる。
「ロ、ロミオ様! 大変です、軍隊が……!」
「ああ、エリオット卿か。妹思いの彼らしい、情熱的な朝の挨拶だね」
「そんな悠長な……! 彼らは本気です! 街を焼くと言っています!」
私はロミオ様の腕を掴み、必死に訴えた。
しかし、彼は私の手を取り、震える指先にそっと口づけを落とすだけだった。
「焼かせればいい」
「……え?」
「あんな薄汚い街の一つや二つ、君の髪一本の価値もない。君が悲しむくらいなら、世界なんて滅んでしまったほうがマシだ」
ロミオ様は、詩的な表現としてではなく、本気で言っていた。
この人は、私のために国が滅びても、世界が灰になっても、その中心で恍惚として微笑んでいられるのだ。
「そんな……お父様(伯爵)は黙っていないはず……」
「父上? ああ、さっき地下牢に入ってもらったよ。『澪を引き渡そう』なんて寝言を言っていたからね。頭を冷やしてもらう必要がある」
背筋に冷たい蛇が這い上がるような感覚。
実の父親さえ、私を所有し、守る(囲う)ためには平然と排除する。
この屋敷における倫理は、彼によって完全に書き換えられている。
そこへ、アステルが入室してきた。
全身から、触れるものすべてを切り刻むような、凄まじい殺気を立ち上らせている。
「ロミオ様、迎撃の準備が整いました。私が出れば、敵将の首は五分で取れます」
「待て待て、早まるな。今はまだ『交渉』の時間だ。……もっとも、僕の女神を渡すつもりなど微塵もないがね」
狂っている。
外には復讐に燃える軍隊。内側には、愛のために破滅を望む狂人たち。
私は二つの狂気の板挟みになり、逃げ場は物理的にも、精神的にも、どこにもなかった。
◇
膠着した状況が動いたのは、睨み合いが三日続いた頃だった。
事態を重く見た帝国中枢から、正式な仲裁役が派遣されたのだ。
「――双方、剣を引け! これ以上の内乱行為は、皇女の名において許さん!」
現れたのは、凛とした男装の麗人、ノース・ペンドラゴン皇女。
そして、その傍らに控える、白い神官服の青年だった。
とりあえずの停戦が決まり、屋敷の応接間で緊迫した会談が開かれることになった。
豪奢なマホガニーのテーブルを挟んで、エリオット様とロミオ様が対峙する。
私はロミオ様の隣に座らされたが、エリオット様からの憎悪に満ちた視線が、針のように全身に突き刺さっていた。
「その女だ……! その女が魔術を使って、エリザを殺したんだ!」
エリオット様がテーブルを叩いて叫ぶ。
「言いがかりはよせ。澪はただの、か弱い少女だ」
「か弱いだと!? 護衛騎士の魔鉄鋼の剣を素手で粉砕する女が、か弱いものか!」
怒号が飛び交う中、私は身を縮めて、自らの存在を消すように震えるしかなかった。
もしここで私が「能力者」だとバレれば、国中の研究機関に送られ、モルモットにされるかもしれない。
でも、このままでは本当に戦争になる。
呼吸が浅く、苦しい。視界が白く歪む。
誰か、助けて。誰か、私をここから連れ出して。
「――お辛そうですね」
不意に、春の小川のような穏やかな声がかけられた。
顔を上げると、皇女の隣にいた神官服の青年が、私の方を向いていた。
彼は、目を閉じていた。
手には装飾のない、シンプルな白杖を持っている。
「……え?」
「空気が張り詰めています。貴女の心の悲鳴が、聞こえるようだ」
彼はキャスと名乗った。
帝都の大神殿から派遣された、盲目の神官長だという。
彼は見えない目で、しかし心の眼で私を捉え、真っ直ぐに向いていた。
……怖くない。
ロミオ様やアステルの視線には、常に「ねっとり」とした所有欲や、粘着質な執着を感じる。
けれど、彼からは何も感じない。
ただ、春の日差しのような、温かく、純粋な慈愛だけがあった。
「あの、私は……」
「何も言わなくていいですよ。ただ、ゆっくり深呼吸をしてください」
キャス様は、私に触れようとはしなかった。
それが、今の私にとってどれほど救いだったか。
ここ数日で出会った男の人はみんな、隙あらば私に触れようとする。捕まえて、閉じ込めようとする。
けれど彼は、一定の距離を保ち、声だけで、魂だけで寄り添ってくれた。
「大丈夫。神は、乗り越えられない試練はお与えになりません」
その言葉に、胸の中で張り詰めていた糸がプツリと切れた気がした。
異世界に来て初めて、私は「女」でも「獲物」でもなく、「一人の人間」として扱われた気がしたのだ。
しかし、そんな安らぎの時間も束の間だった。
「……話は平行線だな」
ノース皇女が深いため息をつき、冷徹な決断を下した。
「エリオット卿の主張する『魔女の呪い』と、ロミオ卿の主張する『冤罪』。どちらが正しいか、水掛け論だ。ならば――帝国の古き掟に従うしかあるまい」
皇女が、部屋の空気を断ち切るように宣言する。
「『決闘裁判』を行う。十日後、双方の代表者が闘技場で戦い、勝者の主張を正義とする!」
決闘。
エリオット様はニヤリと口の端を歪めた。
公爵家の精鋭騎士団を擁し、武力に自信のある彼にとって有利な条件だ。
対して、ロミオ様もまた、不気味なほど楽しそうに微笑んだ。
「いいでしょう。我が方の代表は――」
ロミオ様の手が、私の肩を抱き寄せた。その指先が食い込む。
「彼女、澪一人で十分です」
「は……?」
私は耳を疑った。思考が一瞬停止する。
エリオット様も呆気に取られ、次の瞬間、顔を真っ赤にして激昂した。
「ふざけるな! か弱い少女だと言った舌の根も乾かぬうちに、女一人を矢面に立たせるだと!? なぶり殺しにしてやる!」
「おや、自信がないのかな? こちらは一人、そちらは十人でも百人でも構わないよ」
ロミオ様は私を見つめ、陶酔しきった瞳で、悪魔のように囁いた。
「見せておあげ、澪。君の美しさが、どれほど残酷で、絶対的であるかを」
断れない。
私には最初から、拒否権などなかった。
私は戦わなければならない。
十日後、公爵家の精鋭たちと、殺し合いを演じなければならない。
キャス様の方を見ると、彼は悲しげに眉を寄せていたけれど、その表情はロミオ様たちのようなドス黒い「狂気」には染まっていなかった。
彼だけが、この狂った世界で唯一の、正常な光。
彼だけが、私の希望。
でも、その希望の光すらも、今の私にはあまりにも遠く、儚く見えた。
ついに現れた「目が合っても狂わない男」、キャス様!
全員が澪を捕食対象として見る中で、彼だけが人間として接してくれました。 圧倒的癒やし枠。……ですが、ヤンデレ物の法則でいけば、こういう「聖域」こそ一番危ない気もします。
そして決まった決闘。 「僕の女神の力を証明してこい」と送り出すロミオ様、ブレません。
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