episode56:歪みの兆し
しばらく鞍にしがみついていると、大きくそびえ立つ王宮が見えてきた。
エリオットさんは、ゆっくりスピードを落とし、門の前に私とマックス先生を降ろしてくれた。
「私はここまでの案内となっております。もうすぐで護衛の方が来ますので、門の外でお待ちください」
「分かりました」
エリオットさんは、「では」と微笑むと、飛び去っていった。
「あ、ありがとうございましたー!」
私がお礼を言って見送ると、マックス先生がぽつりと呟いた。
「あなたが降りて安心したでしょうね……」
「あのー先生?聞こえてますよ」
その時、重たい音が響いて門が開いた。茶髪で髪をひとくくりにした、気難しそうな男性が顔を出す。鎧は先ほどの騎士と似ているが、装飾が異なり、整然とした立ち姿からただ者ではない雰囲気が漂っていた。
「ルウラ・クラーク様と、マックス様ですよね。」
尋ねられて、私たちは頷く。
「私はヒューゴ・デイビスと申します。案内しますので、中へお入りください」
促されて、私たちは中へ入る。私たちが入るのを見ると、ヒューゴさんは門を閉めて歩き始めた。
……うわあ。
好奇心で胸を弾ませながら、初めての王宮を見回す。門を抜けた先には、広い石畳の空間が広がっていた。
噴水の水音と、小鳥のさえずりが静かに響き、辺りには無言で見張りをする兵士が立っている。
視線を上げると、奥に王宮本館が見えた。
「す、すごい広いですね……」
ビクビクしながらマックス先生に言う。先生は初めてじゃないのだろうか。視線をまっすぐ前に向けたまま、「そうですね」とだけ答えた。
「こちらです」
本館へ向かうのかと思いきや、ヒューゴさんは、本館とは反対方向へと歩き出した。
王宮本館から離れるにつれ、周囲は次第に静かになり、装飾も簡素なものへと変わっていった。
城壁に沿う通路の先で、ヒューゴさんは立ち止まると、何やら呪文を唱える。
「えっ……」
詠唱に反応して、何もなかった場所が静かに歪む。そこから、地下へと続く石の階段が現れた。
「今から牢に入ります。口を慎むようにお願いします」
私はキュッと口を閉める。
階段を降り始めると、通路の両脇にある松明が独りでについた。カツカツと、階段を降りる足音だけが響き渡る。
ふと上を見上げると、さっき通ってきた道の痕跡はなく、暗闇だけが漂っていた。
「ルウラ・クラーク。ちゃんとついてきなさい」
「すみません……!」
マックス先生に小声で注意され、私は慌てて後を追う。
少し歩くと、奥まで延々と続く牢屋の影が見えてきた。松明の揺れる光が、鉄格子にかすかに反射しているだけで、周囲は静まり返っていた。
ゆらゆらと揺れる松明の明かりだけが頼りで、辺りはとても薄暗い。
怖いなぁ……
周りを見ないように俯いて進んでいく。その時、牢の中の人影が動いて、思わずビクッとした。そんな私を見て、マックス先生が私の腕を引っ張る。
「……牢の近くを歩きすぎです」
「す、すみません……」
しばらく歩くと、冷気が漂ってきた。この魔力は……
「着きましたよ」
ヒューゴさんに声を掛けられ、私は右側にある牢を見る。鉄格子の中には、凍った男たちが一人ずつ捕らえられていた。
「これは、あなたが凍らせたので間違いありませんか?」
「……はい」
「足元だけ凍らせておくことはできそうですか?」
無茶なことを言いますね……
「やってみますけど、できたとしても冷たすぎて気絶しちゃうかもしれません」
ヒューゴさんは、少し悩む素振りを見せた。
「なら、全て溶かしてください。できますよね?」
冷たい視線で私を見下ろす。……圧がすごい。思わず身を縮めそうになる。
「……できます」
ビクビクしながら私が答えると、ヒューゴさんは牢屋の鍵を開けた。さすがのマックス先生も目を見開く。
「扉を開けてするんですか?」
「大丈夫ですよ」
私は、マックス先生に言う。
「そもそも触れなければ溶かせないので」
「ですが……」
「何かあったら助けてくれますよね?」
二人に尋ねると、ヒューゴさんは頷き、マックス先生も心配そうに頷いた。
「では、いきます」
私は牢の中に入り、大きな氷に手を当てる。
え─?
氷に手を当てた瞬間、表面がざらついていることに気が付いた。誰かが溶かそうとした?
それに─
胸の奥がきゅっと締めつけられた。冷たいはずの氷に、暖かくて懐かしい魔力を感じる。心臓がドクドクと早鐘のように打ち、手のひらが微かに震える。
……そんなはずない。
今はそんなこと考えている場合じゃない。胸のざわめきを振り払うように、私は詠唱を始めた。
「氷の精霊よ、闇の中から汝に光を与えたまえ─」
唱えると同時に、氷の透明度が失われていく。
白く、柔らかな光がにじみ、その光が氷の内部をゆっくりと侵食していった。氷が溶け切り、男の身体が傾く。
よし、無事溶かせた……。
ほっとしたその瞬間だった。凍っていた男の目がぎょろりと動く。
「えっ」
普通は、意識を失うはずだよね?
「ルウラ・クラーク!早く出なさい!」
「あ、はい!」
急いで牢から出ようとすると、ヒューゴさんが私の腕をぐいっと掴んで剣先を向けてくる。
「ちょっとまっ……!」
「ギャッ!」
私の後ろで悲鳴が聞こえた。後ろを振り返ろうとする前に、身体が引っ張られた。すぐにガチャリと鍵をかける音が響く。
「すみません。無事ですか?」
剣を鞘にしまってヒューゴさんが尋ねてくる。
「大丈夫です。ありがとうございます」
「……普通は、意識失うんじゃなかったんですか?」
急なアクシデントに、マックス先生が呆れて言う。
「そう、なんですけど……」
もしかして短詠唱で凍らしたからかな……。
考えている私を見て、ヒューゴさんが言った。
「今ので、溶かすときのリスクが分かりました。これで結構です」
「え、まだ凍っている人いますよね……?」
全員溶かすつもりだったんだけど……?
「一人で結構です。他はなんとかします。……マックス様、ルウラ様を連れて行って貰えますか?代わりの護衛が階段前で待っておりますので」
マックス先生は、頷いて私に目を移す。
「分かりました。では……」
「ちょっと待ってください!」
……聞かなければならないことがある。
私はマックス先生の声を遮り、ヒューゴさんに問いかける。
「誰か……あの氷を溶かそうとしましたか?」
「はい?」
もしかしたら……と、心臓が早鐘のように打つ。
「私が触れる前に、溶けかけた跡がありました」
ヒューゴさんは、ほんの一瞬だけ眉をひそめた。
「知っているような魔力を感じて……」
ヒューゴさんは黙って私を見つめている。沈黙がどんどん重くなる。
「もし知っていたら教えてください。その人は、今……」
「答えられません」
ヒューゴさんの冷たい声が、私の言葉を遮った。胸がぎゅっと締めつけられ、言葉が詰まる。
絶対に何かを知っている……なのに、教えてくれない。
不安と疑念が、心の奥で波紋のように広がった。
「お願いします。今生きてるかだけでも知りたいんです……」
「何があったかは知りませんが、あなたが知るべきことではない」
ヒューゴさんは顔色一つ変えずに切り捨てた。突き放されて、私は何も言えなくなる。
「……ルウラ・クラーク、帰りましょう」
「……まだ帰れません」
マックス先生が静かな声で言うが、私はそれを拒絶した。
「ルウラ・クラーク」
先生が私の肩を強く掴んだ。
「行きますよ。これ以上……迷惑をかけないでください」
私はハッとしてマックス先生を見る。口元は固く結ばれ、目は私のことを心配しているようだった。
「……すみませんでした」
私はヒューゴさんに頭を下げると、マックス先生と共に来た道を戻った。
どうか無事でいて─
あの魔力の感触だけが、いつまでも手に残っていた。
護衛の方に送ってもらい、無事学園に戻ることができた。
「お疲れ様でした。今日はゆっくり休んでください」
疲れた様子のマックス先生に言われ、ブロンズ棟に戻ることにする。
「お疲れ様でした」
先生にそう言って、ブロンズ棟の方へ足を運ぼうとすると─
「待ちなさい。どこに行こうとしてるんですか?」
先生に声を掛けられた。
「え?だから部屋に戻ろうと……」
「あなたの棟はそっちじゃないでしょう?」
「え?」
私は目をパチクリさせ、少しの間沈黙が降りる。そんな時、にゃあという猫の鳴き声が聞こえた。
「え、ねこ?」
辺りを見回すが、猫の姿は見当たらない。心の片隅でざわつくものを感じつつ、視線をマックス先生に戻すと、先生は呆然と立っていた。
「先生?大丈夫ですか?」
呼び掛けると、マックス先生は私を見て眉をひそめる。
「あれ、何でこんなとこに……?」
「先生?」
マックス先生は、顔を顰めたまま歩いて行ってしまった。私はぽかんとして先生を見送る。
まあ、先生もそりゃ疲れているわよね……。
私は不思議な気持ちのまま、部屋へと戻る。
風がザワザワと木の葉を揺らし、何かを告げているようだった。




