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アイディールに捧ぐ物語  作者: 朝霧唯凪
第二章:紡がれる願い
35/41

episode35:行ってらっしゃい

次の日になった。

はっと目を覚まし、日付を何回か確認する。


今日は入学式だ……!


バサッと起き上がる。そわそわして落ち着かない。とりあえず、下に降りることにした。

庭を見ると、筋トレをしているアルゼ様がいた。


「おはようございます、アルゼ様」

「おう、チビおはよー」


私は庭に出て、ウッドデッキに座る。半裸で腕立てをするアルゼ様を見ていると、アルゼ様が視線をこちらに向けた。


「どしたんだ、チビ」


そう言いながらも、腕立てを続けているアルゼ様。なんだかその光景が面白くて、フフッと笑ってしまった。


「なんでもないです。どうぞ続けてください」

「チビもするか?」

「やめておきます」


入学式の朝から、筋トレはなぁ……と思い、断らせてもらった。


「ちゃんとヴェルディア行っても、筋トレはするんだぞ」

「分かってますよ」

 

しばらくボーッと過ごしていると、アルゼ様が立ち上がった。


「そろそろ飯食うか」

「了解です」


私は、先にキッチンに向かう。

焼いているパンを眺めながら不意に、しばらくこの生活から離れるのだと実感した。このキッチンも、この時間も当たり前じゃなくなる。


「いつもありがとなぁ」


ちょうどパンを焼き上げたところに、アルゼ様がやってきた。


「いいんですよ。ルーティンになってますから」


私はパンを食卓に並べる。


「いただきます」


手を合わせて口に入れた。


「いやぁ、こんな生活とは今日でお別れかぁ」

「ちゃんと朝ごはん食べるんですよ」

「うん……」


少し沈黙が流れる。

朝食をとり終わると、アルゼ様がココアを一杯入れてくれた。暖かいココアを飲んで一息つく。

先に飲み終わったアルゼ様は、椅子から立ち上がった。


「ちょっと、洗い物するわ」

「私しますよ」

「いいのいいの」


その言葉に甘えて、お願いすることにした。

時計を見ると、出発までまだ時間があった。

私は特に用もなく、ダイニングテーブルでアルゼ様の動きを目で追う。


「チビ。制服着替えないのか?」


まだ座っている私を見て、アルゼ様が尋ねてくる。


「んー、この貴重な時間を目に焼き付けておきたいなって思いまして」 

「なぁんだ、チビも意外と寂しがり屋なんだな」

「……アルゼ様ほどではないですけどね」


そう返すと、アルゼ様は笑ってまた水音を立てる。


……この生活が続けばいいのに。


夢が叶って嬉しいはずなのに、そう思ってしまった。


制服に着替え、時刻は七時になった。

入学式は九時からだが、寮での準備もある。そのため、少し早めに出発しなくちゃいけない。


「アルゼ様。私そろそろ行きます」


ついに、この時間が来てしまった。

大きな荷物を持った私のところに、アルゼ様が来る。


「忘れ物ないか?」

「あはは、昨日あれだけ確認したじゃないですか」

「心配なんだよ!」

「……私はアルゼ様が心配です」 


そう言うと、「それは確かに……」と返される。


「あ、アルゼ様。渡したい物があって……」


私はカバンの中を、ゴソゴソと探す。


「ん?なんだ?」

「あ、あった。……これです」


私はアルゼ様の手に、財布を握らせた。

カインと離れ離れになってからずっと持っていたお金。一回も使っていないから結構な額が入っているはず。

そんな私の財布を見て、一瞬アルゼ様の動きが止まる。


「……なんだ、これ」

「一年間住まわせてもらったので、お礼のお金です。全然足りないですけど……気持ちとして」


次の瞬間、財布は私の手に戻ってきた。


「いらねえ」


低い声だった。私は、ビクッとしてアルゼ様を見る。


「チビはさぁ……俺様が善意で一緒にいたと思ってたのか?」

「……え」

「勘違いしてるかもしんないけどさ……お前はもう俺様の家族なんだよ」


その言葉に、息が詰まる。


「家族に、金なんて取るかよ」


家族……


その言葉に胸がジーンとして、視界が滲む。そんな私を見て、アルゼ様は慌てて言う。


「おいおい、行く前に泣くんじゃねえよ」

「だって、アルゼ様が嬉しいこと言うから……」

「いやいや、当たり前だろうがよ」


私は目に滲んだ涙を拭いて、顔を上げた。


「ありがとうございます。アルゼ様がいてくれて本当によかった……」

「……なんだよ急に」


照れて、顔が赤くなっているアルゼ様。私はフフッと笑ってしまった。

 

「……んまあ、無理せず頑張れよ。なんかあったら、ここに帰ってきたらいいから。」

「……了解です。頑張ってきます」

「じゃあ……行ってらっしゃい」

「行ってきます!」


拳を合わせると、私は家を出た。

家を出ると、朝の空気がひんやりと頬に触れる。

振り返ることはしなかった。あの日常を思い出すと、戻りたくなりそうだったから。

前だけ見て歩き、乗り場で馬車に乗り込む。


「ヴェルディア学園までお願いします」

「あいよー」


馬車がゴトゴト音を立てて、動き出す。私は揺れに身を任せ、目を閉じた。


数時間後、ついにヴェルディア学園の門が見えてくる。

身を乗り出すと、同じ制服に身を包んだ生徒たちが、次々と門をくぐっていくのが見えた。


「到着しましたー」

「ありがとうございました」


お金を払って馬車から降りる。


……今日から、ここが私の居場所になる。


胸の奥が少しざわつくのを感じながら、私は一歩、門の中へ足を踏み入れた。

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