episode31:運命の境界線
ノスタルジアの丘に行ってから数日後。ついに合格発表の日がやってきた。
これには、さすがの私も緊張して落ち着かない。
「おいおい、落ち着けって」
そわそわしてバタバタ動き回っている私に、アルゼ様が言う。
「落ち着けるわけないじゃないですか!」
「試験の日は俺様が緊張してたが、今日は真逆だな。」
「……新聞上下逆ですよ」
私の一言に、アルゼ様は一瞬だけ動きを止めた。
「……細けぇこと言うな」
「細かくないです」
そう言いながらも、アルゼ様は新聞をくるりと回し、改めて目を通す。
その横顔は平然としているようで、どこか落ち着きがない。
……やっぱり、緊張してるのは私だけじゃない。
「チビ。ほら、深呼吸」
「言われなくてもしてます」
「浅い」
図星だった。
私は一度、ぐっと息を吸って、ゆっくり吐き出す。
それでも胸の奥がざわざわして、心臓の音がうるさい。
「落ちてたらどうしましょう……」
「俺様が教えてやったから大丈夫だ」
「そうですけど……」
アルゼ様は、そう言うものの、だからこそ怖い。
落ちてしまったら、アルゼ様の期待を裏切ってしまうのではないか。三年間の自分の頑張りを否定することになるのではないか。
「ほら、そろそろ行く時間じゃねえか?」
暗い面持ちをした私にアルゼ様が声を掛ける。時計を見ると、針は八時をさしていた。
「……そろそろ行きます」
私は荷物を持ってドアへと向かう。その後をアルゼ様がついてきた。
「……チビ。一応言っておくけど、落ちたとしてもまだチャンスはある。へこたれんなよ」
「大丈夫だと思うがな」と言ってアルゼ様は笑った。その言葉に、私は顔を上げる。
……そうだ、まだこれで終わった訳じゃない。まだ選択肢はあるんだ。
「……はい!行ってきます!」
「行ってこい!」
拳を合わせて私は家を出る。そして、馬車に乗ってヴェルディア学園へと向かう。
……お願いします。受かっていますように。
受験番号が書かれた紙を握りしめ、私は胸の高鳴りと共に到着を待った。
「ありがとうございました」
「はいよー」
しばらくしてヴェルディア学園に到着した。お金を渡し、お礼を言って馬車から降りると、すでに多くの受験生が集まっていた。
友達と話して笑っている人もいれば、緊張して俯いたまま動かない人もいる。
校舎には、白紙の掲示板が掛けられていた。魔法で合格した人の受験番号を浮かび上がらせるようだ。
その存在に気づいた瞬間、胸がぎゅっと縮む。私は怖くなり、掲示板から目をそらした。
「只今から合格発表を始めます」
時刻は九時ぴったり。突如アナウンスが響き渡り、周りがざわざわし出す。
……合格発表が始まる。
そう思った瞬間、私の視線は嫌でも掲示板へと引き戻される。
次の瞬間、掲示板の表面が淡く揺らいだ。
何も書かれていないはずの板に、薄い影のようなものが滲む。
「出てきた……」
近くで誰かが呟くのが聞こえた。
私は息をするのも忘れて、掲示板を見つめる。数字が、ゆっくりと、確かにそこに現れていく。
……お願い。
目で数字の羅列を追っていく。
……お願いお願いお願い……
私の番号は1189。目で数字の羅列を追っていく。
「……っ」
─1189
見慣れた数字の並びが、視界の端に引っかかった。
心臓が大きく跳ねる。私は受験番号の紙を、震える指で見下ろす。
1189、同じだ……
もう一度掲示板を見る。目の前の数字と、手の中の紙とが上手く結びつかない。
何回も見返して、やっとそれが自分の数字だと理解する。
受かった……三年間無駄じゃなかった……。
そう思った瞬間、視界がじわっと滲み、体から力が抜けた。
三年間、逃げたくなった日も、諦めかけた夜も、すべてが、この数字一つに繋がっていたのだと、ようやく思えた。
私がギュッと紙を握りしめた時─
「……なんで」
かすれた声が聞こえた。
視線を向けると、一人の少女が掲示板を見上げたまま、肩を震わせていた。目からポタリと、涙がこぼれ落ちる。
「あんなに……頑張ったのに……」
その言葉に、周囲のざわめきが一瞬止まる。
「落ち着いてください」
職員が静かに声を掛け、少女の肩に手を添える。
彼女は唇を噛みしめ、何も言わずにその場を離れていった。
私はそこで気が付く。
その子だけじゃない。俯き、泣いている子がたくさんいる。
……みんな合格するために何年間も頑張ってきたんだ。
そう思うと、胸がギュッと締め付けられ、素直に喜ぶことはできなかった。私は胸のざわつきを感じながら、その場を離れた。
しかし私が一歩、掲示板から離れた時だった。
……あれ。
ふと、視線を感じて足が止まる。
背中に、じっと何かが貼りつくような感覚があった。
─見られている。
思わず顔を上げ、視線を走らせる。
掲示板の前には大勢の受験生がいて、誰がこちらを見ているのか分からない。悪意でも、敵意でもない感覚。
─気のせいだろうか。
「合格者の方は、こちらにいらしてください!」
職員の声が耳に入り、私は疑問を胸の中に押し込むと、職員の方へと向かった。
合格者は、職員に別室へと案内され、簡単な説明を受ける。
入学手続きの流れ、必要な書類、今後の予定。
どれも大切な話のはずなのに、頭の中ではまだ「1189」という数字が回り続けていた。
「おめでとうございます。こちらが入学に必要な書類になります」
差し出された紙束を受け取り、私は小さく頭を下げる。
「……ありがとうございます」
おめでとうと声を掛けられ、合格したという実感が湧く。
気づけば、胸の奥に溜まっていた緊張が、少しずつほどけていった。
学園を出ると、外の空気がやけに澄んで感じられる。
私は書類を抱え直し、自然と足を速めた。
……早く、伝えたい。
アルゼ様の待つ家へ向かいながら、胸の奥がじんわりと熱くなる。
そして、夢を諦めかけた私が、再びこの学園を目指した理由。
その人がいる場所に、一歩近付けたのだと思った。
─離れ離れになった、カイン。
護衛になるには、まだ越えなければならない壁がある。
それでも、この一歩が、次の扉へと私を押し出していた。




