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アイディールに捧ぐ物語  作者: 朝霧唯凪
第二章:紡がれる願い
30/45

episode30:理想が咲く丘

チチチ……。

小鳥のさえずりが耳に届き、私はゆっくりと目を開けた。時計を確認すると、まだ六時前だった。


……そういえば今日は、八時から鍛錬だったな。


つい、いつもの時間に起きてしまった。

下へ降りると、アルゼ様の姿は見当たらない。まだ眠っているのだろう。

起こすほどでもないし、外で少し身体を動かしてこようか……。

動きやすい服に着替えて家を出る。

外に出た瞬間、ひんやりとした朝の空気が頬に触れ、思わず小さく息を吸い込んだ。

周囲は静まり返っていて、小鳥のさえずりと、どこかで水が流れる音だけが響いている。

私はゆっくりと走り出した。地面に落ちた葉を踏むたび、サクッ、サクッと軽い音がする。風が髪を揺らし、眠っていた頭が少しずつ冴えていくのが分かった。

やがて朝日が姿を現し、街の輪郭が淡いオレンジ色に染まっていく。

市場の近くまで来たところで、少し汗ばんだ額を拭い、空を見上げた。


……そろそろ戻ろうかな。


来た道を引き返しながら、身体が心地よく温まっているのを感じる。

私は息を整え、家へと足を向けた。


「おいチビ!どこ行ってたんだよ!」


家へ戻ると、中から慌てたようにアルゼ様が飛び出してくる。

その顔にはただただ焦りが浮かんでおり、昨日見せた悲しげな表情は消え去っていた。


「走りに行ってただけなんですけど……」


何でそんなに焦ってるんだろ……


「……起きたらチビがいないからびっくりしたわ」

「それはすみませんでした。いつもと同じ時間に目が覚めちゃって……」

 

アルゼ様は一息つくと、キッチンの方へと向かう。


「早いが飯にするか」

「そうですね」


そうして一日が始まった。いつものようにご飯を食べたら鍛錬を始める。

試験後ということもあり、いつもよりは楽な内容だったが、それでも疲れるものは疲れる。

へとへとな私に、時計を見たアルゼ様が言う。


「……おし、ここまで!昼ご飯食べるぞ!」

「やった!」


午前中に鍛錬を終え、昼休憩を取る。

今日の昼ごはんはサンドイッチだ。ハムと卵を挟んで食べる。


「今日はどっか出かけるか?」


急にアルゼ様が尋ねてきた。


「鍛錬はこれで終わりですか?」


ふと聞くと、呆れたようにアルゼ様が言った。


「あのなぁ、昨日試験が終わったんだぜ。俺様が今日鍛錬するっつったけど、お前はもっとゆっくり過ごすべきなんだよ。」

「いやぁ、そうなんですけど、鍛錬以外にやること思いつかなくて……」


そう言うと、アルゼ様がうーんと考え込む。


「丘でも行くか……」

「丘?」

「めっちゃ綺麗な丘があんだよ。午後はそこに行こう。いいな?」

「はい、いいですけど……」

「おし、決まり!」


半ば強引に押し切られたが、急遽午後の予定が決まった。

食器を片付けると、私は出かける準備をする。


「チビー準備できたかー?」

「今行きまーす!」


上着を羽織って下に降りると、すでに準備を終えたアルゼ様が待っていた。


「遅くなりました」

「いいや、大丈夫だ」

「ところでどうやって行くんですか?」


……シェルフィーネは嫌だ。

心の中で念じていると、それに気付いたのかアルゼ様が苦笑いをした。


「さすがに俺様もしんどいわ。馬車で行くぞ。」

「わかりました」


ということで、馬車に乗って丘へと向かう。

馬車の中から窓の外を眺めていると、王都の建物が少しずつ減り、代わりに草原が広がっていった。涼しい風が吹き込んでくる。


「アルゼ様。気持ちいいですね」

「そうだな。たまにはこういうとこもいいだろう」


何もしていないのに時間が過ぎていく感覚に、少しだけ落ち着かなさを覚える。しかし、このゆったりとした時間が、レーゲルトにいた頃を思い返させて、なんだか懐かしい気持ちになる。

しばらくして馬車が止まった。

着いたのは、王都の外れ。それは、王都でありながら、王都の息が届かない場所でもあった。


「うわあ……」


馬車を降りた瞬間、視界いっぱいに花が広がった。

丘一面が、色とりどりの花で埋め尽くされている。

風が吹くたび、花々が揺れ、甘い香りがふわりと漂ってきた。

思わず、息を忘れて立ち尽くしてしまう。


「行くぞ」


アルゼ様に連れられて丘を登る。


「綺麗ですね。連れてきてくれてありがとうございます」

「この場所、ずっと昔に見つけたんだ。誰も来ないから秘密基地にしてたんだけど、チビには見せようと思って」

「……ありがとうございます」


丘の中央には、ひときわ目を引く白い花が咲いていた。花弁の奥に、淡く金色の光を宿している。


「綺麗……」

「……ノスタルジアだ」


アルゼ様が、珍しく静かな声で言った。


「この花はここでしか見られない。理想を捨てなかった土地にしか、咲かねぇ花だ」

「理想を捨てなかった土地……?」


その言葉が胸に引っかかった。

この花は王都では見たことがない。理想とは何だろう……。


風が吹き、ノスタルジアがフワリと揺れる。それを見ながらアルゼ様は言った。


「大昔な、魔法による戦争で世界が滅びかけたことがある。その時、初代の魔法使いたちは魔法を完全に封じた」

「……完全に?」

「あぁ、一切残さずにな」


はるか昔、この世界─アイディールで魔法による大戦争が起こったのは知っていた。しかし、魔法を封じるというのはどういうことだろうか。私たちが今魔法を使えるのはなぜ?

だが聞く間もなく、アルゼ様は続ける。


「彼らは完璧な世界を作ろうとしたわけじゃねぇ。ただ……二度と、奪い合わなくていい場所を残したかっただけだ」


その声は、どこか祈るようだった。

誰かに向けてというより、過去の自分に言い聞かせているような──そんな切なさを帯びている。

風に揺れるノスタルジアが、淡く光を返した。

……まるでその言葉を、静かに肯定しているみたいに。

私は、アルゼ様の横顔から目を離せなくなっていた。胸の奥が、理由もなく少しだけ苦しくなる。


「アルゼ様……」

「……何だ」

「この花摘んで帰ったらダメですか……?」

「殺されるぞ」

「ひえっ」


少し張り詰めていた空気が、ふっとほどけた。


「……ということで、俺様はちょっと昼寝する。少し経ったら起こせ」

 

そう言って、アルゼ様はごろりと寝転がった。


「ちょっ!アルゼ様!」


私は悲鳴に近い声を上げる。


「今から寝るんだ。黙りなさい」

「ノスタルジア潰してますって!」

「……やべ」


慌てて身体をずらし、ノスタルジアから距離を取るアルゼ様。


「ったく、だから花畑は落ち着かねぇんだよ」

「……今さらじゃないですか」

「うるせぇ」


そっぽを向いたまま、アルゼ様は腕を組む。そして、それ以上は何も言わず、アルゼ様は目をつぶった。

その横で、ノスタルジアは何も語らずに揺れている。けれどその姿が、アルゼ様の言葉と重なって見えた。


理想を捨てなかった土地にしか咲かない花……


いつか私も、この花の意味をちゃんと理解できる日が来るのだろうか。 

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