episode29:守りたいもの
「ただいまー!」
家に着き、ドアを開けると香ばしい香りが漂ってきた。
「おう!チビお帰りー!!」
「めっちゃいい匂いしますね!」
私はアルゼ様の手元を覗き込む。
フライパンに、手のひらより一回り大きいハンバーグが二個、ジューと音を立てて焼かれていた。
「なんか……デカくないですか?」
「そりゃ頑張ったチビへのハンバーグだからな。特大に決まってんだろ。ほら、手洗ってこい」
「はーい」
私は手を洗うと、荷物を置きに部屋に向かう。急に疲れがドッと押し寄せてきた。
カイン、私頑張ったよ─
心の中で私は呟く。
「チビー!ハンバーグできたぞー?」
下からアルゼ様の声が聞こえる。
「はーい!」
私は返事をすると、下に降りる。
テーブルの上にどでかいハンバーグと、パンとスープが置かれていた。
「よし、食べるか!」
「はい!いただきまーす」
手を合わせて、ハンバーグを口に運ぶ。
「んっ!おいひ!」
噛むと肉汁が溢れてきて、私は思わず頬を抑える。
「よかった!……改めまして!チビよく頑張ったな!おつかれ!」
「ありがとうございます!アルゼ様、すごくお世話になりました。アルゼ様がいなかったら私……」
カインがいなくなり、家にも帰れなくなり、アルゼ様がいなかったら、ヴェルディアを目指す気など失せていただろう。
「おいおい、合格発表はまだ先だぜ?まあ、俺様の弟子だから受かってるも当然だけどな!」
アルゼ様は豪快に笑う。
「あ、それから合格発表までは鍛錬やるからな?明日は八時に起きろよ」
「え?六時じゃないんですか?」
「明日ぐらいはゆっくり寝ろよ。緊張して大分疲れたろ。」
「それはそうですけど」
けど、優しさに甘えてそうすることにした。
「そういえば、イアンさんのこと教えてくれるって言いましたよね。」
「あーそうだったな」
「イアンさん、今どこにいるんですか?」
「あいつ、今娘さんとこに帰ってるよ」
「娘さんのところ?」
アルゼ様は、お茶を一口飲んだ。
「一か月前だったかな。階段からこけて骨折したみたいなんだ。」
「こ、骨折!?」
私は前のめりになる。
「落ち着け。大分良くなってるみたいだから。けど、念を置いて娘さんのところで過ごしてるみたいだぜ」
「……一か月前って。何で言ってくれなかったんですか。」
「イアンに伝えるなって言われてたんだよ。試験のことを配慮してたんじゃねえか?」
「そんな……」
配慮してくれたのはありがたいが、どうしても疎外感を感じてしまう。
「明日でも会いに行くか?着くのに二日ぐらいかかるが」
「二日も……ちなみに娘さんは、どこに住んでるんですか?」
「あーどこだっけな……そうだ、ケイペルだ」
……ケイペルか。
レーゲルトほどは離れていないが、それでも王都からは距離がある。
「どした?行かないのか?」
口を閉ざした私の顔を、アルゼ様が覗き込む。
「合格発表までは、王都内待機ってなってるんです」
「うわ、マジかよ……」
合格発表までは、王都にいなければならない。
これは、何回も試験官に説明されたこと。合格していようと、都内から出た瞬間、辞退したとみなされる。
合格発表前に、追加確認、面談、突発的な再試験が入る可能性があるかららしい。
「理由に納得してないんですけどね。規則は規則ですので……」
ふくれっ面になる私にアルゼ様が言った。
「まあ、しゃーねえわな。でも、これで合格発表が待ち切れなくなったな。」
「……落ちてたらどうしましょ。イアンさんに合わせる顔が……」
「自信満々の顔で帰ってきたやつが何言ってんだよ」
「そんな顔してました?」
無自覚だなぁ……
するとアルゼ様が「あ」と声を漏らした。
「そういえば、合格発表の後ってさ、学園始まる前に数週間休みあるよな?」
「ありますけど……?」
「ならさ、イアンとこ行った後どこか遠出しねえか?」
「行きたいです!!」
私は目をキラキラさせて即答する。
「よしゃ!どっか行きたいとこある?チビが行きたいとこ行こうぜ!」
行きたいとこ……。
一つの場所が思い浮かんだ時、私は唇を噛んだ。
「私、レーゲルトに帰りたい……」
レーゲルト─ずっと帰りたかった場所。ポツリと、本音が出た。
ここに居場所はあるものの、やはり私の帰るべき場所は、お母様と精霊たち、そしてカインと暮らしたレーゲルトなのだ。
「チビ」
アルゼ様が真剣な面持ちで私を呼ぶ。
「そこは、やめとけ」
「……え?」
賛成してくれるかと思った私は、驚愕する。
「どうしてですか?」
「今は……言えない」
「納得できません……」
思わず強い口調になってしまう。
アルゼ様は一瞬だけ視線を逸らし、コップの中のお茶を見つめた。
「納得しなくていい」
「……っ」
それは、いつものアルゼ様らしくない言い方だった。
「帰りたい気持ちは分かる。俺だって、故郷に帰りてぇ時はある」
「だったら──」
「それでもだ」
言葉を遮るように、低く言われる。
「今は帰ったらダメだ」
胸が、ぎゅっと締めつけられる。言い返そうと口を開いた、その時だった。
アルゼ様が、ほんの一瞬だけ視線を伏せる。
さっきまでの強い口調とは違う、どこか弱ったような横顔。
「……悪い」
低く、短い一言。
「本当は、こんな言い方したくねぇんだけどな」
そう言って、アルゼ様は苦笑した。
けれどその笑みは、いつもの豪快なものじゃない。
「でも……今は、守りたいもんが多すぎる」
その言葉の意味は、やっぱり分からなかった。
魔力探知に引っかからないことを、誰にも言ってはいけないこと。故郷に帰ってはいけないこと。
どちらも理由は、教えてくれない。
それでも─アルゼ様の顔が、あまりにも悲しそうで、それ以上、何も言えなくなった。
ベッドに横になった後も、アルゼ様の悲しげな顔が頭から離れなかった。
守りたいもんが多すぎる─
しかし、その意味を知るのは、きっとまだ先だろう。




