episode27:ヴェルディア入学試験
最終調整を行う日が一日一日と過ぎ、ついに前日の夜となった。大きな成長はなかったものの、この一週間で大分自信がついたような気がする。
私は魔法書を閉じ、机の横に置いた書類に目をやった。
「申請書もちゃんと確認したし、受験票も大丈夫……」
小さく呟きながら、前日の準備をすべて再確認する。心のどこかで、明日への緊張感がじわりと広がっていく。
そのとき─
「おわっ!」
一階からアルゼ様の叫び声と共に、ガラスが割れる音がした。
「何してるんですか……」
キッチンを覗き込むと、床にコーヒーカップを落としたアルゼ様が立ち尽くしていた。
「手が滑っちゃってさぁ……」
「割るの、今週何回目ですか?お願いですから落ち着いてください。」
「だって、もう前日だぜぇ?不安で不安で……」
何でこの人、本人より緊張してるんだ!
「いいですか?アルゼ様が落ち着かないと、私も気が休まらないんですよ。」
「すまん……」
「全く……」
アルゼ様は、割れたコーヒーカップを魔法で掃除していく。
「チビ、不安なとこはもうないか?」
「ええ、自信しかないです」
「ならよかった。今日は早く寝るんだぞ。あ、コーヒー飲むか?」
「寝ろとか言いながら、寝させないつもりですか?」
アルゼ様の不器用な優しさに、思わず吹き出す。強ばっていた心がほぐれた気がした。
「じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ!」
私は挨拶をすると、ベッドに潜り込む。
ヴェルディアを目指してから三年が経ち、カインがいなくなってから一年が経つ。
側にいない日々にも少しずつ慣れたけれど、明日の試験を前にすると、どうしてもカインのことを思い出してしまう。
隣にいてくれたら……
胸の奥で小さく呟きながらも、そう思う弱さを胸の奥に押し込める。
一年間の鍛錬と準備は、この日のためにあった。そして、明日ヴェルディア試験を受けることは、カインに会える未来への一歩でもある。
私は深呼吸をして、高鳴る胸を沈めた。
……きっと大丈夫。
覚悟を胸に、私は目を閉じた。
ついに試験当日。いつものように六時に起きる。そして、いつものように庭で筋トレをしているアルゼ様。
「アルゼ様、おはようございます!」
「おっ、チビ。おはよう!ご飯にするか。」
「はい!」
私は先にキッチンに行って支度をしようとするが、珍しく今日は、アルゼ様がキッチンに立つ。
「いつもやってますし、私作りますよ?」
「いいや!火傷して手が使えなくなったらどうする!」
「いやいや、パン焼くだけですって」
本当に心配症だなぁ……。
アルゼ様は、焼きあがったパンを食卓に並べた。私はアルゼ様が座るのを見ると、二人で手を合わせる。
「いただきます!」
いつもと同じ朝の流れなのに試験当日のせいか、新鮮な感じがする。
「そういえば、イアンさんのとこに挨拶してから行きたいんですけど。」
鍛錬中、ちょくちょくイアンさんの家に行っていたのだが、なぜか毎回留守だった。アルゼ様は、たまに会っているようだが、私は最近顔を合わせていない。
「……終わってからにしたらどうだ?」
「ええー」
「終わってからな。会わせてやるから。」
「やっぱ家にいないんですか?」
すると、アルゼ様は失言だったというように、口をキュッと結んだ。
「……んまあ、今は違うとこにいる。試験終わったらちゃんと話すから。」
「分かりました」
不安になり、問い詰めたかったが、確かに試験が先だ。私は素直に頷いた。
ついに家を出る時間となった。さすがに暴れん坊のシェルフィーネに送ってもらう訳にはいかないので、王都を走る馬車に乗って行くことにする。
「ちゃんと行き方分かるな?大丈夫だな?」
「何回も確認したので大丈夫ですよ」
「申請書と、受験票持ったか?筆記用具は?」
「さっき五回も一緒に確認しましたよね?」
私は大丈夫だというように、アルゼ様に笑いかける。
「アルゼ様、帰ったらハンバーグが食べたいです」
「おう!任せとけ!」
「じゃあ行ってきます!!」
「行ってこい!!」
私はアルゼ様と拳を合わせると、家を出た。
いつもの道、市場を通り、馬車乗り場へと向かう。
「ヴェルディアまでお願いします。」
「あいよー」
おじさんに行き先を告げて、乗り込むと馬車が動き出し、みるみる外の景色が流れていった。
馬車はヴェルディアへ向かい、やがて門前に到着する。初めて目にしたヴェルディア学園は、白い石造りの校舎が連なり、凛とした佇まいで何よりも大きかった。
ここが私が目指してきた高み……
深呼吸をして、心を落ち着かせ、ここまで来た自分の歩みを思い返す。三年間の鍛錬、カインのこと、アルゼ様の支え。
「よし、行くぞ……」
会場に足を踏み入れると、ざわめきと緊張感が空気を満たしていた。周囲の受験生たちの視線や呼吸が、私の心臓を少し速める。
受験票を確認してもらい、教室に向かう。
教室内は、とてつもない緊張感が漂い、全員がギリギリまで粘ろうと参考書に目を落としている。私も自分の席に座ると、参考書を取り出した。
「今から試験の説明を行います。」
しばらくして、フクロウの精霊を肩にのせた試験官が前に立った。
「カンニング防止のため、精霊を使って監督することを理解しておいて下さい。」
そう言われると、色んな所から視線を感じることに気が付く。
さすがヴェルディア。カンニング防止はキッチリしてるのね。
「では、只今から筆記試験を開始します」
そして、筆記試験が始まった。最初は、魔法統計学。苦手意識を持つが、アルゼ様に教えてもらい、一番頑張ってきた科目だ。ここで高得点を狙いたい。
頭の中でこれまでの数式が整理されていく。時間との勝負に焦る気持ちを押さえ、丁寧に解答していった。
残り十分。解き終わり、見直しをしていると─
「君、ちょっと来なさい」
後ろの方で試験官が一人に声をかけるのが聞こえた。ガタッと椅子を引く音がして、ドアを開け閉めする音が聞こえる。
カンニングだろうか……。
気になり、集中が途切れたが、ここで気を散らしてはいけない。
さっきのことを意識から消し、自分の答案に目を走らせた。
「やめ!」
試験官の声とともに手を置くと、試験官が解答用紙を回収していく。
自信はあるが、周りの雰囲気的に難しかったようだ。
「休憩してください」
試験官に言われ、外に置いてある荷物から参考書を取り出す。
「さっきの人、カンニングかな……」
近くの女子二人が話すのが聞こえた。
「バレるの分かってるのに何でそんなことしたのかな」「ねぇ」
私も気になったが、次の教科に備えるため、気持ちを切り替えた。
「そこまで」
試験官の号令と共にチャイムが鳴り、最後の教科の試験が終わった。解答用紙を回収してもらい、休憩の許可が出ると、私は体を伸ばして固まった体をほぐす。
怪しいところが数問あったが、全教科、空欄はない。
それでも胸の奥に、小さなざわめきが残っていた。
─筆記は、通過点。
本当の試験は、ここからだ。
「今から実技試験の会場へと案内します」
十五分間の休憩の後、呼び出しの声が廊下に響く。
私は立ち上がり、実技試験の会場へと向かった。




