目覚め
目が覚めたら部屋にいた。
たまたま目が合った使用人が目を大きく開け、すぐに幾人もの人間に囲われた。
私は寝ているらしい。手も足も温かく、指の先まで意志が通っていた。
痛くない。寒くない。
目の前には温かい人間の、安堵が広がっていた。
「フィーナ様、お目覚めに!」
「苦しいところはございませんか?」
「何かおかしなところは?」
やっと耳が通いだし、膜が破られたように音が入ってくる。私は小さくかぶりを振った。
「お声は出せるでしょうか?」
初老の宮廷医が一歩前へ出る。
「……は……い」
喉にはまだ分厚い膜が張られているみたいだった。やっと出せた声も醜く掠れていた。
けれど宮廷医は満足げに頷く。数名に目配せをした。
「フィーナ様、お身体は動かせそうでしょうか?」
メイドの一人が代わって前へ出る。私は腕と腹に力を入れた。
「あ……」
身体が異物のように重たくて、思うようには動かせなかった。途中までは浮くのだが、起こすまでには至らず床に打ち付けられる。だからといって、痛いわけでもなかった。
「フィーナ様、ご無理をなさらず」
メイドに止められ諦める。死んだわけでもなかったが、やはり私は重症なのかと思い知った。
「三ヶ月も休まれていれば仕方のないことです。徐々に慣らして行きましょう」
優しく微笑まれる。
「さんか……げつ……?」
なんだそれはと目を瞬いた。
メイドは苦悶の表情を浮かべて口を開いた。
「はい、フィーナ様がワイバーンに運ばれてお帰りになられてから三ヶ月の時が経ちました」
聞いた話によれば、私は瀕死の重体のままワイバーンに乗せられて城に戻ったらしい。ワイバーンの背は寝転んで乗れるようなものではないはずだが、確かに私一人だけが背に乗せられていたということだった。
それからは、すぐに保護され治療され、私は三ヶ月延々と眠り続けていたというわけだ。治癒魔法で延命していたものの、目を覚ましたのが奇跡だと言われた。
確かに私はあの時死を覚悟した。魔物に喰われ終わる命だと思っていた。
何が起こったのか分からない。分からないまま時は過ぎていった。
二週間もすれば治癒魔法漬けのお陰で枯渇気味だった魔力が戻り始め、お陰で肉体の回復が急速に早まった。
体力にまだ不安があるものの身体機能はすっかり元通り、私はようやく父と母に面会した。
生きている――つまりは立派な聖女という役目も終わってはいないのだ。
「お父様、お母様、カルソー地区の件申し訳ありませんでした」
広々とした謁見の間。私は父と母に向き合った。娘たる私でも、二人と言葉を交わすのはこの場所だと決まっていた。それは聖女としての仕事を始めた八つの時からだ。父にそう言い付けられたのだ。
最後に見た魔族――あれを仕留められなかった私の仕事は失敗だ。今回はその報告のはずだった。
しかし、父は怪訝に眉を顰めた。重々しく口を開く。
「お前は何を言っている」
「え……?」
母はたおやかに笑んでいた。
「あの日はとても大変だったと聞いています。明らかに四つ星レベルではなかったと。フィーナ、よくやってくれましたね。お陰で、多くの民が救われました」
「で、でも……」
父も鷹揚に頷いた。
「あのまま放置をしておけば確実に大災害になっていただろう。お前はお前にしか果たせぬ役目を果たしたのだ」
「役目……」
「そうよ。貴女はとても立派にやり遂げたわ。流石フィーナね」
「あぁ、これからもこの調子で頼む。して、身体の方はどうだ?」
父の言葉に身がピシリと引き締まる。状況への困惑を一度断ち切った。
「はっ、はい! 順調に回復しております」
「そうか。なら、ハーセン地区の件はやはりお前に任せよう。なに三つ星レベル。お前には軽いだろう?」
父の笑みに母も頷く。
私の脳裏には落とされた時の光景が一瞬蘇った。けれど、振り切るよう強く声を出す。
「お任せください!」
その言葉に、父と母は満足げに微笑んだ。
部屋に戻れば、アンからハーセン地区の状況を伝えられた。
今月に入ってから四名の不明人。それから三名の不審死。死者はいずれも妙齢の男性で、まるで生気でも吸い取られたかのように干からびていたらしい。
「その不明人っていうのも男性なのかしら」
問えばアンは「いえ」とかぶりを振る。
「男性と女性が二人ずつです」
「そう。となると、共通項は――」
「比較的年若い方が被害者となっています」
「若い、ねぇ」
顎に手を当てて考える。
ターゲットを搾るとは中々に知性的な犯行となる。大方、中上級クラスの仕業だろう。
低級なら選び見分ける知能すら持たないはずなのだ。
「現段階でのレベルは?」
「三つ星です。ですが被害は広いハーセン地区内で点々としており、原点も不明との報告です」
「そう」
となれば、言わずとも伝えたいことは読み取れた。
つまり、地区範囲が狭ければ被害レベルが上がるということ。ハーセン地区とて時間の問題だということだ。
「分かったわ。明後日向かいましょう」
「承知しました。予定を調整いたします。それと、公務の方は暫く休むようにとの陛下のご配慮です」
その言葉に、カチッと自分の中の思考が止まった。顔も強張っていたのだろう。アンが察するように先を続けた。
「エルレア様が務められるとのことです」
「エルレアが……」
父の弟の長女――つまり従妹である。
彼女は聖女の力こそはないが魔力としては大きなものを持ち、大変優秀な使い手であった。そして何より類まれなる愛嬌から、私よりもずっと人望のある女性だった。
「はい、他に気になられることはございますか? 宜しければ一度下がらせていただきますが」
「あぁ、いえ……」言い掛けてそういえばと思い出す。
「あの……、カルソー地区の神殿、その日私が対処すべきだった他二つの件だけど、あれは今どうなっているのかしら?」
問えばアンは不思議そうに眉を動かした。
「……それは浄化状況の確認で宜しかったでしょうか?」
「えぇ、それで構わないわ」
「フィーナ様のご活躍により、元通りに聖域化しております。他二件につきましても正常化しておりますが」
「えっ」目を見開いた。
「何か気になられるところがありますか?」
「えっと……」
どう伝えるべきか戸惑った。
聖域化とは元々聖属性を宿した土地を結界を張ることで更に聖性を高めることを言う。イメージとしては、聖の力を閉じ込めて濃くさせるといったところだ。
魔族にとっての聖域とは、人間にとっての毒沼みたいなものだという。となれば、聖域化された場所を拠り所にする魔族なんかいないわけで、私が見た少女はあの神殿を放棄したといえるのだ。
ならば、私の命があるのはあの魔族の少女が神殿への興味を失ったから?
けれど、最後の記憶では確かに喰われる寸前だったはずだ。
それに――
「神殿以外の浄化もやはり私が……?」
おずおずと問えばアンは首を傾げる。
「フィーナ様以外におられるでしょうか?」
「そう……ね」
おかしな話だ。それこそ私は屍人にでもなって仕事をこなしたのか……?
自分の手を眺める。臭いを嗅いでみる。手足をバタバタ動かしてみた。
特に以前と変わるところはない。
考えてもやはり出ない答えに眉間の皺が深くなっていく。ふと意識を戻すとアンも怪訝な表情だったので「ありがとう」と言って話を終えた。
用が済んだアンは早々に部屋を後にした。これから、暫く休んでいた分の調整に入るのだろう。
私が眠っている間、緊急案件は他国の聖女に協力を願い出たらしい。現存する聖女は四名。一国に一人といかない状況に、他国へ赴くことも珍しくはない。今回は助けられる側ではあるが、今までは常に助ける側に立っていた。
別に負い目を感じることではないはずだが、やはり気にはなるものだった。
私はその特別強い聖の力により、他の聖女から尊敬される立場にあったのだ。
挽回の二文字が頭に浮かぶ。
父だって本来なら、公務の件をエルレアのいる公爵家には流したくなかっただろう。
父と母が私に求めるのは完璧だ。
ならば私が今できることは、一刻も早く元の体制に戻すこと。その為には、調子が戻ったことを仕事で示さねばならない。
過ぎ去ったことをモヤモヤと考えている場合ではないのだ。
「よしっ、取り敢えずは明後日ね」
気合いを入れて唇を締める。
しかし、次の瞬間ポカンと開いた。
天井からまるで蝙蝠みたいに人が現れた。薔薇色の瞳を輝かせ、ニマリと口角を上げて笑んでいる。淡紅の髪は筆のように揺れていた。
その姿には見覚えがある。
神殿で私を喰おうとした化け物だ。
ツウと背筋に嫌なものが走る。
しかし、そいつはヒラヒラと手を振ってきた。
「やほやほ――! やぁっと元気になったみたいだねぇ!」
逆さのままニッコリ笑って、まるで友人のようなノリである。更には「いやぁ本当、心配したんだよ」なんてふざけたことを言う。
当たり前だが、王城から王都にかけては防護結界がなされていた。特に王城については聖女たる私の力を練った、聖域化に準ずる程度の結界が張られているはずだった。
「……王城はお前みたいなのは容易く入れないはずだけど」
「ん? まぁね、でもなんとかいけるレベルだよ」
少女は軽く笑いながら床に着地する。すくっと立ち上がれば、同性でも羨ましくなるような胸がふわりと揺れた。
「何より君の為だしね」
「は?」無理解に眉を寄せれば、少女は首を傾げた。
「あれ? もしかして覚えてない?」
言いながら少女は自らを指し示す。いかにも困ったように眉を下げていた。
友好的に距離を詰めて人を害す魔物がいるのは有名な話だ。私は密やかにドレスの裾に手を忍ばせる。腿に巻いたベルトから針を抜いて魔力を宿していった。
「そうね、全く」
「えぇ! 私、君の恩人なんだけどぉ! 忠告もしたし、助けてもあげたし。なんなら、此処まで送っても上げたのに!」
「送った……?」
「そうだよ〜〜。もう大変だったんだから! 君のとこのワイバーンは中々血の気が多くて言うこと聞かないしさ! 背中に乗るだけでどれほど大変だったか」
感謝しろと言わんばかりに少女は口を尖らせる。それからコツコツと私へ距離を詰めてきた。
「とまぁ、こんな終わったことは良いわけだよ! それより、私としてはちゃんと対価が欲しいんだよねっ!」
「対価?」目を細めて少女を見ればウンウンと何度か頷いた。
「そう! 君、聖女なんだよね? だったら私たちみたいのを狩ることも多いだろうし知ってるよね? 魔族の取引には等価交換が基本ですよって」
少女は丁度、ソファに座る私の前――そのテーブルの前で足を止めた。
「私は君を助けた対価が欲しいんだよね」
ニコリと笑む少女。けれどそれを鼻で笑った。
「取引なんて馬鹿馬鹿しい。そんなものお前と結んだ覚えはないわ」
魔族との対話は流されないことが基本だった。彼らはあくまで利己的で理不尽な存在だ。等価交換と言いながら、隙を見れば都合の良いものにすげ掛けてこようとする。その癖、一度交わした約束には異様な執着を見せ、意地でも遵守させようとするのである。
「でも、助けたのには変わりないじゃん?」
「頼んでないわ」
「じゃあ、あのまま雑魚に締め殺されたかった?」
少女は物騒な言葉を柔和な笑みで吐く。私はその瞬間に針をテーブル下から投げ飛ばした。コントロールは魔力をもってする。距離からして一秒にも満たない一瞬だ。刺さらぬことなどあり得ないはずだった。
少女が張り付けた笑みのまま、片足を上げる。まるで虫でも踏み潰すかのように針を踏み止めた。
「私さ、すっごいがっかりしちゃったんだよね。極上の獲物が手に入って、邪魔者退かして早速食事って思ったら、君が気を失っちゃってさ」
言いながら少女は針を拾い上げる。
あー魔力付与してあるんだね、なんて呑気なことを言いながら眺めると、軽々と針を真っ二つに折って投げ捨てた。
少女の手からは焦げるように僅かな煙がでる。けれどすぐに消えていった。
「私って性質上、死んでたり気を失ったりしてる人間を食べても意味がないんだよね」
「せい……しつ?」強張る身体に鞭を打って口を開く。声は無様にか細いものになった。
そんな私を少女は笑う。
「そう」と声が聞こえた瞬間には、彼女は私の目の前――ローテーブルに腰掛けて座っていた。
「ほら私、サキュバスだから」
「サキュ……バス?」
「淫魔っていった方が分かりやすいかな? 私はね人間の色欲を喰らうの」
彼女は見下ろすように微笑んだ。
「だからね――」
白い腕が伸びて、私の顎を掬い上げる。
彼女の瞳が煌いて、私は金縛りにあったように動けなくなっていた。
「私は君のことが欲しいんだ。勿論、下品な意味でね」
くふっと笑った口の隙間から、鋭い牙がチラついた。
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