出会い
――フィーナは本当に優秀だ。
――現役最高位の力だもの。
――これからが楽しみだわ。
――なに、先日は一人でアンデットの大群を屠ったらしいじゃないか。
――いいえ、この子はドラゴンを退けましたのよ。
――それは凄い。
――そうでしょう。そうでしょう。
「「フィーナはこの国の宝だね」」
ハッとして目が覚めた。
さっきまでの光景はどこへやら、私は広いベッドの上で横たわっていた。
閉ざされたカーテンの隙間からは朝日が漏れ出して、身を起こせば十分な睡眠が身体を軽くさせていた。
ん――っと伸びをする。
コルテシア王国・第一王女兼聖女、フィーナ・エルレーン・ウィンベルグの朝は早かった。
「フィーナ様、本日のご予定です」
侍女のアンより渡されたのは、ぴっちり詰まったスケジュール。私は、朝食たるパンを口に放り込みながら目を通した。
むっ、いつもより仕事が多い……。
「申し訳ありません。カルソー村の被害が深刻化しているようでして、一刻も早く対処していただきたいと要請があり本日のご予定に繰り上げさせていただきました」
ペラリと一枚を捲る。
なるほど、確かに周辺地区の傷病者の数が倍増している。
カルソー地区はコルテシア王国内でも然程広くはない土地だ。人口も少ない方の上位に載るほどなので、その被害数値は中々に目を張った。
紙を戻し、午後一の仕事にある『カルソー村西・神殿』の予定を見て頷く。
しかし、それにしては移動時間が異様に短いことに気が付いた。
パンを飲み込んでアンに尋ねる。
「それは構わないけれど、移動手段の予定は? 宮廷研究所からカルソー地区へは魔馬を使っても三時間はかかるはずだけど」
「はい、陛下より飛龍の許可が下りましたので、研究所より一度此方へ戻っていただき、そのまま飛龍にて目的の神殿へ向かう予定です」
「飛龍……」
その言葉に顔が引き攣った。城で飼い慣らしている魔物の一体で、本来はセレモニーやら急時以外には開放されないはずのもの。
しかし父は、私の仕事のためなら易々解放許可を出してしまうのだ。
無論、仕事とは王女としての公務ではない。聖女としてのものだ。
小さく息を吐く。
「分かりました。では、研究協力が終わり次第すぐ庭の方へ向かいます」
次はスープをとスプーン片手に言い放てば、アンは「宜しくお願いします」と潔い返事と共に下がっていった。
庭といっても庭園などではなく、だだっ広い王城敷地内も奥地に作られた森の中。そこが宮廷従魔として仕える者たちの居場所になっている。
我が国で代々活躍した聖女達が従えたらしいそれらには、ゴーレムからケルベロス、スライムなんてものもいれば精霊までも揃っている。
渡されたスケジュールへと再び目を落とす。
「午前中は属性研究に修道院訪問、午後は四つ星ランクが一箇所、二つ星ランクが四箇所」
星ランクは状況の深刻度合いを示している。数が多いほどその程度は深刻だ。
二つ星で注意喚起、四つ星で原点封鎖になる。四つ星までのものになると、元凶もそれなりの厄介者が多いのだが――
「ちゃちゃっと終わらせますか」
フィーナにしてみれば、この程度は十になる頃より引き受けていた。
どうせ今回もたいしたことないわと薄く笑う。ゆっくり腰を上げた。
フィーナの仕事の大半は聖女としてのものだった。というのも、王族から聖女が産まれたのは実に数百年振りということで、国含め特に親からの期待が非常に大きかったのだ。
国王たる父の言葉を借りて言えば『公務は代わりがいる。けれど聖女業にはお前しかいない』というわけらしい。
一応、聖属性に準ずる光属性を持つ聖職者や各属性を駆使して戦う魔法使い、騎士等々厄介者に対抗する手段は幾つか存在するのだが、対魔に抜きん出て有効的な聖属性の力が扱えるのは聖女だけだった。そして、その聖女の中でも最高位がフィーナであったのだ。
そんなわけでさくっと研究協力と訪問をこなした私は、庭へと向かう。飛龍・ワイバーンに跨がってひとっ飛びすれば、日頃溜まった疲れも吹き飛んだ。
今日の山場は神殿の浄化作業。その他は、折角その方面に行くならついでに程度の軽いやつだ。恐らく、地方司祭でも時間は掛かるが十分対応可能だろう。
カルソー村の外れにワイバーンを着地させた私は、地図に従い神殿を目指す。すぐに黒々と禍々しい靄に包まれた建物が目に入った。
「うわっ、結構酷いですね……」
護衛の一人が腕で鼻と口を押さえながら言う。
瘴気耐性はワイバーンから降りてすぐに付与したはずなのだが、悪きものを身体に取り込みたくないという本能が働いているのだろう。
「そうね。さっさと終わらせましょう」
瘴気とは主に恨み嫉み怒り等、負の感情が澱となって現れるものである。
故にその根源は人魔色々な場合があるのだが、悪き気は人の体内へ入ればその身を蝕み、やがて肉体及び精神を負の感情で支配していくのである。
例えばそれが人間なら、それは異形と化して意思疎通すらままならない状態となる。負の感情の昂りにだけ作用され、ただ本能に従う化け物になるのである。
本来ならば明るい光で満たされているはずの神殿は、灯りさえも行き渡らぬ程暗い闇で覆われていた。
力は消費するが、一々聖なる矢を飛ばして道を確保する。
時折遠くまで矢が飛ぶと、気が高まった。
「あの先ですかね……」
「そうでしょうね」
その扉からは一層濃い瘴気が漏れ出していた。
「にしても、ここまで荒れてんのに魔物一体もいないって、逆に不気味ですね」
護衛の苦笑いに私も苦笑した。
「共喰いでしょうね」
あとは単なる運の良さと聖なる矢で牽制がなされたか、そんなところだろうなとフィーナは考える。
「では開けます」
二人の護衛が石の重厚な扉を押し開ける。
この後の段取りは、襲いかかる低級を彼らに任せ、私は根源排除。事前の打ち合わせではそういう流れだったと頭で確認する。
いつも護衛など連れないのだが、今回は原点が広いからと知らぬ間に用意されていた。なのでチーム戦という勝手がいまいちピンとこなかった。
取り敢えず屍人じゃないといいわね。
あれを初めて見た者は、大体動けなくなるから。
そんなことを思いながら、部屋の中へと足を進めた。
「なんか静かっすね」
確かに。いつもなら開けた瞬間に、有象無象が飛び掛かってるのに。
少し様子がおかしいと気を張る。
「油断しないように。中上級がいるかもしれないわ」
私の声に三人の護衛が「はい」と返事をする。
低級は魔力も知力も極めて低い。ワラワラ湧くので面倒臭いが処理も容易い。中上級ともなれば、魔力も知力も上がり戦略というものを使ってくる。面倒臭いに違いはないが、その種類は全く違う。
陣形を保ったまま奥へと足を進み入れ、やがて台の上に祀られるように置かれた小箱を見つけた。
「これっすかね?」
どうだろうと観察する。確かにその箱から瘴気が放たれているように見えた。
「恐らく」目を細めながら手をかざす。「早速浄化を始めるわ」
言えば護衛たちは静かに頷き、剣を構える。背後は任せろということ……よね?
「悪きに囚われしその魂よ我が聖にて辿り正しき姿に還りなさい」
言葉に魔力を乗せれば、膿を吐き出すかのように箱から瘴気が溢れ出す。
やがて排出に終わりが見えたところで蓋を開けた。中には場違いに輝くダイヤが納められている。
「……指輪?」
呟き眉を顰める。
ふと上方から声が放たれた。
「浮気相手の妻から奪ったものみたいよ」
「――っ誰⁉︎」
目を光らせる。辺りは一向に靄が晴れず見通しが悪い。
「聖なる風」
放てば、一瞬視界が開ける。けれど溜まった靄にまたすぐ阻まれた。
とはいえ先ほどよりはかなりマシだ。
恐らくこの指輪を破壊でもすれば、もっと視界良好になるのだろうが――
フィーナは指輪に手を近付けた。
「やめておいた方がいいんじゃない?」
「――っまた⁉︎」目を鋭くするフィーナを、小馬鹿にしたような声がケラケラ笑う。
ここまで意思疎通ができるのであればやはり中上級だと、フィーナは身体を強張らせた。
ならば先ずは根源を排除しないと。
フィーナの目の前の指輪からは確かに瘴気が漏れ出し、それが核であることは間違いなかった。
恐らく、声主は核から溢れ出す瘴気を拠り所にした魔族だろう。悪性の高い魔族ほど、その瘴気を養分として好んで住み着くのだ。
フィーナは先ほどよりさらに強い魔力を込める。指輪に触れて力を流し込んだ。
「悪きに囚われしその魂よ我が聖にて――っ⁉︎」
しかしその最中、キンッと音を立てて指輪が弾け飛ぶ。カラカラっと床を転げ落ち、まるでフィーナの力を吐き出すように、収まったはずの瘴気が再び厚く漏れ出した。
そこから靄溜まりが大きく形を成していく。うねうねと蠢き大きな体躯を現した。
フィーナは手を構える。
「セイクリッドブ――」
暴風で吹き飛ばしてやろうと術を放とうとした瞬間、ドンッと大きな衝突音が鳴る。それから、苦しい呻きが漏れ出した。
「――っうあ!」
「ちょっ……ちょっと……、なんすか……これ……ぇ」
後ろを振り向く。先程まで後ろに構えていたはずの一人が壁に打ち付けられ、他二人は黒い触手に絡め取られるように床を這っていた。
「待っていて! すぐ退けるから!」
フィーナは彼らに手をかざす。
「セイクリッド――」
「フィーナ様っ!」
叫ばれた瞬間、フィーナ自身も地より出た触手に絡め取られた。
「――っう」
それは身体を這い。持ち上げられるように高く上げられる。先ほどの靄溜まりは大きく黒い蛸のような化け物になっていた。
フィーナの服は光魔力を練った繊維で仕立てられていた。高い防御の対魔装備のはずだったのだが、それすらも容易く溶かされていった。
「くぅ……あっ……」
幾本もの触手がフィーナを締め付け、首に腿に腹に脇にと這いつくばった。
それはフィーナ自身の魔力を吸い取るようにみっちりと沿って張り付いて、四肢の感覚を奪っていく。
「っや……あ……」
力を放とうにも、首にまで這う触手のせいで声が出ない。辛うじて出るのは苦しみを漏らす喘ぎだけだった。
あははっとまるで無邪気な声が飛ぶ。
「だから言ったのになぁ」
間延びした声が殊更苛立たしかった。
「大切なものを無闇に触るからだよぉ――って、あれ⁉︎」
何処に存在があるのかは未だに分からない。けれどその声は、触手を操る蛸よりもっと上方から放たれているようだった。
「ねねっ! ちょっと締め付けやめてみて!」
仲間ではないのか、その声は攻撃を止めようとした。
しかし、フィーナへの締め付けは一向にキツくなる。いよいよ視界がチカチカと霞み始めてきた。
「ねぇ、聞いてる? ちょっとそれしまってって!」
声主は微妙に苛立っている様子だった。
「ねぇちょっと?」
語勢はどんどん強くなる。
「ちょっと?」
そして――
「やめてって言ってんだけど」
一瞬だった。神殿の高い天井――まるで空から降るようにその少女は舞い降りた。同時に長い爪で大きな躯体を一閃に引き裂いて、どす黒い赤が彼女を染め上げた。
空間に溶け出すように触手と本体が霧散していく。フィーナの身体には堰き止められた血液が勢いよく流れ出した。
ゾワッと身震いがする。同時にフィーナの身体は宙を浮いていた。
落ちていく。
薄まった靄越しの天井に手を伸ばした。
気が付けば両脚と左腕には意志が通わなくなっていた。全身が割れるように痛い。伸ばした腕さえももう重たくて、糸が切れたように落ちていった。
――フィーナは立派な聖女になるんだぞ。
私の目からは血が流れているのかなと思った。それほどドクドクと熱くて痛かった。
「どんな……もの……に……も……まけな……い……りっ……ぱな……せ……い……じょ……に……」
私はなれなかった。
お父様とお母様の期待の娘にはなれなかった。
ごめんなさい。
怒るだろうか呆れるだろうか。でも、ここで終わるのならどうでも良い気がした。
「あっ、やっぱり!」
終わりかけた世界に馬鹿みたいに明るい声が割り込んできた。
一度は閉ざした視界を少し開く。嬉々とした笑みが映り込んだ。僅かな衝撃があって、私は抱きかかえられているらしかった。
その少女は鋭い二本の牙をチラつかせる。
「いただきます」
至極幸せそうに少女はフィーナの胸元へと顔を近付ける。鋭利な牙と共に赤い舌を白肌へと寄せた。
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