魔法の肥料――窒素
ザハールより手渡された羊皮紙をそっと開く。中にはびっしりと古代ラテラン文字と、数字が羅列されていた。
目を閉じまぶたの残像に残った、詠唱を唱え始める。
程なく地面からゆっくりと湯気が上がる。その湯気にいくつもの小さな稲妻が走る。エルウィンの詠唱する魔法による結果であった。それにザハールが金属の杖をそっと差し出す。
(......いわゆる電気分解だ......結果生み出されるのは『水素』。これを空中の『窒素』と反応させる)
三人の目の前にゆっくりと火球が生じる。炎魔法による反応。金属の杖を巻き込み、それはどんどん大きくなっていく。
「高圧、高熱......魔法力の二次作用により、新たな物質が生み出されます。このような方法があるとは、錬金術を極めた私でも思いも付きませんでした」
ザハールの独り言に、エルウィンはうなづく。それもそうだろう。これは『魔法』ではない。『科学』の力である。決してエルウィンは、科学の専門的な教育を受けたわけではない。しかし、宰相として工場を何度も見学したことがあった。
原理自体は難しいものではない。それを『魔法』の力で実現させることは一工夫必要であったが。
火球はゆっくりと収縮し、最後に大きな光を放ち消滅する。
またエルウィンの詠唱。その光を水の渦が覆いこむ。その水はザハールが手にしていた瓶の中に吸い込まれていった。
「この水が『魔女の土』を浄化させてくれます。この水を加工して乾燥させ土にまけば、それまで不毛の土地だったのが、これこの通り緑生い茂る大地に生まれ変わる――まさに錬土術ですな!」
そう草原を両手を広げザハールは示す。
エルウィンはそっと草を摘む。青々しい匂い。
国家の根本は生産力。
この時代においては農業力が、それに当たるだろう。
より効率的に『アンモニア』を形成できる炉を開発して、火・稲妻・水魔法術初級の魔法使いを数人集めれば荘園で使用する『アンモニア』、そしてそれによる『窒素肥料』は自給できることになるはずだ。
今はこの荘園、五〇〇人の口をなんとか間に合わす程度の大麦の生産力しかないが、それが一〇倍となる。少なく見積もっても、三〇〇〇人の人口を養うことが可能となるのだ。
エルウィンの転生前の職業は政治家、宰相であった。
さらにその前の職業は――大学教授である。
経済学を中心に広く学問を修め、帝国では有名な理論家であった。
経済の基本は分業である。
分業によって、経済は効率化され、発展する。
発展した経済は、人々に豊かさを保証する。
そしてその豊かさを守るための『軍事力』もより強化することができる。
このような『暗黒の中世』において、自分たちを守る『軍事力』つまり防衛力は、なんといっても欠かせない要因であった。
エルウィンはカレルから、羊皮紙を受け取りそれに署名する。最後には指輪による、封蝋。
「ゼーバルト辺境伯およびリーグニッツ荘園領主として、命ずる。偉大なる錬金術師ザハール=アルセーニエフを本荘園の農業代官に命ずる。その報酬は得られる農業生産物の二割。これを終身に渡って受け取れるものとする」
破格の待遇。もし、一〇倍の生産が可能となれば、一〇〇〇人分の大麦を受け取ることができるのだ。
「今はこれが精一杯だ。よろしく頼む」
それに対して、満足そうにハザールは頭を垂れる。
これで、生産に関してはまずクリアできた。
問題は――この周辺の状況である。いつ攻め込んでくるかわからない異民族、そしておなじ帝国の領邦でありながら虎視眈々と領土を狙う周辺の荘園――
軍事面での改革が始まろうとしていた――




