ハルトウィンの回想
暗い部屋。格式高くはあるが、どんよりとした雰囲気が部屋を包む。部屋の奥まったところには大きな執務机。そのそばには帝国旗が掲げられていた。その机はこの帝国を統一した『石炭宰相』の使っていたものである。現在の主は――『灰衣の宰相』と呼ばれる老人、ベートワルト=フォン=コルビッツその人である。
長く白いあごひげを右手で探る。
悩んでいるときの彼の癖である。
帝国はすでに四年にわたる戦争を続けていた。そもそも資源には乏しいこの国で、それは経済の破綻を意味していた。
強力な軍隊も、補給が続かなければその意味をなくす。それどころか、軍隊内でも厭戦的な雰囲気が見られるようになっていた。議会においては皇帝の方向性のない政治に、野党からの批判が高まる毎日。民衆すらも、日々の生活苦から帝政に見切りをつけようかという雰囲気である。
『革命』。そんな言葉が、机の上の帝国新聞の一面に跋扈するようになっていた。
ベートワルトの精神安定剤の量も日々増加していった。
皇帝の信任の厚さから、帝国第六代目宰相に選ばれたあの日。まさかこのような状況が待ち受けているとは思いもしなかった。
就任してすぐ、皇帝の勇み足によって小国セバラリアとの戦争がはじまり、それが大陸全土を巻き込む大陸大戦にまで発展した。その戦争はアリタニヤン王国、ロラン=メトロポリテーヌ 共和国そしてノヴロゴト専制帝国さらにはアングレア首長国連邦まで敵に回し、継続することとなる。
軍部と議会、そして気まぐれな皇帝の間で板挟みとなる宰相ベートワルト。
政治家になりたかったわけではなかった。
大学で書物に埋もれた半生。本来ならば、象牙の森で骨を残すつもりであったのに――歴史教授としての職を辞して、政界に不本意ながら登場するベートワルト。さらに悲劇だったのは、その当時の帝国にひときわだった保守政治家がいなかったことである。結果、ベートワルトが宰相職を引き受けることとなったのだ。
「歴史を深く学んだ人間が、歴史に翻弄される。これは皮肉というべきものかな」
大学の講義をするように、ベートワルトは濁った眼をこすりながらそうつぶやく。
帝国の敗北はもう、覆ることはないだろう。いまは、敗戦の責任を負い、戦後の処理をすることに老残の身をゆだねるだけだとベートワルトは覚悟していた。
机上の電話が鳴る。ホットラインであるために、よっぽどの要件でないと連絡は来ないはずである。
「......そうか」
そっと、受話器を置くベートワルト。宰相官房よりの緊急連絡。
いわく
『皇帝ハヴェル四世陛下は退位を決意。現在特別列車にて、同じザーズヴォルカ家の中立国ドレンストマルク王国へ亡命のために移動中』
青天の霹靂、というレベルではない。皇帝の亡命などという重大事が帝国宰相の判断をバイパスして行われている。すでに自分になんの権力も権限も存在しないことをベートワルトは悟った。
その時、廊下から激しい音が聞こえる。軍靴で床が踏み鳴らされる音。そして数発の銃声。
激しく、重厚な扉が両開きに開かれる。まずは銃口が、そして帝国の軍服を着た兵士たちがなだれ込む。
「帝国宰相ベートワルト=フォン=コルビッツか?」
士官らしき軍人が、拳銃をベートワルトにつきつけながらそう怒鳴る。静かに座ったままうなずくベートワルト。
「祖国の危機に際して私腹を肥やし、政治を私せんとしたつみ余りある。天誅である!国民の怒りを知れ!」
一切反論せずに目を閉じるベートワルト。すべては終わった。宰相としての責務も、そして彼の人生も。
体を貫く銃弾。痛みとともに、その痛み自体が薄れていく。
ベートワルト=フォン=コルビッツの意識が――
再び、彼が目を覚ますのはそれより数百年前の世界であった。それも、『魔法』のある中世世界。そして『彼』は『彼女』に転生していた。
その名は、ハルトウィン=ゼーバルト。ゼ―バルト辺境伯の一人娘として。
かつての彼がおかれたのと同じく、困難な状況下に――




